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海国宰相×海国文官⑤

 全てが悪い夢だと思いたかった。

 けれど、全てが逃れようのない現実だった。

 侍従長様に抱きしめられている姿を宰相様に見られた挙げ句、侍従長様と宰相様は言い争ってしまった。

 原因は私。

 宰相様のセフレでありながら、侍従長様と抱き合っていたから。

 いや、もう私はセフレではない。

 だから誰と抱き合っていようと構わないのに、この激しい罪悪感は一体何なのだろう。


 目を覚ました時、私は自分の部屋の寝台で目覚めた。

 全てが夢だったらと思いたかったけれど、恐る恐る出仕した仕事場にてその思いは裏切られた。

 宰相様の睨付ける様な視線に身がすくみ、まるで針のむしろ状態だった。

 しかも侍従長様が何かと私の所に来ては構うので、余計に宰相様の機嫌が悪くなる。


 そしてすぐに始まる宰相様と侍従長様の言い合いは激しさを増し、職場の雰囲気が悪くなるを超えて吹雪が吹き荒れていた。

 同僚達は一体何があったのかと恐れおののき、当然仕事の効率は下がる。


 そうして結局は終わりきらなかった仕事は残業となり、同僚達は私も含めて定時をとっくに過ぎた夜更けになっても仕事を続ける羽目となった。


 そうして残業が始まって一週間が経った。


「ごめん、これ届けてくるから」

「わかった」


 一番仲の良い同僚が他の部署に書類を届けに駆けていく。

 だがその疲れた様な後ろ姿に私は申し訳なく思った。


 また、かすかに聞こえる疲れを含む複数のため息に視線を巡らせれば、他の同僚達が書類と格闘しているのが見えた。


 この現状を作り出しているのは紛れもなく私だ。

 私の浅慮な行いが宰相様と侍従長様をいがみ合わせ、その余波を職場に及ぼしてしまう羽目となっている。


 まさかこんな事になるとは思ってもみなかった。

 ただ、セフレをやめればそれですむと思っていた。

 別の仕事を探して、文官を退職して、新しい場所で生きていく。


 それで済む筈だったのに、気づけば多くの人達に迷惑をかけている。


 私は一体何をしたかったのだろうか。

 美しい姫君を妻に迎える宰相様との関係を清算し、宰相様の新しい門出を祝福し、姫君が悲しまないようにあらゆる禍根を残さないようにする。

 宰相様のセフレが何を言うのかという話だが、それが私に出来る唯一の事だった。


 なのに今、私はこうして多くの人達に迷惑ばかりかけている。

 こんな筈じゃなかった。

 こんな筈では。


 そして私は、侍従長様の思いからも逃げようとしている。

 好きだと言ってくれたのに。

 愛していると言ってくれたのに。


 私は、それにたいして何の反応も返していない。

 秘める筈だった思いを告げてくれたのに、答えを返すどころかもういっぱいいっぱいで。


 頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 優柔不断でどっちつかずで、何処までも逃げ続ける卑怯者。


 ピチャンと筆から墨が滴り落ち、手元の紙を濡らしていく。


「書き直しか……」


 黒く染まってしまった紙はもう使えない。

 私はため息をつきながら、新しい紙に筆を滑らせていった。


 そうして最後の書類を書き上げた私は、気づけば職場に一人残されていた。

 一瞬惚けた様に周囲を見回したが、そういえば同僚達が帰りの挨拶をしていくのを見送った気がする。

 残りは明日すれば良いという仲の良い同僚の言葉も聞いたのを思い出し、ようやく状況判断が出来た。


 それらを断り、最後まで仕事を終わらせようとして残り続けた結果、今の状況になったのだ。

 広い職場にたった一人。

 灯りはついているが、シンとした静寂と窓の外の闇が孤独感を煽る。

 とはいえ、新人の頃はいつもこうして遅くまで残っていた事もあり、私にとってはどこか懐かしい気もした。


 そういえば、あのときはちょくちょく宰相様が様子を見に来ていたっけ。

 宰相様に直々に使えるようにしてやると言われ、びしばし鍛えられたけれど、どんなに遅くなっても最後は宰相様が来て書類をチェックしてくださった。


 そうしてきちんと全て出し終えると、その美貌に淡い笑みを浮かべて言ってくれたのだ。


『よく頑張ったな』


 そして糖分をとれとばかりに、口の中にライチを放り込んでくれた。

 宰相様の屋敷の庭に生えているとかで、よく食べさせてもらったものだ。


 私がライチ好きだとどこかで聞いたのだろう。

 そうして多いときには一籠も渡され、腐りきる前に食べようとして二、三日ライチだけで過ごして怒られた事もある。


『知っているか? ライチは、人間界のとある皇帝の寵姫が好きだった果物だそうだ。傾国の美姫として後世語り継がれるほどの美女が愛した果物らしい』


 じゃあ傾国の美姫じゃない私が食べたらまずいですね、と答えた私に、宰相様はお腹を抱えて笑われた。


『何言ってる。そこの国はどうか知らないが、この国にそんな法律があるわけない。食べたければ食べればいいさ』


 そうして私の口の中にライチを押し込んでくれた。


 あの時のライチは、食堂で出されるものより美味しかった気がする。

 口寂しさを感じて机の上を見れば、ライチの果汁で作った飴があった。

 それを手に取り、包装紙を開ける。


「またライチか」

「っ!」


 突然背後から声をかけられ、私の手から転げ落ちたあめ玉が床を転がっていく。

 だが、普段ならあめ玉を追いかける私の体は条件反射のように転がったあめ玉とは逆の方向を振り返る。


 そこに立っていた相手に、私は息をのんだ。

 居るはずがない相手だった。

 いや、昔は、セフレをやめる前まではよく来ていたが、それでも今は……。


「宰相様……」

「残業か、しかも最後まで残っているなんて相変わらず要領が悪いな」

「……」


 確かにその通りだが、宰相様の小馬鹿にした様な表情にショックを受ける。

 今まではそんな顔を向けられた事なんてなかったのに。


「で、終わったのか?」

「え?」

「仕事だ」

「あ、はい。後は朝一であの書類を届ければそれで」


 既に届け先の部署も終わっている。

 だから朝一で届けるしかない。


「そ、その、私ももう帰るので」


 荷物を纏め、灯りを消し、鍵をかける。

 それが一番最後に職場を出る官吏の役目だ。

 しかし、荷物を纏めて灯りを消した所で、私は鍵が所定の場所にない事に気づいた。


「あ、あれ?」

「鍵ならここだ」


 宰相様が鍵を手に持ち揺らしているのが見えた。

 一体なぜと問おうとしたが、その前に腕を掴まれて外に出される。

 そうしてさっさと施錠した宰相様はその鍵を天井へと投げた。


「え?!」


 その行動にぎょっとした私だが、次の瞬間更に驚いた。

 投げられ宙に浮いた鍵がふっとまるで消えるように姿を消したのだ。


「あ、え?!」

「影に渡しただけだ。管理室まで届けるよう頼んだ」


 影という言葉に宰相様の子飼いの存在が思い出される。

 この国の王のように、宰相様も自分の手足となって動く影の存在が数名ほど存在している。

 しかしまさか鍵を返す為だけに使われるとは……。


 が、唖然としていた私は突然腕を強くひかれてつんのめった。


「っ!」

「何を惚けている、とっとと行くぞ」

「行く?」


 私の手を掴み強く引き寄せる宰相様に混乱しながらも、何とか足を踏ん張って抵抗する。


「行くって何処にですかっ」

「そんなの決まってるだろう? 求めにはいつでも応じると言ったのはお前だ」


 それが、何を意味しているのかすぐに分かった。

 セフレとして契約を結んだ時に私は確かにそう言ったこともある。

 しかし、それはセフレとしての関係が成り立っていた時のものであり、関係が終わった今のものではない。


「さ、宰相様っ!」

「行くぞ」


 強引に引きずられ、私は歩かされる中違うと叫び続けた。

 こんな時間に大声を出せば誰かが駆けつけてくるという考えすら吹っ飛び、宰相様に懇願する。


「私と宰相様の関係はもう終わったんです! ですから、もう私はお相手は出来ないんですっ」

「そうだな。お前は侍従長と寝たんだからな」

「え?」


 侍従長と寝た?

 一体それはどういう事か。


「聞きもしないのにわざわざ話してくれた者達が居る。そう、俺のセフレをしている時からお前と侍従長は深い仲だったと。いや、侍従長に近寄るためにお前は俺のセフレになったのだと」

「なっ?!」

「確かにそうでもなきゃ、お前みたいな種類の女がセフレなんてものにはならないだろうな。愛する者の為には手段を問わない。好きでもない男の愛玩動物として体まで売る。全ては好きな相手に近づくため」


 違うと叫びたかった。

 けれど、ギラギラとした視線を向けてくる宰相様が恐ろしくて声が出せない。

 もし何か口にした途端、その喉に食らいつかれそうな気がしたから。


「結局、お前の望み通り侍従長はお前を特別な相手として見た。まあ、確かにセフレ仲間なんていう異常な関係は吊り橋効果以上に影響力がありそうだしなあ。はは、さしずめ俺はキューピッド役、いや、だまされた間抜けな道化の方がいいか」

「さ……い…しょうさま」

「そう、俺は騙されていた。下心がなさそうな顔をしてすり寄ってきた女狐にな」


 女狐――その言葉に、何とかして逃げだそうとしていた私の体から力が抜ける。


「上手くやった――そう思っているなら、とんだ大馬鹿だ。俺は俺に刃向かう相手には容赦しない。たとえ、相手が女だろうと」


 宰相様が私の耳元で囁く。


 ――報いを受けさせてやる


 まるで魂を望む悪魔の様な声音に、私はガタガタと震え出す。


 違う、誤解なのに。

 だがその誤解を作り出したのは私だ。


 セフレをやめる。

 宰相様と泉王の王妹様との仲を祝福する。

 王妹様の憂いにならないように、全ての関係を清算して仕事を辞める。


 ただ、それだけを望んでいたのに。

 宰相様の幸せを望んでいたのに。



 荷物を放り出し、廊下を駆けた私は、中庭に飛び出たところで宰相様に捕まった。

 それでも必死に抵抗したけれど、とうとう茂みの中に押し倒され、服をはぎ取られた。

 凄まじい衝撃と痛みに世界が真っ白になる。

 

 覚えているのは、満天の星空だった。


 夜遅くまで仕事した後、書類のチェックに来た宰相様と一緒に帰る中で見た星空の美しさと何一つ変わらないのに。


 どうして、私は……。



 それが、海国王宮で見た最後の星空だった。


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