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海国宰相×海国文官④

 全てが凍り付く。

 心も、言葉を紡ぐ口も、視線も。

 時すらも凍り付く中、私は宰相様から視線を外せなかった。

 外せば、全てが終わる――そんな恐ろしい考えすら頭によぎる。

 まるで此処だけ他の空間から切り離されたように、全ての音が消える。

 私の部屋のある場所は、王宮の片隅で、人は殆ど来ない。

 ましてやこの時間なら、尚更だ。

 だから、余計に静寂が痛い。

 宰相様は何も言わなかった。

 ただ、私達を、私を見ていた。

 何の感情もない、眼差しで。

 せめて怒りでも浮かんでくれればどれほど心が安らいだか。

 それほど冷たい眼差しに、私は息をするのも苦しくなる。

 宰相様は何も言わない。

 ただそこに立っているだけ。

 けれど、私は激しく責め立てられる思いだった。

 全身を氷の剣で貫かれたとしても、此処までの痛みは憶えないだろう。

 もう一人の私が叫ぶ。

 すぐに侍従長様から離れるべぎだと。

 しかし体が動かない。

 また侍従長様が私を抱き締める腕に力を込める。

 離してと言わなければ。

 なのに声が出ない。

 そうして端から見れば、恋人同士の様な状態となった私達を、宰相様は無言で見つめていた。

 苦しい。

 辛い。

 違う。

 申し訳ありません。

 幾つもの言葉が浮かぶ。

 いや、そもそもどうして謝っているのだろう。

 宰相様のセフレの時ならまだしも、今の私は完全なるフリーだ。

 きちんとセフレ終了を告げてきた。

 だから誰と一緒に居たって別に何の問題もないではないか。

 なのに、どうして、私は。

 驚き、焦り、羞恥、後悔。

 なんで、こんな。

「……か」

 宰相様の声が聞こえ、私の金縛りがとける。

 何の問題もない筈なのに、口が勝手に謝罪の言葉を述べようとする。

 けれど、それは宰相様自身によって封じられた。

「そういう事か」

 軽蔑。

 そう、軽蔑。

 そんな眼差しで宰相様は私を見ていた。

 軽蔑、侮蔑、蔑み。

 今までに数回だけ見た事がある。

 宰相様が信用に値しない相手に向けた視線。

 それを、今、私は向けられている。

 今まで一度も、セフレになると宣言した時でさえ、そんな目を向けられた事はなかった。

 なのに、今、私はその対象となっている。

 そこまで一気に、堕ちた。

 ああ、堕ちてしまった。

 足下が崩れる。

 今まで築きあげてきたものが、培ってきたものが、その全てが壊れる。

 信用、信頼、絆。

 セフレを辞めても部下としての関係は残る。

 けれど今、それすらも私の手からすり抜けてしまった。

 やめて、見ないで。

 何処までも冷たい蔑みの眼差しが私をズタズタにする。

 磨き抜かれた刀で四肢を切り落とされても、これほどの痛みではない筈だ。

 痛い。

 痛い。

 見ないで。

 ワタシヲミナイデ。

「突然セフレを辞めたいというからどうしたのかと思えば……他の男と付き合う為か」

 鼻で笑う。

 侮蔑に染まる瞳がイヤらしく歪んだ。

 それでもなお美しい宰相様。

 美しくて、綺麗過ぎて、側に居る事さえ許されない。

 いや、逆に自分が汚いものに思えてくる。

 全身から力が抜けていく。

 そんな私を侍従長様が慌てて抱き留めた。

 宰相様から感じられる侮蔑の気配が強まる。

「しかも選んだ男がよりにもよってそれか。女よりも女らしい、男の下で腰を振る愛玩動物とはな」

 侍従長様を侮蔑する言葉に、空になっていく頭が反応した。

 何故侍従長様がそんな侮蔑を受けなければならないのか。

 宰相様の言葉とは思えなかった。

 この国の後宮を見れば分るように、その美貌ゆえに囚われ女として凌辱されてきた美しい男達。

 侍従長様だけでなく、宰相様だって同じ筈だ。

 自分の美貌を呪い、自分を虐げた者達を呪い、そんな運命を与えたこの世の全てを呪い続けた。

 中には愛する者を奪われ、また愛する者を守る為に心を偽り続けなければならない者達も居た。

 尊厳も何もかも奪われ、ただの愛玩動物として、妾として、妻として、男である事を否定されて女として強制的に生かし続けられた。

 死さえ奪われて。

 そんな経験をした一人である宰相様だからこそ、侍従長様に向けた言葉が信じられなかった。

 好きでそんな事をしていたわけではない。

 凶悪な媚薬を使用され、今も男を受け入れなければ媚薬の後遺症で狂い死ぬ。

 それこそ自分の意思すらも狂わせ、ただ男を求め彷徨い歩く肉の塊となる。

 最も忌避する存在になる。

 それを防ぐ為に、宰相様と侍従長様、副事務長様は協定を結んだ。

 いつか出来るかもしれない解毒剤を待つ為に、いつか出来るかもしれない治療法を待つ為に。

 きっとその媚薬の犠牲者達はもっともっと多いだろう。

 たとえその媚薬でなくても、別の媚薬や、野獣のような男達から受けた性的虐待という暴力、更には精神的な虐待により女にされた者達の悲劇は今も続く。

 それを知っている、筈なのに。

 どうして。

 そんなことを言えるのか!!

「訂正して下さい!」

 私は宰相様に向けて、初めて、こんな強い怒りをぶつけていた。

 一度吹き出した心は止まらない。

 それは、今まで押し込めてきた苦しみも混じり更に大きな物となる。

 自分で望んだ筈の関係。

 いつか終わる筈の関係。

 それが分っていて結んだのは私。

 この身に渦巻く怒りはあまりにも身勝手過ぎる。

 筈なのに、止められない。

「それにどうして、宰相様にそんな事を言われなきゃならないんですかっ!」

「っ!」

 驚いた様に目を見開く宰相様。

 けれど、たぶんそれは私の態度に驚いているのだろう。

 今まで従順に従い、それこそ刃向かうなんて考えもしなかった――いや、刃向かう筈もないただの道具が、突然暴走を始めたのだから。

 道具。

 私は道具。

 宰相様の為に動く、ただのモノ。

 道具が使えなくなったらどうするのか。

 そんな事は考えずともわかる。

 使えない道具は捨てるしかない。

 暴走した道具は壊すしかない。

 道具は使うためにある。

 使えなければ、意味はない。

「生意気だ」

 怒りに染まった宰相様の瞳が、血走った瞳が、私を睨み付ける。

 燃える、膨れる、暴れる。

 渦巻く怒りが、最後の堰を切って流れ出す。

「ただの、抱き人形の、くせに」

 その言葉が耳に入った時、私の中の何かが音を立てて壊れていった。

 それは、心の中で最後の最後まで捨てられずに残っていたもの。

 何処かで、期待していた。

 何度も、何度も壊して、捨てて、その度に最後と決めて。

 なのにまだ残っていたのか。

「人形なら人形らしく大人しくしていればいいっ!」

 伸ばされた手が、私へと迫る。

 けれど、目の前でその手は弾かれた。

「っ!」

「人が黙ってれば何だよその言い草」

「黙れ! この愛玩人形!」

 愛玩人形――それは、過去に侍従長様を飼っていた男達が侍従長様を呼ぶ時の呼び名だった。

 人形の様に愛らしく可憐な侍従長様は、そうやって生き人形同然に愛でられた。

 衣服をはぎ取られ、鎖と枷をつけられ、望まぬ凌辱を受けた。

 そんな過去を持つ侍従長様への禁句。

 それを宰相様は躊躇なく言い放った。

 頭に血が上りすぎての結果と思いたい。

 けれど、宰相様の目を見れば、残念ながらそれはなかった。

 侮蔑と共に現れた凶悪な敵意、憎悪、殺意。

 灼熱のマグマよりも熱く、氷河の氷よりも冷たい。

 そんな相反する二つを宿し、絡め、創り出される恐ろしいまでの憎しみに私の体がガタガタと震え出す。

 恐い、恐い、恐い!!

 いつもその視線は敵に向けられた。

 国の敵、王の敵、民の敵。

 そして、宰相様にとっての敵。

 その敵に、今、私はなった。

 そう――敵なのだ。

 宰相様にとっては排除するべき、忌むべき存在。

 もうその腕が抱き締めてくれる事はない。

 時折見せてくれる笑顔も、部下として側に近付く事も出来ない。

 まるで真綿で首を絞められていくようだった。

 いや、ただの真綿ではなく、綿に隠れ潜む氷の棘がぐさりと喉に突き刺さったままじわじわと締められていく。

 恐い、消えたい。

 恐い、居なくなりたい。

 恐い、死にたい。

 今すぐ死んだ方がマシという程のそれに、私の歯がガチガチと鳴る。

 宰相様と侍従長様は互いににらみ合っている。

 あれから、一つも言葉は出てこない。

 二つの怒りが、ぶつかりあい火花を散らす。

 今なら視線だけで魔族の一人や二人なら簡単に瞬殺できるだろう。

 もう駄目だ。

 私の心が悲鳴をあげる。

「寄越せ」

 宰相様の声に、私は噛みかけた舌をそのままに固まった。

 よこせ?

 分らない。

 何を言ってるのか。

「それを寄越せ」

「イヤだね。もう君とこの子は何の関係もないんだから」

「なんだと?」

「確かに昨日まではそうだったと思う。でも、もうこの子は関係の終了を告げたんだから、もう宰相とは関係ないんだよ」

「俺は認めてないが」

「は? 認めてない? 認めない、それで済むと思うの? 泉国と戦争する気?」

 戦争――それが、私の心をつなぎ止める。

「何を」

「何をじゃないよ。それとも何? 海国の国力なら別に戦っても勝てるとか思ってる? ふざけるなよ。言っとくけど、戦争始める気なら僕は今此処で君を殺すよ」

 侍従長様の言葉に私は息を呑んだ。

「確かに避けられない戦というものはある。でも、君の我が儘で引き起こされる戦いは許さない。もちろん、これは君だけじゃなくて、王宮に勤める、政治に関わる全ての者達に当て嵌まることだよ」

 厳しい眼差し、声で、侍従長様は更に言い募る。

「君は今の自分の立場を分ってるの? はっ! この子の方がよほど分ってるよ。今の状態で、今のままで君がこの子を連れて行く。それによって引き起こされるのは、泉国の王妹への侮辱と、かの国の怒りだ」

「っ?!」

 宰相様が息を呑むのが分った。

「あの国は一度火がつくと止まらないよ。特に、あの国で聖女と呼ばれているほど民達、貴族達から人気の高い王妹に関しては。多くの男達が手に入れようと争っている。そんな中で、王が持ち込まれる全ての縁談を断る中で、初めて自ら縁談を持ち込んだ相手が君」

 改めて告げられた内容に私の胸が締め付けられる。

 そう……妹を寵愛する泉王が、初めて持って来た縁談。

「その聡明さ、美しさ、全てにおいて周辺国にまで広く知れ渡る美姫との縁談があるというのに、自ら身を引こうとするセフレを強引に引き留めるなんて醜聞が立ったらどうなる? 思い切り相手への侮辱だよね? 下手したら、この子まで巻き込まれる」

 侍従長様が私を強く抱き締める。

 まるで失ってたまるものかというように。

「それだけじゃない、王妹を辱められたとして戦だよ、戦。何度も言うけど、あの国にとって王妹は聖女同然。王妹の為なら、起こすよ――」

 それほどに、あの国にとって王妹の存在は大きい。

 大きすぎて、暴発寸前の風船だと侍従長様は小さく呟いた。

 この国と同じく、賢君が統治する泉国。

 有能な上層部も居り、民達も国の繁栄の為に尽力し続けている。

 そんな彼らにとっての希望、光――それが王妹。

 会った事はない。

 けれど、きっととても素敵な方なのだろう。

 伝え聞く噂は全て好意的なものであり、どれほど多くの男達が王妹を花嫁にしたいと願っているかというものばかり。

 誰が彼女の夫になるのか。

 誰が彼女を花嫁に迎えるのか。

 その注目は自国ばかりか周辺国からも集まっている。

 そこで傾国の美姫という言葉を思い出した。

 多くの男達がその身を巡って争い、権力者達がこぞって欲する麗しの美姫。

 きっと彼女はそれなのだろう。

 そういえば、凪国の宰相閣下の妹である明燐姫様や津国の愛蓮様もそうだった筈。

 そこに泉国の王妹を加えて――そう、その三姫で三大傾国と呼ばれていたのを思い出す。

 彼女達こそ、傾国。

 美しさも聡明さも、男を惑わしその本能を揺さぶり独占欲をかきたてる高嶺の花。

 それに比べて、私は岩陰に生えるタダの雑草だ。

 比べるまでもない。

 比べるなんて烏滸がましい。

「まあ、向こうだって今まで一人も遊び相手や関係した相手が居ないなんて思ってない」

 それは有り得ないと、誰もが知っている。

 特に美しい者ならば、恐ろしく幸運でもない限りは殆ど全てが被害にあったと言っていい。

 それほど、大戦中は酷かった。

 美しければ攫われ、奪われ、奴隷狩りにあい、権力者の慰み者や妻妾、愛玩動物にされる――それが、常識、世界の決まりとでも言うような時代だったから。

 そしてそれは、あの時代を経験してきた者達は皆知っている。

 知っているから、だから言わない。

 そう――侍従長様の言うとおり、今まで一人も居なかったなんて思わない。

「でも、だからといって結婚後に居るのはアウトだよ」

「……」

「結婚前に全ての関係を清算する。それが、ケジメってもんじゃない?」

 何処かからかう様に言う侍従長様に鋭い舌打ちがなされる。

「なら、お前はどうする?」

 侍従長様も宰相様のセフレの一人。

 関係を清算するなら、当然侍従長様も別れなければならない。

「別に僕はいいよ。副事務長が居るから。それより問題は宰相だよね? 君は男に抱かれ、男を抱きたいという衝動に悩まされてる。まあ、それぐらいなら向こうに事情を説明して、解毒剤か治療法が出来るまでの間ぐらいなら目を瞑って貰えると思うよ」

 向こうの国にも、凶悪な媚薬の後遺症に悩む者達が居るという。

 それは上層部にも。

 だから、事情を話せば分って貰えると侍従長様は笑う。

「まあ別の相手が良いならそれでもいいけど? でも、この子は駄目だ。女の子だからね。王妹を苦しめる存在として認識される。だから、絶対に駄目」

 そう……私だけ、駄目だ。

「だから、俺と別れてそいつはさっさと別の男のセフレになると?」

「黙りなよ。いくら君でも怒るよ」

「はっ! そうじゃないか。俺と別れると告げた次の日にお前と抱き合っている。この状態の何処を見て、そいつが尻軽じゃないと言える? すぐに次の男が欲しくてたまらなかったからだろうが!」

「訂正しろ。この子は尻軽じゃない。それにセフレって何? 恋人って言えないの?」

「そいつなんてセフレで十分だ」

 セフレで十分。

 私は侍従長様の胸に顔を埋めた。

 涙が、抑えきれなかったから。

 そう言われる様な行動をとり続けてきたのは私。

 なのに、どうしてこんなにも涙が出るのか。

「君、本気でそう言ってるの?」

「煩い。それよりとっとと寄越せ」

「しかもさっき言った事を全く聞いてないの?」

「聞いたさ。だが、まだ縁談まで時間があるからな」

「それまで、たっぷりとこの子を使って楽しむと? 最悪な男だね」

「そういう男達に飼われてきたからな」

 ハッと笑う宰相様の声に、一瞬投げやりなものを感じた気がした。

「とにかく、寄越せ。俺はまだ契約解除を認めてない」

「しつこい男は嫌われるよ。それに、契約の条件は揃った筈だよ。君が結婚するか愛しい相手が出来たら、そこで終わり。君は結婚の可能性が高い縁談をする。だから、この子との関係は終わりなんだよ」

「黙れ! お前の指図は受けないっ!」

 そう言った途端、ガッと強い力で二の腕を掴まれる。

「こっちに来い!」

「やめなよ!」

 私を留めようとする侍従長様と、私を連れて行こうとする宰相様。

 二人がそれぞれから私を引っぱる。

 痛い。

 やはりどんなに見た目が美女でも、やはり男。

 手加減はしてくれているかもしれないが、一歩間違えれば真っ二つに裂かれそうだ。

 互いに離せと言いながら、私を引っぱる。

 両手に花。

 二人の美女――いや、美男子に取り合いされる私。

 普通なら萌えるシュチュエーションとやらだが、今の私にそんな余裕はない。

 やっぱりこのまま真っ二つエンド。

 そんな事を考えていた時、悲鳴があがった。

 廊下の奥に見えたのは一人の少女。

 それが王妃様だと知った分った時、私の体は侍従長様の腕の中に居た。

 宰相様が、自分の手を茫然と見ていたのは一瞬だった。

「ちょっ、一体何を」

 王妃様が私達の元に来る。

 それとは裏腹に、宰相様が優雅な笑みを浮かべた。

「何でもないですよ」

 そう言うと、王妃様の腕を掴む。

「また脱走されて来たのですね。駄目ですよ」

「え、ちょ、や、ちょっとま――」

 そのまま連れていかれる王妃様を、私は侍従長様と一緒に茫然と見送る。

 と、宰相様がちらりと此方を見た。

 瞬間、震え上がる様な怒りに貫かれ、私は侍従長様に抱かれていなければその場にへたり込んでいた。

 赤い唇が、動く。

 それだけで分ってしまった。

 音もない、ただの唇の動き。

 けれど宰相様は諦めていない。

 きっとまた、来る。

 あの、冷たい眼差しを浮かべて。

 宰相様の姿が見えなくなった後も私は震え続けた。

 そんな私を侍従長様が優しく抱き締めた。

「大丈夫、僕が守るから」

 優しい声、優しい笑み。

「だから、大丈夫」

 多くの男達を魅せてきた笑みではなく、それは。

「なんで……」

「言ったでしょ? 奥さんになってって」

 いや、奥さんってどう?と言っただけだ。

 しかし茶化す事なんて出来ないほど真剣な視線に絡め取られる。

「あれ、本気。僕は、ずっと君のことが好きだったんだ」

「……」

「最初は、物好きな事をする子って印象だった。あと、宰相の部下の一人って。でも、君がセフレになって、前よりもずっと一緒に居て、話をして……そうしているうちに、好きになってった」

「侍従長様……」

「それに、君は僕をきちんと男として見てくれる」

 この女性の様な容姿から、女として生きる事を強いられた。

 それは解放された今でも肉体と魂に染みつき、自然と女性らしく振る舞ってしまう。

 こんな、穢れた体――そう、侍従長様が自嘲した。

「それでも君は、僕のことを男として扱ってくれた」

 何の躊躇いもなく、それが当然だと言うように、男として見てくれたと笑う。

「でもそれは理由の一つ。君が好きなんだ。理屈とか、理由とか全て抜きにしてさ」

 何時の頃からか、セフレとして宰相様に抱かれる私の姿を見て心を痛めるようになったと。

 激しい嫉妬を憶えるようになったのだと。

 宰相に渡したくない、自分だけのものにしたい、セフレを辞めさせて、自分だけのものに。

 そう告げた侍従長様が苦笑する。

「好きなんだ、君の事。ううん、愛してる、男として」

 自覚し、でも一度は諦めたという。

 私の宰相様への気持ちに気付いたから。

 でも、今こうして私はセフレ関係を清算した。

 だから――。

「けど本当はこんなに急ぐ気はなかったんだ」

 もっと時間をかけて。

 新しく、初めて、築き上げたかったという。

「僕じゃ駄目?」

「侍従長様……」

「本当はさ、半分ぐらいは、ううん、さっきまではね、宰相との仲を応援してやりたいって思いがあった。好きだけど、それでもまだ今なら抑えられるって」

 宰相様に見付かる前に自分の思いがあふれ出しても尚。

 まだ、戻れると、無かった事にしてやれると。

「やっぱり君の思いを考えたら、僕の気持ちを封印してでも、手伝ってあげたいって。でも、あんな態度を取るなら、渡せない。渡したくない。じゃないと、あまりにも惨めじゃん」

 少しだけ泣き笑いする様に笑うのは、一体誰なのか。

 侍従長様は男。

 でも、男は男でも、まるで知らない相手のように思える。

 あの優しい侍従長様は何処に行ってしまったのだろう。

 此処に居るのは、私を女として求める一人の異性。

「わた、しは」

「ごめん、突然過ぎたね。でも、気持ちは本当。君が振り向いてくれるなら、何でもする。したい。けど、今は……」

 ガクンと体の力が抜ける。

 もう何度も抜けてた筈なのに、まだ抜けるだけのものが残っていたのか。

 そして意識が、少しずつ暗くなっていく。

「沢山あったからね。ゆっくり休んだ方が良い」

 大丈夫だから。

 最後に、そんな言葉を聞いた気がした。


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