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海国宰相×海国文官③

 宰相様が結婚する。

 それを聞いたのは、今から一週間ほど前の事だ。

 隣国の姫君だという。

 華奢な細い体、纏う甘い花の香り、小さな顔に色づく桜色の唇と大きな瞳。

 泉国国王の妹君で、まるで春の妖精の様に温かく優しげな空気を纏うお方だという。

 それ故に、多くの者達がこぞって手に入れようと多くの縁談が舞い込み、引く手数多の状態だとか。

 そんな王妹を王はいたく寵愛している。

 今回の縁談は、そんな王から来たものだった。

 つまり、その王のお眼鏡にかなったという事だ。

 この国の宰相閣下は。

 それはとても光栄な事であり、誇るべきものである。

 精霊の様な銀髪紫瞳の美貌の宰相閣下と春の妖精の様な王妹。

 二人並んだ姿はさぞや眼福に違いない。

 そう、そこに余計なものが入る隙間などないのだ。

 泉国国王の王妹はとてもお優しいお方。

 泉国国王が寵愛し、かの国の上層部も大切にする姫君を悲しませる事など出来ない。

「だから、別れると」

「そういう事なの?」

 副事務長様と侍従長様の言葉に私は頷いた。

 なんだか不機嫌そうな声だ。

 食堂で拉致られた後、私は中庭の奥にある人気の無い四阿にて、二人に全てを白状させられた。

 すなわち、何故辞表届けを提出したかについて。

 その原因となった宰相様のセフレの終了と、更にその終了に関わる原因を。

 宰相様の結婚が決まればお勤めは終了。

 最初からそう決まっていた。

 もちろん、今までにも縁談が来た事は何度かあったが、全て私が知る頃には宰相様によって断られていた為、お勤めを終了する間もなく関係が続いていただけ。

 だから今回が初めてだった。

 しかし、それは同時に、この縁談がすぐに断れるものではないという事を意味する。

 いや、断るなんてとんでもない。

 この縁談は必ずや纏まらなければならないものである。

 あの王妹を愛する王が、今までどれほど縁談が来ようと断り続けていた王が、自ら持ち込んできた縁談である。

 断るなんて考えられない。

 それは身分や立場、国同士の関係を別にしてもである。

 あの美しい姫君を欲しいと望む者達は数多く、既に今回の縁談を邪魔しようとする者達や、縁談が決まる前に姫君を攫おうとしている者達も動き始めているとか。

 既成事実さえ作ってしまえばこちらのもの――そんな最低なことを思う輩は何時の時代にも居るものだ。

 けれど、今回ばかりはそれを実行させたりはしない。

 万全の体制で、縁談は進められる。

 そう、欠片と言えども、縁談の邪魔になるものは排除しなければ。

 とくに私はその最たるものだ。

 結婚前にセフレが居た事実は、もしかしたらバレるかもしれない。

 人の邪魔をしたい、欲しいものを手に入れるのに手段を問わない輩は、どんなに隠そうとも暴いてくるから。

 但し、そういう輩に限って妾だとか遊びで女性をわんさか抱えているものである。

 つまり、好色で遊ぶ為に女性を妾や愛人として抱えるのだ。

 だから、それについては彼らもとやかくは言えないだろう。

 大切なのは、縁談前に別れている事である。

 しっかりと、きっぱり別れる。

 難癖はつけて来るだろうが、縁談前にとっとと辞めてしまえばそれで何の問題もない。

 地位や身分の高い相手の縁談に時間がかかるのは、こういう身辺整理の為もある。

 副事務長様と侍従長様がセフレを辞めるかは分らない。

 最悪な媚薬のせいで、今も男を欲しがるという副作用に悩まされる宰相様の体の事もあるから。

 しかし私の場合は違う。

 別に居ても居なくてもいいのだ。

 それに女という事もあり、子供の問題とか色々と厄介な事もある。

 だから早く別れなければ。

 宰相様には別れると告げたから、後は引き継ぎをしつつ事務長がさっさと退職の処理をしてくれるのを待つだけである。

 ああ、挨拶もしなければ。

 それに次の仕事と住む場所と、家族の事も何とかしなければ。

 そんな事をつらつらと考えて居ると、なんだか突き刺す視線に気付いた。

 顔を上げれば、二対の瞳が私を見ている。

「な、なんですか?」

「お前、本当にそれでいいのか?」

 副事務長様の言葉に私は戸惑った。

「いいも何も、そうする約束でしたから。それに、普通に考えても元セフレが部下として働くのは妻としては嫌だと思います。というか私なら嫌です」

 ならどうしてセフレをしていたのかと問われれば苦しいものがある。

 だが、あの時は私も必死だった。

 宰相様を助けたかった。

 そして何処かで、宰相様に触れたかった。

 仮初めでも、代わりでも、八つ当たりの道具でもいい。

 ただ、側に居たかった。

「で、全部諦めると」

「諦めるんじゃないです。約束を果たすだけです」

 諦めるとか、それで良いのかとか、おかしな事ばかり言う。

 それは普通恋人に言う台詞ではないだろうか。

 私の場合は恋人ではなくセフレ。

 契約によって結ばれた関係であり、契約終了の条件が揃えばそこで終わりとなる。

 それだけなのに、どうして二人はそんな顔をするのか。

「お前馬鹿だよ」

「そうだよ、気付いてないと思ってたの?」

 馬鹿だ、馬鹿だと二人が言う。

「気付いてないって」

「だから、君の本当の気持ちにだよ」

 本当の気持ち。

 本当の……。

 そこで私はハッとして二人を見た。

 そうか、やっぱり気付かれていたか。

 そんな気は、していた。

 知っていて、気付かないふりをしていてくれた。

 その優しさに私は知らず知らずのうちに涙を流していたらしい。

 慌てた副事務長様がハンカチを渡してくれて、侍従長様が私の頭を撫でてくれた。

 兄が居たらこういう感じなのだろうか。

 その後、私は副事務長様と別れて侍従長様に部屋まで送って貰った。

「まあ、とりあえずすんなりと辞められるかは分らないと思うよ」

 侍従長様が苦笑しながら言う。

「どうしてですか?」

「う~ん、まあ、ね」

 そう言うと、侍従長様が私の頭を撫でた。

「けど次の仕事とか見つけるのがまず問題だよね。アテはあるの?」

「え――」

 ない、と素直に告げるとまた笑われた。

「君らしいよ」

「私らしいですか」

「うん。ああ、でももしどうしても次の職に困ったら、僕が紹介してあげようか」

「え?」

 侍従長様が紹介してくれる仕事なら信頼出来る。

 しかし、問題は場所だ。

 けれど、次に侍従長様の口から出た言葉に私は固まった。

「僕の奥さんなんてどう?」

 何処からか、ポク、ポク、ポク、チーーンという音が聞こえてきた。

「お買い得だよ? 愛人持たないし」

 いやいや、セフレですよね?宰相様の。

 もう既にお持ちですよ――とは言えなかった。

 いや、その前に侍従長様と結婚?この方が夫?この女性よりも可憐で愛らしい方と?

「……僕じゃ駄目?」

「……」

 女性なんて目じゃないぐらいに可憐で愛らしい方で、料理などの家事も完璧で、男なのに男性からモテモテで、男でも良いから結婚してくれという申し出は数知れず。

 実際、既成事実を作ろうとして襲ってくる者達まで居るほどの大人気で。

 ……私、殺されるんじゃないだろうか。

 いや、そういう輩は侍従長様を妻にと望んでいるから、私みたいに夫になる分には良いのかも。

 って事は、侍従長様は別の方を夫とし、私の夫となる。

 あれ?矢印が変な方向に向いた気がする。

 三角関係じゃなくて一方通行だよ、これ。

 いやいやいや、そうじゃなくて。

 侍従長様が夫。

 じゃなくて、もっと大切な事がある筈だ。

「侍従長様」

「ん?」

「冗談でもそういう事は言っちゃ駄目です」

 「えぇ~?」と侍従長様が声を上げる。

 一瞬傷ついた様に見えたが、きっと目の錯覚だろう。

「そういうのは、本当に心から愛する女性に言って下さい」

「だから言ったでしょ?」

「侍従長様、本気で怒りますよ?」

 すると、「むぅ~~」と唇を尖らせる侍従長様に私は説教した。

「侍従長様ほどお綺麗な方なら、例え冗談でもそれを真剣に取る方は多いんですからね。もっと、ご自分を大切にして下さい」

「してるよ~」

「してませんよ。この前だって雪が降ってたのに外套も纏わずに外に出られて」

「ちょっと雪が降ってて浮かれてただけじゃん」

「侍従長様って、大人に見えて実は子供ですよね」

 そう――普段は完璧に振る舞っているから気付かれにくいが、実はこう見えて結構好き勝手する事が多い。

「ふふ、君の前だけだよ」

「はいはい」

「ああもう、本気にしてくれないんだね」

 本気も何も、冗談を本気にする事は出来ない。

「僕も男の子なのに」

「当たり前じゃないですか、侍従長様は男です」

 私はきっぱりと言った。

「どんなに見た目が女の子より可愛くても、れっきとした男、それ以外の何ものでもありません」

 ほっそりとした手足、体毛のない白い肌、ふわふわの髪にけぶるような長い睫に縁取られた大きな瞳。

 ふっくらとした赤い唇がどれほど妖艶に動こうと、侍従長様は男なのだ。

「だから部屋に入れたりもしませんし」

 一緒に買い物に出かけても、食事をしても、部屋にだけは入れない。

 彼は男。

 侍従長様は男だから。

「そうだね」

「そうです。そしてたぶんとっても男らしい部類の男ですよね」

「……」

 たぶん私が頼りないせいもあると思うが、それでも重たいものを軽々と運んだりする姿や、襲ってくる痴漢を撃退する時の姿などはやはりかっこよかった。

「まあ、痴漢、暴漢その他全て侍従長様目当てですけど」

 むしろ、夜道を共に歩いていて危険なのは侍従長様だが。

「それは言わないで」

 私の鼻を指で突つきながら、侍従長様が溜息をついた。

「ま、いいか――まだ」

「え?」

「ううん。でも、君ぐらいだよ、僕の事をそんなにはっきりと男って断言するのは」

 そうだろうか?

 というか、侍従長様は男なのだから男と言って何が悪いのか。

 ……はっ!もしや、女になりたいとかそういう願望が。

「ないから、マジでないから」

「侍従長様?! いつのまに読心術をっ」

「顔に書いてるんだよ。ってか、女になりたくないから。むしろ、僕は男になりたいね。かっこいい男。好きな女を守れるような」

 そう言う侍従長様の顔は、決意に満ちながらも何処か辛そうだった。

 まるで、決して手の届かないものを得ようともがいているように。

「……じゃあ、一緒に頑張りましょう」

「え?」

「私も、これから幸せになる為に頑張りますから」

「……一緒って、君はここの仕事を辞めるんだよね?」

「ええ。でも、場所は違っても頑張れますから。だから私も新しい場所で頑張ります」

 私をジッと見る侍従長様に笑いかける。

「……君は、頑張れるの? こんなに苦しい思いをして」

「頑張って来ましたからね」

 抱えた、叶わぬ恋心に苦しみながら。

「でも、私が頑張って来れたのはお二人の御陰ですよ」

「……」

「副事務長様と侍従長様のお二人が居てくれたから」

 だから、頑張ってこれた。

 どんなに苦しくても、ここまで来れた。

「こう見えても、お二人と離れるのも哀しいんですよ?」

 黙ったままの侍従長様に私は先を続けた。

「本当に、沢山助けられました。決して世間に誇れる立場じゃなくても、いえ、強引に宰相様の傷ついた心を利用して手に入れた筈なのに、私は、本当に」

 侍従長様に向かって笑う。

 まだ、時間はあるけれど。

 それでも言いたかった。

「ありがとうございます」

 心からの感謝を告げる。

 宰相様への愛とは違うが、それでも副事務兆様と侍従長様に抱く深い親愛の思い。

 いつか二人も、あの最悪な媚薬の手を逃れて愛する女性と幸せになって欲しい。

 本当に、心から愛する女性と。

「なんで、そんな顔するんだよ」

 狂おしい声が耳元に聞こえたかと思った瞬間、私は動けなくなった。

「なんで、なんで」

「あ――」

「そんな顔したら、我慢出来なくなる、止まらなくなるのに」

 私を抱き締める侍従長様。

 何が起きているのか。

 一体何が。

「まだ時間はあるから。もっと時間をかけてって。宰相と、あいつと別れるなら、僕にも、俺にもチャンスがあるかもって」

 何を、言っているのだろう。

「ずっと、初めて見た時はそんなんじゃ、でも、一緒に居て、僕は、俺は、俺は――」

 その時、ガタンという音が近くから聞こえて、私は侍従長様の胸から顔を上げた。

 そこに居たのは。

「宰……相…様」

 何処までも冷たい表情を浮かべた宰相様が立っていた。

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