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宰相×下級貴族(嫁き遅れ女の受難の改訂版)

※以前に私が短編として此処に掲載した(「嫁き遅れ女の受難」の改訂版)となります。

 鬼。

 悪魔。

 鬼畜。

 大魔王――。


 貴族というものに産まれ育ったからには、本音隠してにっこり笑顔が基本。

 その分、本音はおろか怒りの全ては日記に書き連ねるという特技を習得した私ではあるが、この溢れる猛る思いを表わす言葉は見付からない。


 鬼?


 いやいや、生ぬるい。


 悪魔?


 あんなの、悪魔すら裸足で逃げ出す。


 鬼畜?


 う~ん。


 大魔王――


 むしろ物語の大魔王の方が礼儀正しい!!


「ちくしょうぉぉっ! あの腹黒鬼畜具現化男がぁぁぁぁっ!」


 女顔のくせに!


 男女のくせに!


 道を歩けば三分に一回の確率で男に声をかけられるくせに!!


「ふざけんなよこんちくしょおぉぉぉぉっ!」


 女顔とねちっこく言ってやれば、人の顔を見て不憫そうに鼻で笑い。


 男女と怒鳴れば、「お前の男らしさが羨ましいよ」と蔑まされ。


 男に声をかけられる事を徹底的についてやれば、お前は視線すら向けられないなぁ――と、目で言いながら肩を軽く叩かれた。

 そして私の斜め上からのビンタが炸裂した。


 上官ビンタと周囲では恐れられる切れ味は見事に奴の頬を打ち払い――その後、奴の報復を食らった。


 ってか、女の子にロープぐるぐる巻きってどうよ。

 しかも、そのまま窓から吊すってどうよ。

 一つ間違えれば死ぬぞまじで。

 神だからって不死身じゃねぇんだよ。


 神々の世界たる天界十三世界の一つ――炎水界。

 その中でも、比較的小さな国ではあるが、そこのれっきとした貴族の姫である私。

 しかも隣国からの客人。


 なのに奴は容赦なく蓑虫にしてくれた。


 そこで私は今まで書き続けていた日記帳を閉じた。


『怒りの日記帳 №856』


 そうか……もうそんなに冊数を重ねたのか、私。

 けれど、家に居た頃はまだ数冊ぐらいで、この国に来てから筆がはかどった気がする。


 私は最初のページを捲った。

 そこには、もはや文字とも判別のつかない訳の分からない字が雄々しい勢いで書き連ねられている。

 あれだ、芸術は爆発するもの、魂のままに書きあげる書道家のよく読めない字の如き文字だった。

 というか、何故ここで私は筆を使ったのだろう。

 時には赤いペンで書かれている事もあるし、ひたすら「憎い」と書かれているページもあった。


 昔の日記を見て、その時の情景やら過去の自分に思いを馳せるという話をよく聞く。

 しかし、私の日記帳は一目見ただけでその時の心情は一目瞭然だった。


 奴に対する怒りの念が渦巻き、後世まで残ればどんな歴史家だって私の思いを瞬時に理解してくれるだろう。


 よし、後で綺麗に保管して置こう。

 とりあえず私の死後ならこれが世に出ても特に問題はない。

 むしろ出て欲しい。

 そして名宰相と言われる奴の元婚約者による暴露本が造られるといいさ。


「あはははははははは!」


 ザザザザ!と一気に引いていく気配に、そういえば此処が大衆食堂である事を思い出す。

 だがなんだ。

 久しぶりに感じた愉快さを前に、もはや恥など関係なかった。

 旅の恥はかきすて。

 正確には違うが、もう自分の家に帰るし、そもそもこの国に長く居たけれど、その殆どが王宮だから何の問題もない。


 それよりも、家に帰った後の事を考えなければ。

 当時二十五歳。

 完全に嫁き遅れ状態だった娘の事に頭を悩ませ続けていた両親が、婚約が決まった瞬間泣きながら喜んだ姿は今でも覚えている。


 そりゃそうだ。

 貴族社会では二十五は完全なる嫁き遅れ。

 しかも婚約すらしていないとなれば、本人に重大な欠陥があると思われてもおかしくない。

 既に二十歳を超えた時点で、既に賞味期限が切れたと判断され、今旬真っ盛りの若い妹達や他の姫君達に群がる男達を壁際から見守るのが日課となった。

 下の弟妹達が優秀過ぎたせいか私が平凡すぎたせいかは分らない。

 私としても、結婚に憧れなかったわけではなかったが、何せ相手が居ないのだから仕方が無い。

 思えば、求婚者どころか声をかけてくれる相手も殆どいなかった。


 そんな問題ありまくりの娘が、ようやく婚約してくれた娘が、家に戻ってくる。

 しかもほぼ出戻り状態。

 となれば、当然両親は卒倒するだろう。

 何せ婚約させるまでの苦労があれだから。

 それでなくても、きっとまた新たな婚約者を捜してくる筈だ。


 だが、この国の名宰相と婚約破棄した女と誰が婚約したいものか。


 誰もが憧れ、その名声は他国にすら響く賢人にして美貌の主。

 女と見紛う麗しい怜悧な美貌から、『雪華』と呼ばれる奴と結婚したい者はそれこそ星の数。

 それと婚約した当初は世界中の恨みを買ったと錯覚したほどで、毎日毎日暗殺されかけた。


 でも、婚約者が守ってくれた事なんて一度もなく、その程度?と笑顔で聞いてきた奴の横っ面を張り倒したのが上官ビンタ炸裂第一弾。


 その後も婚約者を労るような事は一度もなかった。

 何せ、奴は別の女に夢中。


 ええ、そうですよ。

 どうせ私は可愛くないですよ。

 あんたの大好きな大好きな愛しい巫女姫様と比べて私は男男してますよ!!


 いっつもいっつも何かにつけて比べてくれましたよね。

 その度に、巫女姫の方が、巫女姫の方がと言い放ってくれた婚約者様。


 でもそれも今日でおしまい。


 婚約者の横っ面に最後にふるった上官ビンタは、同時に奴に婚約破棄状も叩付けた。


 ばいばい。

 これで存分に巫女姫とイチャイチャ出来るでしょう。


 ああ、私ってあんだけ虐げられていたのにこんな良い事をするなんて本当に心優しい女よね。


 それこそ聖女よ聖女。


 巫女姫は本物の聖女だけど、私だってきっと聖女に違いない。


 一人の恋に溺れ苦しむ男を自由にしてあげたんだもの。


 代わりに私は一生独身よ。

 何度も言うけど、他国まで轟く名宰相と婚約破棄した女を誰がわざわざ嫁にするものか。


 そもそも絶対に勘ぐられる。

 そればかりか、絶対に私の方が何かして宰相に見限られて捨てられたと思うだろう。


 今までだってそう。

 宰相が何かしても、全て私の責任。

 私が悪くて私の存在がそうさせたと誹謗中傷された。


 全て、全て、私が悪くて宰相は悪くないのだ。


 二十五歳で、永遠の独身決定。

 こういう時は神である事が腹立たしい。

 いっそのこと、私のことを知らない他の世界にでも行ってみようか。


 名宰相と別れた女。

 いや――。

 名宰相に捨てられた女。


 よりにもよって、あんな男を婚約者に選んだ両親に腹立たしさを覚えても、もうどうしようもない。


 それよりも新しい生活に思いを馳せよう。


 婚約者の事なんてどうでもいい。

 いや、元婚約者の事なんて関係ない。


 ばいばい。

 ばいばい。


 目を瞑れば、あいつが喜び勇んで巫女姫に駆け寄っていくのが見える。


 そう――私が居なくなった所で何にも変わらない。


 だって、あいつにとって邪魔者が居なくなるだけだから。


 あの王宮にとって、あいつを悩ませ苛立たせる存在が居なくなるのだから。



「なのに……なんで泣いてるのよぉ」


 ボタボタと滴がテーブルの上にのせた手に落ちていく。

 しかも十代のようなピチピチの肌でない手の甲は受け止めた涙を弾けず、それはテーブルへと滴り落ちていた。


「くぅぅっ」


 涙ぐらい気合いで止めてやる。

 己の肉体の一部ぐらい、根性でどうにかしてやる。


 でも――やっぱり無理で、涙はどんどん溢れ出る。

 それが悔しくて、元婚約者を罵った。


「ば~か」


 ば~かば~かば~か。


 なんで、あんな奴の為に、こんな風にならなきゃならない。

 なんで、あんな奴の為に、こんなに苦しくならなきゃならない。


 婚約者に見向きもしなかったくせに。

 私の名前すら呼ばなかったくせに。


 どうしてあんな奴の為に涙なんて流すのよぉ!


「こんちくしょう……」


 巫女姫は可愛かった。

 巫女姫は綺麗だった。

 巫女姫は優しかった。


 そして、この国の誰もがその存在を慈しみ愛した。


 反対に、私はずっと忘れられた宰相の婚約者だった。

 でも、本人にまで忘れられていたとは――。


『ああ、そういえばお前は私の婚約者だったな』


 それを聞いた瞬間、全てがどうでも良くなった。

 婚約者の横っ面を張り倒し、さっさと荷物を纏めて王宮を飛び出した。


 忘れられた婚約者。


 隣国の貴族といっても、所詮は下級貴族。

 それがたまたま父の伝手だかで祖国よりも大きな国の宰相の婚約者などになってしまったのがそもそも悪かったのだ。


 別に身分差があっても結婚するカップルは多い。

 暗黒大戦以降は、身分違いを乗り越えて結婚する者達も上層部や貴族に増えている。


 でもね、でもね。

 それは互いに想い合うからこそ可能であって、私達のような場合には当てはまらない。


 そもそも、奴は巫女姫が好きなのだ。

 巫女姫が好きで好きでたまらなくて――愛してるのだ。



 さっさと帰れば良かった。

 なのに、なんでか残ってしまった。


 そればかりか、穀潰しと馬鹿にする宰相の信崇者達に対抗し、出来もしない仕事までした。


 といっても、満足に仕事のした事のない貴族の姫に出来る事は特になく、しかもまず雇ってさえくれなかった。


 当然だ。

 隣国の貴族の姫――しかも、宰相の婚約者が、である。


 誰がそんな面倒な相手を雇うだろうか。

 しかも何も出来ない、ただの小娘を。


 それでも何とか必死に食らいつき、ようやく出来た仕事は所謂下働きだった。


 今度は『貴族の我が儘姫のままごと遊び』と揶揄されたのは言うまでもない。


 ただ、それでも婚約者は何も言わなかった。

 働く事を告げても「そう」だけで終わったぐらいだ。


 隣国の貴族の姫が?

 しかも宰相の婚約者が?


 むしろそうした疑問や不安、反対意見は周囲からの方が多かったぐらいである。

 けれど一年、二年、五年、十年と働き続ける事でようやくそういう声も小さくなっていった。


 そうしてようやく『貴族の姫君のままごと遊び』から『下働きの戦力』と周囲に認められ、このまま下働きとして生きていくのも楽しいかもしれないと思い始めていた時だ。


 自分が婚約者である事も忘れていたあの男に耐えきれず、その頬を殴った。

 そして王宮を飛び出し、今、王宮から三日ほどの距離にあるこの街の食堂に居る。


 今頃王宮は大騒ぎだろう。

 私が飛び出した事ではなく、宰相が殴られた事に。


 捕まえるなら捕まえれば良い。

 でも、ただで捕まってなどやらない。

 いざとなったら、婚約者を蔑ろにした事を暴露してやるとでも脅せば良い。


 確かに取るに足らない下級貴族の姫だが、それでも隣国の貴族という立場上外交問題に発展する事だってある。


 まあ――実際にはこの国の国力を恐れてもみ消されるかも知れないが、それでも隙を突く事は出来るだろう。


 と息巻いてはいるが、実際には三日経っても追っ手の姿は見えないから、向こうは最初から追う気すらないと見ていいだろう。


 追い掛ける価値すらない女なのだ。

 いや、むしろ邪魔者が居なくなったとせいせいしているかもしれない。

 それどころか、居なくなった事すら気づかずに巫女姫の元に何時もの様に通い続けているのかも。


 でも、もうどうだっていい。


「負けるもんか」


 祖国に帰り、新しい生活を始める。

 そうしたら忙しくて、この国でつけられた傷など構ってなどいられなくなる。


 負けるもんか。

 負けるもんか。


 絶対に、負けない。


「そしていつか見返してやる」


 巫女姫に夢中だった元婚約者すら無視できないほど、幸せになってやる。


「そして悔しがればいいんだ!」


 そう言い捨てながらも、巫女姫と並び幸せそうなあいつが脳裏に浮かぶのはどうしてか。


 それはきっと、私があいつの事を少なからず思っていたからだろう。


 たった一度だけ、助けられた。

 たった一度だけ。

 巫女姫お披露目の宴の際に、巫女姫を奪取しようと襲い掛かってきた他国の者達に襲われた時に見たあの横顔。

 あいつが守ったのは、巫女姫。


 でも――。


『危ない、下がれ』


 短く言い捨て、茫然とする私の手を引っぱったあいつを。

 後ろに下がらされる中、見た横顔を。


 そして笑みを浮かべながらも敵を殲滅し、巫女姫を守る姿に――私は。


「やっぱり馬鹿だ」


 別の女性を守っている姿に惚れる私は、真性の馬鹿。


 だが、奪われた心は取り返す――わけには行かないから、また育ててやる。


 そして――。


「新しい男を見つけてやる!!」


 昔の恋を忘れるには新しい恋。


 よし、祖国に戻ったら


「へえ? 堂々と浮気宣言するのか」


 後ろから聞こえて来た声の禍々しさに私はそのまま固まった。


 その後起きた事はもう思い出したくもない。


 ただその時居た食堂では、すれ違いの末に出て行った婚約者を取り戻した宰相という言葉だけ聞けばロマンチックな物語が残されていたり。

 私が帰る場所が何故か祖国ではなく王宮だったり。

 何故かその次の年、あいつの子供を産んでいて宰相夫人と呼ばれていたり。


 するけど――。


「おい、宰相夫人が逃げたぞ!」

「何としても連れ戻せ!」

「今回逃げられたらオレ達全員今度こそ殺されるぞ!」

「宰相夫人、どうかお待ち下さいいぃ!」



 ってかね。


 実は婚約破棄状を叩付けた後――


 婚約者が眼の色変えて捜しまくった挙げ句に文字通り王宮を凍り付かせたとか――なんて傍迷惑な奴か。


 邪魔者が居なくなって意気揚々と縁者の娘を紹介する者達を半殺しにしたとか――それでもこりずに娘を紹介する貴方がた勇者だよ。


 王や上層部すら半泣きになるほど、徹底的に婚約者に攻撃されたとか――お前が真の支配者か。


 しかし、私が連れ戻された後に凄く機嫌が良くなったのを見た瞬間、「よっしゃあぁぁ!生贄来たぁぁっ」とか思ったらしいとか――ああ、だから私を生贄にしたのか。


 確かに気持ちは分かるが、これだけは言いたい。


 悪いのは全部あいつだぁぁぁぁぁ!


 そうして、今日も必死に幼い我が子を抱えて悪魔から逃げる私だった。


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