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ティー・ブレイク!  作者: 汐良 雨
イノセントワールド

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警視庁 魔術捜査課



 部屋の最奥、窓際の席。山のように積まれた資料に埋もれる有羽の手元で、スマートフォンが着信を知らせるバイブレーションを鳴らす。画面に表示された名前を睨みつけながら、有羽は荒っぽい手つきで通話ボタンを押した。


「連絡が遅い」


 頬杖をつきながら、いかにも不機嫌そうな声である。


「全く、あれから何日経ってると思ってるの。目が覚めたなら電話の一本くらい寄越しなさいよ」

「こっちもバタついてたんだよ。わかるだろ」


 どうやら相手はファイらしい。有羽に叱責されて、面倒くさそうな声でそう言った。


「あーあー、心配して損した。……元気そうでよかったわ」


 バーで倒れてから今日まで、一向に連絡をしてこないファイのことを、有羽はずっと気にしていた。電話口のファイの声に、有羽はホッと安堵の息を漏らす。


「馬鹿、気にするなって言っただろ」

「気にしないわけにもいかないでしょう」


 小言を言ってやるつもりだった。いつものように、高飛車な態度で。しかし、有羽の口から溢れ出たのは小言とは縁遠い言葉だった。

 

「……死んじゃうかと思った」


 ぼそりと、消え入りそうな声だった。らしくない弱音に、ファイがハッと息を呑んだのが電話越しでもわかった。


「……心配かけて悪かった。けど、僕にとってはいつもの事なんだ。本当に、気にしないでくれ」


 なんでもない事のようにそう言うファイの態度に、有羽の指先がぴくりと動く。


「いつもの事って、そうやってこれからも他人のために命を削るの?」


 重たく、静かな声だった。自身の胸を渦巻くものが、苛立ちなのか、不安なのか、それは有羽自身にもよくわからなかった。よくわからないが、言いようのないモヤモヤが、胸の内を支配していることだけはわかった。


「すまない」


 それは、肯定の意だった。スマホを握る指に力が入る。スゥッと息を吸い込んだ後で、喉元から溢れそうになった言葉を押さえ込む。言いかけた瞬間、自身の胸を渦巻く感情が、自身の力不足を嘆く感情であることを理解したからだ。


「……まぁ、良いわ。それで、連絡をよこしたって事はそっちもひと段落ついたのかしら?」


 ぶつけようのない感情を飲み込んで、業務的な態度を作り直す。今の自身は、ファイの友人ではなく、魔術捜査課の緋田有羽として電話をとっているのだと、そう自身に言い聞かせる。


「それもあるが、昨日うちに櫂が置いていった報酬がどう考えても多すぎるんだ。少し引き取ってくれ」

「兄さんが?」

「ああ。報酬の金に加えて、見舞い代わりだってちょっと良い肉を大量に。僕ら三人じゃ食べきれないから、消費するの手伝ってくれないか?」


 ファイの声は心底困っているように聞こえた。兄さんのことだから、断るファイを無視して無理やり置いていったんだろう。困り果てているファイの顔が目に浮かぶ。


「仕方ないわね。あたし、すき焼きがいい」

「勝手にしろ。どうせ飽きるほどある」

「わかった、今晩お邪魔するわ」


 くすりと笑って通話を切る。先日までのドタバタなんて、彼にとっては単なる日常の延長なのだろう。気にして心配していた自身が、なんだか急に馬鹿馬鹿しくなった。

 何はともあれ、有羽の今日の夕飯はすき焼きらしい。鼻の奥で、ほんのりと甘辛い醤油の香りがした気がした。

  スマホを置き、机の上に積まれた資料を手に取る。燻っていた不安と苛立ちが晴れたからだろうか、ペンを握る右手は、先ほどまでよりも幾分か軽く感じられた。




   ×     ×    ×



内閣情報調査室 本部



「それで、首魁の尻尾は掴めたのか?」


 重たいカーテンが日光を遮る。高級そうな家具の並ぶ室内で、妙齢の男が向かいに立つ白亜を見上げながらそう言った。


「いえ、全然。鳳仙花は自身の裏にいる人物の名前すら出しませんでした。もしかしたら彼自身、自分が誰かの掌の上で操られていた事に気がついていなかったのかもしれませんね」


 飄々とした態度のまま、白亜は一息でそう言い切った。男、岩倉重は「……そうか」と一言だけ静かに呟いて視線を落とす。荘厳な雰囲気は変わらないが、歳をとったせいか出会った頃に比べて随分その体躯が小さくなった。岩倉の白髪の増えた頭頂部を見下ろしながら、白亜が続ける。


「しかし、本当なんですかね。ヨハン・ファウスト、彼が裏で糸を引いていると言うのは。それが事実だとして、ヨハンが生きているのなら、彼は今三百歳を超える年齢になっている。人間ではあり得ない年齢では?」

「人間では、な。私が何故スパイとして君を選んだのか、君は理解している物だと思っていたが?」


 柔らかな言葉遣いに反して、圧のある声。その声からは、岩倉が長年国家の安寧という重積を担い続けてきたという重みが感じられた。


「貴方が僕に任務を言い渡した時にも言ったはずですよ。ヨハン・ファウストは人間であると。僕の知人には、その末裔であるシャルルと懇意にしている人物も居ますから、ヨハンが人間である事は疑いようのない事実です」


 そう、疑いようのない事実なのだ。ヨハン・ファウストが何らかの悪魔と契約していたらしいというのは複数の文献に残っている。ヨハン自身が悪魔だったなら、そもそも契約なんてものは不必要なのである。

 しかし、と一瞬白亜の胸を冷たいざわめきが通り過ぎる。悪魔との契約でヨハンが人ならざるものへと変化しているとしたら?ヨハンが()()人間として生きていると、そう断定してしまうには、白亜の持つ魔術と悪魔に対する知識では不十分だった。


「……僕の知識では、推測するにも限りがあります。もう少し、踏み込んだ専門家の意見を取り入れるべきかと」

「そう考えて、君には既に辞令を出してある」


 岩倉が机の上に一枚の紙を差し出した。そこに記された文字列を見て、白亜がその口角を少しだけ上げた。


「……なるほど、僕の足りない知識を補うには打ってつけの潜入先ですね」


 紗紋高校 教務課


 配属先欄には、白亜にはとても馴染みのある名前が書かれていた。


「あの高校には、悪魔の歴史に詳しい教諭が居ると聞いている」

「それはもう。あの人の知識量は、他の悪魔とも比になりませんから。恐らくはヨハン・ファウストや、彼が過去起こしたという()()()()の事も、それこそ()()知っているんじゃないですかね」


 白亜が一人の男の顔を思い浮かべる。もしかすると彼も、今回の事件の事で白亜のことを思い出していたかもしれない。


「ダンタリオン、彼は記憶と記録を司る悪魔ですから」


 誇らしげに、その名を挙げる。白亜の様子に、岩倉もまた不敵な笑みを返す。


「上手く取り込んで味方に付けろ。お前はそういうのが得意だろう?」

「あの人と騙し合いで勝てる自信はありませんが、味方に付けることは可能かと。……彼は、人間が好きですから」


 学生時代、恐らくは最も白亜に親身に接してくれた教諭だ。魔術師の家系ではない白亜に、魔術の力量が全てであるあの高校で、ダンタリオンだけは白亜という人間を真正面から見てくれた。白亜に内調という選択肢を示してくれたのもまた彼である。


「そのダンタリオン教諭からだが」


 と岩倉はパソコンの画面を開きながら続ける。


「今は体育祭シーズンで学校もバタついている。白亜の準備も必要だろうから、赴任は夏休み明けからで頼めるだろうか、との事だ。少し早いが、お前も夏休みだと思ってゆっくり休んでくれ」

「はい、ありがとうございます」


 そう言って頭を下げながら、白亜の頭に一つの疑問が浮かぶ。


「……ところで、潜入先のことはわかったんですけど、僕は一体あの学校で何を教えればいいんですかね?」

「教員免許は持っていただろう?化学だったか?」

「それは……そうですけど……、あの学校に普通の化学の授業はありませんよ?」

「……それは、困ったな」


 岩倉の荘厳な雰囲気が崩れる。白亜の顔を眺めながら、どうしたものかと口をポッカリと開けている。


「すまない、夏休みを与えるという言葉を撤回させてくれ。赴任までの間に、何とかお前があの学校で出来る授業を考えておいてくれ」

「それは、まあ……、はい。何とかしてみます」


 とりあえずダン先生に相談してみるか、と白亜はぼんやりと考える。魔捜の捜査と情報公開が間に合うのなら、起爆剤(ブースター)について授業をするのもありなのかもしれない。……とはいえ、自分があの開発に関わっていたことを生徒に公表するのは無理があるか。

 何とかしてみますと言ったものの、白亜の脳内の大半を占めているのは「どうしよう」の五文字である。赴任まであと一ヶ月と少し、どうやらゆっくり休んでいる時間は無さそうだ。


「すまないが、よろしく頼む。その点に関して、私は力になれそうにないんでな」


 そんな白亜の様子を察してか、岩倉が申し訳なさそうに頭を下げる。


「いえ、大丈夫ですよ。僕も、あの高校には三年間しっかり通っていましたし、現代魔術はほとんど化学みたいなものですから」


 白亜の教師生活、前途多難である。

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