14
植物園 温室
「はじめまして、ファイ。君のことは櫂から聞いているよ」
柔らかそうな銀髪のストレートヘアを揺らしながら、彼は隙のない柔らかな笑顔でそう言った。
「あいつの口の軽さはどうにかならないのか」
そう返しながら、ファイは有羽の方を睨みつける。当の有羽は知らぬ存ぜぬといった態度である。
「あ」
と、ファイの後ろから気の抜けたような声を上げたのはアンリである。
「白亜じゃん」
「やあ、久しぶり。元気だったかい?」
「こっちのセリフ。全然連絡取れないから死んだかと思ってた」
「相変わらず発想が物騒だね」
クックッと喉を鳴らすように白亜が笑う。二人のあまりに馴れ馴れしい態度に、その場で見ていた全員が顔を見合わせて困惑する。
「自己紹介が遅れたね、僕は白亜徹。そこのアンリとは高校時代の同級生なんだ」
白亜の紹介を聞きながら、ファイが怪訝な顔で眉を顰める。
「こいつといい、櫂といい、君の同期は食えない奴しか居ないのか?」
嫌味たっぷりなファイの言葉を、当の白亜は微風のように受け流し、
「ついておいで」
と、ふわっと柔らかい笑顔をファイに向けながら言った。
「待て、事情も何も聞かないのか?」
「この辺りでは有名人の君が、杏花を連れてここにやってきた。事情なんて聞かなくてもわかるさ。万事、僕と杏花の計画通りに進んでいると」
慌てて問いを投げかけるファイに対して、白亜の言葉は澱み無い。
「随分自信家なんだな」
ジトリと目を細めて白亜を見つめるファイの脳裏に、似たような自信家の顔が一人……二人、三人……いやもっと沢山、浮かんでは消えていく。そういえば魔術師ってのはそういう奴らだったと、ファイは脳裏に浮かんだ人達を思い返しながら考える。
「自信とは少し違うかな」
白亜はファイの怪訝な目線を真っ向から受け止め、なおも一抹の嫌味もなくそう続ける。
「何も、初めから全てがうまくいくと思っているわけじゃない。相手も人間で、僕らの動きに対応して動いているんだ。その全てを読み取れると思うほど、僕は自惚れてはいないからね」
話しながら、白亜は温室の最奥にあるガラス扉を開く。ひんやりとクーラーの効いた冷たい風が漏れてくる。
「僕は心配性だからね、何度も脳内でシミュレーションをするんだ。それぞれの人間がどう動いたらどんな結果につながるか、それこそ何百通りと考えてイメージする。その中で、最終目標であるこの施設の破壊を遂げられる可能性がもっとも高かった計画を選んで、そして今、計画が最もうまくいくであろうルートを進んでいる。これは自信なんかじゃない、単なる事実だよ」
それはそれで大した自信だな、とファイは口に出しそうになった言葉を飲み込む。と同時に、白亜の言葉にほんの少しの引っ掛かりを感じる。
「施設の破壊?それは初耳だぞ」
それもそのはず、ファイが櫂から受けた依頼は起爆剤の調査であり、アンリが杏花から受けていたのは彼女の父親の捜索だったのだ。誰も、施設そのものの破壊を目的としては動いていなかった。
「そりゃあそうだろう、誰も言っていないんだから」
白亜は何事もないかのようにそう言い切った。実際白亜本人にとってはなんともないことなんだろうが、何も知らされていなかったファイたちから見たらいい迷惑である。
「一つ補足しておくと」
目を細めて白亜を睨みつけるファイの様子を察してか、白亜は困ったような顔で笑ってそう続ける。
「全てを話してしまうよりも、断片的な情報を与えるだけの方が、成功率が高くなる計算だったんだよ」
「ん?どういうこと?」
白亜の答えに、疑問を呈したのはアンリ。
「たとえば君は、初めから僕が施設の破壊を依頼しても受けないだろう?」
「そうだね、よくわかってるじゃん」
「それなりに長い付き合いだからね。同じように、櫂の協力を得るにも目的は伏せたほうが現実的だと考えた」
ふうん、とアンリが納得したのかしないのかよくわからない息を漏らす。そんなアンリの態度に、ファイだけが少し首を傾げる。
「よくわからないんだが、アンリは依頼主の目的なんてよく考えずに仕事を受ける馬鹿だぞ?今回の件もまた、アンリのその悪癖が招いたようなものだ」
「さすがに人聞き悪すぎない?」
ファイの言葉に、アンリはそう言いながらジトリとした目で舌を出す。そんな二人を見ながら、白亜はふふっと小さく笑い声を漏らす。
「君の見解は概ね合っている。けど、アンリは君の持っていない僕に関する情報を一つ持っている」
「アンリが?僕の知らない情報だと?」
ファイがそう言いながらアンリの方を睨みつけると、アンリは居心地悪そうに視線を逸らす。眉間には深い皺を刻み、その口角は不自然に歪み弧を描いている。
「まぁ、アンリがその態度を取るのも無理はないよ。誰だって、青春時代の若気の至りは胸の奥に秘めたいものさ」
白亜は含みのある笑顔を崩さない。ファイはそんな白亜と、目線を伏せたまま目を白黒とさせているアンリを交互に見比べながら「青春時代?」と訝しむ。そんな彼らを後ろから眺めていた有羽が、一人ハッとしたように手を叩く。
「白亜って、もしかして……」
「おや、僕の名前に心当たりでも……、って、そうか、君のその髪色は……」
目を見開いて問いかける有羽。彼女の柔らかそうに揺れる鮮やかな赤髪を見て、白亜もまた何かに気が付いたように、余裕そうに見えていた表情を一瞬崩す。
「そうか、君が有羽か」
「あら、そこまで有名になったつもりはなかったわね。あの白亜徹に認知されるなんて」
「僕こそ、あまり有名になった覚えはないんだけどね」
「お互い、兄さんから聞いていたってところかしら?」
「そんなところだろう」
長く殺風景な廊下に、複数の足音と彼らの声が反響する。空調の効いた、ほんの少し肌寒さすら感じる廊下の突き当たりのドア。
「さて、これで僕の計画は成った。これが、君たちに見せたかったものさ」
重量感のある大きな扉の横、鍵付きの扉の中にある開閉スイッチに白亜が触れると、両引きの扉はゴオオと大きな音を立てて中央から裂けるようにして開く。扉の奥に目を凝らすと、見えてくるのは無数の機械。その全てが、中央のモニターへと繋がれている。80インチはありそうな大きな画面に映し出されるのは、一見不規則にも見える記号の羅列。
「君なら、これが何を表しているかわかるだろう」
白亜に促され、ファイがモニターの前へと歩を進める。
「これは……」
ファイがモニターに手を伸ばす。その字列をゆっくりと指でなぞりながら目で追う。それはファイにとっては、文字や文章以上に慣れ親しんだもの。
「術式だ」
黙って頷くオリアス、居心地悪そうに俯く杏花、ハッとしたように目を見開く有羽、そして……。
「術式?これが?」
うーんと唸りながらそう言って、アンリが部屋の中へと入ってくる。
「術式ってのは一つの言語なんだ。魔力やマナに吸収されやすい言葉や文字で、起こってほしい事柄を命令したものが術式となる。……と、昔レガリアに教わった」
「で?これはどんな術式なの?」
「急かすな。僕もスラスラと読み下せるほど得意なわけじゃない」
ファイが顎に手を当て画面を覗き込もうとした瞬間、背後から白亜の声が響く。
「複製と置換」
その静かで冷淡な声に、杏花の肩が小さく震える。
「杏花、君の治癒術と同じだ」
ぴくり、と杏花の小さな肩が揺れる。その肩を、近くに居た有羽が抱き止める。
「なるほど。それが彼女の家系の術式で、起爆剤の正体ってわけね」
杏花はきゅっと口を噤んでいる。代わりに、その続きを話したのは白亜だった。
「正確には、彼女の父親の術式だ。悪魔の、ね」
白亜の言葉に、ファイだけがひとり納得したように頷いた。
「なるほどな。どおりで読み慣れないわけだ」
そう言って姿勢を崩すファイの方を、背後から眺めていたアンリと有羽がぎろりと睨みつける。
「ちょっと〜?あたしたち置いてけぼりなんだけど?」
「わかるように説明してくれるかしら」
気の強そうな女子たちの刺々しい視線を一身に浴びながら、ファイは深く息を吐き出した。
「術式ってのは一つの言語だと言っただろう。ここまでは理解できるか?」
「まぁ、何となく」
「こんなの見せられたらねぇ」
アンリはモニターに映し出された記号をまじまじと見つめている。それはアンリの知っているどの言語とも似てはいなかったが、数字や絵に比べればやはり文字と呼ぶのがしっくりくるものだった。
「僕らが一般魔術と呼んでいる、感覚や身体の強化なんかは言語で言うところの英語みたいなもので、誰が使用する術式でも決まった規則性を持っている。対して、固有魔術と呼んでいるその人特有の術式は、所持している人物ごとに特有の法則性を持っている。魔術師たちが他人の固有魔術を使えないのはそれが理由だ」
へぇ、とアンリが息を漏らす。適当な返事ではない。彼女は間違いなく、彼女の感覚としてファイの言葉を理解していた。その様子を、杏花は以外そうな顔で眺めている。軽薄そうで何も考えていなさそうに見えるが、彼女もまた間違いなく魔術師なのだと、杏花はアンリの横顔を見ながら改めて実感する。
「そして、独自の法則を持った固有魔術の術式の元となっているのが、その人間の血に混ざっている悪魔の持っていた術式なんだ。悪魔の術式は言語に例えるなら、古文や漢文のようなもので、今現在は一般的に使われていない言語。様々ある術式の中で、最も読み取るのに時間がかかるんだよ」
有羽はモニターを見つめながら興味深そうに聞いている。と、何かに気がついたかのように口を開く。
「一つ聞きたいんだけど」
「一つと言わずいくらでも。僕に答えられることなら」
軽やかな口調。この状況ですら人当たりの良すぎる彼の態度に、有羽はどこか信用のならない胡散臭さを感じてしまう。しかし、ここで彼女の疑問を解決できるとすれば彼なのだろうと、腹を括って質問を続ける。
「例えば、術式を解明できれば、あたしにもその魔術が使えるのかしら」
「それは……」
白亜が言葉に詰まる。なんと答えれば良いか迷っているようだった。その様子を察して、ファイが助け舟を出すように続く。
「そのままでは使えない」
「どういうこと?」
「さっきも言ったが、固有魔術や悪魔の魔術に使われているのは、その人物特有の法則を持った術式なんだ。それは、自身以外にその魔術を使わせないためのロックの役割も果たしている。その魔術を他人が使うためには、術式をその人物に合った法則のものへと書き換える必要がある」
そこまで言い切って、ファイは言い淀む。その場の全員の顔を順番に見つめて、話すべきか否か考えているようだった。
「だから、術式の読み取りと、自身に合った術式の打ち込みの、その両方ができれば可能だ。例えば……」
「そこまでで良いぞい」
ファイを制止したのはオリアスだった。
「そこから先は軽々しく他人に話すものじゃない」
「まるで何を話そうとしてたかわかっているみたいだな」
「わかるわい。妾はオリアスじゃぞ」
得意そうに鼻を鳴らしながらも、その表情は真剣だった。
「それに、これだけ話せば嬢ちゃんも大体わかったじゃろ?」
くるり、とオリアスは首から上だけで振り返り有羽の方を見る。
「ええ。すぐにできるようになることじゃないってことはね」
有羽はそう言って残念そうに笑う。
「時間を取らせて悪かったわね、本題に戻りましょう」
有羽の声を合図に、その場の全員の視線が再び白亜へと集まる。
「そうだね、あまり時間があるわけでもない。僕からの頼みはひとつだけ。杏花を、彼女の父親に会わせてやってほしい」




