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歌舞伎町 ネットカフェ前
「あ、櫂さん……!こっちです!」
パトカーを降りると、ネットカフェの前で少年が手を振っていた。
「瑞貴か。現場は?」
「玲司さんと、あとあの方が……」
「あの方?」
ネットカフェの制服を着たままの姿で、吉野瑞貴は少し進んだ先にある路地の方を指差す。瑞貴の指差す先では、玲司が慌てた様子で声荒げている。
「駄目ッスよ!警察待ちましょうよ!」
「構わないだろう、どうせ来るのは魔捜だ」
玲司が声を掛けるのは、茶色いスーツに身を包んだ金髪の男。人だかりの中心地で、しゃがみ込んだまま地面に転がるそれを凝視している。
「ああ、なるほどな」
状況を理解したらしい櫂が、そう言いながら苦笑いを浮かべる。
「ご苦労さま、君は仕事に戻りなさい」
「あ、はい。お疲れ様です」
瑞貴の声を背中に受けながら、人だかりを割って進んでいく。
「やあ、櫂。待ちくたびれたよ」
男は櫂に気がつくと、すぐに声をかけてきた。
「レガリア、あまり現場を荒らさないでくれ。君にまで同行を願わなければならなくなってしまう」
レガリアは櫂にそう言われて、一瞬考え込むように顎に手を当てる。
「そこは君の権力でなんとかできないかい?」
「それができるほど偉けりゃ現場になんて出ないさ」
櫂は苦笑いのままぽりぽりと頭を掻いている。
「で、彼が?」
「ああ、昨晩から今朝までの間で亡くなったようだ」
二人の見つめる先には成人男性の遺体。胸元に弾痕、地面には薬莢。状況から銃殺された遺体だとわかる。
「身元はわかるかい?」
「僕は昨日初めて会ったばかりだからね。ここでの通り名くらいしか知らないんだ」
「玲司も知らないか?」
「へ?」
突然話を振られた玲司が、驚いた顔のまま自身の顔を指でさす。
「君以外に玲司がどこに居る。どうだ?」
「あ、いや、すみませんッス!……けど、俺もレガリアさんと同じで……。権田原って名乗ってらしたんで、俺らはゴンさんって呼んでたッス」
「まあ偽名だろうね。他に手掛かりといえば……」
権田原と呼ばれた男の遺体に視線を落とす。櫂の視線の先には、赤黒い血溜まりに沈む小袋。
「そのブースターくらいかな」
ビニール手袋をはめ、乾いた血溜まりの上からそれを拾いあげる。
「ダイイングメッセージだと思うかい?」
「いや、弾痕は左胸に一発。おそらく即死だろう。これを残したのは犯人の方だと考える方が自然だ」
櫂は袋の中の錠剤を眺めながら「レガリア」と続ける。
「もしかしたら君は、俺たちの知らない何かを知っているんじゃないのか?」
血溜まりの前にしゃがみ込んだまま、視線だけをレガリアの方に向ける。腹の底を探るようなその顔を物ともせずに、レガリアは普段と何ら変わらない、飄々とした態度を崩さない。
「棗が橘杏花と一緒に居たという情報は上がっている」
「アンリが?悪いが昨日家を出たっきり彼女とは連絡が取れなくてね。その情報は初耳だ」
一瞬、珍しくレガリアの余裕そうな笑みが崩れる。嘘は言っていないということだろう。
「ここに残された証拠は、彼女が犯人だと言っているんだ。彼女を庇うことが何を意味するか、それは君にも理解できるだろう?」
「そうだね、魔捜との対立は僕はともかくファイにとって不利益だ。それはできれば避けたい」
「なら……」
「いや、だけどまだその時じゃない」
レガリアが櫂の言葉を遮り、その唇に人差し指を当てる。
「協力したいのは山々だけど、実はまだピースがいくつか集まっただけという状況でね。君に教えてあげられるようなものは何も持っていないんだよ」
「どうだか。君はあの少年と違って嘘が上手だからな」
「買い被りすぎさ」
レガリアはそう言って軽やかな笑い声を漏らす。嘘は言っていない。しかし、レガリアには権田原の残した“偽ブースター”がある。そして、それの調査結果もおそらくそう遠からず出ることになるだろう。
「まあ、何かわかったら君にも連絡するよ。僕らには君とは違って逮捕の権限はないからね」
「それは相手が人間だった場合だろう」
「そうだね、その通りだ。悪魔には人間の法は適用されない。もし相手が人間じゃなかったら……」
レガリアの口角が上がる。その笑みは妖艶でありながらも、まるで櫂に挑戦状を叩きつけるような不敵さも孕んでいた。
「その時は悪いが僕らの好きにさせてもらうよ」
レガリアの態度からは、その言葉に反して悪気というものが一切感じられない。させたくないなら止めてみろと、暗にそう言う声が聞こえた気がした。
「ああ、それでいい。君だって人間の法が適用されない“悪魔”なんだ。俺たちに君を裁く権利はない」
“悪魔”と、レガリアの地雷を踏み抜く。一瞬、眉尻がぴくりと動いた気がした。
「あえて、僕の癇に障る言い方をしたね。意趣返しのつもりかい?」
「さあね、あいにく俺は君ほど器用じゃないんだ」
先ほどレガリアが櫂に向けたものに似た、挑戦的な笑みだった。
× × ×
ラブホテル 客室
「弁当五つ、お待ちどう」
ピンク色の室内にアンリの声が響く。
「言われた通り、適当に買ってきたよ。……にしてもなんであたしなんだよ。あたしももっと、このふかふかベットと戯れたかった〜」
セリフを全て言い終わる前に、アンリはキングサイズベットに飛び込んでしまう。
「文句言うな。君以外に一人でラブホテルに出入りして補導されなさそうなのは居ないと一旦は納得しただろう」
「そうだけど〜。あたしが弁当運んでる間も、みんなはベッドでゴロゴロしてるのかと思ったらうらやましいじゃん」
「誰もゴロゴロなんてしていなかったがな」
室内に目をやると、全員すでに着替えを済ませてそれぞれの作業に入っている。
「そういうわけだ。もう文句はないだろ?」
「うん……って言ってあげたいけどね、あたしは一つ違和感を感じているんだ」
「違和感?」
「この布団、まだ暖かい……」
ぎくりとその場の全員の時間が止まる。ジトリとした視線で部屋の中を見回すと、アンリは徐に立ち上がりスタスタと有羽の座るテーブルの方へと歩いてゆく。一瞬、有羽がテーブルの上の書類を隠すような動作ををしたことを、アンリは見逃さなかった。
「有羽〜〜、それは何かなぁ〜?」
「あうあぁ、見ないでぇ」
「見られて困るようなものなのかな?……ん?」
言ったあとで、アンリの脳内を疑問が駆け巡る。
「待って、あんた見られて困るようなもの見てたの?」
「ちがっ……!そういう意味じゃ!」
「ほ〜ん、だったらどういう意味なんだろうね?」
ひらりとテーブルに置かれた紙を取り上げる。真っ白のコピー用紙の中央に、何やらよくわからない物体が描かれている。
「何……これ……。顔っぽいのから、足っぽいのがいっぱい生えてるから……蛸か何か……?」
「…………」
有羽は推し黙る。俯いて、誰とも視線を合わせない。
「いいや、案外幻想生物の一種かもしれん。嬢ちゃんはこう見えて想像力が豊かなようじゃからの」
「いや、一旦生物から離れた方がいいかもしれない。顔に見えるこれが花か何かなら、植物という可能性も考えられる」
いつの間にか会話に参加していたオリアスとファイが、アンリの後ろから紙の上に描かれた何かを覗き込む。
「で?結局何なの?」
とどめを刺すように、杏花がそう問いかける。恐ろしいほどに冷たい声だった。有羽はがくりと肩を落とし、観念するように声を絞り出す。
「……きなこ」
それは周囲の人間がギリギリ聞き取れるかどうかといった声量。「きなこ?」と顔を見合わせる全員の中で、ファイだけが一人、複雑そうな表情を浮かべていた。
「きなこって、《《あの》》きなこか?」
「他にどのきなこが居るのよ……」
ああ……と、ファイが声と言っていいのかわからない呻き声をあげる。
「ちょっと!一人で納得しないでよ。あたしはきなこがどのきなこか知らないんだけど?」
二人だけの空気を割るように、声を上げたのはアンリ。
「有羽、諦めろ。説明してやれ」
「うぅ……」
泣きそうな声を漏らして有羽が顔をあげる。その場の全員が、興味深そうな顔で有羽のことを覗き込んでいた。
「火撫神社の……よっちゃんが飼ってる……犬……」
その言葉に、聞いていた全員が絶句する。描かれていたのは、とても犬のような愛玩動物には見えない悍ましいものだったからだ。室内に蔓延した数刻の沈黙を破ったのは、「ぐぅ」と響き渡る杏花の腹の虫だった。
「……じゃあ、ご飯にしよっか。色々買ってきたからみんな好きに選んで食べて」
アンリがそう言ってガサガサとコンビニの袋を広げる。一人買い物に行かされたことに対する怒りは、有羽の衝撃的な犬のイラストのおかげですっかり収まっていた。おのおの好きな弁当を取っていく中、ファイは一人窓の外を眺めるオリアスのことを気にしていた。
「どうした?」
「いいや、少し外が騒がしいようじゃからの」
窓の外、オリアスの見つめる方角の先にあるのは、歌舞伎町。
「少し気になるな」
「じゃのう、見てみるかえ?」
「頼む」
ファイの返事を聞くと同時に、オリアスの瞳が赤みを帯びる。
室内に広がるのは、電子レンジのチン、という軽やかな高音と、スパイスの効いたカレーの香り。熱々のカレーの湯気を揺らしながら、アンリがファイたちの方へと歩いてくる。
「どうやら人死が出たみたいじゃの」
オリアスの言葉に、レンジの前に居る杏花と有羽も耳を傾ける。
「へぇ、この距離でも見えるものなんだ」
「妾を誰だと思っておる。オリアスじゃぞ。遠見の魔術くらい朝飯前じゃわい」
「どちらかと言うと朝飯中だけどね〜」
アンリの空気の読めない冗談にも、今は誰もツッコミを入れない。
「他には?何か見えたか?
「う〜む……。ほう、レガリアのボウヤがおるな」
「なんだと……?」
「どうやら遺体はあやつの知り合いらしい。お主も知っておるか?」
「レガリアの……?誰だ」
オリアスが目を凝らす。文字通り、その瞳の焦点はここではないどこか遠くを見つめている。
「ゴンさん、と呼ばれておるな」
「……?すまないが、僕の知り合いではないな」
会話を続ける二人の背後で、有羽が杏花の異変に気がついた。細い指を震わせて、顔からは血の気が引いていた。
「知り合いなの?」
有羽が声をかけると、全員の視線が一斉に杏花へと向いた。杏花は青ざめた震える唇を薄く開く。
「あそこでゴンさんって呼ばれてる人は1人しか居ない。あの施設で唯一私を人として扱ってくれて……私に逃げるチャンスをくれた……。そんな、なんで……」
それだけ言って、杏花は床にへたり込んでしまう。
「どうやら、僕らにも無関係ではないらしい。少し調べる必要がありそうだ」




