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ティー・ブレイク!  作者: 汐良 雨
イノセントワールド

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36/47

8

???


 8畳ほどのリビング。窓から差し込む暖かな光。照らされるのは、木目調のシックな室内。濃い木目の重厚な雰囲気のテーブルの上には、目玉焼きの乗った食パンとコーンスープ。先に部屋に来ていた母は、柔和な笑顔で私がそこに座るのを待っている。絵に描いたような幸せな食事風景。


「ああ、またこの夢か」


 ここへは何度も来ていた。これが夢である事は知っている。知っていてなお、私はひとときだけの幸福に縋るかのように、目の前の椅子を引き腰掛けるのだ。


「おはよ、お母さん」


 食パンを口に運ぶ。さくりと心地良い咀嚼音。油の香りとマヨネーズの酸味。何でもない食事に懐かしさが込み上げる。いっそこのまま目覚めなければ……、と一瞬よぎった思考を否定する。

 ここへは何度も来ているのだ。それこそ、数えきれないほどに。だから私は知っているのだ。この夢の結末が悪夢であることを。

 幸せな風景に後ろ髪を引かれながら、私を満たすのは早く目覚めなければという焦燥感。用意された食事をほとんど残して立ち上がる。


「じゃあね、ご飯美味しかったよ」


 一言母に声をかけて、私は暖かい光の差し込む窓を開ける。ひんやりと肌寒い風が頬を掠める。窓枠に足をかけてよじ登ると、地面が遥か下の方に見えた。振り返れば、母の笑顔。私はその光景を目に焼き付けるように身体を半回転させ窓枠に腰掛けて、そのまま背中から外へと飛び降りた。

 落ちる、落ちてゆく。部屋が、空が、だんだんと遠くなる。目を閉じると、ふわりと柔らかい衝撃。私の夢はそこで途切れた。



   ×     ×     ×



ラブホテル 客室



「あ……」


 杏花が目を覚ますと、外はまだ薄暗かった。


「早いのう。みんなまだ寝ておるぞい」


 声のする方を振り返る。オリアスがベッドに背を預けたまま紅茶を飲んでいた。


「あんたは?寝ないの?」

「悪魔に睡眠は必要ないからの」

「そっか」


 杏花は隣で眠るアンリを起こさないようにもぞもぞと布団から這い出ると、オリアスの隣にちょこんと座り込む。


「悪魔の繁殖に性行為は必要ないって言ってたじゃん?」

「そうじゃのう」

「じゃあさ、私はどうやって生まれたの?」


 抱え込んだ膝の上に視線を落とす。杏花の胸を渦巻くのは、八割の興味と、二割の恐怖。


「嬢ちゃんは少し勘違いをしておるようじゃの。どうじゃ、少し講義といこうか」


 そう言ったオリアスの表情は暖かな慈愛に満ちていた。


「まず、悪魔の繁殖についてじゃが、我々悪魔の繁殖はヒトの一般的なそれとは少々前提が違っておる」

「……どういうこと?」

「そもそも、悪魔というのは生物ではない。元来我々は、自然発生的に生まれた、ただの霊的エネルギーの塊なんじゃ。誰に請われるでもなく発生し、消える時はただ霧散する。そこに生命のサイクルなんてものは存在しせん。アンリの嬢ちゃんの言っていた、繁殖に性行為を必要としないというのは、おそらくはこのことじゃろう」


 杏花はわかっているのかわかっていないのかよくわからない表情で、不思議そうにオリアスの顔を覗き込む。今目の前にいるオリアスは、自分と同じように呼吸をして、脈を打って、生きている人間にしか見えなかった。


「さて、ではハーフがいかようにして生まれるのかじゃが……」


 ズズ、とオリアスが紅茶を啜る。


「それすなわち性行為じゃ」

「まって、それじゃさっきの話と矛盾しない?」

「何も矛盾せんわい。さっきのは悪魔の生まれるサイクルの話、これはハーフがどのように生まれるかの話じゃて」


 オリアスの話に、杏花は眉間に深い皺を刻む。


「悪魔をヒトと同じ生物じゃと思うから混乱するんじゃ。もっと頭を柔らかくせい」

「ぐぬぬ……」


 言葉ともわからないうめき声が漏れる。杏花の頭はパンク寸前である。


「悪魔というのは生殖を行わんが、それは生殖機能を持たない事とは必ずしも同義ではない。基本は不必要なので持っておらんというだけで、悪魔の身体は可変じゃからの。ヒトとまぐわって子を成したいと考えた者が、自身の身体をそう作り変えることは、我らの常識では特段珍しいことでもない」

「それがわからないんだ。なんでそうまでして人と?」

「そりゃあ嬢ちゃん、愛じゃよ」

「……愛?」


 杏花は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。生物の教科書を読んでいたかと思いきや、突然哲学者の独白が始まったかのような気分だ。理論で解明できる謎を解いているのかと思いきや、その答えは解明のしようのないものだった。振り出しに戻されたような気分である。


「ヒトの姿を模して、ヒトとして輪の中で生きておるうちに、思考も少しずつヒトに寄るんじゃろうな。最愛の誰かと出会い、其奴とのあいだに子を残して未来に繋ぎたいと考える者も()るんじゃよ。そうして生まれたのがお主たちハーフというわけじゃ」

「そんなの、生む側のエゴじゃん。ハーフとして生きる事を押し付けられるこっちのことなんて何も考えてない」

「妾にはむしろそれがわからん。何度も言うが、ハーフというのは特段珍しい存在でもないのじゃ。何より、現代に生きる魔術師というのは――」

「そんなことは知ってる」


 全てが悪魔と人間の交わったハーフの末裔だと、そう言いかけたオリアスのセリフを遮った、杏花の唇がかすかに震えている。重たい前髪の奥の瞳が潤みを帯びていた。


「あんた達は結局、人間のことをよく増える実験動物か何かだと思ってるんでしょ。ヒトが好きだとかなんとか言うけど、結局それは人間が犬や猫を愛でるのと変わらない」

「うむ、否定はできんのう」

「ほら。悪魔と人間を遊び半分で掛け合わせて、やってる事はペットのブリーダーと同じじゃない」

「嬢ちゃんの言いたいことはわかる。わかるのじゃが、今の時代にそれをやっているのはおそらく……」

「人間の方だろうね」


 杏花とオリアスの会話に、ベッドの上に寝転がったまま口を挟んだのはアンリだった。


「起きてたの?」

「今起きた」


 アンリはゆっくりと布団から這い出る。大きなふわふわのベッドにたった一人残された有羽と、部屋の中央のソファで毛布にくるまっているファイは変わらず寝息を立てている。


「そうでしょ?オリアス」


 そう言ってアンリはオリアスの隣、杏花とはオリアスを挟む形になる位置に座り込む。


「ううむ、そうさのう。なんと言えばいいのやら……。まぁ、結論から話すなら、どちらの言っていることも間違ってはおらん」


 オリアスは両隣に座る2人の顔を交互に見て続ける。


「端的に言えば、我々が出産に関する、所謂“人体実験”をやっておった時期はあった。それは間違いない」


 「なら」と、言葉を挟もうとした杏花をオリアスは目で制する。凛として、それでいて涼やかさを纏った眼差し。しかし、そこに浮かぶのは冷酷さなどではなく、暖かな慈愛の色。


「しかし、それも二千年ちょっと前に終わっておる。悪魔の中ではそれは、すでに実験に値しない、終わった命題なんじゃよ。じゃから、もし今そういう実験をやっている者が居るのじゃとすれば、それはおそらく人間の方じゃ」

「なんで言い切れるのよ」


 そう言った杏花の目は、猜疑心に塗れていた。


「生殖では悪魔以上の存在を作ることができないとわかってしまったからのう。生まれるのは、せいぜい少し魔力を扱える程度の人間じゃ。我らの力には到底及ばん。……じゃから」


 そこまで言って、オリアスが再び杏花の瞳を見つめる。吸い込まれそうに大きな金色の瞳。


「我らが子供を作るのに、愛するため以外の理由は何も無いんじゃよ」


 ポタリと、杏花の膝に水滴が落ちる。杏花は強く膝を抱えみ、その瞳には涙をいっぱいに溜めていた。


「ならっ……、それならなんで私は……っ」


 声が震える。泣きたくなんてないのに、ぼたぼたと大粒の涙が溢れてしまう。杏花は泣き顔を見せないように両手で顔を覆いながら、ゴシゴシと荒っぽく涙を拭っている。


「我慢せんでもええわい。ここには嬢ちゃんの弱さを咎めるものなど誰もおらん」


 指の隙間から溢れる涙は、頬を伝って顎の先から地面に落ちる。強がる杏花の態度を察してか、オリアスとアンリは共に杏花の顔から視線を外す。


「ちがっ……ちがうもん……、悲しいとかそんなんじゃ……っ」

「ちゃんとわかっておる」

「やだ……見ないでよ……」

「見ておらん」

「嘘つき……」


 声を殺してしゃくり上げる杏花の肩に、オリアスがそっと頭を乗せる。


「安心せい。嬢ちゃんはちゃんと愛されて生まれた子じゃ」

「ならどうして、誰も会いに来ないの」

「それを知るために、妾がここに居るんじゃろう?」


 オリアスは杏花の肩に頭を乗せたまま瞼を閉じる。


「泣き顔は見んようにしておいてやるから、朝までにはしゃんとしておくんじゃぞ。主の両親に会いに行くんじゃ。みっともない顔では会えんじゃろ」

「ははっ、笑える。悪魔なら悪魔らしく報酬の心配だけどしてればいいのに」

「そうできればいいんじゃがのう。そこまで人間に無関心でいるには、妾は人間を知りすぎたようじゃ」


 オリアスは俯いたままカッカッと小さく笑い声を上げる。時刻は午前四時。まだもう少しだけ眠れそうだ。



   ×     ×     ×



bar sábado


 遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。歌舞伎町が唯一静まる時間である早朝にもかかわらず、外はまるで夜半のように騒がしかった。


「これは……」


 薄明るい空を眺め、淹れたての紅茶を啜りながらレガリアはひとりごちる。シンプルなダージリン。重厚な渋みと香りが夜明けの身体に染み渡る。


「ほう、思っていたよりも展開が早いね」


 カップの中の紅茶を一気に流し込む。じんわりとした暖かさが胸に広がる。目を閉じ、耳を凝らす。ざわざわとした群衆の中に、レガリアは聞き慣れた声を見つける。


「毎度悪い気もするけど、見知った顔の方が都合もいいからね」


 広場に“彼”が居ることを確認して、レガリアはドアノブに手をかける。カラランとドアベルの軽やかな音色。外から吹き込む夜明けの風が、ひんやりと心地よかった。


施錠(クラヴィス)


 鍵の代わりの防御結界。巻き上がる風の中心で、赤い瞳が揺れる。これでもう、今日は誰もここへは来ない。


「さて」


 パンっと革手袋の口を指で弾き、歩き出す。その頃にはもう、サイレンの音はすぐ近くまで来ていた。

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