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武丸ビル 正面玄関
オリアスが広げるのは都内を網羅した地図。その上を、魔力で作られた蝶がひらひらと舞っている。
「お?彼奴もこのあたりに居るようじゃぞ」
オリアスに言われて、有羽とファイが彼女の後ろから地図を覗き込む。蝶が示している場所は、三人のいる場所から歩いてもさほどかからない場所だ。
「どうする?歩く?」
「歩きで良いだろう。目立つリスクを負ってまで魔術を使う理由がない」
「まあそうね。行きましょうか」
そう言って歩き始めた瞬間、有羽のスマホに着信。
「ごめん電話。兄さんからだわ、ちょっと出てくる。……はい有羽」
電話に出ながらビルの隙間に入っていく有羽を見送り、ファイはオリアスと二人手持ち無沙汰になってしまう。レガリアに一本貰っておけば良かったなんて事を考えていると、ファイのスマホにも着信。画面に表示された名前は、神山肇。
「……肇?悪い、僕も出させてもらう」
「かまわん、待つのには慣れておる」
ニコニコと手を振るオリアスを横目に受話ボタンを押す。
「はい」
「探偵か?悪い、急用だ」
「だろうな、お前からの電話は珍しい」
「今、棗はどうしてる?作戦行動中か?」
「アンリ?いや、さっき喧嘩して出て行ったっきりだが」
突然出てきたアンリの名前に困惑しつつ、胸を渦巻くのは嫌な予感。
「なら、あいつの独断か……。悪いが、詳しくは僕もわからないから事実だけ話すぞ。棗が魔捜とバトった」
「……は?」
嫌な予感が的中する。面倒ごとが更に面倒になってしまった。
「それ以上の事は僕もわからん。いいな、伝えたからな」
肇は念を押すようにそう言うと、一方的に電話を切ってしまう。魔捜が絡んでいる以上、この先へは踏み込まないと言う意思表示だろう。
肇が当てにならないなら本人に聞けばいい、とアンリに電話をかけるが、耳元に流れるのは規則的な電子音のみ。それはプルルルと不快感のある呼び出し音をしばらく流したあと、聞き取りやすい機械的な声のアナウンスに変わる。
「その様子はあたしと同じ用件ね」
同じく通話を終えたらしい有羽がファイの顔を見ながら複雑しそうな表情を浮かべる。
「ほう、どうやら妾も聞いておいた方が良さそうじゃの」
二人の態度に、それまで我関せずを貫いていたオリアスがワクワクを隠しきれない表情で首を突っ込んでくる。それを見た有羽がこれ見よがしに溜息をつく。全く悪魔ってやつはどいつもこいつも、と今にも愚痴が聞こえてきそうな顔である。
「そうね、これからの行動予定が変わるかもしれないから」
「ああ、厄介なことにな」
有羽と同じ表情でーーこちらは有羽に比べれば幾分か慣れている様子ではあるがーーファイも続く。
「アンリと魔捜がバトったらしいわ」
「アンリと魔捜がバトったらしい」
諮ったわけでもないのに声が揃う。複雑な表情で顔を見合わせる二人と対照的に、「カカカ」と心底楽しそうに軽やかな笑い声を上げるオリアス。
「なら先にアンリの嬢ちゃんの方を追うとするか」
オリアスが人差し指を立てると、指先から新たな蝶が生まれる。先ほどの蝶が青色だったのに対して、こちらはほんのりと暖かみを感じる黄色い蝶。
「お」
と、オリアスが地図上の蝶を見ながら声を上げる。アンリの居場所を指す黄色い蝶は、先ほどの青い蝶と同じ地点で動きを止める。
「ちょうど良いわい、アンリの嬢ちゃんと主らの目当ては一緒におるようじゃぞ」
その瞬間、全ての事象に合点がいった。なるほど、バトった理由は「それ」かと。だとすれば、双方の衝突はこれっきりでは済まないかもしれない。
「急いだ方がいいな」
「そうね、前言撤回。飛んで行くわ」
そう言いながら、有羽は鞄から取り出したルーズリーフで紙飛行機を作る。
「インジェンス」
有羽の魔力を帯びたそれはふわふわと空中に浮かび上がりながら、唱えられた呪文に応えるように小型のボートくらいのサイズまで巨大化する。
「乗って」
有羽に促され、膝下辺りの高さに浮いている紙飛行機――もはや元がルーズリーフだとは思えないサイズと強度だが――に飛び乗る。天板に有羽が手のひらを押し付けると、紙飛行機ごと三人の周りに重力魔法が展開される。
「ちょっと揺れるわよ」
と有羽が言った瞬間、それは急激に加速して空に飛び上がる。
「ほほう、紙飛行機で空を飛ぶとはなかなか夢があるのう」
「お前、顔に似合わずメルヘンなところあるよな」
「うるさいわね。……オリアス、さっきの地図見せてくれる?」
「その必要はないぞい」
オリアスがそう言いながら指を刺す先には、ひらひらと先ほどの蝶が舞っている。
「道案内なら此奴らにさせればよい」
「了解、一気に行くわよ」
有羽の声に応えるように急発進した紙飛行機は、後方に細い飛行機雲を作りながら歓楽街の上を真っ直ぐに加速する。暗闇の夜空を飛ぶメルヘンな物体は、ネオンの眩しさと人々の騒がしさに掻き消され、誰にも気付かれることなく歌舞伎町の上空を通り過ぎた。
× × ×
歌舞伎町 裏路地
「お手数おかけしてすみません」
人々の喧騒から外れた静かなビルの隙間で、権田原が深々と頭を下げる。
「わざわざこんなところに呼んだんだ、よっぽど聞かれたくない話なんだろう?」
その向かいに立つレガリアが、不敵な笑みを浮かべてそう続ける。
「ええ。できれば、魔術捜査課と関わりのある礼司さん達にも」
「ほう」
そこまでわかっているのか、とレガリアは純粋に感心する。と同時に浮かぶ疑問。
「それで、なぜ僕に?」
「貴方がた組織としては知りませんが、貴方自身は中立でしょう?」
ニッとレガリアの口角が上がる。目の前のこの男はわかっている、直感的にそう感じた。その上で、警察にも聞かれたくない事を話す相手にレガリアを選んだ。レガリアの胸が期待に高まる。ここには、彼のその態度を咎めるものは誰も居ない。
「良いね、面白い。なら僕も協力しよう。……やった事はないけれど、原理は見て覚えている」
そう言ってレガリアは口元で人差し指を立てる。
「silent」
ふわり、と冷たい魔力の風と共に周囲に静寂が広がる。
「やっぱり現代の魔術は複雑だね。いくつもの魔術が足されたり引かれたりして混じり合った形跡が随所にある。これが魔術の進化だよ。血筋にこだわった古い考えの人間では到底辿り着けない高みだ」
自身の構築した空間に触れながら、レガリアは恍惚とした表情で弁舌を振るう。
「すまない、話が逸れてしまったね。これで僕らの会話は僕ら以外の誰にも聞かれない。安心して話してくれて良い」
レガリアはハッとしたようにそう言うと、オンオフを切り替えるかのように自らを鎮めて権田原の方を見る。彼が取り出したのは、袋に入った錠剤。
「これは……、起爆剤かな」
「よく見てください、貴方ならわかるはずです」
言われるがまま目を凝らす。形状や質感ではない、凝視するのはそれに刻まれている術式の方。すぐにわかった、そこに刻まれていたのは起爆剤の効能とはかけ離れた、むしろ対照的とすら思えるものだった。
「驚いた、そんなことが可能なのか」
そこに刻まれていたのは、とある暗示をかける幻惑魔術のみだった。幻惑の種類は複雑に絡み合ってはいるものの、その薬はただ摂取したものに起爆剤を飲んだと勘違いをさせるためだけに存在していた。
「これはとある人物が作成した、起爆剤を飲んだと勘違いできるだけの、同じ形状に固められたただのブドウ糖です。薬としては何の効果も持たないので、起爆剤特有の離脱症状も、依存性も、ODの際の心身に対する影響もありません。これが、私が今配っているクスリの正体です」
権田原は淡々と説明する。プラシーボ効果の存在は知ってはいたものの、薬物の離脱症状や依存性を打ち消すほど強烈な、もはや洗脳とも呼べるほどの暗示はそうお目にかかれるものではない。驚くべきは、そのレベルの代物が量産できてしまっている事だ。
「凄いな、薬物依存の治療がひっくり返る発明じゃないか?」
「そんなに便利なものではありませんよ。これには摂取時の状態を疑似体験させるための緻密な幻惑が仕込まれているので、薬の効果が変われば幻惑の組み合わせも変わってしまうんです。それを作ることができたのは、『彼』が起爆剤の開発に携わっていて、その効能を熟知していたからです」
淡々とした口調のまま、サラリと重要な情報が共有される。
「待て、彼は起爆剤の開発者なんだろう?何故わざわざ依存を解くような薬を?」
「単純な話です、現在の使われ方は彼の意図した物ではなかった。彼の周りの人間は、彼が思っていたほど優しくなかったんですよ」
「……どういうことだい?」
「彼は起爆剤で世界が豊かになれば良いと思った。彼の研究に目を付けた組織は、起爆剤で富や権力を得たいと思った。ダイナマイトと同じですよ。彼は、何も知らない子供達に乱用させることなど望んでいなかった」
淡々と話していた権田原の語調にほんのりと熱がこもる。
「それでも、君にとっては関係のないことだ。協力する理由がないだろう?」
「あそこの子達と同じくらいの娘が居るんです。放って置けなかった。協力する理由はそれで充分です」
ほう、とレガリアが声を上げる。少し、権田原という男に興味が湧いてきた。
「君達は時折自身以外の何かを価値観の中心に据える。君にとっての娘もそういうことかい?」
「そんな大層な物じゃないです。第一、娘には長らく会っていません。どちらかというと、あの子達の父親に感情移入してしまうんです。悲しいじゃないですか、自分の子供が知らない土地でクスリ漬けにされてるなんて。そう考えたら、居ても立ってもいられなくて。だから、これは自分のためです」
権田原の言葉に自嘲が混じる。娘に会えていない罪悪感を紛らわしているだけなのだと、きっと本人も気がついているのだろう。彼の言う通り、これはただのエゴだ。色々なものを盾にして「そうじゃない」と思い込もうとしているだけの、自分勝手で自己中心的なエゴ。だがそのあまりにも人間らしいエゴは、レガリアの興味を引くには充分だった。
「自分のために他人を助けるか。その行動原理は僕の理解の外にあるが、確かにこれまでにも似たような状況を観測したことはある。うん、興味深いね。なら一度、僕も僕のために君を助けてみよう」
独り言のようにぶつぶつとそう呟いた後、レガリアは楽しそうな笑みを浮かべて権田原と目を合わせる。
「願いを聞いてあげよう。君は何を望む?」
レガリアの問いに一瞬の困惑を見せた後、権田原はそれまでと同じ淡々とした口調で願いを口にする。
「恐らくですが、近々私は消されるでしょう。なので、もしも私が死んだら、ここの子供達と彼のことをお願いします」
静かで穏やかな口調には不似合いな、遺言めいた願い。
「存外つまらない願いだが、良いだろう。一度だけだ、何があってもその彼ってやつを守ってあげよう」
「一度で充分です。その一度があれば、貴方には敵の居場所がわかるでしょう?」
試すかのようなその言葉に、レガリアが少しだけ目を見開く。
「全く、誰からどこまで聞いているのか」
レガリアはそう言って困ったように笑いながら、フィンガースナップの形にした右手を高く掲げる。
「君にはかなり楽しませてもらったからね。気が向いたら、その敵ってやつを懲らしめるくらいしてあげよう」
言い終わるとほぼ同時に、周囲にパチンっと音が響く。周囲を覆っていた魔力の風が消えていた。
「じゃあね、楽しかったよ」
「こちらこそ、お話しできてよかったです」
まるで友達のような挨拶を交わして、二人は別々の方向に歩き出す。歓楽街とは反対側、自宅でもあるバーに向かうレガリアの頭上を、見知った魔力が通り過ぎていく。
「相変わらず、彼女は魔術の使い方が派手だね」
高速で通り過ぎた魔力の跡、夜空に浮かんだ細い飛行機雲を眺めながら、レガリアがスマホを操作しとある人物に電話をかける。
「はい」
応答したのは、幼さの残る少年の声。
「やあ、ダンタリオン。久しいね」
「お前からの電話なんて珍しいんじゃないか?」
「まあ、少し珍しいことをしようかと思ってね。人助けだよ」
電話越しに、絶句する声が聞こえた気がした。
「今からあるものを送るから、その制作者を調べてほしいんだ」
「怪しい案件じゃないだろうな?僕は危険な橋は渡らないぞ」
「だから人助けだと言ったろう?君の教え子も関わってるみたいだしね」
「……わかった、善処する」
一瞬だけ、考え込むように間を開けて、ダンタリオンは絞り出すような声でそう言った。
「頼むよ。君の記憶と人脈が頼りなんだ」
相手の返事を待たずに電話を切る。手のひらの上には権田原に渡された起爆剤、のようなもの。
「jump」
レガリアが呟く。瞬間、彼の周囲を青白い光が照らしだす。手の上の錠剤は、光に攫われるかのように消えていた。




