創立記念魔法実演会
創立記念魔法実演会の日が、ついにやってきた。
秋晴れの空はどこまでも高く澄み渡り、柔らかな陽光が王立貴族学院の美しい中庭を黄金色に染め上げている。特設された観覧席は、この国の未来を担う若者たちの晴れ舞台を一目見ようと集まった、王侯貴族たちで埋め尽くされていた。その華やかな衣装や宝飾品が、太陽の光を反射してきらきらと輝き、まるで宝石箱の中に迷い込んだかのようだ。
しかし、そのきらびやかな雰囲気とは裏腹に、会場にはどこか張り詰めた、異様な緊張感が漂っていた。それは、これから始まるであろう「ショー」への期待か、あるいは、最近まことしやかに囁かれている私――リリアーナ・フォン・ヴァイスハイトに関する不吉な噂のせいか。
国王陛下の隣には、アルフォンス殿下と、そして外交使節として正式に招待された隣国ディオメーデスのアンキセス王子が、涼やかな表情で並んで座しておられる。アンキセス王子の傍らには、銀の仮面で顔を隠した女騎士シルヴァ――ソフィアお姉様が、微動だにせず控えている。彼女の存在は、私たちにとって何よりの心の支えだった。
私は、クララ様とエリス様に両脇を支えられ、レオナルド様とヴィクトル様を背後に控えさせ、観客席の後方、しかし全てを見渡せる位置で、静かにその時を待っていた。アネットには、エリス様が巧妙に流した偽情報が伝わっているはずだ。
『リリアーナ様は、昨夜から高熱を出し、とても実演会に出られる状態ではございません』
というものが。
彼女は、きっと私がこの場に現れることすら予想していないだろうし、万が一、無理を押して姿を見せたとしても、それは彼女の計画を補強するだけだと、高を括っているに違いない。その油断こそが、私たちの最初の勝機となる。
やがて、ファンファーレが鳴り響き、司会進行役の教師が、声高らかにエレオノーラ・フォン・ヴァイスハイト侯爵夫人の特別挨拶を告げた。
エレオノーラ様は、今日も完璧なまでに美しかった。その聖なる母性を強調するかのような、柔らかな生成り色の優雅なドレスをまとい、どこか憂いを帯びた、しかし凛とした表情で、ゆっくりと演台へと進み出る。その姿に、会場からは、同情と称賛の入り混じった大きなどよめきと、ため息が漏れた。彼女の、あの計算され尽くした美しさと儚げな雰囲気は、それだけで人々の心を掴んでしまうのだ。その傍らには、私専属のメイドであるアネットが、主人の影のように、しかしその瞳には僅かな得意の色を浮かべて控えている。
エレオノーラ様は、会場全体をゆっくりと見渡し、そして、僅かに声を震わせるかのように語り始めた。その声は、マイクなどないにも関わらず、不思議と広場の隅々まで、清らかに響き渡った。
「本日は、この輝かしい創立記念魔法実演会にお招きいただき、そして、かくも盛大なる拍手を賜り、誠に光栄に存じます。本来ならば、この喜ばしき日を、わたくしも心から祝福申し上げるべきところでございます。しかし……」
彼女はそこで言葉を切り、美しいレースのハンカチでそっと目元を押さえた。その仕草だけで、会場の空気は一変し、同情的な静寂が支配する。
「しかし、わたくしの心は、今も深い悲しみと、そして母親としての痛切なる悔恨の念でいっぱいでございます。わたくしの義理の娘、リリアーナも、本来であれば、今日この晴れの舞台で、皆様にその素晴らしい力を披露させていただく機会を賜っておりました。ですが、あの子は……あの子のその『特別な力』につきましては、皆様もご存知の通り、様々な、そして心を痛めるような噂が囁かれていることも、わたくし、重々承知しております」
彼女の声は、悲しみに打ち震えているように聞こえた。
「母親として、わたくしはリリアーナを信じたい。あの子の力が、決して邪悪なものではないと、心の底から信じたいのでございます。しかし、そのあまりの特異さに、そして時折見せる不安定な様子に、わたくし自身も、どのようにあの子を導けば良いのか、正直申し上げて、途方に暮れております……。専門家の方々にもご相談し、手を尽くしてはおりますが……」
その言葉は、娘を深く愛し、その行く末を案じ、そしてその手に負えない力に苦悩する、献身的な母親の、偽りのない魂の叫びのように聞こえた。会場からは、すすり泣く声や、「エレオノーラ様は、なんてお優しい方なのだ」「あのような娘を持って、お労しい……」という同情的な囁きが、あちこちから聞こえてくる。アルブレヒトお父様も、隣で妻のその健気な姿に涙ぐみ、その手を固く握りしめている。彼女の計算通り、観衆の心は完全にエレオノーラ様に傾倒していた。
エレオノーラ様は、その会場の空気を敏感に感じ取り、さらに言葉を続けた。その瞳には、一筋の美しい涙が伝っている。
「今日、リリアーナは体調を崩し、この場にはおりません。ですが、わたくしは心から願っております。いつの日か、あの子がその力を正しく理解し、制御し、そして、その清らかな力で素晴らしい奇跡を示し、皆様の誤解と不安を払拭してくれる日が来ることを。そして、あの子自身が、真に正しい道を選び、その力を人々のために役立ててくれることを……母親として、ただただ、そう祈るばかりでございます……」
彼女の演説が、感動の頂点に達し、会場全体が偽りの感動とエレオノーラ様への称賛で包まれようとした、その瞬間――。
エリス様が、観客席の中から会場の隅々まで響き渡るような、凛とした声で叫んだ。
「お待ちください、エレオノーラ様! その言葉は、あまりにも偽善に満ち、そして真実を隠蔽するものですわ!」
その一言が、まるで静寂を切り裂く雷鳴のように響き渡り、会場の空気を一瞬にして凍りつかせた。
エレオノーラ様の、あの完璧な聖母の微笑みに、初めて、明確な亀裂が入ったのを、わたくしは見逃さなかった。
波乱の幕が、今、確かに上がったのだ。
エリス様の、凛とした、しかし雷鳴のように響き渡った告発の言葉に、会場は水を打ったように静まり返り、そして次の瞬間、大きなどよめきに包まれた。
エレオノーラ様の、あの常に完璧な聖母の微笑みが、初めて明確に引きつり、そのアイスブルーの瞳に、一瞬だけ狼狽の色が浮かんだのを、私は見逃さなかった。しかし、それも本当に一瞬のこと。彼女はすぐにいつもの憂いを帯びた表情に戻り、信じられないといった様子でエリス様を見つめた。
エリス様は、アルフォンス殿下の静かな許可を得て、毅然とした態度でエレオノーラ様の前に進み出た。その小さな背中には、前世で国を導いたという宰相の風格さえ感じられた。
「エレオノーラ様、あなたはリリアーナ様を精神的に追い詰め、その類まれなる『生命の聖樹の巫女』としての力を『アリアの呪い』という偽りの情報で貶め、彼女を社会的に抹殺しようとしました! その証拠として、あなたが専属メイドのアネットに送った、リリアーナ様の行動を歪曲して報告させ、計画的に孤立させるための具体的な指示が記された手紙の写しが、ここにございます!」
エリス様は、ヴィクトル様が命がけで入手したという、エレオノーラ様の筆跡で書かれた手紙の写しを、群衆に向かって高らかに掲げた。そこには、リリアーナの些細な行動を「奇行」として報告するよう指示する内容や、「友人を作らせないように」といった陰湿な命令が、美しい文字で記されていた。
エレオノーラ様は、一瞬だけ顔色を変えたが、すぐに悲痛な表情を作り、震える声で反論した。その瞳には、みるみるうちに涙が溜まっていく。
「まあ、エリス様、何を仰るのですか! それは……それは、リリアーナを心配するあまり、アネットに状況を詳しく把握させようとした、母親としての当然の行動を記したものですわ! 少しでもあの子の助けになりたいと……! それを、そのような悪意のある解釈で……ああ、なんて酷い……!」
彼女はハンカチで目元を押さえ、崩れ落ちそうになるのを、アネットが慌てて支える。アネットもまた、「エレオノーラ様は、いつも、いつもリリアーナ様のことを一番に考えていらっしゃいましたのに……! このような濡れ衣を……!」と、涙ながらに主人を庇った。その見事な連携プレーに、観衆の一部からは「そうだ、エレオノーラ様がそんなことをするはずがない」「平民の娘が、侯爵夫人を陥れようとしているのか」といった、エレオノーラ様に同情的な声が上がり始めた。
しかし、その空気を切り裂くように、クララ様が静かに、しかし力強く前に進み出た。
「エレオノーラ様の言葉は偽りですわ! あなたは、家庭教師のエドガー氏に不正な金銭を与え、リリアーナ様の教育を歪め、彼女の類まれな才能を計画的に潰そうとしました! これが、その不正な金の流れを示すヴァイスハイト家の帳簿の写しと、エドガー氏が自らの罪を認め、エレオノーラ様の指示であったことを記した始末書です!」
クララ様は、レオナルド様が集めた、エレオノーラ様の筆跡で承認された不自然な支出の記録と、先日、レオナルド様とヴィクトル様がエドガー氏を問い詰めて書かせたという始末書を、厳粛に掲げた。始末書には、エレオノーラ様から金銭を受け取り、リリアーナ様にわざと間違った知識を教え、自信を喪失させるよう指示された経緯が、詳細に記されていた。
エレオノーラ様は、その新たな証拠に、一瞬言葉を失ったように見えたが、すぐに激しい怒りを露わにして反論した。今度は、悲劇のヒロインではなく、無実の罪を着せられた憤怒の聖女の顔だ。
「エドガー先生は、リリアーナの特異な才能を正しく導こうと、誰よりも苦心していた善良な教育者です! 金銭は、その特別な指導に対する正当な報酬であり、そのような始末書などというものは、リリアーナを庇いたいがための、あなた方の卑劣な捏造でしょう! ああ、何ということでしょう! なぜ、あなた方はそこまでして、一人の、ただ娘を愛する無力な母親を貶めようとするのですか! まさか、あなた方こそが、純粋なリリアーナを唆し、このヴァイスハイト家を乗っ取ろうと画策しているのではなくて!?」
彼女は、逆にわたくしたちに疑惑の目を向け、その言葉は観衆の不安を巧みに煽った。どちらが真実なのか、どちらが悪なのか。会場は再び混乱に包まれ、騒然となった。エレオノーラ様の、その悪魔的なまでの人心掌握術は、まだ健在だった。
エレオノーラ様の巧みな反論と、涙ながらの熱演により、状況は一時的に膠着状態に陥った。エリス様もクララ様も、悔しそうに唇を噛み締めている。私は、ただ、この悪夢のような現実を前に、再び無力感に苛まれそうになっていた。
しかし、レオナルド様とアルフォンス殿下は、冷静に状況を見守り、そして、アンキセス王子が、その隣に控える銀色の騎士――ソフィアお姉様に、静かに、しかし力強く目配せをした。
エレオノーラ様が、そしてこの会場の誰もがまだ知らない、最大の、そして決定的な切り札が、今、静かに舞台へと上がろうとしていた。
エレオノーラ様の、最後の円舞曲の、終わりが近づいていることを予感させるかのように。
エレオノーラ様の巧みな反論と、涙ながらの熱演により、会場の空気は再び彼女に傾きかけていた。
エリス様もクララ様も、悔しそうに唇を噛み締めている。私は、ただ、この悪夢のような現実を前に、再び無力感に苛まれそうになっていた。あの人の嘘は、まるで底なし沼のように、真実を飲み込もうとする。
その時、アンキセス王子が、静かに、しかし威厳のある声で言った。
「エレオノーラ・フォン・ヴァイスハイト侯爵夫人。あなたのその言葉、誠に感動的ではありますが、残念ながら、ここにはあなたの嘘を覆す、決定的な証人がおります」
アンキセス王子は、その隣に控える銀色の騎士――ソフィアお姉様に、静かに、しかし力強く目配せをした。
会場の全ての視線が、その謎めいた騎士に集まる。エレオノーラ様の顔にも、一瞬、得体の知れないものを見るような、僅かな動揺が走った。
銀色の騎士は、ゆっくりと一歩前に進み出ると、その仮面に手をかけた。そして、ためらうことなく、それを外した。
仮面の下から現れたのは、数年の歳月を経て、さらに美しく、そして何よりも強く成長した、私の従姉妹、ソフィア・フォン・ヴァイスハイトの顔だった。その真紅の髪は騎士の装束に隠されていたが、その強い意志を宿した翠の瞳は、昔と少しも変わらない。
「ソフィア……!? まさか、あなたが……生きているとは……!」
アルブレヒトお父様が、愕然とした表情で、絞り出すように呟いた。
ソフィアお姉様は、エレオノーラ様を射るような鋭い目で見据え、その凛とした声は、広場の隅々まで響き渡った。
「エレオノーラ・フォン・ヴァイスハイト! あなたは、六年前、このヴァイスハイト家の財産を、そしてリリアーナの全てを我が物とするため、邪魔な私を暗殺しようとしましたね! あなたが送った刺客は、確かに私を追い詰めましたが、幸運にも私はアンキセス殿下とウォーレン軍師に救われ、ディオメーデス王国で保護されていました! そして、あなたが私に送った毒薬の残りと、捕らえた暗殺者が全てを自白した手記の写しは、今、この手にあります!」
ソフィアお姉様が、証拠として羊皮紙の束と小さな小瓶を高々と掲げると、会場は水を打ったように静まり返り、そして次の瞬間、地鳴りのような大きなどよめきに包まれた。それは、エレオノーラ様の罪を決定づける、動かぬ証拠だった。
決定的証拠を突きつけられ、エレオノーラ様は、ついにその冷静さを失いかけた。その美しい顔は憎悪に歪み、金切り声を上げた。
「嘘よ! 全て嘘! でっち上げだわ! あなたは一体誰なの!? ソフィアなどではない! リリアーナが、その忌まわしい呪いの力で作り出した幻影に違いないわ! 皆様、騙されてはいけません! あの子は、あのリリアーナこそが、邪悪な魔女なのです! 早く捕らえて!」
その姿は、もはや聖母ではなく、追い詰められ、醜態を晒す悪女そのものだった。そのヒステリックな叫びは、もはや誰の心にも響かない。
その時、アルフォンス殿下とアンキセス王子にそっと背中を押され、私はゆっくりと、しかし堂々と前に進み出た。
もう、俯いてはいない。その翠の瞳には、長年虐げられてきた魂の叫びと、仲間たちへの感謝、そして未来への確かな意志が、炎のように宿っていた。
私は、サンルームで蘇らせた、あの深紅のバラを一輪、大切に手に持っていた。そして、そのバラにそっと触れ、心の底から念じた。
(どうか、皆の心を、真実の光で照らして)
すると、バラはふわりと優しい光を放ち始め、その光は会場全体に広がり、人々のささくれだった心を鎮め、温かく、そして清らかな香りで満たした。それは、紛れもなく「生命の聖樹の巫女」の、完全に制御された聖なる力の、疑いようのない証明だった。
「私のこの力は、決して呪いなどではありません。それは、命を愛しみ、育み、そして癒す力です。エレオノーラ様、いいえ、エレオノーラッ! あなたの嘘と、その底知れぬ悪意は、もう終わりです。あなたは、私の母の思い出も、私のささやかな幸せも、私の心さえも、全て踏みにじり、利用しようとした。でも、私はもう、あなたの思い通りになる無力な人形ではありません! あなたの罪は、今、この場で、神と、国王陛下と、そしてここにいる全ての人々の前で、裁かれるのです!」
私のその言葉は、静かだったが、絶対的な真実の重みを持って、会場の隅々まで響き渡った。
全ての真実を知り、最愛の妻と信じていた女の、想像を絶する裏切りに打ちのめされたアルブレヒトお父様は、その場に崩れ落ちるようにして慟哭した。
「ああ……私は……私は何という愚かな、取り返しのつかない過ちを……! エレオノーラ……! よくも、よくも私を、そしてリリアーナを、ここまで……!」
そして、震える声で、しかしはっきりと、傍らに立つ国王陛下に、血を吐くように懇願した。
「陛下……! この、エレオノーラ・フォン・ヴァイスハイトの、我がヴァイスハイト家と、そして何よりも私の愛する娘リリアーナに対して犯した、万死に値する大罪、断じて許すことはできませぬ! どうか、法の厳正なる裁きを……! そして、リリアーナ……私の、愚かで、そして愛しい娘よ……どうか、この愚かな父を……許してくれ……!」
お父様の目からは、後悔と苦悩の涙が、止めどなく流れ落ちていた。
エレオノーラは、もはや何の弁解もできず、ただ、その美しい顔を憎悪と屈辱に歪ませ、私を、そしてソフィアお姉様を、射殺さんばかりに睨みつけていた。その瞳には、もはや聖母の欠片も残っていなかった。
「何故、何故、何故何故何故どうして完璧だったはずなのに貴様が貴様がリリアーナアアアッ!!」
エレオノーラの怒号と共に、その体から黒い靄のようなものが滲み出す。それはまるで悪魔のような女の形相を取り、私へ向け手を伸ばしてきた。
「次はお前の番だと言ったでしょう?」
その時聞こえた声が誰のものだったかは分からないが、突然エレオノーラは意識を失い、黒い靄も霧散した。
国王陛下の厳粛な厳命により、ヴィクトル様率いる王宮騎士たちが、エレオノーラを取り押さえ、連行していく。項垂れる彼女の姿は、哀れなほどに醜かった。アネットや、後日捕らえられたエドガー先生も、共犯として厳しく裁かれることになった。
連行されるエレオノーラは、意識を取り戻したのか、最後に一度だけ、わたくしを振り返った。その瞳には、殺意にも似た激しい憎悪が燃え盛っていたが、私は、もう怯えなかった。ただ、静かに、そして強く、その視線を受け止めた。彼女がどこへ行こうと、もう二度と、私の人生に関わることはないのだから。
彼女の長い、そして悪夢のような支配は、今、ようやく、完全に終わりを告げたのだ。
会場は、しばらくの静寂の後、驚きと安堵、そして私への、今度こそ真実の、嵐のような称賛の声と拍手に包まれた。
私は、クララ様、エリス様、ソフィアお姉様、アルフォンス殿下、レオナルド様、ヴィクトル様、そしてアンキセス王子という、かけがえのない仲間たちと共に、涙を流しながらも、確かな希望の光が、未来へと続く道を照らし出しているのを感じていた。
私の、本当の人生が、今、ようやく始まろうとしていた。