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 わたくしの両手は、まるで呪われたかのように、黒煙を噴き上げる古木に吸い付いて離れない。

 指先からは、自分の意思とは全く関係なく、あの淡い緑色の光が、今は禍々しいほどの勢いでとめどなく流れ出し、古木へと容赦なく吸い込まれていく。そのたびに、激しい苦痛と、全身の血が逆流するような、そして魂そのものが引きずり出されるかのような、耐え難い感覚に襲われた。


「いやああああああっ!! やめて! 離して! 違うの! わたくしは、こんなつもりじゃ……!! 誰か……助けて……っ!!」


 わたくしは、パニックに陥り、ただ絶望的な叫び声を上げるしかなかった。

 助けを求めたかった。でも、誰に? この地獄のような光景を作り出したのは、紛れもなく、わたくし自身なのだから。わたくしの、この忌まわしい『力』のせいなのだから。


 わたくしのその絶望的な叫びと、明らかに異常な力の暴走(にしか見えない現象)は、観客たちの恐怖をさらに煽った。


「やはり、彼女は力を制御できていないんだわ! あれは危険な力よ!」

「あれは、聖女の力などではない! 邪悪な魔法そのものだ! 私たちを欺いていたのよ!」

「早く誰か、あの魔女を止めろ! 私たちまで呪われるわ!」


 怒号と悲鳴が、まるで巨大な波のようにわたくしに押し寄せ、意識が遠のきそうになる。


「やだ……殺さないで……まだやるべきことが…………」


 その時、エリス・ミラー様が苦しげに呻き、気を失ったようにぐったりとしているのを見て、アルフォンス殿下が、護衛の騎士たちを制して、わたくしの方へ近づいてきた。その美しい顔は、驚愕と、そして強い決意で引き締まっている。


「リリアーナ嬢! もうやめるんだ! その力を鎮めろ! これ以上、罪を重ねるな!」


 彼の声は、普段の優しさとはかけ離れた、厳しく、そしてどこか非難するような、冷たい響きを持っていた。


 わたくしは、殿下のその声と、近づいてくる彼の姿に、さらにパニックになった。


(いや! 来ないで! わたくしに近づかないで! わたくしは、あなたまで傷つけたくない! この力は、もうわたくしにも分からないの!)


 そう思った瞬間、わたくしは無意識に、拒絶するように彼に向かって手を振り払った――古木に吸い付かれたままの、自由にならないはずの、反対側の手を。

 すると、わたくしの周囲の地面から、まるで意思を持ったかのように、黒く、鋭く、そしておぞましい茨のようなものが、何本も、何十本も、勢いよく音を立てて突き出したのだ!

 それは、アルフォンス殿下の行く手を阻むように、彼の足元を取り囲み、威嚇するように先端を鎌首のように震わせた。その茨からは、不吉な瘴気のようなものが立ち上っている。


「なっ……!? これは……一体……!?」


 殿下は、その異様な光景に驚いて数歩後ずさった。その美しい青い瞳には、もはや戸惑いではなく、明確な恐怖と、そして裏切られたかのような、深い絶望の色が浮かんでいた。


 この、あまりにも禍々しい光景は、観客たちにとって、決定的なものとなった。


「見たか! あの女、殿下にまで牙を剥いたぞ! あの黒い茨は、まさしく魔女の力だ!」

「やはり、邪悪な魔女だったんだ! 我々を欺き、殿下の命まで狙おうとは、許せん!」

「誰か、早くあの魔女を捕らえろ! 聖なる炎で焼き払え! 処刑しろ!」


 人々の声は、もはや単なる恐怖ではなく、明確な憎悪と、狂信的なまでの殺意に変わっていた。

 わたくしは、もう、何も聞こえなかった。何も感じなかった。ただ、自分の周りに突き出した黒い茨と、憎悪と恐怖に歪む人々の顔が、悪夢のように揺らめいているだけだった。

 ああ、わたくしは、本当に、魔女になってしまったのだ……。エレオノーラ様の望み通りに。


 観客席の一角で、エレオノーラ様が、美しいレースのハンカチで目元を押さえ、悲痛な表情でその光景を見つめていた。


「まあ、なんてことでしょう……リリアーナ様……あなたが、本当に、そのような恐ろしい力を……そして、アルフォンス殿下にまで……! ああ、わたくしの教育が、至らなかったのでしょうか……! なんて、お労しい……!」


 その姿は、娘の犯した大罪に打ちひしがれる、悲劇の母そのものだった。

 隣に座るアルブレヒトも、娘のその『本性』を目の当たりにし、顔面蒼白になり、ただわなわなと震えているだけだった。もはや、彼に娘を庇う言葉など、一言たりともあろうはずもなかった。

 しかし、エレオノーラ様の扇の陰で、その唇は、最高の芸術作品を鑑賞するかのような、満足と愉悦に、微かに吊り上がっていた。


(素晴らしいわ、リリアーナ! 最高の舞台で、最高の『魔女』を、完璧に演じてくれているわ! これで、もう誰もあなたを庇うことなどできない! あなたの破滅は、確定したのよ! ああ、なんてスリリングで、なんて楽しいのかしら!)


 やがて、国王陛下の厳命により、王宮騎士団の屈強な騎士たちが、魔法を無効化するという特殊な聖銀の鎖を手に、わたくしを取り囲んだ。

 わたくしは、もう抵抗する力も、意識も、ほとんど残っていなかった。古木に吸い取られ続けた力と、周囲からの憎悪と、そしてどうしようもない絶望。それらが、わたくしの心を、そして体を、完全に砕いてしまった。

 黒い茨は、騎士たちが近づくと同時に、まるで役目を終えたかのようにスルスルと地面に消えていった。

 騎士たちに手足を押さえつけられ、冷たい聖銀の鎖で、まるで獣のように雁字搦めに縛り上げられる。

 薄れゆく意識の中で、わたくしの目には、最後に、憎悪と恐怖に満ちた人々の顔と、その向こうで、まるで美しい絵画のように、完璧な微笑みを浮かべている、エレオノーラ様の顔が、焼き付いていた。

 ああ、やはり、全てはあの人の……あの悪魔の、筋書き通りだったのだ……。

 そこで、わたくしの意識は、深い、深い闇の中へと、完全に途切れた。


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