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秋も深まり、王立貴族学院では、年に一度の最も重要な行事である「創立記念魔法実演会」の準備が、熱気に包まれて着々と進められていた。
この実演会は、学院の生徒たちが日頃の魔法の鍛錬の成果を披露する場で、国王陛下をはじめとする王族の方々や、国内外の有力貴族たちが多数臨席する、非常に華やかで格式高いイベントだった。生徒たちにとっては、自身の能力をアピールし、将来の縁談やキャリアに繋げる絶好の機会でもある。
もちろん、王太子であるアルフォンス殿下も、次期国王として、そして学院の模範生として、高度な攻撃魔法と防御魔法を組み合わせた、目を見張るような魔法を披露する予定となっており、学院中の、特に令嬢たちの熱い期待が集まっていた。
わたくしには、そんな華やかな舞台など、別世界の出来事だと思っていた。ただ、この悪夢のような日々が、一日でも早く終わり、静かに息を潜めていられる場所へ行けることだけを、心の片隅で願っていた。
しかし、エレオノーラ様が、そんなわたくしを安穏とさせておくはずもなかった。
実演会の一週間前。彼女は、王都の別邸からわざわざわたくしの元を訪れ、あの完璧な聖母の微笑みを浮かべて、そして有無を言わせぬ口調で告げたのだ。
「リリアーナ様、あなたに素晴らしいお知らせがありますわ。今年の創立記念魔法実演会で、あなたにも、その特別な『聖女の力』を、皆々様の前で披露していただくことになりましたのよ」
「……わたくしが……ですの……? そ、そんな、わたくしには、とても……」
わたくしは、恐怖で声が震えた。大勢の前で、あの得体の知れない力を使うなんて。
「まあ、何をそんなに卑下なさるの。学院長や、殿下の側近の方々も、あなたのその素晴らしい力をぜひ拝見したいと、強く望んでいらっしゃるのです。ヴァイスハイト家の令嬢として、そして、もしかしたら将来の王太子妃として、これ以上の名誉はありませんわ。これは、あなたの力を公に認めさせ、全ての疑念を払拭する絶好の機会でもあるのです」
彼女は、アネットとエドガー先生に、周到な準備をさせていた。この実演会こそが、わたくしを社会的に抹殺するための、最高の、そして最も華やかな舞台だと確信していたのだ。
「あなたに披露していただくのは、『再生の奇跡』。中庭にある、何百年も前に落雷で枯れてしまったという、あの大きな桜の古木に、再び美しい花を咲かせるというものですわ。あなたのその清らかな力なら、きっと素晴らしい奇跡を見せてくださることでしょう。アルフォンス殿下も、そして国王陛下も、きっとお喜びになりますわよ。成功すれば、あなたの『呪い』の噂など、一瞬で消え去るでしょう」
エレオノーラ様は、うっとりと、まるで美しい夢物語でも語るかのように言った。
断ることなど、できるはずもなかった。わたくしは、ただ、震える声で「……はい。わたくしなりに、努めさせていただきます……」と答えるしかなかった。
その「枯れた古木」が、エドガー先生によって、数日前から念入りに、そして秘密裏に『準備』されていることなど、知る由もなかった。それは、リリアーナの魔法に反応し、破滅的な結果を引き起こすための、巧妙な仕掛けだった。
実演会当日。
学院の中庭には特設の壮麗な観覧席が設けられ、陽光を浴びてきらきらと輝くドレスや宝飾品を身にまとった貴族たちで埋め尽くされていた。国王陛下の隣には、アルフォンス殿下の涼やかな姿も見える。
わたくしは、エレオノーラ様が用意した、純白の、まるで花嫁のような、しかしどこか死装束を思わせるドレスを着せられ、舞台袖で自分の出番を待っていた。心臓は、今にも張り裂けそうだった。怖い。逃げ出したい。でも、できない。アネットが、すぐそばで監視している。
エレオノーラ様の「あなたの成功を心から祈っていますわ、リリアーナ。全ては、あなたのために」という、氷のように冷たい囁きが、耳の奥で何度も何度も繰り返される。
やがて、わたくしの名前が、朗々と読み上げられた。
ふらつく足で舞台の中央――枯れ果て、黒くそびえ立つ桜の古木の前に立つ。全ての視線が、期待と好奇、そして僅かな疑念を込めて、わたくしに突き刺さる。
(お願い……どうか、うまくいきますように……。ただ、花を咲かせるだけでいいの……。お母様、力を貸して……)
わたくしは、祈るような気持ちで、古木にそっと両手を触れ、意識を集中させた。指先から、あの淡い緑色の、温かい光が流れ出す。
その瞬間だった。
古木は、花を咲かせるどころか、まるで苦しみ悶えるように幹を激しく震わせ、バキバキバキッ!と不気味な音を立て始めた。そして、触れていたわたくしの両手から、ありえないほどの勢いで、まるで生命エネルギーそのものを奪い取るかのように、何かが古木へと吸い上げられていくのを感じた!
「きゃああああああっ!!」
わたくしは、激痛と恐怖で手を引こうとしたが、まるで古木に吸い付いているかのように、びくとも離れない。
そして、古木は、おぞましい漆黒の煙を、まるでドラゴンの咆哮のように、天に向かって噴き上げ始めた。その煙は、まるで生きているかのように蠢き、周囲に植えられていた美しい花々や緑の芝生を、瞬く間に枯らし、黒く変色させていく。腐臭にも似た、異様な匂いが立ち込める。
近くで見ていた生徒の一人――ああ、エリス・ミラー様だ――が、その煙を僅かに吸い込み、「うっ……気分が……息が……」と、苦しげに胸を押さえてその場に崩れ落ちた。他の生徒たちも、悲鳴を上げて逃げ惑う。
会場は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「な、なんだこれは!? いったい何が起こったのだ!?」
「やはり、呪いの力だったんだわ! あの女は、聖女などではない!」
「魔女だ! ヴァイスハイト家の娘は、邪悪な魔女だったんだ! 我々を欺いていたのだ!」
悲鳴と怒号が飛び交う。
アルフォンス殿下も、その惨状に顔面蒼白になり、わたくしを、信じられないものを見るような、そして深い絶望と怒りを湛えた目で見ていた。
わたくしは、ただ、黒い煙を噴き上げ続ける古木と、倒れたエリス様と、そして恐怖と憎悪に歪む人々の顔を、呆然と見つめることしかできなかった。
違う。わたくしは、こんなことをしたかったんじゃない。こんなことになるなんて、思ってもみなかった。
でも、もう、誰にもその声は届かない。
わたくしは、この日、この瞬間、大勢の王侯貴族の目の前で、「聖女」から「邪悪なる魔女」へと、奈落の底へ突き落とされたのだ。
エレオノーラ様の、完璧な、そして悪魔的な脚本通りに。