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 アルブレヒトはご機嫌な様子で、私の手を引き、エスコートする。

 その態度は、まるで恋する若者のように熱心で、私は内心の嘲笑を隠して、淑やかに彼に従った。


「さあ、エレオノーラ。リリアーナに会いに行こう。きっと君を見たら驚くぞ、その美しさに」

「まあ、旦那様ったら。からかわないでくださいまし」


 私は微笑み返しつつ、長い廊下を進む。

 磨き上げられた大理石の床には私たちの姿が映り込み、壁にかけられた歴代ヴァイスハイト家当主たちの肖像画が、無言で私たちを見下ろしている。その視線は、どこか値踏みするようで、不快だった。


(あなたたちの時代はもう終わり。これからは、私の時代よ)


 すれ違うメイドたちは、深々と頭を下げ、壁際にへばりつくようにして私たちをやり過ごす。その視線には、畏怖と好奇心が混じっていた。

 この屋敷は、もうすぐ私のものになる。この視線も、いずれは完全な服従へと変わるだろう。私は、その変化を想像し、密かな喜びを感じていた。


 やがて、私たちは日当たりの良い、しかしどこか子供っぽさが残る部屋の前にたどり着いた。リリアーナの居室らしい。扉は上質な木材で作られているが、そこには幼い少女がつけたであろう、小さな傷がいくつか見えた。

 アルブレヒトが、少しだけ父親らしい顔つきになり、扉をノックした。


「リリアーナ、入るぞ。エレオノーラ様もご一緒だ」


 中から、小さな、か細い声で「……はい」という返事があった。

 アルブレヒトが扉を開けると、そこに、一人の少女が立っていた。


 燃えるような、鮮やかな真紅の髪。それは陽光を浴びて、きらきらと輝いている。

 大きな、森の湖のような翠の瞳。

 象牙色の肌に、小さな鼻と、形の良い唇。

 まだ幼さは残るものの、将来、どれほどの美女になるかを予感させる、驚くべき美少女だった。

 ――リリアーナ・フォン・ヴァイスハイト。

 原作ゲームでは、そのプライドの高さとキツい目つきで『悪役令嬢』としての存在感を放っていた少女。

 しかし、目の前にいる彼女は……。


(これが……あの悪役令嬢? 可愛いじゃない……!!)


 思わず、息を呑んだ。

 原作の立ち絵よりもずっと幼く、そして、どこか小動物のような愛らしさがある。翠の瞳は、強い光を宿してはいるものの、まだ憎悪には染まっていない。むしろ、不安と警戒、そしてほんの少しの好奇心で揺れている。

 この子が、あのリリアーナ?

 一瞬、本当に一瞬だけ、胸の奥がチクリと痛んだ。前世で、こんな風に無垢なものに触れたことがあっただろうか。こんな風に、守ってあげたいと思わせるような存在に。

 ……だが。

 その感傷は、次の瞬間には、前世の忌々しい記憶によって、より強い悪意へと転化された。

 可愛い妹。愛嬌のある後輩。いつも私から全てを奪っていった、あの女たちの顔。


(――可愛いから、何だというの?)


 可愛いからこそ、憎い。

 可愛いからこそ、その純粋さを踏みにじりたくなる。

 可愛いからこそ、絶望に歪む顔が見たくなる。

 この子は、私とは違う。生まれた時から全てを与えられ、愛されることが当然だと思っている、そういう種類の人間だ。


(そうよ。可愛いからこそ、壊し甲斐があるわ!! この子を、私の手で、誰もが憎悪し、軽蔑する『悪役令嬢』に仕上げる。これ以上のエンターテイメントがあるかしら? これ以上の、前世の私への『復讐』があるかしら?)


 私の心は、完全に決まった。揺らぎはない。あるのは、ただ、底なしの悪意と、これから始まる『ショー』への期待だけだ。


 私は、自分でも完璧だと思うほどの、慈愛に満ちた聖母のような微笑みを浮かべた。

 ゆっくりとリリアーナの前に進み出て、彼女の目線に合わせて少しだけ膝を折る。高価なドレスの裾が、床に優雅に広がった。


「はじめまして、リリアーナ様。わたくし、エレオノーラと申します」


 声は、鈴を転がすように、優しく、甘く。子供が最も安心するような、慈愛に満ちたトーンで。


「これから、あなたの母親になりますのよ。どうぞ、よろしくて?」


 私は、そっと白い手を差し伸べた。その手には、もちろん、何の温もりも込めていない。ただ、美しい小道具として。


 リリアーナは、ビクリと肩を震わせた。

 大きな翠の瞳が、私と、隣に立つ父親アルブレヒトとを、不安げに行き来する。

 彼女は、私の差し出した手を、じっと見つめている。

 警戒している。当然だろう。しかし、同時に、私の美しさと、完璧に作り上げられた『優しさ』に、抗いがたい何かを感じているようだった。

 もしかしたら、本当に優しい母親が来てくれるかもしれない。そんな、子供らしい、儚い期待。それが、彼女の瞳の揺らぎから見て取れた。

 やがて、彼女は意を決したように、おずおずと、その小さな手を伸ばしかけた。

 その指先が、私の手に触れるか、触れないか、その瞬間――。

 私は、その瞬間を、心の中で待ち望んでいた。

 ――さあ、可愛いリリアーナ。最初の絶望を、プレゼントしてあげるわ。


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