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クララ様という、生まれて初めての『友達』ができてから、わたくしの学院生活は、少しずつ、本当に少しずつだけれど、色を取り戻し始めた。
相変わらず、他の生徒たちからの遠巻きな視線や、陰での囁きは無くなることはなかったけれど、クララ様がいつも隣で穏やかに微笑んでいてくれるだけで、以前ほど気にならなくなった。彼女の存在は、まるで冷たい石壁に差し込む一筋の陽光のように、わたくしの心を温めてくれた。
彼女は、わたくしが決して得意ではないおしゃべりにも、辛抱強く付き合ってくれ、わたくしが言葉に詰まると、決して急かすことなく、優しく助け舟を出してくれた。その細やかな気遣いが、どれほど嬉しかったことか。
アルフォンス殿下も、あの日以来、時折わたくしたちに声をかけてくださるようになった。
最初はわたくしとクララ様、二人で中庭のベンチで本を読んでいるところに、殿下が
「楽しそうだね、僕も混ぜてもらってもいいかな?」と気さくに現れる、という形だった。
殿下は、わたくしの故郷の領地の話や、わたくしが「聖女」として行った(とされている)ことについて、熱心に耳を傾けてくださった。その美しい青い瞳はいつも真剣で、わたくしの言葉を一つ一つ大切に受け止めてくれているように感じられた。
クララ様も、殿下の前では緊張しつつも、持ち前の聡明さで会話を弾ませ、わたくしは、そんな二人のやり取りを、穏やかな気持ちで聞いていることが多かった。まるで、自分が普通の貴族令嬢になれたかのような、錯覚さえ覚えた。
時折、殿下はわたくしに、「リリアーナ嬢は、どう思う?」と意見を求めてくださる。その度に、わたくしは顔を赤らめながらも、一生懸命に自分の考えを言葉にした。殿下は、そんなわたくしの拙い言葉にも、決して笑ったりせず、真摯に頷いてくださった。「君の考えは、とても興味深いね」と、優しい声で言ってくださることもあった。
殿下は、わたくしの知識の深さや、時折見せる優しさに、少しずつ惹かれ始めているのかもしれない(と自分では思ってもみなかった)――そんな、甘い、そして危険な勘違いをしてしまうほど、その時間は穏やかで、温かかった。
わたくしは、自分のあの『力』についても、クララ様にだけは、少しずつ話せるようになっていた。
サンルームでの出来事。枯れた花が蘇ったこと。そして、それが自分でもコントロールできない、得体の知れない力であることへの、消えない恐怖。
クララ様は、決してわたくしを否定したり、気味悪がったりせず、ただ静かに、真剣に聞いてくれた。
「それは……きっと、リリアーナ様の優しいお心が起こす、特別な奇跡なのですね。でも、おっしゃる通り、とても大きな力だから、慎重に扱わなければならないのかもしれませんわね。わたくしには何もできませんけれど、いつでもお話は聞きますから。一人で抱え込まないでくださいましね」
そう言って、彼女はわたくしの手を優しく握ってくれた。その温もりが、どれほどわたくしの心を慰めてくれたことか。この学院に来て、初めて、誰かに心を許せるかもしれない、と思った。
エレオノーラ様からは、週に一度、必ず手紙が届いた。
その内容は、いつも表向きはわたくしの体を気遣い、学院での生活を心配し、王太子妃としての心構えを説く、愛情深い母親からのものだった。
『リリアーナ様、王都の生活には慣れましたか? アルフォンス殿下とは、良い関係を築けていますか? あなたの素晴らしい力が、きっと殿下のお心にも届いていることでしょう。わたくしは、遠い領地から、いつもあなたの幸せを祈っていますわ。アネットからも、あなたが元気にしていると聞いて、安心しております』
でも、その美しい文字の奥からは、全てを見透かしているような、冷たい何かが感じられ、わたくしは手紙を読むたびに、一抹の不安を拭いきれなかった。アネットの監視も、もちろん一日も欠かすことなく続いている。彼女の報告が、エレオノーラ様の全ての情報源なのだ。
それでも、わたくしは、「今だけは、この幸せを信じたい」と思うようになっていた。
クララ様という、心優しい友達がいる。アルフォンス殿下も、わたくしに優しくしてくださる。
もしかしたら、本当に、わたくしにも、普通の女の子のような、穏やかで幸せな未来があるのかもしれない。エレオノーラ様の影から、逃れることができるのかもしれない。
そう、心のどこかで、ほんの少しだけ、未来に希望を持ち始めていた。この学院での日々が、ずっと、ずっと続けばいいのに、と。
それは、長く暗いトンネルの中で、ようやく見つけた、小さな小さな、そして儚い光だった。
その頃、ヴァイスハイト侯爵家のエレオノーラは、王都の別邸の優雅な執務室で、アネットからの詳細な報告書を読みながら、窓の外に広がる美しい庭園を眺めていた。
その唇には、いつものように、完璧な微笑みが浮かんでいる。
(フフ……随分と楽しそうね、リリアーナ。友達、そして王子様。まるで、おとぎ話のお姫様のようだわ。でもね、おとぎ話には、必ず『悪役』が必要でしょう? そして、その悪役が輝けば輝くほど、物語は面白くなるものよ)
彼女は、ティーカップを手に取り、その芳醇な香りを愉しんだ。
(あなたのその小さな幸せは、私がこれから用意する、もっと大きな絶望のための、ほんの序章に過ぎないのよ。さあ、そろそろ、新しい『登場人物』を舞台に上げる時間かしらね。あなたのその、儚い『幸せ』を、根こそぎ奪い去る、素敵な『ヒロイン』を……♥ フフフ、楽しみだわ。本当に、楽しみで仕方がない)
エレオノーラの瞳は、次なる計画への期待に、冷たく、そして愉悦に輝いていた。
リリアーナの束の間の幸福は、悪魔の掌の上で、より高く持ち上げられているに過ぎなかった。落ちる時の衝撃を、より大きくするために。