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わたくしが十五歳になる年の春。
領地での「聖女」としての活動――エレオノーラ様に言わせれば「ヴァイスハイト家の慈愛を広く知らしめるための、尊い奉仕」――にも、少しだけ慣れ、領民たちからの純粋な感謝の言葉に、凍りついていた心がほんの僅かに温もりを取り戻しかけていた、そんな頃。
エレオノーラ様から、その決定的な知らせがもたらされた。
「リリアーナ様、お喜びなさい。あなたと、この国の王太子であらせられるアルフォンス殿下とのご婚約が、内々にではございますが、ほぼ決定いたしましたわ」
王太子殿下……。このエーデルシュタイン王国の、次期国王となるお方。
そのお名前とわたくしの縁談については、お父様とエレオノーラ様の会話で何度か耳にし、ヴァイスハイト家の道具としてのわたくしの役割なのだと、心のどこかで諦めていた。エレオノーラ様が、わたくしの意思など関係なく、全てを進めていることも。
しかし、「ほぼ決定」という言葉の持つ現実の重みが、鈍い衝撃となってわたくしを襲った。もう、逃れられないのだと。わたくしの人生は、やはりこの人の手のひらの上で踊らされるしかないのだと。
わたくしは、言葉を失った。
「そして、それに伴い、あなたは王都の貴族学院へ入学していただきます。王太子妃となるための、必要な教養と社交術を身につけるためにね。素晴らしいでしょう?」
エレオノーラ様は、いつものように完璧な、しかしどこか悪戯っぽい光を宿した微笑みを浮かべていた。
「あなたの『聖女』としての素晴らしい名声は、すでに王都にも届いていますわ。遠い領地で疫病を癒した、慈愛深きヴァイスハイト家の令嬢としてね」
彼女は、わたくしの手を取り、その冷たい指先で優しく握りながら続ける。
「学院では、その素晴らしいお力をさらに磨き、多くの方々と親交を深めるのです。そして、アルフォンス殿下にも、あなたのその清らかな心と、類まれなる魅力を存分にお伝えしなさい。これは、王太子妃となるための、そして、あなたの輝かしい幸せのための、大切な準備期間ですわよ」
その言葉は、どこまでも甘く、優しく、わたくしの未来を心から祝福しているかのように聞こえた。
でも、わたくしは知っている。この人の言葉の裏には、必ず何かがあることを。この人の優しさは、猛毒を隠した砂糖菓子のようなものだということを。
それでも、わたくしの心には、ほんの僅かな、本当に小さな希望の光が灯っていた。
王都へ行けば。学院へ行けば。
エレオノーラ様の、この息の詰まるような屋敷と、彼女の絶対的な支配から、少しは逃れられるかもしれない。
新しい場所で、新しい出会いがあれば、わたくしのこの得体の知れない力も、本当に誰かの役に立てるのかもしれない。お母様がくれた、この力が。
そして、王太子殿下というお方は、一体どんな方なのだろう……。わたくしのような者が、本当に、そのお方の隣に立つことができるのだろうか……。
そんな淡い期待と、しかしそれ以上に大きな、底知れぬ不安を胸に、わたくしは王都へ旅立つ準備を始めた。
もちろん、専属メイドのアネットも一緒だ。彼女の、エレオノーラ様によく似た冷たい視線が、常にわたくしの一挙手一投足を監視していることも、分かっていた。
数日後、わたくしはヴァイスハイト家の紋章が黄金に輝く、豪華な大型馬車に乗っていた。
お父様とエレオノーラ様は、屋敷の壮麗な玄関で見送ってくれた。
お父様は、「リリアーナ、立派になって帰ってくるのだぞ。アルフォンス殿下によろしく伝えてくれ。くれぐれも、エレオノーラお母様に心配をかけるでないぞ」と、どこか誇らしげに、しかし釘を刺すことも忘れなかった。
エレオノーラ様は、「寂しくなりますわ、リリアーナ様。でも、あなたの輝かしい未来のためですものね。王都での生活は、きっと素晴らしいものになるでしょう。時々は、お手紙を書きますわね」と、美しいレースのハンカチで目元を押さえていた。その姿は、娘を送り出す愛情深い母親そのものだった。
しかし、その瞳の奥に、一瞬だけ、わたくしの未来を嘲笑うかのような、冷たくて鋭い光が宿ったのを、わたくは見逃さなかった。
馬車が、ゆっくりと動き出す。
遠ざかっていく屋敷を見ながら、わたくしは、新しい生活への期待よりも、これから始まるであろう新たな『ショー』への恐怖で、身を震わせるしかなかった。エレオノーラ様が、わざわざわたくしを王都へ送るのだ。そこには、必ず、何かしらの罠が仕掛けられているに違いない。
数日間の馬車の旅を経て、わたくしたちは、ついに王都アーシェンブルクに到着した。
その壮大さと華やかさは、領地の比ではなかった。
高く天にそびえる王城、白い石畳がどこまでも続く大通り、きらびやかな衣装を纏った貴族たちが談笑しながら行き交う姿、活気に満ちた商店街の喧騒……。
全てが、わたくしの目には眩しく映った。
ここが、これからわたくしが生活する場所。
ここで、わたくしは、変われるのだろうか。あの人の呪縛から、逃れられるのだろうか。
それとも……。
その華やかさの裏に潜む、冷たくて暗い影を、その時のわたくしは、まだ知る由もなかった。
ただ、胸の奥で、あの不吉な力が、新しい環境に反応するかのように、また疼き始めているのを感じていた。この力が、わたくしをどこへ導くのか、良い方へか、それとも……。