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疫病の村での出来事は、まるで翼が生えたかのように、あっという間にヴァイスハイト侯爵領内に広まった。
『ヴァイスハイト家のリリアーナ様が、触れるだけで病を癒す、奇跡の力をお持ちだ!』
『枯れた草木も、リリアーナ様がそばにいらっしゃるだけで蘇るそうだ!』
『まさに、聖女様のご降臨だ! 長年続いた日照りも、リリアーナ様のおかげで終わるかもしれない!』
噂は尾ひれをつけ、わたくしは一夜にして「ヴァイスハイト家の聖女様」として、領民たちから熱狂的な感謝と尊敬を集める存在となっていた。
村から屋敷へ戻る道中も、沿道には多くの領民が集まり、わたくしを乗せた馬車に向かって、まるで神に祈るかのように深々と頭を下げていた。その光景は、あまりにも現実離れしていて、わたくしにはまるで夢を見ているかのようだった。ただ、胸の奥が、これまで感じたことのない、不思議な温かさで満たされていくのを感じていた。
屋敷に戻ると、お父様が玄関ホールで、今か今かとわたくしの帰りを待っていた。その顔は、これまでに見たことがないほど、喜びと興奮で紅潮していた。
「リリアーナ! よくやった! 本当によくやったぞ!」
お父様は、わたくしの両肩を掴み、力強く言った。その瞳には、初めて見る、父親としての誇らしげな光が宿っていた。それは、わたくしがずっと渇望していた眼差しだった。
「お前が、そのような素晴らしい、神聖な力を持っていたとは……! ヴァイスハイト家の、いや、この国の誇りだ!」
わたくしは、お父様からの初めての、手放しの称賛に戸惑いながらも、胸の奥が、くすぐったいような、温かいような、そして少しだけ泣きたいような、不思議な感覚に満たされるのを感じた。
これが、認められるということ……? これが、誰かの役に立つということ……? わたくしのような者でも……。
エレオノーラ様も、お父様の隣で、まるで自分のことのように、その美しい瞳を潤ませて喜んでいた。
「ええ、旦那様。リリアーナ様のお力は、本当に素晴らしいものでしたわ。これこそ、天がお与えになった祝福。これで、王太子殿下への、そして王家への、何よりのアピールにもなりますわね。リリアーナ様こそ、次期王妃にふさわしい、慈愛に満ちた方だと、誰もが認めることでしょう」
彼女は、お父様をさらに喜ばせる言葉を並べ立て、そして、わたくしに向き直ると、慈愛に満ちた、この世のものとは思えないほど美しい微笑みで言った。
「リリアーナ様。あなたのその清らかな力は、多くの人々を幸せにできるのですよ。あなたは、もうご自分の価値を疑う必要はありません。これからも、その力を、正しく、そして人々のために使っていきましょうね。わたくしも、母親として、全力でお手伝いいたしますわ」
その言葉は、どこまでも優しく、甘かった。まるで、聖母の祝福のように。でも、わたくしは、その瞳の奥に、一瞬だけ、冷たい計算の光がよぎったのを見逃さなかった。しかし、その時のわたくしは、あまりにも舞い上がっていて、その些細な違和感をすぐに忘れてしまった。
その日から、わたくしの生活には、僅かな、しかし確かな変化が訪れた。
メイドたちの態度は、以前のようなあからさまな軽蔑や恐怖ではなく、どこか戸惑いと、ほんの少しの敬意が混じったものになった。すれ違い様にお辞儀をされることさえあった。
エドガー先生のレッスンも、一時的にその厳しさが和らいだ。エレオノーラ様の指示があったのだろう。「リリアーナ様は、今、大変お疲れでしょうから、少しの間、基礎的な復習に留めましょう」と。その言葉に、初めて棘がないように感じられた。
部屋に閉じ込められることもなくなり、サンルームで花々を眺めて過ごす時間が増えた。アネットも、以前よりは口数が減り、ただ黙ってわたくしの世話をするようになった。
わたくしは、この、ほんの僅かな「平穏」が、もしかしたら続くのではないかと、淡い、本当に淡い期待を抱き始めていた。
もしかしたら、エレオノーラ様も、わたくしのこの力を認めてくれて、これからは、本当の母親のように接してくれるのかもしれない……なんて、愚かで、そして甘い夢を見ていた。
しかし、わたくしは知らなかった。
エレオノーラ様が、アネットを通じて、わたくしの全ての行動、全ての心の動きを、変わらず監視し続けていることを。
わたくしが僅かでも「幸福」を感じていること、そして、わたくしのその『力』が、どのような条件下で発動し、どのような特性を持ち、そして、どのような『限界』や『副作用』――あるいは『代償』――があるのかを、冷徹に分析していることを。
そして、わたくしの知らないところで、次の、さらに巧妙で残酷な計画が、着々と進行していることを。
エレオノーラは、執務室でエドガーと密談していた。その顔には、いつもの聖母の仮面はなく、冷酷な策略家の顔があった。
「リリアーナの力は、確かに本物のようね。予想以上の効果だわ。でも、ただの『聖女』では面白くないわ。あまりにも陳腐すぎる」
「と、仰いますと、エレオノーラ様?」
エドガーが、探るように尋ねる。
「ええ。領民が一時的に救われたところで、何の価値があるというの? もっと大きな舞台で、もっと劇的に、その力を『使って』もらわないと。そして……その力が、いかに『危険』で『制御不能』であるかを、皆に知らしめる必要があるわ。聖女から魔女へ……その転落こそが、最高のエンターテイメントなのよ。王太子殿下も、きっと『聖女』には興味をお持ちでしょうけれど、『魔女』は……フフフ」
エレオノーラの唇に、いつもの、冷たく美しい、しかし悪魔のような微笑みが浮かんでいた。
わたくしの一時の陽光は、やがて来る嵐の前の、偽りの、そして計算され尽くした静けさに過ぎなかったのだ。