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 お父様との「相談」の後、エレオノーラ様は、すぐにわたくしをサンルームへ連れ出す手はずを整えた。

 「リリアーナ様、旦那様も、あなたのことを大変心配していらっしゃいますのよ。少しでも気分が晴れるようにと、今日からしばらく、午後はサンルームで過ごすことになりましたわ。お花に囲まれれば、きっとお心も癒されるでしょう」

 アネットが、いつもの無機質な笑顔でそう告げに来た。その瞳の奥には、エレオノーラ様と同じ、何かを探るような光が宿っている。

 わたくしは、何も答えなかった。どこへ行こうと、何をしようと、もうどうでもよかったから。わたくしの意思など、この屋敷では何の意味も持たないのだから。

 ただ、アネットに腕を引かれるまま、人形のように歩いた。


 南向きのガラス張りのサンルームは、屋敷の中でも特に陽光に満ち溢れた場所だった。色とりどりの花々が、まるで宝石をちりばめたように咲き乱れ、甘く、むせ返るような香りが漂っている。天井からは緑の蔦がレースのように垂れ下がり、床には柔らかな陽だまりがいくつもできていた。そこは、まるで物語に出てくる楽園の一部のようだった。

 ――しかし、今のわたくしには、その過剰なまでの美しさすら、どこか現実感のない、作り物のように感じられた。エレオノーラ様が用意した、新たな舞台装置のように。


 アネットは、わたくしをサンルームの中央に置かれた白い肘掛け椅子に座らせると、


「何かご入用でしたらお呼びくださいませ、リリアーナ様」と言って、少し離れた場所で控えた。エレオノーラ様は、まだ来ていない。おそらく、タイミングを見計らっているのだろう。


 わたくしは、ただぼんやりと、周囲の花々を眺めた。

 赤い薔薇、黄色いチューリップ、紫のパンジー……どれも完璧に手入れされ、これ以上ないほど美しく咲き誇っている。

 その中で、ふと、一際大きな鉢に植えられた、一輪の深紅のバラに目が留まった。

 それは、他の花々と違い、花びらは色褪せ、葉は力なく垂れ下がり、明らかに元気がなかった。まるで、もうすぐその命を終えようとしているかのように。周囲の華やかさの中で、その枯れかけたバラだけが、異質な存在感を放っていた。

 なぜか、その枯れかけたバラから、目が離せなかった。

 今のわたくし自身を見ているような気がして。


 わたくしは、無意識に椅子から立ち上がり、そのバラのそばへ歩み寄った。

 そして、そっと、その色褪せた、ベルベットのような手触りの花びらに、指先で触れた。

 冷たく、乾いた感触。


(可哀想に……わたくしみたい……。せめて、少しでも、安らかに……)


 そう思った瞬間、わたくしの指先から、淡い、温かい光が溢れ出したような気がした。

 それは、本当に一瞬のことで、陽光の反射だったのかもしれない。

 でも、次の瞬間、信じられないことが起こった。

 わたくしが触れていた枯れかけのバラが、まるで早送りで見ているかのように、みるみるうちに生気を取り戻し始めたのだ。

 色褪せていた花びらは、吸い込まれるような鮮やかな深紅に染まり、力なく垂れていた茎は、しゃんと背を伸ばす。そして、硬く閉じていた蕾が、ゆっくりと、しかし確実に開き始め、あっという間に、それは見事な大輪の花を咲かせた。まるで、生まれたての朝露に濡れたかのように、生き生きと、そして誇らしげに。

 サンルーム全体が、そのバラが放つ、むせ返るような甘く芳醇な香りで満たされた。


「……え……?」


 わたくしは、自分の指先と、目の前で起こった奇跡を、信じられない思いで見比べた。

 何が起こったの?

 わたくしが……やったの……?

 虚ろだったわたくしの瞳に、ほんの一瞬だけ、驚きと戸惑いの色が宿った。

 そして、それと同時に、得体の知れない恐怖が、心の底から湧き上がってきた。

 これは、何? この力は……。わたくしは、何をしたの……?


「まあ……! なんて、素晴らしい……!!」


 その時、サンルームの入り口から、鈴を転がすような、しかし今はわざとらしさしか感じない声が響いた。

 エレオノーラ様が、アネットを伴って立っていた。その顔は、驚きと感動に満ち溢れている(ように見えた)。そのタイミングは、あまりにも完璧すぎた。

 彼女は、咲き誇る深紅のバラと、呆然と立ち尽くすわたくしとを、交互に見つめている。

 アネットもまた、口に手を当て、信じられないといった表情で目を見開いていた。もちろん、それもエレオノーラ様の指示通りの演技だろう。


 エレオノーラ様は、ゆっくりとわたくしに近づいてきた。その瞳は、恍惚とした輝きを湛えている。まるで、待ち望んでいたものを見たかのように。


「リリアーナ様……! 今のは……あなたが、なさったのですか?」


 彼女は、わたくしの両手を優しく取り、その声は感動に打ち震えているようだった。


「なんて素晴らしい奇跡でしょう! あなたには、こんなにも特別な、神様からの贈り物が……! 花を、命を蘇らせる力があったのですね! ああ、リリアーナ様、あなたは選ばれた方だったのね!」


 彼女は、わたくしを称賛し、褒めそやす。その言葉は、まるで聖女を称えるかのようだ。


 でも、その言葉は、わたくしの心には少しも響かなかった。

 わたくしは、ただ戸惑い、自分の力が怖かった。

 これは、本当に『奇跡』なの? それとも……もっと、恐ろしいものの始まりなの?

 エレオノーラ様は、そんなわたくしの表情を読み取ったかのように、ふっと、その称賛のトーンを僅かに変えた。


「でも……」


 彼女は、心配そうに眉を寄せ、まるでわたくしだけに聞こえるように、小声で囁く。


「でも、リリアーナ様。この力は……少し、普通ではないようですわね。こんな力を持っているなんて、わたくし、今まで聞いたことがありませんもの。もしかしたら、これは……慎重に扱わなければならない、とても……そう、とても危険な力、なのかもしれませんわね……? もし、この力が、悪しき者の手に渡ったら……考えただけでも、恐ろしいことだわ……」


 その言葉は、甘い毒のように、わたくしの心に染み込んでいく。

 素晴らしい力。でも、普通ではない。危険な力。悪しき者。

 エレオノーラ様の瞳の奥が、また、あの冷たい光で愉しげに輝いたのを、わたくしは見逃さなかった。

 ああ、まただ。また、あの人が、わたくしの何かを、奪おうとしている。

 今度は、この得体の知れない『力』を、利用して、わたくしを、さらに深い絶望へと突き落とすために。





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