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 エレオノーラの記憶――いや、私の記憶には、この豪華な部屋にふさわしいドレスや宝飾品が、それこそ山のように詰まっていた。

 私はメイドたちを呼びつけ、その中から最も『聖母』らしく、しかし同時に、後妻としての『若さと魅力』を最大限に引き出すドレスを選ばせた。

 淡い水色の、上品なシルクのドレス。光の加減で繊細な模様が浮かび上がる。胸元には控えめながらも最高級のレースがあしらわれ、結い上げたプラチナブロンドの髪には、シンプルな真珠の髪飾りだけをつけた。やりすぎず、しかし圧倒的な存在感を放つ。それが、今の私に必要な装いだ。


 メイドたちは、うっとりとしたため息をつきながら、私の身支度を手伝う。

 その手つきは丁寧だが、どこか緊張しているのが伝わってくる。


「まあ、エレオノーラ様……本当に、月の女神様かと見紛うばかりでございます」

「旦那様も、きっとお喜びになりますわ」


 口々にお世辞を言うメイドたち。その瞳には、純粋な羨望と、そして、得体の知れないものを見るような、ほんの少しの怯えが混じっている。


(フン、分かりやすいわね。この美しさは、それだけで人を支配する力がある)


 私は内心で嘲笑いながらも、完璧な淑女の微笑みを浮かべる。

「ありがとう、皆さん。あなたたちの手際が良いおかげですわ」

 声のトーン、視線の配り方、わずかな仕草。全てが計算され尽くしている。この家を完全に支配するには、まず使用人たちを掌握すること。恐怖と、ほんの少しの『飴』。それを使い分ければ、彼女たちは私の忠実な手駒になるだろう。まずは、観察からだ。誰が使えそうで、誰が邪魔になりそうか。


 身支度が終わるのを待っていたかのように、重厚な扉がノックされた。


「エレオノーラ、入ってもいいか?」


 低く、しかしどこか甘さを含んだ声。ヴァイスハイト侯爵、アルブレヒト・フォン・ヴァイスハイト。私の、新しい『夫』だ。


「ええ、旦那様。どうぞ」


 私が答えると、扉が開かれ、壮年の男性が入ってきた。

 年の割には精悍で整った顔立ち。貴族としての威厳を感じさせる堂々たる体格。しかし、その瞳は、私を見るなり蕩けるように甘くなった。原作通りの、妻にぞっこんの侯爵様だ。


「おお、エレオノーラ……! なんて美しいんだ……!!」


 アルブレヒトは、まるで磁石に引かれるように、まっすぐに私に歩み寄り、ためらうことなく私の両手を握りしめた。その視線は、まるで希少な宝物を見るかのように熱っぽく、そして独占欲に満ちている。


(はいはい、チョロいチョロい。これなら心配いらないわね。この男は、私の意のままになる)


 私は頬をほんのり赤らめ、長いまつげを伏せ、恥じらうように視線を逸らす。もちろん、全て演技だ。前世では、こんなぶりっ子のような真似、絶対にできなかったけれど。


「まあ、旦那様……お見苦しいところを。そんなにお見つめになると、お恥ずかしいですわ」

「何を言う! 君の美しさは、この国の宝だ! いや、私だけの宝だ。君が私の妻になってくれて、本当に感謝している」


 彼は私の手の甲に、恭しく、そして情熱的にキスをする。


(感謝ねぇ……感謝してるなら、私の言うことは何でも聞いてくれるわよね? 私の『幸せ』のために)


 私はアルブレヒトを見上げ、最高の笑顔――聖母のように慈愛に満ち、同時に少女のように無垢で、それでいて女として蠱惑的な、計算され尽くした笑顔――を見せた。


「わたくしの方こそ、旦那様のような素晴らしい方にお嫁に来られて、まるで夢のようでございますわ。これから、妻として、そしてヴァイスハイト家の一員として、精一杯お仕えさせていただきます」


 心のこもっていない言葉を、いかにも真実であるかのように紡ぐ。このエレオノーラの肉体と、私の『覚悟』があれば、造作もないことだった。


 アルブレヒトは、私の言葉にさらに表情を緩ませ、満足げに頷く。


「ああ、君がいれば、このヴァイスハイト家も安泰だ。……そういえば、リリアーナには、もう会ったかな?」


 きた。本日のメインイベントへの前振りだ。

 私は一瞬、憂いを帯びた、悲しげな色を目に宿らせる(もちろん演技)。


「……いいえ、まだご挨拶も……。旦那様、わたくし、うまくやっていけるでしょうか。リリアーナ様は、まだお母様を亡くされたばかり……わたくしのような者が、新しい母親として受け入れていただけるのか……」


 不安げに、彼の逞しい胸にそっと寄り添うふりをする。か弱く、しかし健気な後妻を演出するのだ。


 アルブレヒトは、思った通り、慌てて私を慰めるように優しく抱きしめた。


「大丈夫だ、エレオノーラ! 君なら心配ない。リリアーナは……まあ、少し気難しいところがあるかもしれんが、根は悪い子ではないはずだ。君のその海のように深い優しさで接すれば、きっとあの子もすぐに心を開いてくれる」


(気難しい? 根は悪い子ではない? フフ、これから、誰もが認める『根っからの悪女』にしてあげるわよ。そして、あなたのその言葉を、心の底から後悔させてあげるわ。あなたが、あの子を信じられなくなるように、私が仕向けてあげる)


 私は彼の胸の中で、誰にも見えないように、唇の端を吊り上げた。

 そして、顔を上げると、再び聖母のような微笑みを浮かべる。瞳には、感謝の涙を薄っすらと浮かべて。


「旦那様……ありがとうございます。そのお言葉をいただけて、どれほど安心したことか。お任せくださいませ。わたくし、どんなことがあっても、リリアーナ様に尽くしますわ。本当の親子のように、なれるように……努力いたします」


 本当の親子のように、愛し、支配し、そして絶望させてあげる。

 アルブレヒトは、そんな私の本心など知る由もなく、ただただ美しく健気な妻の言葉に満足げに頷くのだった。

 ――私の計画の第二歩も、実に順調だ。次は、主役の登場を待つばかり。




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