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アネットからの報告で、リリアーナが植物に何らかの特異な影響を与えるらしいという情報を得てから数日。私は、その『力』をこの目で確かめ、そして、今後の計画にどう利用できるかを見極めるための、絶好の機会を窺っていた。
そのためには、リリアーナを、花や植物に囲まれた、彼女の力が最も発揮されやすい環境に置く必要がある。
私は、夫アルブレヒトの書斎を訪れた。
もちろん、「リリアーナ様のことで、ぜひ旦那様にご相談したいことがございまして……」と、心配と健気さを完璧に装って切り出すのが定石だ。
「旦那様、リリアーナ様も、もう十歳。あっという間にレディとしての社交界デビューの年齢を迎えますわ。そろそろ、あの子の将来について、真剣に考えて差し上げなければならない大切な時期ですわね」
私は、アルブレヒトが自ら淹れてくれた、彼の自慢の紅茶を一口いただきながら、妻として、そしてヴァイスハイト家の未来を思う者として、優雅に切り出した。
アルブレヒトは、私の言葉に、山積みの書類から顔を上げ、深い深いため息をついた。その顔には、父親としての憂鬱と、どこか面倒事を押し付けられたくないという本音が滲んでいた。実に分かりやすい男だ。
「ああ、それなんだが……エレオノーラ。君も知っての通り、今のあの子の様子を見て、そう思うか? 部屋に閉じこもり、食事もろくに摂らず、まるで生きた人形のようだ。とてもではないが、社交界に出せる状態ではないし、ましてや縁談など……正直、頭が痛い」
彼は、リリアーナに積極的に関わることを、もう完全に放棄している。私の計画通りだわ。
「だからこそですわ、旦那様」
私は、諭すように、しかしその声には隠しきれない情熱を込めて言った。彼の野心と虚栄心をくすぐるために。
「今のリリアーナ様には、何か生きる目標、輝かしい未来への希望が必要なのです。もし、夢のような素晴らしいご縁談が持ち上がるとしたら? それが、あの子の心を照らす、一筋の光になるかもしれませんわ」
「夢のような縁談……? それは、具体的にどういう……」
アルブレヒトが、僅かに身を乗り出す。食いついてきたわね。
「ええ。例えば、そう……この国の、王太子殿下とのご婚約、などはいかがでしょう?」
私は、わざと、少し悪戯っぽく、しかし真剣な眼差しで微笑んで見せた。
アルブレヒトは、飲んでいた紅茶を噴き出しそうになるほど驚いていた。
「なっ……王太子殿下と!? エレオノーラ、何を馬鹿なことを! 無論、ヴァイスハイト家は侯爵家として、王家への忠誠も厚く、不足はないが、殿下の婚約者候補には、公爵家の錚々たるご令嬢方が名を連ねていると聞く。それに、今のリリアーナでは……万が一にもあり得ん話だ!」
「不可能ではございませんわ、旦那様」
私は、アルブレヒトの手をそっと握り、彼の目を見つめ、熱っぽく語りかける。
「リリアーナ様は、お顔立ちは大変美しい。それは、誰もが認めるところですわ。今は少し……心が疲れていらっしゃるだけ。わたくしが責任をもって、殿下の隣に立つのにふさわしい、完璧な淑女に育て上げてごらんにいれます。このご縁談がまとまれば、ヴァイスハイト家の名誉は、天にも届きましょう。何より、リリアーナ様ご自身の、最高の幸せに繋がるはずですわ。あの子が、王太子妃となるのですもの!」
私の言葉は、アルブレヒトの心の奥底に眠っていた野心と、娘への(ほんの僅かな、そして都合の良い)愛情、そして何よりも私への絶対的な信頼を、巧みに刺激した。
彼は、最初は戸惑っていたものの、次第にその瞳にギラギラとした希望の光を宿し始めた。
「……君が、そこまで言うなら……。確かに、王家との縁戚関係は、我がヴァイスハイト家にとってこの上ない栄誉だ。リリアーナが……リリアーナが、本当に、君の言うように変わってくれるなら……」
(そうよ、変わるわ。あなたの望む形とは、全く違う、最高の『悪役令嬢』にね。そして、その婚約は、彼女を断罪台へ送るための、最高の舞台装置となるのよ)
私は内心でせせら笑いながら、彼に力強く同意する。
「そのためには、まず、リリアーナ様が心身ともに健やかになることが第一ですわね。心に潤いを取り戻していただかなくては」
「ええ、そうですわ!」
私は、何か素晴らしいことを思いついたかのように、軽く手を叩いてみせた。
「旦那様、この屋敷には、南向きの美しいガラス張りのサンルームがございますでしょう? あそこは、一年中陽光に満ち溢れ、色とりどりの美しい花々が咲き誇っている。あのような場所で静かに過ごせば、リリアーナ様の沈んだお心も、きっと少しは晴れますわ。お花には、人の心を癒す不思議な力がございますもの」
これが、私の本当の目的。リリアーナを、花々に囲まれた、彼女の『力』が最も発揮されやすい場所へと連れ出すための、完璧な口実。
「王太子殿下とのご婚約に向けての準備としても、まずは心を健やかにし、美しいものに触れ、豊かな情緒を育むことは大切ですわ。きっと、あの子の『治療』にも繋がります」
アルブレヒトは、私の提案に、すっかり感心した様子だった。
「おお、それは素晴らしい考えだ、エレオノーラ! さすがは君だ。リリアーナのことも、家のことも、全て君に任せて本当に良かった! 君は、まさに我が家の女神だ!」
彼は、私の手を両手で包み込み、感謝のキスを手の甲に何度も落とした。
「よし、早速リリアーナをサンルームへ。彼女の世話は、君に一任する。何でも必要なものがあれば、遠慮なく言ってくれ。全て私が手配しよう」
「ありがとうございます、旦那様。必ずや、ご期待に応えてみせますわ。リリアーナ様を、立派なレディにいたします」
私は、聖母のような、慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、アルブレヒトの書斎を後にした。
さあ、リリアーナ。あなたの『特別な力』を、存分に見せてちょうだい。そして、その力が、あなたを破滅へと導く、甘美な呪いとなることを、まだあなたは知らないのね。
フフフ……。これだから、人生は面白い。