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 アネットという名の『歪められた鏡』が、わたくしの専属メイドになってから、わたくしの心は、本当に何も感じなくなった。いや、感じないように、必死で蓋をしていたのかもしれない。

 彼女は、一日中わたくしのそばにいて、かいがいしく世話をする。でも、その言葉の一つ一つが、見えない針のようにわたくしの心をチクチクと刺し、エレオノーラ様の影を常に感じさせた。

 食事も、着替えも、全てが苦痛だった。

 わたくしは、ただ息をしているだけの、生きた人形。金網の張られた窓から見える空は、いつも鉛色をしていた。

 もう、ルビーが来ることもない。

 ただ、虚無だけが、わたくしの世界を、音もなく満たしていた。


 そんなある日、アネットが、小さな鉢植えを持って部屋に入ってきた。

 それは、数輪の小さな紫色の花をつけていたが、葉は力なくしおれ、茎は頼りなげに傾いていた。もうすぐ枯れてしまいそうな、可哀想な花。今のわたくし自身を映しているかのようだった。


「リリアーナ様、エレオノーラ様からですわ。『少しでもお部屋が明るくなればと思って』と、このお花を飾るように、と仰せでした。エレオノーラ様は、いつもリリアーナ様のことばかりお考えですのね」


 アネットは、その鉢植えを、窓辺の小さなテーブルに置いた。

 エレオノーラ様の差し金。きっと、この枯れかけた花で、わたくしの心をさらに弄ぼうというのだろう。あるいは、わたくし自身がこの花のようだ、とでも言いたいのもしれない。見せしめのように。

 わたくしは、何も言わず、ただその花を虚ろな目で見つめた。美しいとも、可哀想だとも、何も感じなかった。


 アネットは、部屋の掃除を始め、わたくしにはもう関心を払わなくなった。

 わたくしは、ベッドからゆっくりと起き上がり、まるで何かに引かれるように、ふらふらと窓辺へ歩み寄った。

 目の前の、枯れかけた紫の花。

 その、力なく垂れた花びらに、わたくしは、なぜか無意識に指先でそっと触れた。

 何も感じない。何も思わない。ただ、ほんの少しだけ、昔、北庭で白いバラに触れた時の、あの柔らかい感触を思い出したような気がした。でも、その記憶も、すぐに霧の中に溶けて消えていく。


 数時間後。アネットが、水差しを持って鉢植えに近づいた。


「あら……?」


 彼女が、小さく声を上げた。

 わたくしは、ベッドの上からぼんやりと彼女を見ていた。また何か、わたくしを貶めることでも見つけたのだろうか。


「このお花……少し、元気になったような……?」


 アネットは、不思議そうに首を傾げながら、しおれていたはずの花びらが、ほんの少しだけ上を向き、葉の色も心なしか濃くなっているのを見つめている。


「……気のせいかしら。でも、さっきまでは、もっとぐったりしていたはずなのに。水もまだあげていないのに……」


 彼女は、怪訝な顔でわたくしを一瞥したが、すぐに「まあ、いいわ。エレオノーラ様からの頂き物ですもの、枯らすわけにはいかないわね」と水やりを済ませた。


 アネットは、その時は気のせいだと思ったのかもしれない。

 でも、その数日後。彼女が、部屋の隅に飾ってあった、もう何日も誰も世話をしていなかったはずの観葉植物の葉が、不自然なほど生き生きと艶を取り戻しているのを目撃した。そして、その前日、わたくしがその植物のそばに、ただぼんやりと立っていたことを思い出した。

 アネットは、その奇妙な出来事を、些細なことまで全て、エレオノーラ様に詳しく報告した。


「――リリアーナ様が触れた、あるいはそばにいらした植物が、元気になる……ですか。それは、興味深いですわね」


 報告を聞いたエレオノーラは、その美しい唇に、意味ありげな、そしてどこか愉悦を湛えた笑みを浮かべた。


「もしかしたら、あの子には、わたくしたちの知らない『特別な力』があるのかもしれませんわね。フフ……面白いことになってきたわ。ええ、とっても」


 彼女の瞳の奥で、新たな、そしてさらに残酷で、リリアーナを社会的に抹殺するための完璧な計画が、静かに、しかし確実に芽生え始めていた。

 リリアーナの、無意識の小さな奇跡は、悪魔の手に渡る、新たな絶望の種となるのだ。それは、やがて『呪いの力』と呼ばれることになる。



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