16
ルビーが来なくなった窓を、冷たい金網越しに眺めるだけの時間が過ぎていく。
もう、わたくしの心は、何も感じなくなっていたはずだった。ただ、灰色の霧が立ち込めているだけ。
その日の夕食。わたくしは、メイドに促されるまま、まるで糸の切れた操り人形のようにダイニングルームへと向かった。
お父様と、エレオノーラ様は、もう席に着いていた。二人は、何やら楽しげに会話を交わしている。その光景は、まるで一枚の完璧な絵画のようだった。――わたくしという、汚れた染みさえなければ。
わたくしは、音も立てずに席に着き、ただ、目の前の白い皿を見つめた。
やがて、メイドたちが次々と料理を運んでくる。
スープ、魚料理……どれも、見た目は豪華だが、わたくしにはただの色と形にしか見えない。匂いも、味も、きっとしないだろう。
そして、メインディッシュが運ばれてきた。
銀の大きな大皿。その中央に鎮座していたのは……。
こんがりと、飴色に焼かれた、いくつかの、小さな、小さな鳥のローストだった。ローズマリーの緑が添えられている。
その、あまりにも小さなサイズが、わたくしの心臓を、冷たい手で鷲掴みにした。
お父様が、少し驚いたように言った。
「ほう、これは珍しいな。ずいぶんと小さい鳥だが……これは、コマドリか?」
コマドリ――その言葉に、わたくしの頭の中が、キーン、と甲高い音を立てた。
血の気が引いていく。指先が、氷のように冷たくなる。
エレオノーラ様が、にこやかに答える。その声は、いつも通り、絹のように滑らかだ。
「ええ、旦那様。腕の良い猟師が、ちょうど良い大きさのものを捕らえたと、特別に分けていただいたのですわ。とてもデリケートで、素晴らしい味だそうです。滋養にも良いそうですし、リリアーナ様も、最近食が細いようでしたから、きっと喜んでくださるかと思って、料理長にお願いしたのです」
彼女は、わたくしを見て、優しく微笑んだ。
その微笑みが、今は、どんな罵声よりも恐ろしかった。
嘘だ。
嘘だと言って。
あれが、ルビーなわけがない。
わたくしの指からパンくずをついばんでいた、あの温かい、小さな生命が、こんな、こんがりと焼かれた肉塊になっているわけがない。
でも、あの小ささ。あのタイミング。
そして何より、エレオノーラ様の、あの楽しそうな瞳。
彼女なら、やりかねない。わたくしを絶望させるためなら、どんな残酷なことでも。
胃の奥から、酸っぱいものがこみ上げてくるのを感じた。息が、できない。目の前が、チカチカする。
わたくしが恐怖に震えていると、エレオノーラ様は、まるで親切な母親のように、給仕のメイドに指示を出した。
「さあ、リリアーナ様の分も、取り分けて差し上げて。一番、美味しそうなところをね。骨まで柔らかく煮込んでありますから、きっと食べやすいですわよ」
メイドは、躊躇うことなく、一番小さな、しかし丸々と焼かれた鳥のローストを、わたくしの皿に乗せた。
目の前に置かれたそれに、わたくしはルビーのつぶらな瞳を重ねてしまい、ヒッ、と息を呑んだ。
「さあ、リリアーナ様、召し上がれ。冷めないうちに。栄養をつけないと、またお痩せになってしまいますわよ」
エレオノーラ様の声が、遠くに聞こえる。まるで、水の中から聞いているようだ。
わたくしは、震える手で、銀のフォークを握った。
でも、それを肉に突き立てることなんて、できるはずがなかった。
もし、これが本当にルビーだったら? わたくしは、友達を、食べてしまうことになる。
考えただけで、気が狂いそうだった。
「……いりません……」
かろうじて、それだけを呟いた。
「わたくし……お腹が、空いていません……。気分が、悪いのです……」
その言葉に、エレオノーラ様は、わざとらしく、悲しげに眉を寄せた。
「まあ……せっかく、あなたのために用意したのに……。わたくしの心遣いは、迷惑でしたか……?」
その姿を見て、お父様が、また怒鳴った。テーブルが僅かに揺れる。
「リリアーナ!! わがままを言うな! お母様が、病弱なお前のことを心配して、わざわざ用意してくださったのだぞ! それを無にするとは、何事だ!! 好き嫌いを言うんじゃない! 感謝して、早く食べなさい!」
食べなさい。
その言葉が、引き金になった。
わたくしは、もう耐えられなかった。
「いやあああああ!!」
わたくしは叫び声を上げ、椅子を蹴倒すようにして立ち上がり、ダイニングルームから逃げ出した。
背後で、お父様の「こら、リリアーナ!」という怒鳴り声と、エレオノーラ様の「まあ、リリアーナ様! どうなさったの!? やはり、どこかお加減が……」という、猫なで声が聞こえた。
部屋に戻り、わたくしは床に突っ伏して、胃の中のものを全て吐き出した。もう、何も残っていないはずなのに、吐き気は止まらなかった。
もう、何も信じられない。何も食べられない。
ダイニングルームでは、エレオノーラが「まあ……可哀想に。やはり、まだ心が……よほど、ショックなことがあったのでしょう。旦那様、あの子のことは、わたくしに任せてくださいませ。わたくしが、責任をもって……」と、アルブレヒトを巧みに慰めていた。
そして、アルブレヒトが心配そうにリリアーナの去った方を見ている隙に、彼女は、残された小さな鳥のローストを、フォークで優雅に一口分切り取り、まるで極上の珍味を味わうかのように、ゆっくりと、そして美味しそうに、口へと運んだのだった。
その唇には、満足げな、勝利の微笑みが浮かんでいた。
(ああ、本当にデリケートな味。リリアーナにも、食べさせてあげたかったわ……フフフ)