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 ソフィア様からの手紙が途絶え、わたくしの世界は、本当に、完全な沈黙と、底なしの孤独に包まれた。

 もう、誰にも期待しない。何も望まない。

 ただ、息をしているだけの毎日。まるで、ガラスケースの中に閉じ込められた、動かない人形のように。

 そんなある日、わたくしの部屋の窓辺に、一羽の小さな小鳥がやってくるようになった。

 胸のところが燃えるような赤色をした、可愛らしいコマドリだった。

 最初は遠くからこちらを窺っていたけれど、わたくしが窓辺でじっと動かないでいると、少しずつ近づいてきて、ついには開け放たれた窓(それだけが唯一、外と繋がる場所だった)から部屋の中に入り、窓枠にとまるようになった。

 その黒くつぶらな瞳は、わたくしをじっと見つめているようだった。そこには、エレオノーラ様のような悪意も、メイドたちのような好奇心や軽蔑も、お父様のような失望もなかった。ただ、無垢な生命の光があるだけだった。


 わたくしは、食事で残ったパン――ほとんど手を付けていないパン――を小さくちぎり、窓枠に置いてみた。

 最初は警戒していた小鳥も、やがて、トントン、と軽やかに近づいてきて、パンくずを小さなくちばしでついばみ始めた。その仕草が、たまらなく愛おしかった。

 それから毎日、小鳥はやってくるようになった。

 日を追うごとに警戒心は薄れ、ある日、わたくしが指先にパンくずを乗せて差し出すと、恐る恐る、しかし確かに、わたくしの指から直接パンくずをついばんだ。

 小さなくちばしが指先に触れた瞬間、わたくしの、もう何も感じなくなったはずの心に、チクリと、小さな温もりが灯った気がした。まるで、凍った湖の表面に、陽だまりができたように。

 この小鳥だけが、わたくしをありのままに見てくれる、唯一の友達だった。わたくしは、その鳥に「ルビー」と名付けた。


 わたくしは知らなかった。

 そんなささやかな交流さえも、あの人の冷たい目に監視されていたことを。

 部屋の外から、あるいは庭の茂みから、エレオノーラ様の手先となったメイドが、あるいは彼女自身が、その光景をじっと観察し、その全てを把握していたことを。


 ある日の午後、エレオノーラ様が、厳しい顔つきで部屋に入ってきた。その後ろには、大きな金網を持った使用人の男が二人、控えている。その異様な光景に、わたくしの心臓は嫌な音を立てて縮み上がった。


「リリアーナ様」


 彼女は、わたくしが座っていた窓辺を、顎でしゃくって指さした。ちょうど、ルビーがやってきて、わたくしの指からパンくずをついばもうとしていた時だった。ルビーは、エレオノーラ様の声に驚いて、さっと飛び去ってしまった。


「窓辺に、鳥のフンが落ちていましたわ。不潔ですこと」


 そんなものは、なかったはずだ。わたくしは毎日、誰にも気づかれないように綺麗にしていたから。でも、彼女が言うなら、それは『真実』になるのだ。メイドたちも、きっと口裏を合わせるだろう。


「それに、野生の鳥は、どのような病気を持っているか分かりません。侯爵令嬢がそのようなものと触れ合うのは、衛生的にも、そしてヴァイスハイト家の令嬢としての立場的にも、大変問題がありますわ。もし、あなたが病気にでもなったら、旦那様がどれほどご心配なさるか。お分かり?」


 その口調は、いつもの優しい仮面をかなぐり捨てた、冷たく厳しいものだった。それは、わたくしを心配しているのではなく、ただ非難しているだけだった。


 わたくしが何かを言う前に、彼女は後ろの使用人たちに命じた。


「その窓に、金網を取り付けなさい。鳥一羽、虫一匹、入ってこれないように、きっちりと」


 使用人たちは、無表情に頷き、手際よく窓枠に目の細かい金網を取り付け始めた。

 カン、カン、と釘を打つ音が、わたくしの心臓に、まるで杭を打ち込むかのように響く。


「やめて……」


 声は、出なかった。もう、抵抗する力なんて、どこにも残っていなかった。ただ、その残酷な光景を、見ていることしかできない。

 やがて、窓は完全に、冷たい金属の網で覆われてしまった。外の光さえ、格子状に遮られて見える。わたくしの部屋は、本当の檻になった。


「これで、もう汚い鳥は入ってこれませんわね。あなたの健康のためなのですよ、リリアーナ様。感謝してくださらないと」


 エレオノーラ様は、満足げに微笑んだ。


 その日の夕方。

 いつものように、ルビーが窓辺にやってきた。

 でも、もう中には入れない。

 ルビーは、金網の前で戸惑ったように首を傾げ、チチッ、と悲しげにさえずった。わたくしを呼んでいるようだった。

 わたくしは、金網に額を押し付け、ただ、その姿を見つめた。

 金網が、ひんやりと冷たい。

 ルビーは、しばらくの間、諦めきれないように窓の周りを飛び回っていたが、やがて力尽きたように、どこかへ飛び去っていった。もう、二度と来ることはないだろう。

 わたくしの、最後の友達。最後の温もり。それも、今、完全に断ち切られた。

 窓の外の夕焼けが、まるで世界が終わるかのように、不吉なほど赤く見えた。

 わたくしは、もう何も感じなかった。

 ただ、冷たい金網の感触だけが、そこにあった。心も、体も、全てが冷たかった。


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