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ミッドナイト・ブレイカーD×M(デモンズ×メモリー)  作者: 一条信輝


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71/119

71話:学園の仮面舞踏会

舞踏会――それは、日常を一夜だけ忘れるための魔法の時間。

 仮面をつけ、名を捨て、誰でもない自分になれる夜。


 マユにとって、その舞台は不安の象徴でもありました。

 けれど、ミナミ・エリナの差し出す仮面は、ただの飾りではなく、“安心して触れ合える距離”をつくるためのものだったのです。


 仮面越しに心を交わし、言葉以上の何かが届く夜。

 そしてその静けさの中で、再び“異変”の気配が忍び寄ります。


 “誰にも気づかれない揺らぎ”は、果たして夢の残り香か、それとも――。

午後の教室に、紙細工の仮面が風に揺れていた。


 窓際に吊るされたそれは、今夜行われる“仮装舞踏会”の準備の一部だ。

 金と銀、紅と藍、さまざまな色彩で装飾された仮面たちが、揺れながら光を反射している。


 「……やっぱり、きみには“これ”が似合うと思うの」


 そう言って、ミナミ・エリナは一枚の仮面を差し出した。

 白を基調に、左目の周囲だけを深い青で縁取り、中央には銀糸で羽根が刺繍されている。


 マユはその仮面をじっと見つめる。

 受け取るでもなく、断るでもなく――ただ、見つめていた。


 「……舞踏会、なんて」


 ぼそりと呟くその声は、ほんのわずかに苦味を含んでいた。


 エリナは少し肩をすくめた。


 「非日常のごっこ遊び。苦手、よね?」


 マユは何も答えなかった。

 それが肯定なのか否定なのか、あるいはただの沈黙なのかもわからない。


 エリナは仮面を引っ込めず、むしろもう一歩、彼との距離を詰める。


 「でも、“仮面”っていいと思わない? 本当の顔を隠せる。だからこそ……本当のこと、話せる時もあるの」


 マユのまなざしがわずかに揺れた。

 “本当のこと”――その言葉が、彼のどこかを触れたようだった。


 「私は……あなたが何を隠しているか、やっぱり知りたいって思ってる。でも、無理に暴こうとはしないよ。だから、せめて――“仮面越し”にでも、向き合いたい」


 静かな言葉だった。

 けれど、エリナの声には不思議な“力”があった。


 それは、命令でも懇願でもなく、“信頼”に似ていた。


 「……僕は」


 マユが言いかけたそのとき。


 廊下の向こうから、笑い声が聞こえてきた。


 生徒たちが舞踏会用の衣装を抱えて、わいわいと駆けていく。


 この時期の仮装舞踏会は、学園の伝統行事だ。

 参加は任意とはいえ、例年出席率は高く、社交的な場が苦手な者でも「仮面の下ならば」と足を運ぶ生徒も多いという。


 マユは小さく目を伏せた。


 「……僕が、そこにいていい場だとは、思えない」


 「どうして?」


 エリナは問う。


 それは、優しくも真っ直ぐな問いだった。


 「あなたがいる場所が“日常”になってる人、もう何人もいるよ」


 「……」


 「私だってそのひとり。マユ、あなたがいてくれるから安心できる。守られてるとかじゃなくて、なんていうか……ちゃんと、地面に足がついてる感じがするの」


 マユは、言葉を失っていた。


 こういうとき、どう返せばいいかがわからない。

 受け入れてしまえば、何かを壊してしまいそうで――けれど、拒めば、何かを失う気がした。


 そんな彼の迷いを知ってか知らずか、エリナはふっと笑った。


 「まぁ、無理にとは言わない。でも、もしも行きたくなったら――これ、持ってきて。待ってるから」


 そう言って、彼女は再び仮面を差し出す。


 今度は強引に握らせることも、懇願することもせず、机の上にそっと置いて、振り返った。


 「じゃあ、またあとで」


 エリナのスカートが揺れ、軽やかな足音が廊下へと消えていった。


 教室に残されたマユは、机の上の仮面を見つめたまま、微動だにしなかった。


     ◆


 夕方。


 仮面は、まだそこにあった。


 誰にも踏み込まれていない、マユの机の上。

 まるで、“選択”そのものを試すかのように、そこにあった。


 空は藍色に染まり、学園の正面玄関では準備が着々と進められている。

 屋内ホールには舞踏用の曲が流れ、ライトの調整が繰り返される。


 仮面。音楽。仮装。沈黙。


 誰もが“誰でもないふり”をする夜。


 マユはゆっくりと仮面に指を伸ばした。


 感触は冷たい。


 けれど――その冷たさが、かえって心地よかった。


 「……仮面、越しに、か」


 ひとりごちたその声は、誰にも聞こえない。


 彼の背後にある空席たちは、ただ静かに沈黙を守っていた。


 やがて彼は、ゆっくりと立ち上がる。


 仮面を手に取り、ジャケットを羽織った。


 自分が何者かを隠すために。

 自分が、ほんの少しだけ、誰かに触れるために。


 彼は、光と音の満ちる夜の学園へと――歩き出した。

照明の落ちた学園ホールは、まるで別世界のようだった。


 赤絨毯の通路、壁面を彩る金糸のカーテン、そして仮面をまとった生徒たちの笑い声と音楽。

 ワルツの旋律が空間を包み、いつもの学園とは違う時間が流れている。


 誰もが仮面をつけ、名乗らず、距離と礼節を守っている。

 そこには、身分も所属もなく、ただ「今、ここにいる」だけの関係性が漂っていた。


 マユは、会場の隅に立っていた。


 白地に青い羽根の刺繍が施された仮面。

 それをつけた彼の顔は、半分が影に沈み、表情はわからない。


 けれど、瞳だけが――どこか、戸惑いを帯びていた。


 視線の先で、生徒たちは軽やかに踊り、笑い、互いの仮面を称え合っていた。


 「……場違いだな」


 低く呟いたその声を、音楽は掻き消す。


 それでも、ほんのわずかに肩の力が抜けていたのは――この空間が、“誰でもない者”を許容してくれる夜だからだった。


 「ようこそ、仮面の君」


 突然、声がかかった。


 マユが顔を上げると、そこにいたのは――


 淡い紅のドレスに身を包み、白銀の仮面をつけた一人の少女。


 その口元に笑みを浮かべながら、彼女は小さく会釈をした。


 声に聞き覚えがあった。


 けれど、名を呼ばなかった。


 この夜、名前は交わさない。


 それが、この舞踏会の“ルール”だ。


 「少し、お時間いただけますか?」


 その言葉に、マユは一瞬だけ迷った。


 だが、頷いた。


 ふたりは、ホールの片隅――観葉植物の影に隠れた、仄暗いテラスのような一角へと歩みを移す。


 音楽は遠のき、代わりに夜風が頬を撫でる。


 そこは、喧騒から一歩離れた、静かな宙吊りの場所だった。


 「……この仮面、やっぱり似合ってる」


 少女は、微笑むように言った。


 マユは仮面越しに彼女を見つめた。


 「君が、選んだのか」


 「うん。選んだ、というか――贈ったの」


 風にスカートが揺れる。


 「仮面の下の顔を、私は知らない。あなたも、きっと私のことをわかってない。……でもそれでいいと思うの」


 「……どうして」


 「だって、仮面があるから話せることって、あると思うから」


 マユは目を伏せる。


 何もかもが、夢のようだった。


 現実感がない。

 けれど――だからこそ、口にできることもある。


 「……僕は、怖いんだ」


 「何が?」


 「人と話すことも、触れることも……全部が、“壊れる前提”に思えて」


 「壊れるのが、嫌なんだね」


 彼女の声は優しかった。


 「でも、壊れる前に何かを築けたら? それが“思い出”になるなら――少しだけ、楽にならない?」


 「楽……か」


 マユは、言葉を詰まらせた。


 風が吹く。


 木々の葉がさざめく音が、仮面の内側にまで届く。


 「君は、強いんだな」


 「そう思う? 私は……仮面の下で泣いたり、怖がったり、ずっとしてるよ」


 彼女は、ふっと笑った。


 「でも、誰かと話したいって思う気持ちは――それ以上に、強かった」


 マユの視線が、仮面越しに彼女を捉える。


 その距離が、ほんの少しだけ近づいた。


 「……僕は、間違えるかもしれない」


 「間違えたら、もう一回話して。何度でも」


 「怖くなったら」


 「仮面をつけたままでいい。……私は、いるから」


 沈黙。


 だがその沈黙は、重くなかった。


 ただ、穏やかに夜風と共にあった。


 「ありがとう」


 それだけを、マユは言った。


 彼女は何も返さず、ただゆっくりと手を差し出した。


 踊るための手ではない。

 言葉の代わりに、“ここにいる”と伝える仕草だった。


 マユはその手を取らなかった。

 けれど、一歩だけ、彼女に近づいた。


 その足音だけで、彼の答えは伝わっていた。


 音楽が再び強くなり、舞踏会の時間が進んでいく。


 ふたりはもう、言葉を交わさなかった。


 けれどその時間こそが、互いの記憶に深く刻まれる“対話”だった。


 ――仮面越しに心を交わす、一夜限りの沈黙。


 それは、素顔よりもずっと近くて、やさしいものだった。

舞踏会は、終わりに近づいていた。


 会場の音楽はゆるやかなテンポへと変わり、踊る者たちの動きも、どこか余韻を引きずるように静かになっていく。

 光が落ち着き、仮面の影が長く伸びる。


 夜の終わりを、誰もがほんの少し名残惜しむ――そんな空気が、会場をゆるやかに包んでいた。


 マユはまだ、ホールの隅にいた。


 踊るわけでもなく、誰かと話すわけでもない。

 ただ、壁にもたれかかるようにして、仮面の下から人々を見つめていた。


 さまざまな仮面が行き交う。


 狐、道化、騎士、天使、そして無地の白い仮面。

 それぞれが何者にもなりきり、そして何者でもないふりをして、今夜だけの“他人”を演じていた。


 「……不思議なものだな」


 マユはぽつりと呟く。


 顔を隠しているのに、むしろ皆が自然体に見えた。


 仮面があることで守られ、だからこそ踏み出せる“心”があるのかもしれない。

 そんなことを、彼はぼんやりと思った。


 そのときだった。


 「……一曲だけ、踊ってくれませんか?」


 背後から、やさしい声が響いた。


 振り返ると、そこには――

 白銀の仮面をつけた少女がいた。

 淡い紅のドレス。柔らかく波打つ髪。先ほど、言葉を交わした“彼女”だ。


 エリナだ、とマユはわかっていた。


 だが彼女は名乗らず、仮面を外さず、そしてそっと手を差し出した。


 マユは一度だけその手を見る。

 迷いのない手。けれど、押しつけがましさのない、まっすぐな誘い。


 「……一曲だけ」


 そう答えたのは、仮面の下の自分ではなく――

 仮面をつけた“今の自分”だった。


 ふたりはホールの中央へ出る。


 誰にも注目されないように、端のほうで、ゆっくりと足を動かす。

 軽やかなワルツ。四拍子のリズム。


 マユは踊り慣れていない。


 けれど、彼女の導きは穏やかで、優しかった。


 仮面越しに目が合うたび、どこか、呼吸が合っていくのがわかった。


 言葉を交わさなくても、たしかに“会話”はあった。


 沈黙の中で、互いの温度を感じ合う時間。


 マユの手に伝わる指先の感触。

 その繋がりが、仮面の存在を忘れさせるほど、確かなものだった。


 「ねえ……仮面って、ちょっと魔法みたいよね」


 踊りながら、彼女がぽつりと言う。


 「魔法?」


 「うん。顔を隠してるのに、なぜか心が見える気がする。仮面があるから、素直になれることって……あるんだね」


 マユは答えなかった。


 けれどその手の力が、ほんの少しだけ強くなった。


 エリナもそれに気づいたのか、仮面の奥で微笑んだ気配がした。


     ◆


 曲が終わり、ふたりはホールの縁へ戻った。


 誰にも気づかれぬように、そっと手を離す。


 「ありがとう」


 エリナが言った。


 「……こっちこそ」


 それだけを返して、マユは仮面を直そうと手を上げ――その時だった。


 会場の天井が、きしんだ。


 音楽が、ふっと止まる。


 生徒たちがざわめきを上げる中――照明が、わずかに“揺れた”。


 空気が、歪んだ。


 マユは即座に察知する。


 (……空間のひずみ。これは、結界の再干渉……)


 ただの電気トラブルではない。


 先日の“裂け目”と同じ――あるいは、より小規模な“試し”だ。


 ホールの中央では、すでに教師のひとりが「気にしないでください」と呼びかけている。


 だが、マユの皮膚感覚が、確かにそれを“違う”と告げていた。


 異界の残滓が、ほんのわずかにこの場に忍び込んでいる。


 ――けれど、すぐには動けなかった。


 仮面をつけたままでは、マユ=“特別な力を持つ者”であることが露呈しかねない。


 (ここで動けば、疑われる。今は……)


 ふと、視線を感じる。


 エリナが見ていた。


 仮面越しに、何もかも見透かしたように。


 彼女は何も言わなかった。


 けれど、その視線がマユの心を揺らす。


 “気づいている”。

 “でも、あなたが選ぶまで待っている”。


 そんな、静かな意志。


 マユは、息を深く吸い込んだ。


 手は、動かなかった。


 代わりに、目を閉じた。


 仮面の奥で、ひとつの覚悟が芽生えた。


 ――“沈黙”を守るために仮面をつけてきた。

 でも、もしかしたら、仮面の下から“声”を届けることもできるのかもしれない。


 静かに、夜が更けていく。


 舞踏会は、何事もなかったかのように再開された。


 けれどマユの中では、確かに何かが変わり始めていた。

仮面舞踏会が終わった。


 ワルツの調べが消え、灯りがひとつ、またひとつと落ちていく。

 赤と金に彩られた会場が、徐々に現実へと戻されていく。


 生徒たちは、まるで魔法が解けたかのように仮面を外し、制服や日常へと戻っていった。


 マユは、最後まで仮面を外さなかった。


 静かなまま、ホールの片隅に立ち尽くしていた。

 白と青の仮面が、今も顔の半分を覆っている。


 終わったはずの音楽の“余韻”が、なぜか耳に残っていた。


 (……仮面が、軽い)


 つけたときには重く感じたそれは、今はむしろ自分の一部になっていた。

 まるで、素顔よりも自然に呼吸できるような感覚。


 けれど――もう、終わりだ。


 マユは仮面の縁にそっと手を添え、ゆっくりと外した。


 皮膚が空気に触れ、冷たくなる。


 ああ、これが“現実”だと、静かに実感する。


 「お疲れさま」


 声がした。


 振り返ると、エリナがそこにいた。


 今度は、仮面をつけていない。


 その素顔は、昼と同じく、穏やかで――けれど、どこかほっとしたような表情をしていた。


 「……どうだった? 仮面の夜は」


 「不思議な夜だった」


 マユはそう答え、仮面を両手で持ったまま、胸の前に抱えた。


 「でも、嫌じゃなかった。むしろ……楽しかったのかもしれない」


 「うん、それならよかった」


 エリナは、舞踏会の名残のように広がる照明の光を見上げた。


 「私ね、最初は仮面なんてつけるの、意味がないって思ってたの」


 「……仮面の下に、嘘を隠せるから?」


 「そう。でも逆だった。隠してるのに、むしろ素直になれる。

  マユが、今夜みたいに話してくれるなんて……正直、驚いた」


 マユは小さく笑う。


 「僕も、驚いてる」


 「じゃあ、これからは――仮面なしでも、少しずつ話してくれる?」


 その問いに、マユは一瞬だけ黙った。


 そして、仮面をそっとエリナに差し出す。


 「預かってほしい。……たぶん、もう使わないから」


 エリナはそれを受け取り、ぎゅっと胸に抱いた。


 「わかった。これは“約束”ね」


 ふたりは、言葉を交わさぬまま微笑みあった。


     ◆


 舞踏会の終わったホールには、誰もいなかった。


 清掃の気配もまだ届かない、ほんのわずかな静寂。


 マユは、最後にもう一度会場を見渡してから出口へ向かう。


 その途中――ふと、何かに足が止まる。


 空気が、また少しだけ“揺れて”いた。


 誰にも気づかれなかったわずかな異変。


 壁際の装飾に飾られていた羽根飾りが、誰の動きもないのに揺れていた。


 (……まだ、残ってる)


 さっきの歪みは消えてなどいなかった。

 ただ、沈んで、潜んでいるだけ。


 “記憶を喰らう影”の気配――いや、もっと別の“気配”が微かに漂っていた。


 マユはすぐに結界探知式を展開することはせず、ただ、その場に一歩だけ立ち止まって気配を見送る。


 まだ“学園内”に何かがいる。


 それは確かだった。


 (……今は、追わない)


 仮面を外した今、自分がどう動くべきかは――もう少し考えたい。

 それが、彼の中で生まれた“変化”だった。


 “すべてを一人で抱えずに”。

 それが、エリナと交わした仮面越しの約束の、真意。


 マユは再び歩き出す。


 ホールを出て、夜の校舎へと。


 道の先には月明かりが射し、夜風が廊下を吹き抜ける音が、やけに遠く聞こえた。


     ◆


 翌朝、エリナは自分の机の引き出しを開けて、驚いた。


 仮面が、丁寧に包まれて戻されていた。


 その隣に、小さな紙片が一枚。


 《ありがとう。また話そう》


 それはマユの筆跡だった。


 ほんの一言。けれど、誰よりも勇気のこもった言葉。


 エリナはそれを胸にしまい、仮面をそっと撫でる。


 “仮面越し”でつながったふたりの距離は――

 もう、仮面がなくても壊れない。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


 第71話『学園の仮面舞踏会』は、“沈黙”の多い一話でした。

 けれどその沈黙の中には、これまで以上に“心の対話”が詰まっていたと思います。


 マユにとって、仮面は「逃げ道」であると同時に、「向き合うための手段」でもありました。

 そしてエリナは、強く押すのではなく、ただ“そばにいる”という選択で彼に寄り添ってくれました。


 ふたりの距離がようやく動き出したその裏で、“異界の気配”はまた一歩、日常へと滲み出ています。

 次回はその“静かな侵食”が現実として顕在化する回になります。


 仮面を外したマユが、次に見つける“答え”とは。

 どうぞ第72話も、お楽しみに。

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