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ミッドナイト・ブレイカーD×M(デモンズ×メモリー)  作者: 一条信輝


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70/119

70話:エリナの問い、マユの黙

学園祭が終わり、ゆるやかに“日常”が戻ったように見える学園。

 けれど、何も変わっていないわけではありません。


 ミナミ・エリナは、言葉ではなく“気配”でマユの変化を感じ取り、彼に静かに向き合おうとします。

 今回は、そんな彼女の誠実な問いかけが、マユの沈黙に小さな“ゆらぎ”を生むエピソード。


 同時に、マユの内側で膨らみつつある不安と、再び忍び寄る異界の兆し――

 “日常”の裏にある“静かな侵食”が、少しずつ姿を見せ始めます。


 マユとエリナ、そして新たな登場人物・カスミ。

 それぞれの立ち位置と覚悟が、交錯し始める回をお楽しみください。

学園の庭園に、初夏の陽光が柔らかく差し込んでいた。花壇のチューリップはもう色褪せ、代わって紫陽花が小さな蕾を膨らませている。


 昼休みの中庭には人影がまばらで、旧校舎裏のベンチだけが風に溶け込むように静かだった。


 そのベンチに、マユの姿があった。黒髪が肩口でゆれている。制服の上着は脱いでいて、膝に開いた手帳へとペンを走らせていた。


 まるで世界から切り離されたような、孤立した輪郭。


 「……ここにいると思った」


 声をかけたのは、エリナだった。


 セミロングの髪を軽くまとめ、風に揺れるスカートを抑えながら、彼女はマユの隣へと腰を下ろした。


 「学園祭から、もう二週間経ったわよ?」


 マユは返事をしない。ただ、手帳の文字を最後まで書き切るように、丁寧に線を閉じる。


 「……なのに、あれから……あなた、また距離を取るようになった」


 彼女の声には、怒りや責める色はなかった。ただ、何かを探るような――触れたいけど、触れられないものを前にした、ためらいの気配があった。


 エリナは少しだけ身を乗り出す。


 「別に、無理に話してほしいわけじゃないの。ただ、あの時、舞台裏で見たあなたの目を……私は、忘れられないの」


 マユの目は、手帳から動かない。けれどその瞳は、今は何も映していないようにも見えた。


 「あの目は、全部を見ていて……全部、背負っていて……それでも、何も言わないって決めてるようだった」


 静かな沈黙が流れる。


 「私たち、いつも“何か”から守られてる。でも、もしそれが……あなたの犠牲の上に成り立ってるのなら、それは違うって思う」


 マユはようやく手帳を閉じ、ペンをキャップで覆った。膝の上にそれらを揃えて置くと、淡く光る瞳をゆっくりと彼女へ向けた。


 「ミナミさん。君は、なぜそんなに……僕に関わろうとする?」


 その声は、静かで、低く、どこか脆さを含んでいた。


 エリナは一瞬驚いたように見えたが、すぐに柔らかく笑った。


 「理由なんて、なきゃダメ?」


 マユの視線がわずかに揺れる。


 「“理由”じゃない。“気づいちゃった”だけ。あなたが、たった一人で何かを抱えてることに」


 彼女は胸の前で手を組んで、ゆっくりと息を吐いた。


 「私には、それが……もう、黙って見てるだけじゃ耐えられなかった」


 マユは目を伏せる。


 その睫毛の影に、何かを隠すように。


 「……君には、関係ないことだよ」


 「そう言うと思った」


 エリナの声は、まっすぐだった。


 「でもね、関係なくても、“一緒にいたい”って思ったら、いてもいいでしょ?」


 マユの手が、手帳の角をゆるく握りしめる。


 「あなたの過去も、記憶も、私にはわからない。でも、いまのあなたには……触れられる」


 マユの喉が小さく上下する。何かを飲み込むようにして、沈黙する。


 「あなたの周囲にある“影”。わたしには見えない。でも、確かに感じる。だったら……せめて“見えるところ”に、私がいてもいいじゃない」


 風が吹き抜け、ベンチの周囲にある木の葉がさざめいた。


 沈黙――けれど、それは拒絶の沈黙ではなかった。


 マユの口元が、わずかに緩む。声が漏れる。


 「君は、強いね」


 「そんなことない」


 エリナは首を横に振った。


 「泣くし、迷うし、あなたにどう思われるかも……怖い。でも、逃げたくないだけ」


 その言葉に、マユは微かに目を細める。まるで、その思いをどこか懐かしむかのように。


 「今日のところは、これで終わり。でも、また来るわ。勝手にね」


 エリナは立ち上がった。マユは目でその姿を追う。


 「……またね」


 彼女の後ろ姿が、旧校舎の角を曲がって消えていく。


 マユは、手帳を見つめる。書かれた文字は、風にさらわれそうな細い言葉ばかりだ。


 けれど、その余白に残る温もりだけが――いつまでも、彼の膝の上に残っていた。

その夜、マユは寮の自室でひとり、机に向かっていた。


 灯りは落とし、窓から差し込む街灯の光だけが室内を淡く照らしている。


 手帳は閉じられたまま、開いているのは古びた書物だった。


 背表紙は擦り切れ、ページの縁には手垢が残る。


 それでも彼は、まるで聖典を扱うような手つきで、ゆっくりと一枚ずつめくっていた。


 中には図形と文字が重なりあい、異界語と思しき文が淡墨で書かれている。


 「……繰り返される干渉、重なる軌跡……」


 マユの唇が、無音に近いささやきで文字をなぞる。


 それは“結界”と“裂け目”に関する記述だった。


 彼が夜な夜な書き写し続けてきた、旧校舎地下にある《魔導記録石》の転写と解読。


 「前回と、符号が一致しない……ズレてる」


 小さく呟くその声に、かすかな苛立ちがにじむ。


 まるで、見えない誰かとの会話を切り取ったような、断片的な響き。


 マユは額を押さえ、深く息を吐いた。


 ――今夜もまた、わからない。


 “あの裂け目”が開いたのは、偶然ではない。


 それは“誰か”の意志によって引き寄せられ、学園に現出したものだった。


 そして、裂け目から現れた“影”――あれは、ただの魔物ではない。


 《記憶》を喰らい、意思を蝕む“異界の使い”。


 マユは、その本質に勘づいていた。


 けれど証拠も、証人もない。


 それが――彼が黙っている理由。


 「……誰かに話したところで、信じてもらえるはずがない」


 それに、下手に知識を漏らせば、危険が及ぶのは“彼女たち”だ。


 エリナもレオも。


 明るく、真っ直ぐで、誰かを思いやることに迷いのない人たち。


 だからこそ、巻き込んではならない。


 マユは無意識に、胸元に手を添えた。


 その下にある――《ラグナ》との契約刻印が、かすかに熱を帯びる。


 (俺だけで、いい)


 その思いを胸の奥に沈めると、マユはゆっくりと立ち上がった。


 窓を開ける。


 夜風が室内を撫で、書物のページをぱらぱらと捲っていく。


 冷気とともに、微かな“揺らぎ”が入り込んだ。


 ……チリ、と音がした。


 部屋の空間が、ほんのわずかに歪んだのだ。


 目を凝らさねば気づけないほどの、微細なひび割れ。


 けれどマユの瞳は、それを確かに捉えていた。


 「また……だ」


 窓の外、旧校舎の影――その輪郭が、ほんの数秒だけ“ぶれて”見えた。


 “結界のノイズ”。


 異界からの干渉が、日常空間にわずかに浸透してきた証。


 それは、学園祭の夜以来の現象だった。


 「……思ったより、早いな」


 マユは静かに呟いた。


 だが、その声音には焦りではなく、どこか諦めに似た響きがあった。


 そのとき――彼の脳裏に、今日の昼の光景がよぎった。


 エリナの言葉。


 「関係なくても、“一緒にいたい”って思ったら、いてもいいでしょ?」


 「いまのあなたには、触れられる」


 マユの指先が、机の上に置かれた手帳に伸びる。


 けれど触れることはなく、ただその表紙に指を添えた。


 ……きっと彼女は、また明日も来るだろう。


 何も答えていないのに、まるで返事を受け取ったかのように。


 マユは視線を落とし、夜の帳の中へと、もう一度息を吐いた。


 “自分の世界”と“他者の世界”の間にある、見えない壁。


 そこに手をかけてしまったエリナに、彼は――まだ何も返せていない。


 けれどその沈黙は、少しずつ何かを変え始めていた。


 「……せめて、もう少しだけ」


 呟きは、自分に向けたものだった。


 そして同時に、誰かへの小さな誓いでもあった。


 マユは窓を閉め、再び机の前に座る。


 指先は筆記具に伸びず、ただ、静かに両手を重ねた。


 外では、風が木々を揺らし続けている。


 その風に乗って、どこか遠くから――“記憶の焼ける匂い”が、ほんの一瞬だけ、漂ってきた。

午前二時。


 学園は深い眠りに沈んでいた。


 人工灯の落ちた廊下には、人の気配もなく、かすかな風が窓の隙間から吹き込むだけだった。


 だが、その“静けさ”の底に――確かに、異質な気配が混じり始めていた。


 旧校舎裏手の防犯用結界に、微細な亀裂が走る。


 それは肉眼では見えないほどの薄い膜の歪み。


 けれど、それを“感じる”者には、痛いほど明白だった。


 マユは、夜の学園内を音もなく歩いていた。


 ジャケットを着込み、手には小さな結界探知の装置を握っている。


 周囲の空気が重い。


 吐く息が、夜の冷気で白く曇る。


 「……ここまで来たか」


 彼は旧校舎裏の階段下で立ち止まった。


 普段は誰も使わない非常口の鉄扉が、わずかに揺れている。


 風ではない。何かが――内側から干渉しているのだ。


 マユは腰に装着した細身の筒から、短剣を引き抜いた。


 それは《ラグナ》とは異なる、儀礼用の封呪短剣。


 刻印された紋様が、結界の波動に反応し、かすかに光る。


 「裂け目の再接触……ここに絞られてる。やはり、起点は……」


 その時。


 空間が一瞬、きしんだ。


 ミシ、という音では表せない――構造そのものが“捩れる”ような感覚。


 そして、鉄扉の奥にある闇が――“こちら”を見た。


 マユの足元を吹き抜ける風が、急激に温度を下げる。


 夜の静寂を裂くように、空間のひび割れから“何か”が滲み出てきた。


 影。


 濃密な闇の塊が、音もなく床に染み出し、徐々に形を帯びていく。


 人の形に似ているようで、そうではない。


 足も、腕も、ある。だがそれらは滑らかすぎて、まるで液体を人型に保っているようだった。


 「また、お前か」


 マユは呟いた。


 以前に戦った、“記憶を喰らう影”。


 その性質を、彼は知っている。


 完全に現出する前に封じるか、力の核を断つしかない。


 だが、今回は違った。


 影の輪郭が、明らかに“安定している”。


 ……成長している。


 (進化……している?)


 目に見えない緊張が、マユの背中を這い上がる。


 影は床を這いながら、鉄扉を押し開けて外へ出ようとしていた。


 「待て」


 マユが短剣を逆手に構え、走り出す。


 彼の足音が廊下に反響する。その速さに、影も動きを止めた。


 一瞬、互いの“間”が凍りつく。


 そして次の瞬間――


 マユが踏み込む。


 封呪短剣を閃かせ、影の核心に向けて振り下ろす。


 刃が闇を裂き、短く火花を散らす。


 が――


 影は跳ねた。


 ありえない速度で。


 マユの腕をすり抜け、壁を垂直に駆け上がる。


 「ッ……!」


 視界を翻し、追う。


 影は階上へ逃げるのではなく――なぜか、学園の裏手、森の中へと滑り込んでいく。


 (なぜ“外”へ? 目撃者を……? いや、もっと別の――)


 追わねばならない。


 だがその時、マユの足が止まる。


 気配。


 まるで空間ごと呼吸を止めたような――“視線”を感じた。


 誰かが、こちらを見ている。


 ……いや、違う。


 “こちらを、知っている”。


 マユは背筋を強ばらせ、振り返る。


 だが、そこには誰もいなかった。


 ただ、静かにざわめく木々の影と、崩れかけた石段が、月光に照らされているだけだった。


 (誰かが……来ている)


 そう思った瞬間、背中にひやりとした感覚が這い上がった。


 その場に立ち尽くす。


 短剣を下ろせない。


 今、この場に“別の気配”がある。


 それは影とは異なる、“人に近い何か”。


 言葉にできない感覚だった。


 “懐かしさ”と“怒り”と“哀しみ”がない交ぜになったような、不協和音。


 結界の綻び。


 そしてそれに呼応する、“誰か”。


 (……繋がりが、広がっている)


 マユは、そっと呼吸を整える。


 これは、ひとつの予兆にすぎない。


 本番は――これからだ。


 「……止めなきゃ」


 呟いたその声は、誰にも届かない。


 けれど、月だけが静かにそれを見ていた。


 その光は、冷たく。どこまでも遠かった。

森に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


 草木の匂いに混じって、鉄のような苦い気配が漂っている。


 夜露が落ちる音すら聞こえるほどの静寂――けれど、その沈黙の中には、確かに“動いている”ものがある。


 マユは短剣を手に、木々の間をすり抜ける。


 足音は消すように、呼吸は浅く、目線は常に前方へ。


 先ほどの“影”が残した痕跡は、目視では判別できない。


 だが、彼の皮膚感覚は知っている。あの“存在”が触れた空気は、微細な粒子を震わせて残っている。


 右へ。左へ。そして奥へ――。


 風が止まった。


 葉の揺れが消え、空間そのものが、息をひそめる。


 「……いる」


 マユは呟いた。


 視界の先。枯れ木の間、崩れかけた旧外灯の根元に、影が“膨らんで”いた。


 さっきの“個体”とは違う。


 より黒く、より滑らかに、より“意志を持っている”。


 人型とは呼べない異形――むしろ、“誰かの影”が具現化したような形。


 「適応、早いな」


 そのままでは学園の外へ流出する。誰かに取り憑く可能性すらある。


 マユは左手を開いた。


 淡く、白銀の光が掌に灯る。


 《封絶式・第一段階》。簡易の聖封を“結界の代わり”として展開する陣式。


 魔力を使うそれは、周囲に探知される危険を孕むが――もう、選べる余地はない。


 「動くな」


 マユが短剣を突きつけ、一歩踏み出したその時。


 「下がって!」


 不意に、木々の向こうから鋭い声が飛んだ。


 同時に、銀の閃光が空を裂く。


 それは“矢”だった。


 風を裂いたそれは影の本体へ一直線に飛び、鋭く打ち込まれた。


 闇が爆ぜる。


 影が軋むようにのたうち、空間が悲鳴のように軋んだ。


 「……誰だ」


 マユが振り返る。


 木の間から姿を現したのは――


 一人の少女だった。


 制服の上から黒いマントを羽織り、銀髪を夜風にたなびかせている。


 目元を覆うようなスコープ型の眼鏡をかけ、手には細身の弓。


 「夜間出歩き、校則違反ですよ」


 その声には余裕があった。


 マユは訝しげに眉をひそめる。


 「……君、は……ミズハラ……カスミ?」


 「よくご存知で」


 カスミはにこりともせず、足元の影にもう一本の矢をつがえた。


 「あなた、ずっと何か探ってましたよね。学園の中で」


 「……観察されていたのは、こちらか」


 「互い様じゃないですか。私も少し“見える”だけです」


 影が身をよじらせるように揺れる。


 それは痛みではなく、再構築。


 「まずい、再生成する気か」


 マユは短剣を構え、カスミも矢を引いた。


 「じゃあ、連携します?」


 「君、どこまでやれる」


 「正面は苦手。でも、封印なら多少……」


 「十分だ。囮は僕が引き受ける」


 影が跳ねた。


 瞬間、マユが地面を蹴る。


 黒い軌道を描くようにして影が飛びかかるが、彼はその一歩先を読んでいた。


 「――そこだッ!」


 短剣が闇を裂く。影がひび割れたように弾け、空間が歪む。


 そこに、矢が滑り込むように飛んだ。


 「《封鎖・かんぬき》!」


 カスミの放った矢が、影の中心核へと突き刺さる。


 光が走る。封印術式が連鎖し、空間ごと“封じ込め”が始まる。


 影は最後にひときわ大きな呻きを残し――消えた。


 空気が、緩んだ。


 夜風が戻り、葉のざわめきが静かに蘇る。


 「……終わった、のか」


 マユが肩で息をする。カスミは弓を背に収めた。


 「しばらくは、ね。でもこれは前触れです。もっと……変わっていく」


 「……君は、なぜここに?」


 マユの問いに、カスミは小さく首を傾げる。


 「理由なんて……あっ、言わせませんよ。“気づいちゃっただけ”って」


 その台詞に、マユは目を見開いた。


 カスミは笑うことなく、そっと言葉を添えた。


 「あなたの周囲、動きすぎです。――ほっとけませんよ」


 月が、ふたりの間に降りてきたかのような、静かな白光を落とした。


 この夜、確かに“誰か”が踏み込んできた。


 マユの世界に。


 そして、それはきっと、もう後戻りのできない始まりだった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


 第70話は、タイトル通り“問い”と“黙”を主軸に置いた静かな回でしたが、

 それゆえに、言葉の重みや感情の温度が大きく動いた一話だったと思います。


 エリナの「ただ、いたい」という言葉は、過去の“頼って”という訴えとは違い、

 “答えを求めない関わり”として、マユにとっても初めてのかたちだったはずです。


 一方、物語の裏では――

 結界の綻び、影の進化、そして新たに現れた銀髪の少女・ミズハラ・カスミ。


 彼女の登場は、今後の展開において重要な“視点の拡張”となる予定です。

 マユだけでは見切れなかった領域に、新たな光が当たることになります。


 次回は、いよいよ異界との接触がより明確になっていく第71話『名もなき影の理由わけ』。


 そして、マユが“沈黙”の先に選ぶ最初の「言葉」とは――。


 どうぞ、次回もよろしくお願いいたします。

皆さまの「評価」や「ポイント」、「ブックマーク」が、執筆の大きな励みになります。

もし少しでも続きを読みたいと感じていただけたら、どうか応援の一声をいただけますと幸いです。

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