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ミッドナイト・ブレイカーD×M(デモンズ×メモリー)  作者: 一条信輝


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55話:記憶に残る、唐揚げの匂い

文化祭が終わり、校舎に静けさが戻ってきた放課後――。

唐揚げを揚げるエリナのもとを訪れたマユは、ふとした会話の中で“残された何か”の存在に気づいていきます。

声ではない、姿でもない、けれど確かに近くにいる。

そんな“気配”をめぐるエピソードが、今回の物語の中心です。


記憶という曖昧なものと、心に残る想いとの間にある繊細な揺れを、どうぞ最後まで見届けてください。

秋の空気は、どこか湿り気を帯びていた。

 日が傾きかけた午後、空は高く、灰色を帯びた雲がゆるやかに流れている。

 学園祭が終わったあとの校庭には、まだ模擬店のテントの骨組みが残されていて、風が吹くたびにカサリと布が鳴った。熱気も喧騒もすでに過去のものとなり、代わりに落ち葉がゆっくりと舞い、誰もいないステージに影を落としている。


 かつての賑わいが嘘のように静まり返ったその場所で、マユは一人、剣を抜いていた。

 制服の裾が秋風に揺れ、吐く息はわずかに白く、季節の深まりを告げている。


 かつてユウの声が宿っていたその剣は、いまや沈黙そのものだった。

 けれど、マユの手は躊躇わない。剣を振るう腕には迷いがなく、鍛錬の動きは日々を経てなお洗練され、呼吸と気配が剣気に溶け合っている。

 一太刀、一太刀――それは剣士としての祈りにも似ていた。


 ……本当に、いなくなったんだな。


 心の中で誰にも聞こえぬ独白をしながら、マユは剣を静かに振り下ろした。

 乾いた風が舞い、樹々のざわめきが応える。それはまるで、失われた声に代わる、自然の返事のようだった。


 「……はっ!」


 短く息を吐き、足を返す。空斬りから返し斬り、踏み込みと抜き足。流れるような一連の動作の中で、マユの身体はかつてないほど研ぎ澄まされていた。

 その動きは、かつての“彼女”――〈契約の魔女〉との戦いで得た感覚を思い出させる。

 学園祭の夕暮れ、声の狩人たちが学園を襲撃し、空間が歪んだ戦場で、マユはユウと心を重ねながら剣を振るった。

 あの時、彼は剣士として初めて命を賭した。


 『背中を預けて』

 『私も一緒に戦う』

 『あなたの剣に、私の声を重ねて』


 記憶の奥から、かすかに響く少女の声。

 あの日々は確かに存在した――けれど、それを証明するものは、今や何ひとつ残っていない。

 剣の奥からも、もう何も聞こえない。ユウの声も、笑顔も、夢のように遠い。


 ……いや、本当に“いない”のか?

 声が聞こえないのは、彼女が消えたからじゃない。

 自分の心が、それを恐れて閉ざしているだけなんじゃないか?


 ふと、そんな錯覚に囚われて、マユは足を止めた。

 沈黙。風が止まり、世界がひとつの問いに耳を澄ませているようだった。


 「……弱いな」


 誰に言うでもなく、自分を罵るように呟いたその瞬間――

 ふいに、遠くから声が聞こえた。


 「マユ〜! 唐揚げの試作、まだ冷蔵庫にあるって!」


 それは、エリナの声だった。

 マユは驚いたように振り返り、手にした剣をそっと鞘に収める。


 「……あいつ、まだあれ作ってたのか……」


 エリナは、マユが落ち込むたびに決まって“文化祭の味”を思い出させようとする。

 学園の中に残された“日常”を、守るように提示してくるのだ。


 声を失った今、マユにはその優しさが、かえって刺さるように感じられるときもある。

 けれど、今日は――少しだけ、温かかった。


 (あの日も、唐揚げを食べながら笑ってたよな)


 思い返せば、ユウの声がはっきり聞こえたのも、エリナや仲間たちと過ごした何気ない放課後だった。

 何も起こらない、ただ笑い合える時間。

 その日常が、何よりも彼女を近くに感じさせた。


 「あとで行くって、伝えといてくれ」


 声を張るでもなく、呟くように。

 だがその声は、確かに空へと届いていった。


 マユの背後、木漏れ日が差し込む木陰。

 そこには誰もいない。

 だが、風が一瞬だけ止まり、枝葉がそっと揺れた。


 まるで、何かが――声なき“誰か”が、返事をしたかのように。

理科準備室の隣にある小さな調理室は、もともと料理部と家庭科のために使われていた場所だった。今はもう使われる機会も少なくなり、窓枠には古いカーテンがかかり、床には粉じんの跡がわずかに残っている。


 西日が斜めに差し込み、ステンレス製の流し台を鈍く、そしてあたたかく照らしていた。光はまるで、過ぎ去った祭の名残をすくい上げるように、部屋の空気を柔らかく染めていた。


 その中央で、エリナがひとり、白いエプロンの紐をきゅっと縛っていた。

 目の前のボウルには、漬け込まれた鶏肉が控えている。そこからほんのり漂う甘じょっぱい香りが、空間を満たしていた。


 「はぁ……思ったより焦げやすいなあ。低温でじっくり、だっけ……」


 揚げ鍋に目を凝らしながら、小さく息を吐く。温度計の針がじわじわと上がるのを見つめる彼女の顔には、真剣な表情と、ほんの少しの不安が浮かんでいた。


 唐揚げは、ただの料理じゃない。あの文化祭の日、マユと、レオと、そして――確かに“そこにいた”誰かと一緒に過ごした、大切な記憶の味だった。


 もう、ユウの声は聞こえない。気配も感じない。それでも、マユのなかに何かが残っているのなら……この味が、再び彼女を“今”へ繋げてくれるかもしれない。


 そんな想いを込めて、今日もまた、彼女は鍋の前に立っている。


 ドアが静かに軋み、開いた。


 「……あ、来た」


 振り返ると、マユが制服姿のまま立っていた。額には汗が浮かび、呼吸が少しだけ荒い。剣を振っていたのだろう――その姿に、エリナはどこか安心したような笑顔を見せた。


 「唐揚げ、まだ試作中?」


 「うん、ちょっとだけ味変えてみた。今日は黒胡椒多め」


 「ふーん……文化祭のは、ちょっと甘かったしな」


 マユが流し台に近づき、油の中を覗き込む。ぷくぷくと揚がる唐揚げの衣が、黄金色に色づいていく。香ばしい匂いがふわりと鼻をくすぐり、マユは思わず目を細めた。


 「なんか……あの時より、香りが濃い気がする」


 「そりゃあ、今日は一人分だからね。文化祭じゃ何百人分も作ったから、あれはちょっと手抜きだったかも」


 冗談めかしたエリナの声に、マユは鼻を鳴らして笑った。その笑いには、少しだけ昔の色が戻っていた。


 「なあ、エリナ……」


 「ん?」


 「オレさ、“もういない”って、ずっと思ってた」


 エリナの手が、唐揚げを裏返す動作とともに、そっと止まる。


 「声も聞こえないし、気配もない。だから、あのときのことも……全部、消えたんだって」


 言葉は落ちていく。

 油のはじける音だけが、ふたりの間に沈黙を繋ぎとめていた。


 「でも今日さ、風が、返事をくれたような気がしたんだ」


 マユは視線を鍋の奥に落としながら、ぽつりと呟いた。


 「誰もいないはずの場所で、剣を振ってたら……ふと、背中を押された気がした。“今のそれ、いいね”って……そんな感じの、気配」


 エリナは、少し目を伏せたあと、ゆっくりとマユの方を見た。


 「それってきっと……残ってるんだよ。全部じゃないかもしれないけど、ゼロじゃない」


 「……“残ってる”?」


 「うん。声じゃなくても、想いとか、空気とか。思い出せないなら、思い出すまでの間に、ちゃんと届いてる何かがあるってこと」


 マユは、口元を引き結んだ。忘れてしまったはずの“何か”に、そっと手を伸ばすように。


 「文化祭のとき、覚えてる?」


 「……オレと、エリナと、レオで唐揚げ揚げて……お前、粉まみれになってたな」


 「そうそう。それと、剣に声が響いた瞬間。あれってきっと、あの時“一緒にいた”ってことなんだよ。名前も、顔も思い出せなくなっても――いたんだよ、ちゃんと」


 マユの胸に、ほんのわずかだが確かな熱が宿る。


 「……ありがとな、エリナ」


 「お礼は、味で返してね!」


 そう言って、彼女は唐揚げを一つ、皿にそっと移した。

 揚げたての香りと熱が、マユの顔を優しく包む。


 マユはそれを指でつまみ、軽く息を吹きかけてから、一口で頬張った。


 「……ああ」


 甘さのあとに、ピリリと黒胡椒の刺激が残る。それはまるで、優しさの余韻のなかにある小さな痛みのようだった。

 けれど、その痛みもまた――誰かの想いの証なのだと思えた。


 「うまい」


 その一言に、エリナはほんの少し、肩の力を抜くように笑った。

唐揚げの残り香が、まだ調理室の隅にかすかに漂っている。


マユは出入り口付近に立ち、窓の外に広がる夕闇をじっと見つめていた。空はすっかり群青に染まり、学園の校舎にも夜の帳が降り始めている。グラウンドの隅に立つ骨組みだけのテントが、風に揺れてきしむ音が、沈黙のなかで微かに響いていた。


「ねえ、マユ」


油を片付けていたエリナが、ふと声をかけた。


「ん」


「……まだ、あの“声”を探してるの?」


問いかけは優しく、でもどこか確信めいていた。


マユは答えず、目を伏せる。


「声というか……残ってる気がするだけ。理屈じゃない。何かが……傍にいるような」


その言葉には、迷いが滲んでいた。

曖昧で確かで、掴みきれない感覚。それは夢の記憶をたぐるようで、どこか現実味を帯びていた。


「私ね、思うんだ」


エリナは水道の蛇口をひねり、すすぎながら静かに言葉を継いだ。


「全部を思い出すことが、正しいわけじゃないんじゃないかって」


「どういう意味?」


「名前とか、顔とか、記憶が曖昧でも……“心”が覚えてることってあるでしょ? あのとき大事だった、誰かと一緒にいたっていう気持ちとか」


マユはゆっくりと視線を戻し、静かに頷いた。


「……確かに、名前も姿も曖昧だ。でも、不思議と“誰か”がいたことだけはわかるんだ。戦ってたとき、背中を預けてた“何か”がいた気がする」


「それで十分だよ」


エリナは笑った。照れ隠しでも慰めでもなく、確かな実感として。


「全部思い出せなくても、心に残る気配があるなら――その人は、消えてなんかいないって思う。少なくとも私は、そう信じてる」


マユの心に、小さな灯がともるような感覚があった。


「……ありがとな」


「またそれ? お礼は食べてからって言ったでしょ」


エリナは照れたように笑って、皿に一つ唐揚げをのせた。


「次はもっと辛くする? 記憶に残るくらい、びしっとね」


「……ああ、いいな。それ。忘れられない味ってやつだ」


調理室に少しだけ笑いが戻ったそのときだった。


――カツン。


外の廊下から、乾いた足音のようなものが聞こえた。


「……この時間に?」


エリナが眉をひそめた。


「生徒はもう誰もいないはずだ」


マユは身を翻し、調理室のドアを静かに開ける。

外に目を向けると、誰の姿もない。だが、廊下の空気がわずかに揺れていた。


「……風か?」


そう呟いた瞬間、非常階段の踊り場――その奥に、白い“何か”が揺れた。


まるで、そこにあるはずのないカーテンが、誰かの気配に反応したかのように。


「エリナ、少し見てくる」


「マユ、待って!」


制止の声を背に、マユは剣を手にし、廊下へと踏み出した。


夜の学園。その中に、確かに“あの気配”がある。


あの戦いの中で感じた、言葉を持たない“存在”――それが、今また近づいている気がしていた。

階段の踊り場に続く廊下は、ひどく静かだった。

 

 マユの足音だけが、まるで世界から取り残されたように響く。調理室から離れるにつれ、温かな匂いも、エリナの気配も遠のいていく。その代わりに、胸の奥で小さな鼓動が、じりじりと強まっていった。


 ――間違いない。誰かがいた。


 見間違いじゃない。気のせいでもない。

 あの白く揺れる“何か”は、風に揺れる布ではなかった。意志のようなものが、そこにあった。


 マユは剣の柄にそっと手を添えた。けれど、それを抜くことはしなかった。敵意を向けるには、まだ確信が足りない。……だが、もしそれが“彼女”なら。


 “彼女”――


 思考が一瞬、曖昧に途切れた。


 そこに誰がいたのか。名も、姿も、はっきりと思い出せない。けれど、剣を振るった夜。背中を預けた気配。戦いの中で確かにあった、寄り添うような“存在”。


 その影だけが、記憶の縁に引っかかっている。


 非常階段の手前で、マユは歩を止めた。


 夕暮れの名残が窓にかすかに滲み、踊り場全体を蒼白く染めている。風の通らない場所なのに、空気はゆらめいていた。まるで、そこに立つ何かを隠すかのように。


 「……いるのか?」


 低く問いかけた声が、空間に溶けていく。

 返事はなかった。


 それでも、マユは確信した。ここに、“気配”がある。


 彼は、ゆっくりと階段に足を踏み入れた。段差を一段、また一段と降りるたび、空気が密度を増していく。夜の静けさとは違う、別の意味での“重さ”が、この空間を支配していた。


 そして――


 そのときだった。


 視界の端に、また“白”が揺れた。

 次の瞬間、マユの体が勝手に反応していた。


 跳ねるように身を翻し、後ろ手に剣を抜く。


 ザァンッ!


 空を切る音が、闇に火花を走らせる。だが、その刹那――風が吹いた。


 その風は、斬られることを恐れないまま、マユの頬を撫でて通り過ぎていった。


 「……!」


 瞬間、胸の奥が疼いた。


 それは痛みではない。むしろ、懐かしさに近い感覚だった。

 剣を収めると、彼の視線が一段下に降りる。そこには、誰の姿もなかった。


 けれど、踊り場の壁には、白く細い指のような痕が一瞬だけ浮かび、風と共に消えた。


 「……なんなんだよ、これ……」


 呟いた声に、誰も応えない。だが、階段に差す月明かりが、まるで答えるようにきらめいていた。


 マユは静かに息を吐き、階段を上がっていった。

 

 戻る途中、ふと振り返る。


 誰もいない踊り場。けれど、確かに“いた”。そう思わせる痕跡は、心に焼きついていた。


 調理室へと戻ると、エリナが心配そうに出迎えた。


 「誰か……いたの?」


 マユはしばらく黙っていたが、やがて静かに首を振った。


 「いや……姿は見えなかった。でも……」


 「でも?」


 「気配はあった。確かに、誰かがそこにいた。見えなくても、声がなくても――」


 言葉にしていくうちに、マユの表情が少しだけ変わっていった。

 喪失ではなく、再会のような、不思議な安堵がそこにあった。


 「きっと、また会える気がする。……形が変わっても、声じゃなくても」


 エリナはしばらく黙って、ゆっくりと頷いた。


 「うん、そうだね」


 静かな夜の調理室。

 唐揚げの香りはすでに消えていたが、代わりに、もう一つの“記憶”がそこに残った。


 それは、目に見えない誰かと、確かに交わした何かの証。


 マユは窓の外を見た。グラウンドの端、月明かりの中、テントの骨組みが風に揺れていた。


 その風が、どこか優しかった。

今回のエピソードでは、マユとエリナの静かなやり取りの中に、“喪失”と“再会”が同居するような空気を込めました。

完全に思い出せないけれど、確かに感じる。

名前すら忘れてしまった“誰か”が、それでも心の中に残っている――そんなテーマです。


そして夜の校舎、階段の踊り場でマユが感じた“気配”は、きっと読者のみなさんの想像力を借りて完成する場面だと思います。


唐揚げの残り香、沈黙の中で交わされた優しさ。

小さな余韻を楽しんでいただけたなら、うれしいです。


次回も、どうぞよろしくお願いします。

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もし少しでも続きを読みたいと感じていただけたら、どうか応援の一声をいただけますと幸いです。

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