3話:記録なき咆哮、世界に刻め
名を奪われた少年が、ついに咆哮する――!
『ミッドナイト・ブレイカー D×M』第3話、
今回、真夜は「神に仕える討滅者」と真正面からぶつかります。
存在を消されても、否定されても、
それでも“生きている”と証明するために。
彼が手にしたのは、紅蓮の咆哮《ラグナ=スロート》!
初めての戦い、初めての一撃、そして――
世界に名前を刻む、最初の戦場を見届けてください!
朝が来ていた。けれど、陽は昇っていなかった。
空を覆う分厚い雲は、夜の名残を留めたまま沈み、
廃れた礼拝堂の天井からは、ほんのわずかな冷気が落ちてきていた。
神代真夜は、冷え切った石床に腰を下ろし、
その手にある一本の剣を静かに見つめていた。
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剣は折れていたはずだった。
錆び、刃こぼれし、廃棄された鉄屑のようだったはずだ。
けれど今、彼の手にあるそれは――
紅蓮の紋様を宿し、まるで“命”のように脈動していた。
《ラグナ=スロート》
それが、彼の剣につけられた“呼び名”。
神の選定から外され、世界から存在を抹消された少年が、
封じられた魔女との契約によって得た、災厄の刃。
剣は静かに鼓動していた。
熱を持っているのに、冷たい。
鋭さを秘めているのに、まだ眠っているような――そんな気配だった。
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「……なぁ、俺はさ」
真夜は、誰に言うでもなく呟いた。
「このまま……どこまで行けるんだろうな」
答えは返ってこなかった。
ただ、剣が心臓の鼓動に合わせて、わずかに震えた。
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そのとき、背後からかすかな気配がした。
「おはよう、真夜」
ルーナだった。
ゆるくまとめた銀髪に、半分崩れかけた薄布のローブ。
足音はまるで風のように軽く、気配も薄い。
けれど、その瞳だけは、真っ直ぐに彼を見ていた。
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「……あぁ。起こしちゃったか?」
「ううん。目が覚めたら、魔力の気配があなたから流れてて……」
ルーナはそっと彼の隣に腰を下ろした。
石の冷たさを感じさせない仕草だった。
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「昨日のこと、ちゃんと覚えてる?」
真夜は苦笑しながら、剣に目を落とした。
「……忘れるわけない。
まさか、あんな形で“契約”するとは思わなかったけどな」
ルーナは小さく微笑んだ。
その笑みは、昨日よりも少しだけ柔らかく見えた。
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「契約の影響、出てない?」
「少し、身体が軽くなった気がする。けど……なんか変な感じだ。
この剣が、俺の中の何かを揺らしてくるというか……」
「それが“共鳴”よ。
あなたの感情や記憶に、ラグナの残響が反応してるの」
「……お前の中にも、何か変化あったのか?」
「少しだけ。
……封印が解けたことで、ずっと閉じ込めてた記憶が浮かんできてる」
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ルーナの指先が、無意識に胸元をなぞった。
かつて術式で縛られていた場所。
そこには、今も薄く紅の痕が残っている。
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「まだ全部は思い出せていないけど……
でも、わかったの。
私、ずっと“誰かと繋がること”を望んでたんだって」
「……俺もだよ」
真夜は静かに呟いた。
「誰かに名前を呼ばれるだけで、
自分が“ここにいる”って感じられる。
それが、どれだけ……救いになるか、初めて知った」
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ルーナは驚いたように目を見開いた。
そして、ほんのわずかに肩を寄せた。
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「……でもね、真夜。
もうすぐ、来るわよ」
「来るって?」
「“神殿の使い”。
私が封じられていた場所を壊した契約反応。
あれは、きっともう、彼らの術式網に検知されてる」
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真夜は、剣を握る手に力を込めた。
昨日までなら、戦う理由なんてなかった。
けれど今は――違う。
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「逃げられない、ってことか」
「ううん。
“拒否される”のよ、存在ごと」
「……なら、抗うだけだ」
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真夜は立ち上がった。
ルーナもまた、すっと立ち上がり、彼の隣に並ぶ。
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「俺は、まだ何も持ってない。
けど――この剣があって、お前がいる。
それだけで十分、戦う理由にはなる」
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「それって……少し、恥ずかしいわよ?」
ルーナはそう言いながら、どこかうれしそうに笑った。
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その時だった。
礼拝堂の外。
風が止まり、空気が張り詰める。
何かが、こちらに向かってきている。
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神が遣わす、“処理者”。
名を持たぬ少年と、封印を破った魔女に向けられた、最初の審判が。
外壁が崩れ落ちた瞬間、
礼拝堂の静寂が打ち砕かれた。
砕けた石の破片が宙を舞い、
灰色の光がその中を貫いてゆく。
そこに現れたのは、ひとりの男――
全身を白銀の魔装で包み、背中には浮遊する六枚の術式翼。
無表情のまま、蒼い眼差しで真夜たちを見下ろしていた。
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「対象確認――封印対象:ルーナ=フリューゲル。
契約者識別:神代真夜。
分類:神敵。
任務開始――排除対象、確定」
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空気が一気に張りつめる。
その言葉ひとつで、この場が“戦場”に変わった。
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「っ、セイント・スクリバー……!」
ルーナが低く息を呑む。
「聖刻装者」。神殿に仕える排除特化の異能部隊。
神の命によって、“災厄”とみなされた存在を“記録ごと消す”ために作られた兵器だ。
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「やれるか、真夜……?」
「……やるしかねぇだろ」
真夜は静かに立ち上がった。
剣を構え、相手の圧力に真っ向から向き合う。
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「――ならば行動開始」
聖刻装者が右手を掲げた。
瞬間、空間が割れる。
幾重にも重なる魔法陣が展開され、無数の光の矢が姿を現した。
神威術式――審判の千矢。
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「真夜、避けて――っ!」
ルーナが叫ぶ。
だが、真夜は一歩も退かなかった。
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「名を奪った神に、逃げる姿を見せたら――
……“俺がここにいる”って証明できねぇだろ」
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そして、深く、静かに息を吸った。
胸の奥から、熱が立ち昇る。
契約の記憶。
孤独の咆哮。
名前を叫んだ夜の、あの焔が――再び、目覚める。
⸻
真夜は、剣を掲げた。
刃こぼれした鉄剣に、紅蓮の紋様が灯る。
脈動と共に、刻印が腕に走り、空気を焦がし始めた。
祝詞が、口から溢れた。
⸻
「――我が魂に宿りし、灼熱の咆哮よ。
忘却の神々よ、聞くがいい。
名を奪い、記録を消し、存在を否定したその報い、
焔となりて、汝らの天に刻まん。
契約は成された。魂と魂、血と誓いは交わされた。
目覚めよ、封ぜられし紅蓮の竜――
《ラグナ=スロート》!
炎にて告げよ。
我こそは、夜を喰らいし“存在なき者”なり――!!」
⸻
その瞬間、剣が咆哮した。
紅蓮の焔が爆ぜ、天井を突き破る。
折れた剣の先に、形を持たぬ“炎の刃”が伸びた。
世界の理にすら従わぬ、災厄の象徴――紅蓮剣《ラグナ=スロート》、第一律解放。
⸻
襲い来る光の矢が、真夜へと殺到する。
だが――
「来いよ、神の使い。
この刃で、俺という“存在”を刻み込んでやる――!!」
⸻
焔が走った。
刹那、真夜の踏み込みと共に、紅の残光が弧を描く。
灼熱が空間を斬り裂き、無数の光の矢が剣風に呑まれて消し飛ぶ。
⸻
遠く、神殿の観測室で、
水晶盤が悲鳴のように割れる。
「ラグナ=スロート、顕現確認。
覚醒段階――第一律。
対象再分類:“災厄の器”。危険度、S+。”
焔が、咆哮を上げた。
紅蓮の剣――《ラグナ=スロート》第一律が発動した瞬間、
礼拝堂を満たしていた冷たい空気は一変し、
空間そのものが、灼けるように軋み始める。
⸻
「距離、再調整……敵性魔力、想定外……!」
聖刻装者の音声は、感情のない機械のようだった。
けれどその手は高速で印を描き、
背後の六枚の術式翼が再び輝く。
空中に浮かび上がる、新たな魔法陣。
それは、先程の《ヘイロース・ブレイズ》よりも規模が大きい。
⸻
「……こいつ、まだ上があるのかよ」
真夜は、肩で息をしながら剣を構えた。
第一律の負荷は大きい。
けれど、心の奥に宿る焔が、それ以上の熱を生み出し続けている。
⸻
「真夜、足止めなら私がやるわ!」
ルーナの声が飛ぶ。
魔術式が展開され、空中に無数の“封具の鎖”が編み出されていく。
それはまるで、闇に咲く銀の花。
美しさと破壊力を兼ねた、彼女独自の術式だった。
⸻
「【封鎖術式展開――“幻滅ノ鎖”】」
術式が完成した瞬間、
敵の足元から空間が歪み、
拘束結界が一気に収縮する。
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「行動制限、確認――三秒」
冷たい声が応じたと同時に、真夜は跳び出していた。
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「三秒あれば、十分だ」
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一歩、踏み込むたびに、地面が灼ける。
紅蓮の焔が風を纏い、空気を切り裂く。
敵は、反応できない。
拘束され、術式を張ることもできない。
⸻
「この一撃で、俺の“存在”を刻む!」
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剣が、光を裂いた。
真夜の身体は炎の矢と化し、
聖刻装者の術式翼を、真横から斬り裂く。
焔の刃は、術式そのものを喰らう。
構造ごと燃え尽き、抵抗も悲鳴も許さず、ただ赤く飲み込むだけ。
⸻
「対抗術式、展開不可……記録、削除される……」
その言葉を最後に、
敵の身体は紅蓮に包まれ、
やがてゆっくりと空気の粒子へと還っていった。
⸻
真夜は、まだ剣を構えたまま立ち尽くしていた。
空気が重い。
呼吸が熱い。
けれど、不思議と身体の芯は冷えていなかった。
⸻
(……本当に、俺が……)
目の前にいたのは、神の剣を持つ討滅の執行者。
世界の“理”を守る側の存在だった。
それを、自分は真正面から斬り伏せた。
⸻
「真夜!」
ルーナの声が響く。
彼女は、焔の余熱に頬を赤らめながら駆け寄ってくる。
⸻
「大丈夫……?」
「ああ、なんとか。
……剣が、導いてくれたよ」
真夜は、ゆっくりとラグナ=スロートを納めた。
⸻
「……あの剣、まるで“意志”があるみたいだった」
ルーナの言葉に、真夜は静かに頷く。
「俺の怒り、迷い、願い……全部、この刃に込めた。
あいつは、それに応えた。ただ、それだけだ」
⸻
風が、礼拝堂を吹き抜ける。
砕けた石片が舞い、朝の光が薄く射し込む。
焔は消えていない。
剣の奥に、まだ脈を打つ音が残っていた。
⸻
それはまるで、
**“次もあるぞ”**と告げているようだった。
焔は、静かに消えていった。
真夜の手にあった紅蓮の剣――《ラグナ=スロート》は、今やただの鉄に戻ったかのように沈黙していた。
だが、剣の奥底に宿る熱はまだ冷めきってはいない。
それはまるで、「お前の怒りは、まだ終わっていない」と囁くようだった。
⸻
礼拝堂の天井は崩れ、淡い朝の光が差し込んでいる。
だがその光には、神々しい清らかさはなかった。
むしろ――
静かな“戦いの跡”を照らす、現実の色だった。
⸻
「終わったの?」
ルーナがそう問いかけてきたのは、焔が完全に消えた直後だった。
その声には、ほっとした安堵と、微かに残る警戒心がにじんでいた。
彼女自身も、術式の余波で魔力を消耗していたのだろう。
頬はうっすらと紅を帯び、肩で呼吸を繰り返していた。
⸻
「ああ……倒した。
でも――“終わった”とは言い切れないな」
真夜は、剣を握る手をゆっくりとほどきながら答えた。
手のひらには、軽く火傷のような紅い痕が浮かんでいた。
だがその痛みは、どこか誇らしかった。
⸻
「だよね。
神殿の“観測網”は、たぶん今の一撃を記録してる」
ルーナは真夜の横に並び、空を見上げた。
「きっともう、“あの人たち”に伝わってるわ。
封印された力が目覚め、
存在を抹消された少年が“討滅執行者”を打ち倒したって」
⸻
***
場所は変わり、遥か西――神聖王国《グラン=オルディナ》の中心。
大理石の柱が立ち並ぶ巨大な神殿内、
円環のように並んだ千枚の魔導記録盤のひとつが、静かに砕けた。
識別番号:D-73。
記録名称――第七処理官「マリウス」
⸻
周囲の神官たちは、魔力暴走でも敵の襲撃でもなく、
“記録そのものの消滅”に背筋を凍らせていた。
「――なぜ……消去されていない。
記録抹消ではない……これは、存在の焼却……?」
その場にいた高位神官が、静かに口を開いた。
「……ラグナ=スロート。
紅蓮の咆哮、再臨か……」
⸻
***
「……つまり、俺はもう、“記録の外側”じゃない」
真夜は呟いた。
「世界に名前を刻む、そう言ったけど……
それはつまり、“敵”として世界に受け入れられたってことか」
⸻
ルーナは頷いた。
「記録された、というより、刻み込んだのよ。
神々の律から外れた異端として。
でも、それって――」
「生きてる証、だろ?」
真夜の声は静かだったが、
剣を振るった時よりも、深い熱を帯びていた。
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「俺は、拒絶されたまま終わるのが嫌だった。
この力はきっと、破壊と悲劇しか生まないかもしれないけど……
それでも、誰にも“いないこと”にはさせたくなかったんだ」
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ルーナは、そんな彼の横顔を見つめながら、そっと言葉を紡いだ。
「ねぇ、真夜。
もしこの先、あなたのせいで世界が歪んで、
災厄が広がっていったら――それでも、剣を握る?」
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真夜は答えるまでに少しだけ間を置いた。
その沈黙の中に、迷いではなく“覚悟”があった。
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「握るさ。
……その災厄に意味を与えるために」
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その瞬間だった。
焔の剣が、かすかに“鼓動”を打った。
まるで、主の答えに呼応するかのように、
《ラグナ=スロート》の刃が微かに輝きを返す。
⸻
「……やっぱり、君って変わってるわ」
ルーナは小さく笑って、
彼の隣に腰を下ろした。
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そして、言った。
「でも、それが私の“契約者”でよかった」
⸻
風が、崩れた天井から入り込む。
薄く光が差し込むその中で、ふたりはしばらく黙って座っていた。
その沈黙は、敗北の後のものではなかった。
それは――
名を奪われた少年と、封じられた魔女が共有した、確かな静寂。
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遠く、東の空で黒い影が一つ、飛んでいく。
ルーナが見上げたその先には、魔力を帯びた羽を持つ“人影”があった。
⸻
「次の“使者”が動き始めたわ。
しかも今度は……記録のある者じゃない。
あれは、“契約前の魔女”かもしれない」
⸻
真夜は立ち上がった。
剣を背に回し、地を踏みしめる。
⸻
「よし。なら、次は“名前を知らない誰か”を、救いに行こうか」
“記録の外”にいた少年が、ついに“記録を焼きつくす者”へ!
第3話では、真夜が初めて“神に仕える存在”と刃を交えました。
抗う理由はただ一つ。
「ここにいる」と叫びたい。その想いだけで剣を握ったのです。
ラグナの焔は、その誓いに応えました。
そして、世界は彼を正式に“敵”と認識した――。
これが始まりです。
世界を相手に、名を取り戻すまで。
真夜とルーナの旅路を、これからも応援よろしくお願いします!