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ミッドナイト・ブレイカーD×M(デモンズ×メモリー)  作者: 一条信輝


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28/119

28話: その夢に、君がいた

「知らないはずなのに、忘れられない」

そんな感覚が、胸の奥に残ることがあります。

夢か現実か、それさえも曖昧なまま、ただ“確かだった気がする”という記憶だけが、そっと心に灯る。


第28話では、ミナミ・エリナが“夢の中で出会った少女”を通じて、名も記録もない存在――ユウに少しずつ近づいていく様子を描きました。


夢で交わしたひと言。

視線の軌跡に残った、わずかなログの揺らぎ。

そして、「いた」と言いたいのに、名前が呼べないもどかしさ。


それでも、エリナはその存在を“信じたい”と願い、自らの感情に正直になります。

――誰かの名前を、呼んだ気がした。


 


 その瞬間、ふっと重力が消えたように身体が浮き、ミナミ・エリナは夢の中にいた。


 


 視界の色がどこか浅くて淡い。

 音もない。空気が紙のように薄く、風も光も、どこか現実より遠かった。


 


 でも、なぜだろう。

 この感覚に、胸の奥が“懐かしさ”に似たものを覚えている。


 


 (……ここ、学園……?)


 


 そう思ったのは、廊下の壁が見覚えのある模様だったからだ。

 けれど、その模様すらどこかぼやけていて、まるで“記憶から再構成された偽物”のように感じられた。


 


 誰もいない。

 声も足音もない。

 エリナは一人、静かな廊下を歩いていた。


 


 自分の足音すら聞こえなかった。

 でも、確かに歩いている感触はある。靴裏が床を踏む振動が、わずかに身体の奥で跳ねた。


 


 (夢なんだって、わかってる。……でも)


 


 心臓だけは、現実のように鼓動を打っていた。


 


 ふと、どこからか気配がした。


 


 振り返る。誰もいない。

 前を見る。誰もいない。


 


 でも――確かに、“誰かに呼ばれた気がした”。


 


 「……こっち……」


 


 風のような声だった。

 けれど確かに、自分の名前ではなく、“感覚”だけに届いた音だった。


 


 エリナの視界に、ひとつだけ開かれた教室の扉があった。

 その向こうには、微かに差し込む光。そして――誰かの背中。


 


 窓際の席に、黒い髪の少女が座っていた。

 風に髪が揺れ、肩のラインが細く震えていた。


 


 (……誰?)


 


 思わず歩を進めていた。

 床に音はなかった。けれど、世界の密度がその人物に近づくごとに少しずつ濃くなっていくのを感じた。


 


 窓からの光が、その人の頬を照らしていた。

 だが顔は見えない。背中のまま、動かない。


 


 なのに、エリナの胸はずっと騒がしかった。

 知らないのに、どうして。

 わからないのに、どうしてこんなに――苦しい。


 


 「……あなた……誰?」


 


 やっと出た声は、震えていた。

 夢の中のはずなのに、口の中が乾いていた。

 指先が、知らずに握られていた。


 


 少女は、ゆっくりと振り返り――――


 


 ……いや、振り返る寸前で、世界が崩れ始めた。


 


 床がひび割れ、光が色を失っていく。

 空が音を吸い込み、全てが“忘却”のように削り取られていく。


 


 崩れゆく夢の中で、少女の声が届いた。


 


 「ありがとう」


 


 ただ、それだけ。

 それは、“記録に残らない存在”の、感情そのものだった。


 


 ――目を覚ましたのは、朝だった。


 


 ベッドの上。光がカーテンを抜け、頬を撫でる。


 


 けれど、ミナミ・エリナはしばらく動けなかった。

 夢で感じた“あの誰か”の声と温度が、皮膚に貼り付いたまま残っていたからだ。


 


 息を吸う。喉が熱い。

 胸の中には、名も知らない誰かの“気配”が確かに息づいていた。


 


 (……名前、聞けなかった)


 


 けれど、あの夢は確かに“出会い”だった。


 


 「誰……なの?」


 


 ぽつりと呟いた声は、朝の部屋にかすかに響いた。


 


 そして、エリナの胸の奥で何かが――知らぬ間に、始まりかけていた。

目が覚めても、胸の奥がざわついたままだった。


 


 ミナミ・エリナは制服の襟を整えながら、鏡の中の自分に問いかける。


 


 (なんだったの……あの夢)


 


 髪を結び、リボンを締めながらも、指の動きがぎこちなかった。

 瞳の奥に残る、あの背中。あの声。あの――感覚。


 


 (知らないはずなのに、知ってた。見たことないのに、懐かしかった)


 


 いつもなら、夢なんてすぐに忘れる。

 授業が始まる頃にはもう思い出せなくなっているような、曖昧な映像。


 


 けれど、今日は違った。


 


 あの声は、体のどこかに染み込むように残っていて、

 それが“ただの夢”ではなかったと告げている。


 


 「ありがとう」


 


 たったひと言。

 でも、その声は今でも耳の奥で、静かに反響していた。


 


 ――彼女は、誰だったのだろう?


 


 


 学園に着いても、気持ちは落ち着かなかった。

 講義前のざわめきの中にいても、雑音はまるで水の底のようにこもって聞こえる。


 


 端末を開く。時間割を確認。

 でも、文字が目に入ってこない。


 


 ふと、隣の席の子が話しかけてきたが、笑って返しながらも心ここにあらずだった。


 


 (“あの席”が、気になる)


 


 クロヤ・マユの隣。

 いつも空いている席。


 


 それなのに、昨日も、その前も――なぜか“空白じゃなかったような気がしていた”。


 


 その空白に、自分の視線が吸い込まれたように感じた瞬間が何度もある。


 


 (記録には、何もない。……でも)


 


 夢の中の彼女は、確かにそこにいた。

 教室の、窓際の席に。

 誰もいないはずの、誰も名前を呼ばない席に――静かに、でも確かに、存在していた。


 


 (あれって……記憶、なの? それとも、……記録に残らないだけ?)


 


 気づいたとき、エリナの指は端末の“非公式ログ閲覧モード”に切り替わっていた。


 


 これは本来、研究志望の上級生や、観測訓練を受けている生徒が使う高度な機能。

 けれど、以前に兄が教えてくれたアクセス方法を、彼女はなぜか忘れずにいた。


 


 (調べられる。……でも、何を?)


 


 「名前」も「記録」もない存在のログなんて、本来残っているはずがない。

 でも、あの夢を見て以来――彼女の中では、すでにそれが“誰か”として息づいていた。


 


 (記録されないからって、存在してないってことにはならない)


 


 そう思うのは、きっとおかしい。

 けれど――それでも、信じたいと願ってしまう。


 


 「あなたが、本当にいたのなら……私は、見つけたい」


 


 声に出してそう言ったとき、誰かに聞かれたかもしれないと焦った。

 でも、周りは騒がしくて、誰も気づいていなかった。


 


 そのとき、教室の扉が開いた。


 


 クロヤ・マユが入ってくる。

 彼の無表情な顔、静かな気配、歩き方――全部がいつもと変わらなかった。


 


 でも、彼の後ろに“誰かがついてきたような感覚”だけが、消えなかった。


 


 ユウの姿は見えない。

 けれど、“いる”ような気がする。


 


 (私の見た夢は、やっぱり……)


 


 教室の空席を、もう一度見る。

 そこに誰も座っていないはずなのに、まるで何かが“残っている”かのように、視線が外せなかった。


 


 (もし、これが……ただの夢じゃなかったとしたら)


 


 なら、私は――この“気配”に、名前をつけてあげたい。

昼休みのざわめきが、教室の中を波のように満たしている。


 


 誰かが笑い、誰かがパンを選びに立ち上がり、誰かが眠そうに腕を枕に伏せていた。


 


 そんな中で、ミナミ・エリナは静かに端末を開いていた。


 


 食欲は、なかった。

 代わりに、胸の奥からせり上がる“答えを知りたい”という焦燥が、胃のあたりを落ち着かなくしていた。


 


 (非公式ログ。視線反応の記録。…確か、ここ)


 


 さっき授業中に設定した観測モードの履歴を呼び出し、昨日からの時間帯で自分の視線軌跡をチェックしていく。


 


 契印学園の端末は、簡易的な観測機能を備えている。

 視線の流れ、反応時間、感情波との微弱な連動。


 


 誰がどこを見ていたのか。何に反応していたのか。

 制度の枠内であれば、それは“無意味なノイズ”と処理されてしまうはずだった。


 


 でも、エリナは信じていた。

 あの夢が、あの声が、単なる偶然や錯覚ではないと。


 


 (昨日の放課後……16時3分)


 


 スクロールしたログの中に、微かに色の違う点があった。


 


 【視線停止:1.2秒】

 【対象:空席(クロヤ・マユ隣)】

 【感情波:微弱上昇】


 


 心臓が、跳ねた。


 


 (……やっぱり、見てた)


 


 エリナは震える指先で、その記録を拡大する。

 ただのログ。でも、自分にとってはそれが“記憶の証拠”だった。


 


 昨日、目が合った“気がした”あの瞬間。

 そのとき、自分の視線が“空席”に固定されていたという記録。


 


 (気のせいじゃなかった。……私、ちゃんと“誰か”を見たんだ)


 


 記録上は“空席”。制度にとっては、そこに誰もいなかったことになっている。


 


 でも。


 


 「いたんだよ……あの人」


 


 呟いた声が、自分でも驚くほど震えていた。


 


 それは怖さではなかった。

 むしろ、安堵に近い。

 “信じていたこと”が、ほんの一片でも形になった喜び。


 


 その時――


 


 視界の隅で、誰かの気配を感じた。


 


 顔を上げる。


 


 教室の窓際。クロヤ・マユが、窓の外を見ていた。


 


 その隣の席。

 やはり、誰も座っていない。


 


 でも、エリナにはわかる。

 そこには、“いる”のだ。

 記録されていなくても、ログに残っていなくても。

 あの空間には、確かに“誰かの温度”がある。


 


 「……名前、聞いてないのに……」


 


 なのに、その存在がここまで胸に残っている。

 それだけで、充分すぎるほどの答えだった。


 


 夢の中で感じた声。

 「ありがとう」と言った、あの微かな言葉。


 


 (あなたのことを、忘れたくない)


 


 だから、調べる。探す。見つける。

 記録にないのなら、自分の“記憶”で追えばいい。


 


 エリナはもう一度端末に視線を戻し、さらにログの精度を上げる。

 周囲の視線誘導グラフ、共鳴波の変動、心拍同期データ――

 専門的すぎる項目ばかりだったけれど、今の彼女にはそれさえも“意味のあるノイズ”に思えた。


 


 そして、見つけた。


 


 ほんの一瞬。クロヤ・マユの視線が、自分と同じ“空席”に向かっていた記録。

 時間は、昨日の放課後――自分が彼女と目が合った気がした直後。


 


 (クロヤくんも、気づいてた?)


 


 その思考に、胸が熱くなる。

 もしかして、彼もまた――彼女の存在を、感じているのかもしれない。


 


 (ひとりじゃ、なかったんだ)


 


 そう思えた瞬間、肩の力がふっと抜けた。


 


 「……ちゃんと、いるんだよね。あなたは」


 


 記録されない誰か。

 けれど、自分の中ではもう“知らない人”ではなくなっていた。


 


 名前も、所属も、契印すらない。

 でも――“いた”という記憶だけが、ここにある。


 


 それを見つけられた今、エリナはようやく笑うことができた。

昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴ったころ、ミナミ・エリナはようやく決心を固めていた。


 


 何も証拠はない。

 端末のログをいくつ重ねても、それは“空席”という扱いでしかない。


 


 けれど、それでも彼女は知っていた。

 自分の中には、もう“確信”と呼んでいいものがある。

 あの夢。あの声。そして、教室の空気。

 名前はなくても、記録にはなくても、“ここにいる”と感じる感覚。


 


 だから、伝えたかった。


 


 ――あの席には、誰かがいた。

 そして、あなただって、それをわかっているんじゃないかと。


 


 


 昼休みが終わる少し前、エリナは立ち上がって、クロヤ・マユの席へと歩いた。

 少しだけ迷ったけれど、もう止める理由はなかった。


 


 彼は、教室の窓から外を見ていた。

 空は晴れていたけれど、雲が一枚、ちょうど太陽の前をゆっくりと横切っていた。


 


 「クロヤくん」


 


 声をかけると、彼はすぐにこちらを向いた。

 いつもと変わらない、無表情なまなざし。けれど、まるで“先に気づいていた”かのような静けさがそこにあった。


 


 「……何か、用か?」


 


 声にトゲはなかった。むしろ、あまりに自然すぎて、逆に言葉が出なくなりそうだった。


 


 「ちょっと、話せる?」


 


 エリナは空いている隣の席――彼の隣、つまり“あの席”の向かい側に立った。


 


 彼は一度だけ窓の外に視線を戻してから、静かに頷いた。


 


 エリナは、自分の手のひらが汗ばんでいるのを感じながら、ゆっくりと言葉を選び始めた。


 


 「……昨日の放課後、教室で忘れ物を取りに来たとき――

  そのとき、誰もいないはずだったのに、誰かと……目が合った気がしたの」


 


 真夜は瞬きをひとつだけして、何も言わなかった。


 


 「その時は、気のせいだと思った。けど、今日の朝……夢を見たの。

  その夢の中で、私は誰かに『ありがとう』って言われて……」


 


 話している間に、胸の奥がまた熱くなっていく。

 夢だったはずの出来事が、今では現実よりも“確か”に思えていた。


 


 「名前も、制服も覚えてない。でも、私、あの人を……“忘れたくない”って思ったの。

  ……誰だったのか、知りたいって、思った」


 


 エリナの視線が、自然とクロヤ・マユの隣の席へと向いた。


 


 何もない。

 けれど、そこにある“何か”を、エリナははっきりと感じていた。


 


 「……そこに、誰かがいる。……そう感じたこと、ない?」


 


 その問いに、真夜はすぐには答えなかった。

 代わりに、彼の背後に立てかけてあった剣の柄が、微かに揺れた。


 


 “共鳴”。

 風が吹いたわけではないのに、まるでその言葉に反応したかのように。


 


 真夜は、エリナの視線とラグナの震えの両方を感じ取って、ゆっくりと口を開いた。


 


 「……その“誰か”に、名前はあるのか?」


 


 エリナは、答えられなかった。


 


 ない。

 知らない。

 けれど、それでも。


 


 「――ない。でも、いた。私の目の前に、ちゃんと……いたの」


 


 その言葉を口にしたとたん、胸の奥にこみ上げていたものが、じわりと熱くなる。


 


 「名前がないから、呼べない。

  でも、記録に残らなくても、私は……忘れたくない。

  ……あの人を、“いた”って、ちゃんと覚えていたいの」


 


 その瞬間、教室の空気が少しだけ変わった。


 


 真夜が、何かを言おうとして止めたように見えた。

 それは、心のどこかに隠していた何かを、揺らされたからかもしれない。


 


 エリナはそっと微笑んだ。

 そして、力を込めるように、最後の一言を投げた。


 


 「……クロヤくんも、わかってるんでしょ? あそこに“誰かがいる”って」


 


 彼は答えなかった。

 けれど、それは否定ではなく――たぶん、言葉にできない“同意”だった。


 


 その代わりに、剣が再び震えた。


 


 音にならない“声”。

 けれど、それはユウがそこにいる証として、彼女の耳に確かに響いていた。


 


 エリナは立ち上がり、名残惜しそうに“その席”をもう一度見つめた。

 名前を知らない誰かの、名前を呼ぶように。


 


 (……あなたのこと、ちゃんと探すから)


 


 そして、チャイムが鳴った。


 


 昼休みが終わり、いつもの教室に戻っていく。

 けれど、ミナミ・エリナの世界は、もう元通りではなかった。

ご覧いただき、ありがとうございました。

第28話では、これまで“感覚だけ”で交錯していたユウとエリナの関係が、大きく変化するきっかけを迎えました。


エリナはもう「気のせい」とは思っていません。

夢で触れた声、胸に残った温度、そして視線記録に映った“誰かの痕跡”。

それらを通じて、彼女はついに“誰かがいる”と確信し、初めてその想いを言葉にしました。


けれど、呼びたくても呼べない――

名前のない存在を、どうやって伝えればいいのか。

その切なさが、ユウという少女の存在そのものを際立たせていきます。


次回、第29話では、真夜の側にも変化が訪れます。

“記録の外”と向き合うために、彼がかつて一度は拒んだ“契約の魔女”と再び向き合うときが近づいています。


どうかこの先も、“名前のない感情”が少しずつ交差していく道のりを、見届けていただけたら幸いです。

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