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21話:記録なき者、記録の門を叩く

ようやく、真夜は契印学園へとたどり着きます。

かつて“記録に疑問を抱いた場所”であり、そして今や“記録から除外された者”として戻る場所。

このパートでは、記録に取り囲まれた空間と、そこに存在するだけで異物扱いされる真夜の姿を丁寧に描いてみました。


彼の中にあるラグナの共鳴は、過去と未来を結ぶ唯一の“記録”なのかもしれません。

重い扉が閉まる音が、石造りの回廊に鈍く響いた。

その音を最後に、世界は沈黙する。


 


ここは地上から隔絶された記録機関メモリア・アークの深層。

かつて記録官たちが感情の流れを数値化し、分類し、そして封印してきた場所。

だが今はもう、白衣の姿も記録端末の光も消え、残っているのは――“監視者”だけだ。


 


真夜はその中心に立っていた。


ラグナを背負い、フードを下ろしたその表情は静かだったが、

その指先だけが、小さく震えていた。


 


「君にしか記録できない“契印”がある」


 


その言葉を投げかけた男――カザン・レーヴは、義眼をわずかに細めながら、

まるで何も特別ではないように、それを告げた。


 


「……またそれかよ」


真夜の声は乾いていた。

懐かしいほどに、あの頃と同じ響きだった。


「“お前にしかできない”って言えば、誰でも動くと思ってるのか?」


 


カザンは無言で、机に置かれた黒い記録端末を指でなぞる。


その表面には、異常契印波形が断続的に映し出されていた。


「この契印、通常の記録官では読み取れない。

 感情が不安定すぎて、“記録反転”を起こす可能性がある。

 だが君は……八つの契印すべてを刻み終えた剣を持っている。

 ラグナは、おそらく“その層”にも干渉可能だ」


 


真夜は黙って目を閉じる。


ラグナの柄が背に温もりとして触れている。

それは剣であり、同時に“記憶の器”だ。


――だが。


 


「……俺は、“抹消”された人間だ」


 


静かに、しかしはっきりと告げた。


「記録を奪われ、過去を消され、存在すら封じられた。

 命を狙われてまで、剣を振るう意味があるのか――

 正直、もう分からないんだよ」


 


その言葉は、嘘ではなかった。


剣を抜くたびに思い出すのは、

失われた記憶と、誰にも覚えられていない“自分”の断片。


それでも剣を抜く理由が、まだ――どこか、霞んでいる。


 


カザンは小さく息を吐いた。


「君の感情に意味はない。だが、君の記録には価値がある」


 


その冷徹な言葉に、真夜の拳が一瞬だけ震える。


だが次の瞬間。


 


――カン……。


 


剣が、鳴いた。


ラグナが、震えた。

ただの共鳴ではない。

それは、“呼応”だった。


 


背中に響くのは、確かな意志。


真夜の目に、あのときと同じ光が戻ってくる。


「……ラグナ、お前は……」


 


カザンが資料を差し出す。


「君の新たな身分は“記録補助監査官見習”――名はクロヤ・マユ。

 潜入先は王立契印学園。君が消える前、最初に“契印に疑問を抱いた場所”だ」


 


真夜はゆっくりと資料を受け取る。


かつての名を捨てた代わりに、

新しい“記録の場”が提示される。


 


「……あそこに、俺を狙ったやつがいるんだな」


「いる、とは限らない。

 だが“記録を拒絶する者”は、確実に潜んでいる。

 それを記録できるのは――お前しかいない」


 


真夜は目を閉じた。


胸の奥に、幾重にも積もった記憶の重さが沈む。


ラグナの震えが、背中に語る。


“進め”と。


 


「……なら、行くしかないよな」


彼はラグナの柄に手を添えて、微笑んだ。


「記録されない感情があるなら、俺が刻む」


 


カザンが頷く。


「列車はもう動いている。間に合うな?」


 


真夜は踵を返し、扉を開けた。


 


空の下。


遠くの空に浮かぶ鉄のシルエット――

《アルテリオ・ライン》。

空を駆ける浮遊列車が、真夜を待っていた。


その終点に、契印学園はある。


 


朝焼けが剣を照らし、

その影は、確かに“記録者の歩み”として地面に落ちていた。

空を切り裂くように、列車は走っていた。


浮遊軌道アルテリオ・ライン

空中に張られた魔導軌道を、巨大な鋼鉄の車体が疾走する。

その進路の果てに、契印学園がある。


 


真夜は静かに座席に腰を下ろした。


一般客の姿はない。

この車両は“特別管理ルート”――学園関係者と記録監査官だけが乗れる区画だった。


車内は異様なほど静かだった。

蒸気機関でも電力でもない。

列車の動力は“契印波”で制御されており、振動もほとんどない。


 


窓の外には、雲の海。

その遥か下には街の灯りが、かすかに星のように揺れていた。


 


真夜はポケットから、一枚の“黒い切符”を取り出す。

裏面には魔導インクで記された偽名――クロヤ・マユ。


改札はすでに通過している。

顔認証も無効化されていた。

表の世界では、彼は“存在しない乗客”として列車に乗っている。


 


ラグナの柄が、わずかに震えた。


「……分かってる。何かいるな」


 


同じ車両の先頭席。

窓際に、ひとりの少女がいた。


銀白の髪を結い、黒い制服に身を包んだその姿は、いかにも学園生徒らしい。

だがただの生徒ではない――その背筋は、刃のように研ぎ澄まされていた。


 


彼女は一言も発しない。

だがその視線が、まっすぐに真夜の背中を捉えているのが分かった。


呼吸の乱れもない。

魔力の揺らぎもない。

だが、“異能の気配”が交錯していた。


 


(……感知してきてるな)


真夜はラグナに意識を沈める。


すると、剣が再び震えた。

低く、しかし明確に。


――「敵意、未確認。観測中。契印波の重複、あり」


 


(あれが、“学園側の警戒要員”か……それとも)


少女は動かない。

ただ、指先が膝の上でわずかに浮いた。


その仕草に、真夜の肩が一瞬だけ張る。


反応速度、速い。

あれは訓練された“契印戦士”だ。

しかも、気配を殺している。

――“使い慣れている”証拠。


 


数秒だけ、視線がぶつかり合う。


剣は抜かれない。

魔力も撃ち出されない。

ただ、“存在”だけがぶつかっていた。


 


不意に。


列車が、かすかに傾いた。

浮遊軌道の中継点を通過した合図だ。


 


その瞬間――ラグナが、震えを強めた。


「……!」


剣が告げる。


「契印学園の感情波、接近圏内に突入」


 


車内の空気が、変わった。


少女の視線がわずかに逸れ、窓の先を見た。

真夜もそれに倣って外を見る。


 


霧の向こうに、黒い影が見えた。


 


巨大なアーチに囲まれた“浮遊都市”。

その中心にそびえる白い塔――

記録と契印を統べる学び舎、契印学園ルメナ・オルド


 


真夜は、ラグナの柄を軽く叩いた。


「……行くぞ、記録者」


 


そして、その隣の席の少女も、無言で立ち上がった。

空が、割れた。


 


鋼の車体が風を裂き、浮遊列車アルテリオ・ラインは滑るように空を渡っていた。

雲を抜けたその先、遥か下――霧と光に包まれた巨大な構造体が姿を現した。


それが、契印学園だった。


 


真夜は静かに席を立ち、列車の展望窓に近づく。

ガラス越しに見下ろす先、視界いっぱいに広がるその光景に、息を呑む。


 


幾何学模様のように組まれた結界線が、空中にうっすらと浮かび、

中心には巨大な黒塔――記録塔と呼ばれる魔術の集積炉がそびえていた。

その周囲には講堂、研究棟、演習場、学生寮、医療区画までもが城壁都市のように配置され、

都市と学園の境界は、もはや視覚では判別できなかった。


 


「……まるで、要塞だな」


 


真夜は低くつぶやいた。

かつて知っていた“学園”とは似ても似つかない。

記録機関としての顔を強めたその構造には、戦場の気配すら漂っていた。


 


そのときだった。


 


ラグナが、震えた。


先ほどまでの微細な共鳴とは異なる。

――明らかに、警戒を込めた“強制共鳴”。


剣の柄を通して、焼けるような熱が背に伝わる。


 


「……!」


真夜は思わずラグナに手を添える。

そこから感じ取れるのは、“圧”だった。


この学園の中心部に、何かがある。

記録されていない“異常な契印”。

剣が震えるほどの強さで、そこに存在している。


 


(まだだ。……記録が、空白のままだ)


ラグナの声なき声が、心に焼き付く。


 


「俺を呼んでるのかよ、こんなに分かりやすく……」


真夜は顔をしかめ、苦笑しながらも真っ直ぐ窓の先を見据えた。


列車は徐々に降下を始めていた。


空に浮かんでいた都市の輪郭が、近づく。

建造物の壁面に魔法式が淡く浮かび、結界の中枢が露出する。


そのすべてが、感情を拒むような構造でありながら――

同時に、“感情そのもの”に干渉する仕組みを持っていた。


 


「……なるほどな。確かに、ここは普通じゃない」


 


この地には、“記録されない者たち”が集まっている。

忘れられた者、封じられた契印、暴走しかけた感情。


そして――その中心で、真夜自身もまた“記録されない存在”として潜入する。


 


だが。


彼の背にはラグナがある。

かつて八つの契印を記録した剣。

名前を消され、感情を抹消されても、それだけは彼の中に残っていた。


 


(怖くないわけじゃない。

 けど――この剣が、俺に進めと言ってる)


 


列車が揺れた。


停止を知らせる低いチャイムが鳴る。

外の結界が緩み、空の中に“下り坂”が生まれる。


 


真夜はラグナに語りかけるように、背を叩いた。


「……ここが、俺の新しい記録の地か」


 


剣は、静かに震えていた。

まるで、肯定するように。

契印学園ルメナ・オルド


 空を駆ける列車アルテリオ・ラインが、白銀の浮遊結界に包まれたその外郭に滑り込むように接岸したとき、真夜の背にある剣――ラグナが、再び震えた。


 


 列車の扉が、無音のまま開いた。


 蒸気も、圧力も、金属の擦れる音もない。

 すべては“感情干渉式制御”による運行のため、過剰な情報は排除されている。


 


 だが、逆にそれが、不気味だった。


 


 「……歓迎、されてるわけじゃなさそうだな」


 


 真夜――偽名クロヤ・マユは、そう呟いて列車を降りた。


 足元とプラットフォームの間に張られた半透明の結界膜をくぐると、空気が変わるのがはっきりと分かった。


 目に見えぬ“圧”が、皮膚の内側にまで染み込んでくる。


 


 空は晴れていた。


 結界を透かして太陽が射し、塔の尖端が光を受けて輝いている。


 だがその光は、温かさを持たなかった。


 


 吹く風が冷たい。いや、正確には冷たいのではなく、“乾いて”いた。

 湿度も匂いも感情の気配も、何もかもが削ぎ落とされている。


 まるで、世界そのものが“記録の素材”として均されているようだった。


 


 「クロヤ補助監査官ですね。灰階区画へご案内します」


 


 無機質な声が聞こえた。

 振り返ると、灰のローブに身を包んだ職員が立っていた。

 顔は見えない。フードで隠され、身元も名前も不明だ。


 


 その人物は、真夜を一瞥することなく踵を返した。


 言葉は丁寧だが、応対には心がない。

 訓練された使用人のようでもあり、記録を読み上げる装置のようでもある。


 


 (……なるほどな。ここからもう、“人”じゃないのか)


 


 真夜は無言でその背に従った。


 歩を進めるごとに、結界の密度が高くなる。


 剣が、また震えた。小さく、しかし確実に。


 


 (ラグナ、落ち着け。俺たちは、記録されるために来たんじゃない)


 


 ラグナの震えは、拒絶の表れだ。


 この場所にあるもの――“感情を記録し、分類し、統制する仕組み”が、

 ラグナの本質と相反する。


 


 なぜならラグナは、感情そのものを“刻むための剣”だからだ。

 分類も統制もされない“衝動”を、あくまで生のまま受け止めてきた。


 


 連れて行かれたのは、学園の中央塔ではなく、外周に広がる灰色の建物群だった。


 旧研究区画――通称《灰階》。


 


 塔の影に隠れたその区域は、一般の学生から隔離されている。

 外部からの協力者、記録監査官、研究者見習いなど、正式な学生ではない者たちが一時的に滞在するための“控え”のような場所だ。


 


 石造りの廊下は冷え切っていた。


 壁には記録投影のための結晶体が並び、足音は魔導吸音処理によって吸い込まれていく。


 


 (誰の記憶も、感情も、残さない作り……ってわけか)


 


 職員の足取りは淀みない。

 真夜がついてきているかどうかさえ、気にしていない様子だった。


 


 やがて、ひとつの部屋の前で立ち止まる。


 


 「こちらが滞在区画になります。明朝、初動命令が届きます。以後は端末をご確認ください」


 


 そう言い残し、職員は去った。


 声も足音も残さず、影のように廊下の奥へと消える。


 


 真夜は扉に手をかけ、静かに中へ入った。


 


 そこは質素な部屋だった。


 机とベッド、記録端末がひとつ。


 壁には、魔導投影装置が埋め込まれた痕跡だけが残っている。


 


 部屋の空気に、微かな焦げた匂いが混じっていた。


 


 (……この部屋……どこかで)


 


 視界の端に焼けた金属片。


 剥がれかけた番号プレート。


 天井の一角には、魔導式の痕跡と、感情過負荷時に現れる歪曲波形の“焼き跡”。


 


 瞬間、既視感が走る。


 


 (思い出した……この部屋、記録で見せられた……)


 


 かつて、訓練映像で閲覧した“記録反転事件”の現場。


 精神が崩壊し、記録された感情が暴走を始めた結果、

 この部屋でひとりの記録官が“自我の消失”を起こしたとされる。


 


 その映像は、真夜がまだ“存在していた頃”、訓練課程の中で見せられたものだった。


 


 (あの時、ただの教材だと思っていた。……まさか、ここに来るとはな)


 


 ラグナが背で震えた。記憶の共鳴だ。

 この空間に染み付いた“残響”を、剣が察知している。


 


 振り返ると、扉は既に閉じていた。


 ノブも取っ手もない。魔導施錠。


 


 「……閉じ込められたか」


 


 溜め息を吐いた瞬間、部屋の端末が自動で起動した。


 浮かび上がるのは、いくつかの警告表示と、黄色いグラフ。


 


 “感情変動:許容範囲外”


 “記録監査対象:ラベル設定なし”


 


 まるで、自分が“爆発物”扱いでもされているようだった。


 


 (入ったばかりでこれかよ……)


 


 続けて、端末に任務通知が表示される。


 


 ――「明日午前、感情崩壊後の学徒ケアに同行せよ」


 ――「同行対象:未登録」


 ――「記録番号:不明」


 


 ……未登録。記録番号不明。


 つまり、“記録できない者”だ。


 真夜と同じく、“記録の枠に収まらない存在”。


 


 「なるほどな。俺に“探らせる”気か……最初から」


 


 言葉にすると、ラグナが低く、微細に共鳴した。


 それは、警戒と共感が混じった響きだった。


 


 真夜は立ち上がり、部屋の窓を開けた。


 結界膜越しに、夕焼けが塔を照らしていた。


 


 オレンジ色の光に染まる契印学園。


 その中心に聳えるのは、あの白い記録塔。


 


 「ここが……俺の記録の始まりか」


 


 思えば、すべてはここからだった。


 契印に疑問を抱いたのも、抹消されたのも。

 記録の価値を奪われ、感情の在り方を問われたのも。


 


 だが今度は違う。


 “記録する側”ではなく、“記録されない存在”として。


 そして――“記録を拒む者たち”を暴くために。


 


 真夜は、背の剣をそっと叩いた。


 


 「――進もうか。ラグナ」


 


 剣は、肯定するように静かに震えた。


 


 夜の帳が、ゆっくりと契印学園を包み始めていた。


 記録なき者の足音が、その中心へと刻まれていく。

ご覧いただきありがとうございます。

dパートでは、「記録されない者が記録の中心地へ潜入する」ことの異質さと重圧を、空気感や描写を通して表現しました。


特に“記録された感情”と“記録されなかった感情”の対比を意識しながら、ラグナの共鳴が物語の奥行きを引き出せるよう工夫しています。

次回からは、学園内での任務と、記録の隙間に生きる者たちとの邂逅が始まります。


どうぞご期待ください。

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