15話:この熱が、あなたの名になる
第五の魔女・ヴィオラとの契約を終えた直後の一夜――
今回は、その“余韻”と“次なる鼓動”を描くエピソードとなりました。
エロスと情熱が混ざり合う心核の契印。
それが終わったあとに残るのは、恥じらいでも後悔でもなく、
「やっと素顔で息ができる」という、ヴィオラの微かな喜びでした。
そして物語は、次の魔女――「怒り」を抱えた少女・イェルダへ。
契約を重ねるほど、真夜の歩む道は優しさだけでは届かない“痛み”へと向かっていきます。
――契印が刻まれた瞬間、
ヴィオラの身体はしばらく動けなかった。
熱い。
痺れる。
心と肉体が、真夜の名で“満たされた感覚”に溺れていた。
真夜の指先が封印紋をなぞったあの一瞬――
肌よりも奥。
魔力よりも深く。
感情の芯に触れられた余韻が、今もヴィオラの全身に残っている。
「……こんなに、身体って柔らかくなるんですね」
吐息のような声が漏れた。
薄衣の胸元を隠す気配もないまま、
ヴィオラは乱れた呼吸を整えようとしながら、
熱っぽい目で真夜を見つめていた。
頬は紅潮し、
汗が鎖骨を滑り落ち、
触れられた場所にうっすらと“名の痕跡”が残っているような錯覚さえあった。
真夜もまた、深く息を吐いていた。
契印を通じて流れ込んできた彼女の“欲”が、
彼自身の感情と魔力の中で今なお脈打ち続けている。
「……なんか、すげぇ……」
言葉が出なかった。
ふだんなら軽く返せたはずのやり取りが、
今だけは、息と視線と肌の温度だけで交わされていく。
「ごめんなさい。ちょっと……まだ、立てません」
ヴィオラがそっと肩に凭れかかってくる。
その髪先が喉元をくすぐり、
胸の柔らかさが無防備に真夜の腕に触れる。
「……こんなに欲しがったの、初めてだったから……」
「いや、謝るな。
お前が欲しがったから、俺は“名前を刻めた”んだよ」
その言葉に、ヴィオラはわずかに笑った。
その笑みは、まだどこか蕩けたようで、
“女”というより“少女”としての柔らかさを帯びていた。
「真夜さん、覚えててください。
私は、これからも――“あなたの一番”でいたいですから」
その一言に、真夜の胸が跳ねた。
独占欲。
所有欲。
だがそれは毒ではなかった。
許された欲望は、どこまでも甘く、そして深い。
ヴィオラの指が、真夜の手に絡む。
「……この手、もう離してくれませんか?」
「……いや、まだ。
お前の熱、まだ俺の手のひらに残ってる」
そう言った真夜の頬にも、ほのかな赤みが差していた。
感情だけでなく、
魔力までもがとろけ合うような“契約”――
それが、第五契印の本質だった。
ふたりの呼吸が静かに重なる。
唇が触れるでも、肌を重ねるでもない。
だがその“距離の近さ”は、
それ以上に濃密な結びつきを感じさせた。
ラグナが低く鳴る。
《第五契印、安定化完了。魔力供給経路:双方向接続済》
その報告に、ようやくヴィオラが息をつく。
「……ほんとに、終わったんですね」
真夜が小さく頷いた。
「……契約成立。
これで、お前は――俺の仲間だ」
「……“俺の”って言われると、
なんか、ドキッとするの……ずるい」
ヴィオラは小さく微笑んで、髪をかき上げた。
肌の熱はまだ完全には冷めていない。
だがその視線は、確かに前を向いていた。
そして――
「戻りましょう。私、“仮面じゃない顔”で……
みんなに会いに行かなきゃ」
真夜は剣を取り、彼女に手を差し出した。
その手を、ヴィオラはためらいなく取った。
契印が輝く。
ふたりの魔力が共鳴し、空間が光に包まれていく。
――心核領域、閉鎖完了。
光が収束する。
心核の空間が消え、
真夜とヴィオラの身体は、現実の大地へと降り立った。
空気が違った。
ひんやりと澄んでいて、でもそこには“仲間の匂い”があった。
焚き火の煙、乾いた土、誰かが煎じていた薬草の香り。
それらが、二人を「帰ってきた」と迎えてくれていた。
「……戻った」
真夜がラグナを肩に背負い直す。
隣では、ヴィオラがゆっくりと目を開ける。
仮面はもうない。
長く垂れた紫の髪が風に揺れ、
素顔のまま立つヴィオラは、どこか“凛とした少女”だった。
緊張で背筋を伸ばしていたが、指先はわずかに震えていた。
「おーいっ!」
声が駆けてくる。
最初に真夜たちを見つけたのは、ルーナだった。
彼女は一度足を止めると――ヴィオラを見て、柔らかく目を細めた。
「……仮面、外したのね」
「……はい。やっと」
ほんの一言だけだった。
でも、その短い対話が、すでにふたりの間に“信頼の芽”を宿していた。
「なんだよ、もっとド派手に帰ってくるのかと思ってたぜ」
セリスが腕を組みながら歩いてくる。
けれど、その口元は照れ隠し気味に緩んでいた。
「ま、まあ……見た目のわりに、素顔は悪くねーじゃねーか」
「え……あの……」
「褒めてんだよ」
「……ありがとうございます?」
ヴィオラの頬に、少しだけ紅が差す。
その様子を見て、アリエルが小さく息を吐いた。
「仮面より、素顔の方が似合ってるわよ。
仮面を脱ぐって、勇気のいることだもの。――ようこそ、こちら側へ」
そして――
最後にミナが、そっと一歩近づく。
彼女は何も言わなかった。
ただ、ヴィオラと真正面から目を合わせ、静かに手を差し出す。
ヴィオラが戸惑いながら、その手を取ると、ミナは小さく頷いた。
「……あとは、私たちが支える番ね」
その瞬間――
ヴィオラは、ようやく肩の力を抜いた。
仮面のない自分が、ここに立っている。
逃げ場のない視線の中で、誰からも拒まれていない。
その事実が、胸の奥にじわじわと広がっていく。
「皆さん……私を、受け入れてくれて……ありがとうございます」
その言葉には、もう仮面はなかった。
だが、和やかな空気は、ほんの刹那だった。
――ドォンッ!!
地面が震えた。
乾いた風の中に、雷のような音が混じる。
「なに?」
真夜が咄嗟に身構える。
空気が変わった。
熱い。
焼け焦げるような“怒り”が、風に乗って押し寄せてくる。
「……魔力反応。強いわ、しかも一点集中型」
アリエルが目を細める。
「この感じ……“破壊”系。
感情で言うなら、“怒り”……」
ラグナが低く唸る。
《第六契印との共鳴波検知――
対象魔女、“イェルダ”。現在、覚醒領域内にて感情暴走の兆候》
ヴィオラの背筋が凍る。
「イェルダ……。
彼女、今……“尾の封印”を抑えきれていない……!」
そのとき、遠く西の空――
夕焼けの彼方に、黒く赤い“衝撃波”が空を走るのが見えた。
火山の噴煙のような“怒り”が、地平の端を焦がしている。
「来るな……次は、あの子」
真夜が剣に手をかける。
契印が、静かに脈を打つ。
第五の契約は完了した。
だが次の“試練”は、すでに目の前に迫っている。
怒りと破壊の魔女――イェルダ。
心の奥の「爆発」を抱えた少女が、
この世界に“爪痕”を残し始めていた。
焚き火を囲む円の中に、ヴィオラが座るのは初めてだった。
草の香り、火のはぜる音、湯の沸く鉄鍋の湯気――
これまで何度も見てきた光景なのに、
そこに仮面の自分ではなく、“素顔のまま”としているだけで、まるで違う世界に思えた。
「味、濃くない? 初めてだから、加減がわからなくて……」
ミナが不安げに鍋をかき混ぜながら、みんなの顔を見た。
「いや、悪くねぇぞ。ちゃんと腹にくる」
セリスが器をぐいっと傾けながら、口を拭う。
「ミナの料理、私けっこう好き。素朴だけど、なんか“落ち着く味”って感じ」
ルーナも穏やかに笑う。
ヴィオラは、そのやり取りを見ていた。
「……私、こういうの……初めてです」
「初めてって?」
「こんなふうに、輪の中に入って、
みんなの言葉に耳を傾けて、息を合わせて座ること」
アリエルが、すっとヴィオラの前に器を差し出す。
「じゃあ、初めての味も、ちゃんと覚えておきなさい。
“みんなと食べた最初の夜”は、きっと二度と戻らないから」
ヴィオラはその器を受け取り、そっと口をつけた。
味噌と野菜と根菜の風味が広がる。
少ししょっぱい。でも、それがいい。
自分の鼓動と、他の誰かのぬくもりが、初めて同じ時間を共有している気がした。
「……おいしいです」
「でしょ?」
ミナが嬉しそうに微笑んだ。
真夜はその光景を静かに見つめていた。
契約を通して、ヴィオラの“独占欲”を受け止めた今、
彼女の表情がこれまでになく“軽やか”であることに気づいていた。
だがその一方で、
彼の胸の奥――ラグナの第五契印の奥底が、微かにざわついていた。
《……第六契印、断片共鳴。封印部位:尾。主属性:怒り・衝撃・破壊》
真夜の視界の隅に、幻のように揺れる映像が浮かぶ。
長い、荒ぶる尾。
その一振りで大地を裂き、
鋭くしなるたびに、空間をひずませる。
そして、赤黒い魔力の奔流。
そこに“怒り”があった。
誰にも言えなかった感情。
胸の奥で腐り、膨れ上がり、ついに外へとこぼれ始めた――
「……イェルダ、来てるのね」
ヴィオラが、突然囁いた。
真夜の内側を覗き込むように、赤紫の瞳が揺れる。
「怒りの魔女は、ただの“力”じゃない。
彼女の“尾”は、ずっと“誰かを傷つけないように”封じてあったの」
「それが、暴れ出してる?」
「きっと、誰かに“怒ってもいい”って言われたの。
今までずっと、怒りを否定されてきた彼女にとって……それは解放であり、破壊なの」
焚き火が、ぼっ、と小さく跳ねる。
その音に皆が一瞬黙るが、会話は続く。
「真夜」
ルーナが視線を向ける。
「このまま行けば、次の契約は――また“誰かの心”を救う戦いになる」
「でも、イェルダの怒りは、“他人を拒む力”に近いわ」
アリエルが厳しい目を向ける。
「その壁を超えるには、今まで以上の覚悟がいる」
セリスが静かに呟いた。
「怒りってのは、吐き出せば軽くなると思ってた。
でも、それを“見られる”ことが何より怖ぇって、俺は知ってる」
真夜は火を見つめた。
炎の奥で、幻のように揺れる――獣の尾。
それが振るわれるたびに、何かが壊れ、叫びが上がる。
誰の声かわからない。
でも、その“怒り”が、ずっと孤独だったことだけはわかる。
「……行こう」
真夜が静かに口を開いた。
「その怒りが、世界を壊す前に。
その叫びが、誰かを傷つける前に――
俺が、“名”を刻んでみせる」
ラグナが、低く鳴いた。
次の契印は、もう動き出していた。
怒りと破壊の魔女、イェルダ。
その尾の封印が、崩れかけている。
夜が深く落ちていた。
焚き火の熱はとうに冷え、
仲間たちはそれぞれの毛布にくるまり、浅い呼吸を繰り返していた。
静寂の中――
ただ一人、真夜だけが目を覚ましていた。
ラグナの契印が、胸の奥で微かに脈打っている。
熱ではない。痛みでもない。
“怒り”だった。
それは、まだ顔も知らぬ誰かの叫び。
でも確かに、真夜の感覚を通じて届いていた。
西の空を見上げると、雲が不自然に渦を巻いているのがわかった。
魔力の乱れ。
封印が崩れかけ、感情が空間に滲み出ている。
その風の中に、イメージが溶け込んでいた。
――うねる尾。
地を叩き、風を裂き、
あらゆるものを拒絶する“尾”。
“こっちにくるな”
“触れるな”
“私は怒ってる”
“怒ってるんだ、ずっと、誰にも言えなかったくらい、怒ってる”
真夜はそっと瞼を閉じる。
その“無言の咆哮”が、かつての自分にも重なる気がした。
(俺も、怒ってたよな)
誰にも気づいてもらえず、
誰にも必要とされない気がして、
言葉にならない怒りを、自分に押し込めていた。
ラグナが静かに囁く。
《第六契印との感応、進行中。
魔女名:イェルダ。封印部位:尾。感情主軸:怒り、拒絶、破壊》
「……会いに行くよ。
その怒りが、壊すだけのものじゃないって……
俺が“名を刻んで”証明してみせる」
その声に応えるように、
背後で小さな足音がした。
振り返ると、そこにはヴィオラがいた。
毛布を羽織ったまま、眠そうな目でこちらを見ていた。
「ごめん、起こしたか?」
「……ううん。
なんだか、あなたの魔力が……熱くて」
ヴィオラはそっと真夜の隣に腰を下ろす。
夜気が肌に染みるが、隣にいる体温がそれを溶かしてくれる。
「“怒りの魔女”のこと、考えてたんですね」
「……ああ。
たぶん、誰よりも“自分の感情”を封じてきた子だと思う。
だからこそ――爆発する」
「イェルダは、誰かに何かを壊されたんじゃなくて、
“壊さずにいた”ことで、少しずつ壊れていったんです」
ヴィオラの言葉は、どこか自分の過去をなぞっているようだった。
「もし私たちが気軽に近づいたら、彼女はきっと……“尾”を振るう」
「わかってる」
真夜は夜空を見上げる。
「それでも、俺は行く。
彼女が振るったその尾の先に、届く言葉を探して」
ヴィオラがそっと目を伏せた。
「……あなたって、本当にずるい人ですね」
「ずるい?」
「“名を刻む”って、あんなに熱くて、
あんなに心を裸にされるのに……
それでも“また別の誰か”に向かっていくなんて」
真夜は、言葉に詰まった。
だが次の瞬間、ヴィオラは彼の腕に寄りかかった。
「……だから、私はもう“あなたの味方”でいるしかない。
あなたがその尾に傷つけられても――そばにいるって、決めたから」
静かな夜風が吹いた。
それは冷たくも、どこか優しい。
魔力にまみれた夜の底で、
真夜とヴィオラの間に、小さな約束だけが灯っていた。
次に刻まれる“名”は、まだ見えない。
だがその尾の揺れが――誰かの“怒り”である限り、
真夜はきっと、そこに手を伸ばす。
「……イェルダ。
その怒り、俺が受け止めてやる」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回はヴィオラが正式に仲間に加わり、
“独占欲”と“欲しがる勇気”を、真夜がしっかり肯定してくれた回でもありました。
その一方で、次なる魔女・イェルダの登場がじわじわと迫ってきています。
彼女が抱えるのは「破壊衝動」ではなく、もっと“誰にも見せられなかった怒り”。
それをどう包み込み、どんな形で“名”を刻むのか。
第六契印――“尾”に刻まれる想いは、
これまでの魔女たちとは一線を画す、強く、そして壊れやすい少女の物語になります。
第16話、どうぞご期待ください。
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