14話:欲を、私のすべてに刻んで
第14話「欲を、私のすべてに刻んで」を投稿しました!
今回はいよいよ第五の魔女・ヴィオラとの“本契約”――
それも、最も繊細で、最も激しい「欲望と感情の交錯」を描いた回になります。
仮面を脱ぎ捨て、心の奥にある“独占欲”“愛されたい本音”をさらけ出したヴィオラ。
それに対して真夜は、自らの“醜い本音”をも開示し、
魂ごと触れ合うように“名を刻む”ことで、彼女を受け止めました。
皮膚に触れること以上に、心が触れる。
魔力と魔力、感情と感情が重なる契約の儀式――
今作が追求するR15+的エロスと“本当の絆”の在り方、しっかり描けていれば嬉しいです。
鏡に触れた瞬間、真夜の意識が深く沈んでいった。
重力が失われる感覚。
音も、光も、感情すらも遠ざかっていく。
ただ、心の奥――“何かを見てはいけない”という本能だけがざわめいていた。
そして、視界が開ける。
そこは、鏡だらけの空間だった。
天井も壁も床も、すべてが鏡面仕上げ。
世界全体が、真夜自身の姿を映していた。
だが、どの鏡にも――微妙に“異なる自分”が映っていた。
「……ここが、“欲の心核”か」
真夜はラグナを構えながら、ゆっくりと歩を進める。
一歩、足を踏み出すたびに、鏡の奥から“囁き”が聞こえる。
「もっと注目されたい」
「誰かに選ばれたい」
「あいつより優れていたい」
「強くなって、褒められたい」
「本当は……誰かを支配してみたい」
それはすべて、“真夜の声”だった。
鏡が“本音”を映し、それを声として返してくる。
否定すれば割れる。肯定すれば吸い込まれる。
それほどに、この空間は“欲望に正直”だった。
(この空間そのものが、俺を試してる)
自分のなかの“浅ましさ”を突きつけてくる。
けれど、それが悪いとは――もう思わない。
“欲があるから、俺は進める”
真夜はラグナの柄を強く握った。
そのとき、空間の奥から音がした。
――カラン、カラン。
鏡の床を、何かが軽やかに踏む音。
やがて、光のない回廊の奥から、少女の影が現れた。
仮面をつけた、ヴィオラだった。
だがその仮面は、今までのものと違っていた。
表面は白金。
口元に笑みはなく、ただ“無”のような静けさ。
「来てくれたんですね、真夜さん」
彼女はそう呼んだ。
初めて“名を呼んだ”その声は、震えていた。
「……あんたの心核が、こういう場所だとはな」
真夜は警戒を解かずに言った。
「鏡に囲まれて、仮面で顔を隠して。
そのくせ、本音だけが全部丸見えで――矛盾してる」
ヴィオラは、かすかに微笑む。
仮面の下の瞳は見えないが、頬がわずかに上がる。
「そうなんです。私、ずっと矛盾してるんです」
「“見てほしい”のに、“見られるのが怖い”」
「“欲しい”のに、“欲しがる自分が汚い”」
「“好きになってほしい”のに、“拒絶されるのが怖い”」
その言葉に、真夜の胸が静かに軋んだ。
似ていると思った。
ミナの“嘘を拒む力”とは違う。
セリスの“怒り”とも、アリエルの“自罰”とも違う。
ヴィオラの“欲”は、もっと人間的で、
もっと誰にも言えないところに潜んでいる。
「だから私は、“仮面”をつけたんです」
ヴィオラが右手を上げる。
その手には、またひとつ――“仮面”があった。
「ねえ、真夜さん。あなたにも、差し上げます」
彼女が差し出してきたのは――“自分の顔そっくりな仮面”。
銀で縁取られた、無表情なもの。
そこに、自分の影が映っていた。
「この仮面をつけてくれたら……私と契約、できるかもしれません」
真夜は、受け取らなかった。
その代わりに、まっすぐ彼女を見つめて言った。
「俺は、自分の顔でお前に会いに来た。
だから、お前も――“素顔で”俺に向き合ってくれ」
ヴィオラの手が、微かに震えた。
「そんなこと……できたら、
私は最初から“仮面の魔女”なんかじゃなかった」
真夜が一歩、踏み出す。
ラグナが、静かに赤紫に脈打った。
第五契印が、心核空間の空気と共鳴を始めていた。
「俺は、お前の仮面を剥がしに来たんじゃない。
“お前が、自分の意志で外す”のを、待ってる」
その言葉に、空間の光が揺れる。
鏡の奥で、何枚かの仮面が音もなく崩れ落ちた。
真夜の言葉が響いた瞬間、空間がわずかに軋んだ。
ヴィオラの“心核領域”――欲望の鏡に囲まれたこの場所が、
まるで呼吸するように“息を呑んだ”のだ。
そして、その静寂の中で――
ヴィオラの仮面に、一筋の亀裂が走った。
ピシッ――と、硬質な音が空間に染み込んでいく。
「……今の、言葉」
ヴィオラが、そっと胸元を押さえた。
「“私が自分の意志で仮面を外すのを、待ってる”……って、どうして……」
真夜はゆっくり歩み寄る。
足元の鏡が“ためらい”を映すように、彼の影を何重にも揺らす。
彼はそれを構わずに、正面からヴィオラを見つめていた。
「俺も、怖かったことがある」
静かな声。けれど、一切の嘘がない。
「強くなりたいって思いながら、
“強くなりたいと思ってる自分”が、どこか醜く思えて――
誰かに必要とされたいと思うたびに、
“それって打算じゃないのか”って、自分に嫌気がさした」
ヴィオラの肩が小さく揺れる。
「けど、それでも思ったんだ。
誰かを守りたいって、誰かに必要とされたいって気持ちの中に、
少しでも“欲”が混ざってたとしても……
それはきっと、“願い”と呼んでもいいんじゃないかって」
その言葉に、ヴィオラの仮面が小さく震えた。
「……そんなふうに、言われたことなかった」
彼女の声が、わずかに震える。
「私が“欲しい”って言うたびに、
人は引いて、避けて、冷たく笑って、
“みっともない”って言ったのに」
真夜は、ラグナを地面に立てて、両手を広げた。
「だからこそ、今は俺が言う。
お前の“欲しい”を、見捨てたりしない。
その気持ちごと、お前の“名”として刻ませてくれ」
カラン――。
ヴィオラの手に握られた仮面から、
ひと欠片がこぼれ落ちて、鏡の床に跳ねた。
「……私、知らなかったんです」
声が揺れる。
「欲しがるって、恥じゃなかったんですね……
私が、ずっと間違っていたのかもしれない」
真夜がそっと歩み寄ると、彼女は一歩、下がった。
「でも……でも、怖いんです。
この仮面の下を見せたら――
今度こそ、本当に嫌われるかもしれない」
「じゃあ、俺から先に見せるよ」
真夜は、ぐっと胸元を握りしめる。
「俺の一番醜いところを。
誰にも言ってなかった“本音”を――教える」
鏡がざわめく。
映し出されたのは――
かつての真夜。何も持たず、何も与えられず、
ただ“認められたい”と心の中で叫び続けていた、少年の姿。
「俺は、“特別になりたかった”んだ。
誰かより優れていたい。誰かの一番になりたい。
“この世界に俺は必要だ”って……証明したかった」
ヴィオラの仮面が、もう一度ピシリと鳴る。
彼女の手が、そっと仮面に添えられる。
「……そんなふうに、本音を見せられるなんて、
ずるい人ですね、あなたは」
真夜は、答えなかった。
ただ、静かに、待っていた。
彼女が“自分の意志で”、その仮面を外すのを。
そして――
ヴィオラは、仮面に手をかけた。
指が、白磁の表面を滑る。
小さな震えが、腕から伝わる。
鏡の空間が息を呑むように、あらゆる映像を止める。
指先が、白磁の仮面をゆっくりと滑る。
ヴィオラの手は震えていた。
剥がすのではない。
“自分で外す”という、その行為そのものが、彼女にとっては初めての試みだった。
――カチリ。
小さな音を立てて、仮面の右半分が緩んだ。
そこから現れたのは、淡い桜色の頬。
瞳はまだ覆われていたけれど、口元が――ほんのわずか、かすかに微笑んだ。
その笑みは、痛みに近い。
慣れていない。
でも、それでも“見てほしい”という願いが滲んでいた。
「……これが、私の“欲”の形です」
ヴィオラが、視線を落としながら言う。
「見てほしい。認めてほしい。
私の心も、声も、傷も――欲しがっていいものだって、そう言ってほしい」
真夜は一歩、前へ出た。
まるで祈るように、そっと彼女の手に触れる。
「見てるよ。ずっと見てた。
お前が誰にも見せようとしなかった、その奥の願いまで――
俺は、“名”として、ちゃんと受け止めたい」
その言葉に、ヴィオラの左手が仮面に触れる。
今度は左側――瞳の半分を隠していた面が、さらりと滑り落ちた。
彼女の右目だけが、あらわになった。
涙をこらえたままの、赤紫の瞳。
――燃えるように、切なげに、真夜だけを見ていた。
「……それでも、私のこと、綺麗だって言ってくれますか?」
その問いは震えていた。
「欲しがって、妬んで、独り占めしたがる……
そんな私を、見つめ続けてくれますか?」
真夜は、即答した。
「当たり前だ。
“誰かの一番になりたい”って想いは、
他の誰かを踏みにじるためじゃない。
誰かに認めてもらいたくて、
必死で生きてきた証だろ」
ヴィオラの唇が震えた。
そして、笑った。
“今までで一番、人間らしい笑み”だった。
その瞬間、空間に変化が起きた。
鏡がひとつずつ音を立てて砕け、仮面が次々と崩れていく。
彼女の“心核”が、開かれ始めていた。
ラグナが強く震える。
《第五契印、共鳴率95%
心核接触フェーズ、最終段階へ移行》
鏡の破片が舞うなか、ヴィオラが前へ進み出る。
もはや仮面はない。
あるのは、誰にも見せたことのない素顔。
不安と希望が同居する、ひとりの少女の表情だった。
「私……あなたになら、“名”を預けてもいいかもしれません」
真夜は頷く。
そのとき、彼の胸の奥に――新たな魔力の軌跡が刻まれる感覚が走った。
まだ契約は成立していない。
だが、確かにヴィオラの中に、“刻まれてもいい”という想いが芽生えた。
それは、心核が“受け入れる覚悟”をした証だった。
「次の一歩は……私のすべてを、あなたに明かすこと。
心核の奥――“私だけの欲”が眠る場所へ、来てください」
ヴィオラの目が、真夜を真っ直ぐに見つめた。
仮面を捨てた瞳。
その眼差しは、もはや“試していない”。
“願っていた”。
「――来てください、私の“中心”へ」
ヴィオラの手が、そっと真夜を誘う。
仮面はもうない。
欲望を隠さない、赤紫の瞳がまっすぐに真夜を見ていた。
心核の中枢。
そこは、あらゆる欲が剥き出しのまま漂う、熱の領域だった。
床も天井も曖昧で、足元には感情の色が液体のように渦を巻く。
空気は濡れていて甘い。
鼻腔の奥にまとわりつく香気は、どこか肌の香りに似ていた。
ヴィオラの胸元――
薄衣の下に、赤紫の封印紋がうっすらと脈打っていた。
「ここに、“名”を刻んでください……」
彼女の頬が赤く染まっていく。
けれど視線は逸らさない。
ただ、わずかに唇を噛みしめ、覚悟と羞恥のあいだに震えていた。
真夜は息を整え、静かに手を伸ばす。
指先が、彼女の封印に触れた――その瞬間。
「……っあ……ぁ……!」
ヴィオラの声が、震えとともに零れた。
それは痛みではない。
魔力の流れに伴う、感覚の解放。
まるで皮膚の奥に触れられるような、深くて熱い衝撃。
真夜の指が、紋の中央に沿って滑る。
魔力が流れ込み、彼女の体内を駆け巡っていく。
鼓動が早まる。
呼吸が浅くなる。
ヴィオラの背が、わずかに反り返った。
「……だめ……っ、そんな……急に、全部……っ」
彼女の手が、真夜の服の裾を強く掴む。
拒んでいない。
ただ、受け入れきれない快感に、必死で身体を耐えさせているのだ。
「お前の欲が……聞こえる。
求めることも、愛されることも、独り占めしたい気持ちも……全部、俺の中に届いてる」
「やだ……そんな、全部……感じられたら……っ」
彼女の瞳が潤む。
頬にはうっすらと汗が浮かび、肩先が震えていた。
魔力の流れは“感情”と共鳴し、
それが身体の奥へ奥へと伝わっていく。
ラグナの契印が脈打つたび、
彼女の肌が、胸が、体温が――真夜の指に反応して震える。
「私……こんなに、欲しがってたなんて……
誰にも、見せられなかったのに……っ」
「だからこそ、名を刻むんだ。
お前の“全部”が、価値のあるものだったって――証明するために」
真夜の手が、封印紋の中心にそっと重なった。
そこから、契印の光があふれる。
「――ん……っ、あ……っ」
ヴィオラの全身が、びくんと震える。
快感と開放が一気に押し寄せ、
呼吸が乱れ、膝が崩れかける。
「わたし……もう……っ、お願い……」
その声に、真夜が囁く。
「名前を呼ぶ。
お前を欲しがって、
お前に“名”を与える、この瞬間を――誰よりも深く、刻む」
「……はい……っ、ください……!
私の“すべて”に、あなたの名を……!」
その瞬間、ラグナの剣が光を放つ。
契印の魔法陣が、心核の空に広がる。
五芒星の中心に、ふたりの魂が重なり合う。
《第五契印、完全刻印――契約成立》
封印紋が収束し、
ヴィオラの胸元に真夜の“名”が刻まれた。
それは、欲望を赦された証。
欲していい。愛されていい。
“私だけを見て”と願った少女の、初めて報われた瞬間だった。
ヴィオラが、真夜に寄り添う。
「……すごく、熱かったです。
でも……あなたにだから、全部を見せられた」
真夜は、彼女の額にそっと手を添えた。
「お前の欲は、誰かを壊すものじゃない。
誰かを抱きしめるための、“祈り”だった」
光が差し込み、心核空間がゆっくりと閉じていく。
ふたりの手は、最後まで離れなかった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ヴィオラとの契約は、他の魔女たちとは異なる“甘く危うい感情の混濁”が主軸でした。
「欲しがることは悪なのか?」
「誰かの特別になりたいと願うことは罪なのか?」
という問いに、真夜なりの答えでまっすぐ応え、
そのまま“快楽と同調”のなかで契約が結ばれる描写は、
本作でも特に情緒と熱が交錯するエピソードだったと思います。
次回からは、契約後のヴィオラとの関係変化、
そして第六の魔女“怒りの破壊者・イェルダ”への前触れが始まります。
魔女たちが集まり始めた今、物語は新たな局面へ――
引き続き、どうぞよろしくお願いします!