1話:折れた剣と名もなき夜(挿絵あり)
『ミッドナイト・ブレイカー D×M』をご覧いただきありがとうございます。
第1話では、異世界に召喚された高校生・神代真夜が、
「名を奪われた少年」として神の選定から外されるところから始まります。
ですが、彼の物語はそこでは終わりません。
“神に選ばれなかった者”が、逆に“神を越える力”に触れる――
そんな始まりの一夜を、ぜひ見届けてください。
主人公の挿絵です。
神の鐘が鳴った。
澄んだ音が、白銀の神殿を満たす神気を震わせる。
天井のない空間に風は吹かず、空は不自然なまでに雲一つなく広がっている。
壁のすべてに神語の文様が浮かび上がり、天から降るような光が、祭壇の中心を照らしていた。
ここは“選定の神殿”。
神聖国家アルディアにおいて、神が“世界を変える器”を見極める場所。
大地を覆う神の法と、天に連なる運命の刻印――その双方に選ばれた者だけが、ここに立つ資格を与えられる。
真夜は、自分がその場所に立っていることが、今も信じられなかった。
15歳。高校一年生。
神代真夜は、つい半月前まで、日本の公立高校に通うただの学生だった。
学校帰りの商店街。
たまたま立ち寄った本屋の前で、目の前の景色が“白”に染まった。
気づいた時には、見たことのない空と、重く荘厳な空気に包まれた神殿の中。
言葉も通じず、意味もわからず、それでも誰かが言った。
――勇者候補、神代真夜。
わけが分からないまま、魔力検査を受けさせられ、剣術の素振りを習わされ、礼儀作法を叩き込まれた。
結果は、どれも最下位。
それでも真夜の胸には、他の者と同じように“神印”が浮かび上がった。
──それなら、意味はきっとある。
誰にもそう言われていないのに、真夜は勝手にそう信じるしかなかった。
異世界で、知り合いもいない。味方もいない。
けれど、呼ばれた以上、自分が“必要とされている”理由があるはずだと信じた。
「これより、神剣選定の儀を開始する」
高壇に立つ神官の声が、神殿全体に響き渡る。
「十四の器、ここに揃えられし。
神々はそれぞれに導きを与え給う。選ばれし者には、聖剣が顕現するであろう」
神官の声と同時に、天が開いた。
空から、十四本の光柱がまっすぐに降り注ぎ、地を貫く。
そしてその中心に、それぞれ異なる“聖剣”が姿を現した。
黄金に煌く剣。青白い雷を走らせる剣。炎を揺らめかせる剣。
どの一本も、ただ“強さ”を示すのではない。神そのものの権威と威光を、刃のひと振りで語るような威圧感を持っていた。
それらが、十四人の候補者の前に、ゆっくりと浮かび上がっていく。
歓声が上がった。
「これが俺の剣か!」と興奮する者もいれば、「これほどとは……!」と目を潤ませる者もいた。
誰もが、希望に満ちていた。
ただ一人を除いて。
神代真夜。
その名を呼ばれたとき、空気がわずかにざわめいた。
神聖国家において、**「異邦の者が候補者にいる」**という事実は、公にされていなかった。
だが、現地の言葉の抑揚、髪や瞳の色、雰囲気の違い――それらはどう取り繕っても隠しきれるものではない。
「神代真夜――前へ」
真夜は一歩前に出る。
堂々と、まっすぐに。
だが、数人の候補者がわざとらしく笑った。
「日本って、魔力どころか神話もろくにない国なんだろ?」
「この儀式、神が選ぶんだよな?だったら、そいつは無理だ」
「最初からハズレ枠。記念参加ってやつだよ」
聞こえている。けれど、真夜は振り返らなかった。
――どれだけバカにされてもいい。
けれど、俺自身が、自分を疑ったら終わりだ。
静かに拳を握り、光の中に立つ。
真夜の胸元で、神印が微かに脈打つ。
他の誰のものとも違う、**震えるような、呼吸するような“生きた光”**だった。
真夜はその感覚を感じ取りながら、最後の一本の剣が降りてくるのを、じっと待っていた。
その光は、他のどの柱よりも、明らかに“弱々しかった”。
真夜の前に降り注いだ光柱は、まるで夕暮れのように赤黒く沈み込んでいた。
他の候補者たちに宿った神剣が燦然と輝きを放っている中で、それはまるで“失敗”を告げるアラートのように、不穏な影を周囲へと染み出していた。
ざわ……と、神殿全体がざわついた。
そして、光の中から現れたのは――
錆びついた刃だった。
いや、それは本当に“剣”と呼べる代物だったのか。
刃の半分が欠け、柄は禍々しいほどに黒ずみ、まるで戦場の地に何十年も放置されたような風貌だった。
どの神印の加護も、神々しい威光も感じられない。
そこにあったのは、ただの“朽ちた鉄片”。
「……は?」
誰かが、呆けたような声を漏らした。
最初に笑ったのは、隣に並ぶ白銀の鎧をまとった少年だった。
「ちょ、ちょっと待って……これってマジ? “あれ”が神剣……?」
「なんだよ、あのジャンク品! 折れてるじゃねぇか!」
続けて、周囲から笑いが起きる。
「まるでゴミじゃん。というか、あれ……本当に神が出した剣なの?」
「神様もたまにはジョークをおっしゃるのね。異邦の者には、その程度の“剣もどき”が相応しいとでも?」
さっきまで神聖だった空気が、一転して嘲笑と侮蔑に満ちた空間へと変貌した。
真夜は黙って、その剣を見つめていた。
手を伸ばせば、届く距離。
だが、まるで試されているような感覚が、肌を刺していた。
――これは本当に、神が選んだのか?
剣に近づくほどに、胸の神印がじんわりと熱を帯びてくる。
あの“脈動”は、今も続いている。
真夜は、静かに手を伸ばし、その柄を握った。
ずしり。
意外なほど、重かった。
物理的な質量ではない。
まるで、剣の中に“何か”が潜んでいるかのような、精神を揺さぶる重さだった。
握った瞬間、真夜の意識に何かが流れ込んでくる。
けれど、それを理解する前に――宣告は下された。
「……選定、失敗」
高壇の神官が、低く、しかしはっきりと告げた。
「神代真夜、神に選ばれし器に非ず。
よって、記録を抹消し、これを“除外”とする」
その言葉と同時に、
真夜の胸に浮かんでいた“神印”が、音もなく掻き消えた。
光が、ふっと散るように消える。
目の前の世界が、ほんの一瞬、静まり返った。
⸻
次に響いたのは、歓喜でも憐憫でもない。
冷酷な安堵と、面白がるような嘲笑だった。
「そりゃそうだよな〜。異世界人なんかに、神が選ぶわけないよな」
「っていうか、除外って……名前まで消されるって、本当にあるんだ……」
「“無かったこと”にされるって、エグ……。なんか見てられないっていうか、逆に笑える」
「もう帰る場所もないんだろ? いや、もとから“こっち側”じゃなかったってことか」
それは“同情”ですらなかった。
ただ、完全に“他人事”として、真夜を見下ろす言葉たちだった。
⸻
神官の声が、追い打ちのように冷たく突き刺さる。
「速やかに、神殿より退出せよ。
この場にあなたの名は記録されておりません。
……名のない者に、留まる資格はありません」
名が、消えた。
この世界で唯一、自分の存在を証明していた“神印”が、跡形もなく消えてしまった。
――それは、“存在そのものを否定された”に等しかった。
⸻
手の中に残るのは、折れた剣だけ。
誰も、それに価値を見出していない。
真夜が今後、どこに行こうと、何をしても、この神殿の記録には何一つ残らない。
勇者候補だったはずが、ただの“異邦の落ちこぼれ”として見捨てられた。
それでも真夜は、剣を手放さなかった。
黙っていた。
耐えていた。
けれど、内側では――何かが、きしむ音を立て始めていた。
⸻
悔しいのか。
悲しいのか。
怒っているのか、自分に、それとも神に?
答えは、まだうまく言葉にならない。
けれど一つだけ、確かに思った。
これが“神の意志”なら、俺はそれに従わない。
名を奪われた感覚は、想像以上に重かった。
胸に刻まれていた神印が消えた瞬間、まるで自分がこの空間から弾かれたような錯覚を覚えた。
音が遠のき、光がぼやける。視界の端で人の口が動いているのが見えるが、何を言っているのかは聞こえない。
自分だけが、ここから“切り離された”。
理解するまで、ほんの数秒しかかからなかった。
だがその時間の中で、真夜の中には、取り返しのつかない“感情”が生まれていた。
⸻
自分は何を期待していたのか。
そもそも、なぜ信じたのか。
この世界に呼ばれた理由があると。
この胸の印が、“何かを証明するもの”だと。
選ばれし十四人の一人に、自分も“並んでいる”と。
他人はともかく、自分自身くらいは――
自分の存在を認めてやれると思っていた。
⸻
それすらも、否定された。
剣は折れていた。
神印は消された。
神殿からも、記録からも、空気からも、この世界そのものから追い出された。
「……俺は、いないものにされたんだ」
口の中で呟いた言葉が、まるで他人のもののようだった。
たった今まで、確かにここに立っていたはずなのに。
剣を選ぶという、人生で一度きりの瞬間に、そこにいたはずなのに。
周囲の誰もが、もう自分を見ていない。
選ばれし者たちは歓喜を。神官たちは敬意を。
すべては、自分の外側で続いている。
自分ひとりだけが、“終わった”。
⸻
「……」
目を落とす。
手の中には、折れた剣。
それでも、この世界で唯一、
真夜に与えられた“物”だった。
周囲の視線が離れていくなか、真夜はゆっくりと膝を折った。
自分でも気づかぬほどに、呼吸は浅く、肩は震えていた。
泣いていない。
けれど、それよりも深い何かが、胸の奥で揺れていた。
⸻
「……くそ……」
ようやく、絞り出すような声が喉から漏れた。
握っていた剣の柄が、じわりと熱を帯びた。
気のせいじゃない。
確かに、“何か”がそこにいる。
人ではない。
魔でも、精でもない。
もっと別の、“重くて、古くて、深い存在”。
その存在が、真夜の感情に、反応していた。
⸻
「……ふざけんなよ」
真夜がもう一度、呟いた。
その言葉には、怒りと、そして震えるほどの“叫びたい感情”が滲んでいた。
「俺が、どれだけの気持ちでここに立ってたと思ってんだよ……!」
思い出せる。
光に包まれた日。
この異世界に召喚され、誰も何も教えてくれず、
言葉も通じず、孤独の中でただ“信じていた”。
神印が胸に浮かんだ時、
自分は選ばれたのだと、心のどこかで思った。
それが、根拠もない希望だったとしても。
⸻
「それを……!」
握った剣の柄が、さらに熱を持った。
呼応するように、錆びついた刃が、かすかに紅く灯る。
「それを……神が勝手に取り上げて、
記録から消して、なかったことにするってんなら――」
真夜は、立ち上がった。
足元はぐらついた。
それでも、膝をつかなかった。
この場に立ち続ける“意志”だけで、体を支えていた。
⸻
「そんなもの、神だろうが、何だろうが――俺は、認めねぇ」
⸻
その瞬間、空気が変わった。
剣が、明確に、脈動した。
心臓と同じリズム。
それも、一つではない。
まるで、何百、何千という命の鼓動が、同時に震え始めたかのように。
真夜の手の中で、折れた剣の刃に紅蓮の紋様が浮かび上がった。
見たことのない印だった。
神印ではない。
けれど、それは“根源的な力”を宿していた。
⸻
「なに……あれ……」
「今、剣が……? まさか、魔力が……?」
神官の一人が顔をしかめる。
「いや、違う……これは魔力じゃない。もっと……本能が拒絶するような、何か……!」
⸻
真夜には、その声はもう届いていなかった。
目の前が、赤く染まっていた。
剣が灯す光が、視界を埋め尽くす。
胸の奥、奥底で、誰かが目を覚まそうとしている。
それは、怒り。
それは、焔。
それは、“夜”の名を持つ者にだけ宿る、力の原初。
⸻
「……俺は、まだここにいる。
俺は、神代真夜だ。
――名前を、消させるもんか」
次の瞬間だった。
咆哮が、世界を揺るがした。
音はなかった。
けれど、鼓膜が破れるかと思うほどの圧力が、神殿全体を押し潰す。
天井なき神殿の空が、ぐにゃりと歪んだ。
空気が軋む。石畳が悲鳴を上げる。
すべては、少年――神代真夜の手にある、折れた剣を中心に起きていた。
⸻
剣の刃に浮かんだ紅蓮の紋章が、一際強く脈動する。
焼き付けるような紅の光が迸り、剣全体に伝わる。
折れたはずの刃先に、**見えない“炎の刃”**が伸びた。
まるで、焔でできた剣。
目には見えず、ただ熱と威圧だけがそこにある。
それは、祝福でも啓示でもない。
破壊のためだけに生まれたもの。
⸻
「な、なんだあれは……」
「剣が……剣じゃない……!」
「まるで、災厄だ……!」
神官たちがざわめき、後退る。
選ばれたはずの勇者候補たちも、剣を構えるどころか、一歩、また一歩と真夜から距離を取った。
真夜の存在そのものが、場の空気を支配していた。
少年でも、異邦人でもない。
――ただ、そこにあるのは“夜を焼き尽くす紅の獣”。
⸻
真夜は、静かに目を閉じた。
胸の奥で、何かが目覚めた音がする。
ずっと眠っていた、燃えるような命。
それは名前を持たない。
それは神々にも封じられた。
ただ、彼と共に、目を覚ました。
⸻
「……聞こえるか?」
誰にともなく、真夜は呟いた。
剣に。
夜に。
己の中に目覚めた“存在”に。
「俺は、ここにいる。
名前を奪われても、居場所を失っても――
消えたりなんか、しない」
「だから……」
焔の剣を、ゆっくりと掲げる。
刃先は、神官たちへ向けられてはいなかった。
誰でもない。
ただ、空へと突き上げるように。
⸻
「世界に、叩きつけてやる」
「神代真夜の名を!」
⸻
空が、割れた。
音もなく、神殿の天蓋が走る。
まるで夜空に、巨大な亀裂が入ったようだった。
そこから滲み出すのは、紅蓮の炎。
焔は剣を包み、真夜を包み、
そして神殿そのものを飲み込もうとしていた。
⸻
誰も、彼に近づこうとしなかった。
いや、できなかった。
もはや、そこにいるのは――
神々の選定から漏れた少年ではない。
神々すら恐れた、“夜の災厄”の覚醒体だった。
⸻
その夜、神殿の選定記録には、異常な空白が生まれた。
「十四人の勇者の選定成功」と記されるはずの記録に、
一人分だけ、明確な欠落が残った。
理由は、誰も語ろうとしなかった。
ただ、誰もが覚えていた。
――あの夜、空が割れ、名もなき焔が、世界に抗う咆哮を上げたことを。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
名を奪われ、存在を否定された真夜が、
初めて“自分の意志”で世界に抗う一歩を踏み出した第1話でした。
次回からは、神々に封印された魔女たちとの出会い、
そして「契約のキス」が彼の運命を大きく変えていきます。
“折れた剣”が導く、夜と焔の叛逆譚。
よろしければ、次話も覗いていただけたら嬉しいです。
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