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―いきなり何なんだよ、繁充のヤロウ! 今まで立川の事なんて眼中になかっただろ? クソ野郎め…
家庭科室のドアのガラス越しにいちゃついている二人(砂原にはそう見える)を見て、砂原は歯をギリギリと噛みしめ、目には怒りの炎が舞い上がっていた。
―それにしてもあいつら、あんなに楽しそうに何食ってんだ?
砂原を窓ガラスに張り付いて凝視した。中からほのかにいい匂いが漂ってくる。
ギュルルルル…
砂原の腹が鳴った。
綾女は殺気を感じて振り返ると、この世の物とは思えない形相でドアガラスに張り付いている砂原に気付いた。
「ひぃぃぃぃぃ!」
綾女は叫んだ。
―砂原…なんてしつこい男なんだ! そんなにこの雑煮が食いたいのか?
実は眉間に皺を寄せた。
砂原は引き戸を思いっきり開けて二人の前へ歩み寄った。
「おい、おまえら、こんなとこで何してんだよ!」
砂原は言った。
「あの…その…」
綾女はうろたえた。
「何してるって、見たらわかるだろ? 雑煮食べてるにきまってるでしょ。」
ミノルは無表情で言った。
「繁充! おまえいつから立川さんと付き合ってんだよ?」
砂原はミノルに詰め寄った。
「ちょっと、砂原君!」
綾女はいきり立つ砂原をなだめようとした。
「…そんなこと、おまえには関係ないでしょ? 今からおかわりするとこなんだから、用が無いんだったら出て行ってくれる?」
ミノルは不敵な笑みを浮かべて言った。
「おっまえ!」
砂原は実の胸ぐらを掴んだ。
「待って! ちょっと待ってよ! 砂原君! ほら手を放して!」
綾女は二人の間に割って入った。
「立川さん、こいつのどこがいいわけ?」
砂原は綾女に聞いた。
「どこがいいとか…そういうんじゃないよ! 私たちはただ、繁充君の持って来たお餅でお雑煮作って食べてただけ!」
綾女は言った。
「付き合ってるんじゃないの?」
砂原は急にトーンダウンした。
「付き合ってないよ! まともに話したのだって昨日が初めてなのに。」
綾女は呆れて言った。
「そう! おまえは今、俺の崇高かつ貴重なランチタイムを妨害しているのだ。」
ミノルは砂原を睨みつけた。
「…な、なんだよ。初めからそう言えよ…ったく…。」
ホッとしたのもつかの間、砂原はそこかしこに漂っている良い香りに、急激に腹が減ってきた。
「立川さん、俺にも雑煮くれない?」
砂原は言った。
「あぁ、おやすいご…」
「ダメだ!」
綾女が快い返事をしかけた途中でミノルがそれを遮った。
「何でだよ! まだいっぱいあるじゃん!」
砂原は口を尖らせて文句を言った。
「君はまるで分かってないな!」
ミノルは眼鏡を正しながらスクッと立ち上がった。
「いいか、よく聞け! 立川さんの存在理由…彼女はこの雑煮のつゆと具材を作ってきた。そしてこの素晴らしいテーブルコーディネートも彼女の作品だ。故に彼女はこの雑煮を食べる権利がある! おまえはどうだ? 何もしていないじゃないか! 速やかにこの場を立ち去りたまえ、砂原よ…。」
ミノルは冷たく言い放った。
「おまえだって何もしてなさそうじゃん。」
砂原は睨んだ。
「俺は、この世界の創造主である!」
ミノルはお徳用1キロの餅袋を持ち上げて砂原の目の前に掲げた。砂原と綾女は口をポカンと開けてミノルを見た。
「そもそも! 始まりは俺の持って来たこの餅だ! この餅からこの世界はスタートしたんだ。言わば俺は始祖だ! この昼休みにおける家庭科室の世界の創造主だ! 創造主たる俺がいないと世界が無くなってしまうだろ! それくらいも分からないのか、砂原っ!」
ミノルは意気込んだ。
―そのくらいも分かんねーのかって…分かるはずねーだろ、そんな世界観! ってかおまえ、ただ餅を持って来ただけじゃねーか。
砂原はすでにミノルについていけない。
―繁充君…少しくらいお雑煮分けてあげてもいいのに…相当ケチね…。
綾女は思った。
―冗談じゃない! 俺の食べる分が減ってしまうじゃないか! 何としてでも砂原を撃退しなくては…。
実はギリギリと歯を食いしばった。
「砂原、指示待ち族のお前には分かるまい…。新しく始まる新世界では、人に言われるがままの人間には何も与えられないのだ。」
ミノルは言った。
「…指示待ち族って何なんだよ! 部活にも入ってないおまえに言われたくない!」
砂原は言った。
「おぼっちゃんの砂原君、君は幼いころ頃から習い事三昧だったよね…。ピアノ、水泳、学習塾、そして少年ラグビーチーム…。毎日忙しくて、ろくに自分の時間も無かったはずだ。」
ミノルは砂原を見透かすように言った。
―おまえ、俺の事、何でそんなに知ってんだ…。本当は俺の事好きだったのか?
砂原は鳥肌を立てた。
「繁充君! 砂原君ほど頑張ってる人、そんなにいないよ! ラグビーって、体はもちろん、すっごく頭を使うスポーツだよ! それを子供の頃からずっと続けてるなんて、凄いことだよ! だから、少しくらい分けてあげようよ!」
綾女はオロオロして言った。
―立川さんっ!
砂原は涙目で綾女を見た。
「そう! ラグビーは素晴らしいスポーツだ…。かく言うこの僕も、ラグビーワールドカップを見て、ソッコー、にわかファンになったくらいだ…。」
ミノルは言った。
―にわかかよ…。
砂原は歯をギリギリと食いしばった。
「しかしっ! 砂原っ! おまえはずっと、誰かの言われるがままにやってきたんじゃないのか? お母さん、お父さん、じーちゃんばーちゃん、そして親戚や近所のおばちゃんおじちゃん、学校の先生、習い事の先生…お利巧さんに言われる通りにやってきただろ!」
ミノルは砂原を指さした。
「それの何が悪いんだよ…。」
砂原は言った。
―砂原君、めっちゃいい子じゃん…。
綾女は思った。
「いや、何も悪く無い。何かを習得するということは、真似をする事から始まる。そうしなければなかなか上達はしない。おまえは何も悪く無い。」
ミノルは言った。
―だったら問題ねーだろ! 早く雑煮くれよ!
砂原は思った。
「しかしおまえはそんなレベルで治まるような男なのかっ? そうじゃねーだろっっっ!」
ミノルは突然砂原の肩を掴んで揺すりながら涙目で叫んだ。
「あの苦しい練習を耐え抜いてこれたおまえだ。そんなおまえだからこそ、人から与えられるままの人生なんて…送って欲しく無いんだ…。」
ミノルは号泣した。
「…繁充…おまえ俺のこと…そんなに思ってくれていたのか…。」
砂原は泣きそうな顔をした。
「…繁充君…砂原君…。」
綾女もジーンときていた。
「今ここで、俺がお前に雑煮を渡すことなんて簡単だ。しかし、そんなのでいいのか? そこにはお前の自由意志など何もない。与えられた物を何も考えずにただ消費するだけ。そこに創造性など何も存在しない。砂原という人間の個性も無い、眠った羊なのだ! パスカルは言った。『人間は考える葦』…なのだと。砂原、おまえはずっと眠り続けるのか? それとも、考える葦となるのか?」
ミノルは目をバッキバキにした。
「…お…おれ…目覚める…。考える…葦となるよ!」
砂原は泣きそうな顔で言った。
「分かってくれて嬉しいよ、砂原!」
ミノルは砂原を抱きしめた。
「繁充ぅ~!」
砂原もミノルを抱きしめた。
「…砂原君、繁充君!」
綾女も泣きそうだ。
「じゃっ、頑張ってくれたまえ!」
ミノルは何事も無かったかのようにそう言って、砂原の背中を押し、さっさと家庭科室から追い出した。そして残りの雑煮を満喫していた。
―壮大な話してたけど…結局お雑煮を独り占めしたいだけだったのね、繁充君…
綾女はミノルをジロっと睨んだ。