狂犬わんことお嬢様
「お前とは婚約破棄をする!!」
王立学園の卒業パーティー。そんなおめでたい場で、王太子がそんなことを叫んだ。その傍らには桃色の髪をした愛らしい少女がいる。
王太子には、幼いころより決められた婚約者がいる。名をティシェール・ソンファン。
美しい金色に煌めく髪と、ルビーのような赤い瞳を持つ美しい令嬢である。完璧な淑女として知られている婚約者がいるにも関わらず、王太子は学園内で男爵家の庶子の少女と親しくなっていた。
ティシェールはそれに対して、何かをすることはなかった。最低限、王太子に注意はするものの、それ以上の何もしない。
ティシェールは、何時だってその冷たく何を考えているか分からない瞳をまわりに向けるだけだった。
王太子はそんな冷たい公爵令嬢よりも、明るくて真っ直ぐな男爵家の庶子に惹かれたのだろう。
とはいえ、こんな場で突然婚約破棄を言い出すなどというのは非常識すぎる。
栄えある王立学園の卒業パーティーという場なので、学園外の卒業生たちの家族たちもきている。
その言葉に驚きにその場がシーンと静まる。
そしてその婚約破棄の言葉を向けられたティシェールへと視線は向けられる。
ティシェールが何か言葉を発しようとしたその時、それよりも先に動く影があった。
「お嬢様に何言ってんだ!!」
目にも止まらぬスピードで王太子に近づき、思いっきり王太子を殴りつけた少年がいたのだ。
そして殴られた王太子は、吹っ飛んでいき、壁にめり込む。
周りが益々静まり返った。
「ななななななっ!」
先ほどまで王太子の隣で、ティシェールのことを睨みつけるように見ていた男爵令嬢がめり込んだ王太子と、吹っ飛ばした少年を交互に見てうろたえている。
誰もが困惑している中で――、
「フェビー、待て」
今にもまた王太子に近づこうとしていた栗色の髪の少年は、ティシェールの言葉に止まった。
「だって、こいつお嬢様と婚約しているっていう幸運に恵まれながら婚約破棄するとかいったよ! 普段からお嬢様のことを蔑ろにしているし、お嬢様のすばらしさを分かってないし」
「フェビー」
フェビーと呼ばれた少年は憤慨した様子だった。そんなフェビーに、ティシェールが笑う。
――そう、いつだって冷たい瞳を浮かべ、何時だって無表情だったティシェールが笑ったのだ。
周りはその事実に驚愕する。
だけどその笑みを向けられたフェビーは、当たり前みたいにその笑みを受け入れる。そのことからもフェビーの前で、ティシェールがよく笑っていることが分かるだろう。
「貴方がそう言ってくれるだけで、私のために怒ってくれるだけで私は嬉しいわよ。だから待て、ね?」
「はい!」
「ふふ、いい子ね」
優しく微笑んだティシェールは、フェビーの頭を撫でる。フェビーは嬉しそうに笑っている。もし尻尾があればぶんぶん振っていたことだろう。
そうやって穏やかにフェビーとティシェールが話している中で、ようやくと言っていいのか、王太子の側近候補や騎士の一部がフェビーとティシェールを囲む。
その者たちは、一部の騎士が慌ててまだここにはやってきていない国王夫妻を呼びにいったことに気づいていない。
「お前、王太子殿下にこんなことをしていいと思っているのか!?」
「あぁ? お前らこそ、お嬢様になめた真似していいと思っているの?」
先ほどまでにこにことしながらティシェールに頭を撫でられていたフェビーの雰囲気が一瞬で変わった。
どこまでも冷めた目。そして、殺気が囲む者達に向けられる。
――冷酷な魔力が充満し、その恐ろしいほどに冷たい魔力は周りを恐怖に固まらせるのには十分である。
傍観していた者たちは、ただの一学生のはずの彼がどうしてそのようなことが出来るのかと驚愕している。
側近候補や騎士たちの中には、その魔力に怯みながらもフェビーに向かっていくものもいたが、フェビーに瞬殺された。
ちなみにこうしている間にも王太子はめり込んだままである。気絶している。困惑の中、誰も助け出そうとしていない。
「ねぇ、お嬢様。こんなバカな国にいる必要ある? 俺、ないと思うんですけど」
「ふふ、そうねぇ。別にこの国にいなくていいわね。私、王太子に婚約破棄された傷物になってしまったし」
「お嬢様は傷物なんかじゃありません!」
「でも貴族令嬢としての価値は大幅に下がったわ。私に求婚する相手なんて訳アリになるでしょうね」
「そんなの俺が許しません!」
「私もそういう相手と結婚するのは嫌だわって思うの。だからフェビー。貴方が私をもらってくれない?」
大人しく話を聞いていた周りは、話の展開が変わったぞと聞き耳を立てている。
大切なお嬢様であるティシェールに変な事を言うのは許さないと言った様子のフェビーが怖くて、その話に口をはさむことは彼らには出来ない。
「え?」
「まぁ! そんなに驚愕した顔をして、もしかして嫌なの?」
驚愕するフェビーに、ティシェールは悲しそうな顔をする。
それを見て慌ててフェビーが告げる。
「まさか! お嬢様が、そ、その、俺でもいいっていうのならば……えっと、でも、俺、お嬢様を幸せに出来るか……」
「あのね、フェビー。私は貴方と一緒に居られるだけで幸せだから、それでいいのよ。だから、私をもらいなさい」
「はい!!」
命令口調で頼まれて、ティシェール大好きなフェビーは大きな声で頷いた。
ティシェールは王太子に婚約破棄されたのをいい機会だと思っていたのか、新たな結婚相手をさっさと決めてしまった。勝手にそんなことを決めていいのだろうか? と周りは困惑するが、二人だけの空間を作り出しているし、フェビーが怖いので口は出せない。
「嬉しいわ。フェビー。じゃあ、私を攫ってくれる? 私、貴方と一緒にいたいし、婚約破棄なんて馬鹿なことをする王太子が居る国にいるのもちょっと嫌だもの」
「もちろん!!」
ティシェールが悲しそうに俯きながら言えば、フェビーは即答である。
フェビーはティシェールの言うことなら、何でも頷きそうだ。
周りは今まで無表情だったティシェールがフェビーの前だと表情豊か過ぎて驚いている。……ちなみにいうと、ティシェールの家族もこの場にいたりするのだが、彼らは平然としているので彼らからしてみても別にティシェールとフェビーがくっついても問題ないのだろう。
フェビーは、懐から何かを取り出すと、それで音を鳴らす。それと同時に魔力がどこかに向けられる。
少しして、窓の外に何かが現れる。
――それは、グリフォンと呼ばれる魔獣である。
傍観していたものたちも、驚愕で動けないものたちも益々恐怖で身体を固まらせる。
けれども、フェビーたちは驚く事にそのグリフォンに話しかけた。
「グーちゃん、俺とお嬢様、のせてくれる?」
そう言えば、嬉しそうにグリフォンが鳴いた。
どうやら獰猛な魔獣であるグリフォンを飼っているらしかった。
と、そこにバタバタとした足音が聞こえてくる。そしてその場にやってきたのは、国王夫妻たちである。
「ま、待て! ティドラー卿!! 他国に行かないでくれ!」
国王は壁にめり込んでいる自分の息子に目もくれずに、フェビーに向かってそう言った。
その言葉にまたその場がざわめく。
ティドラーというのは、つい一年ほど前に爵位をもらったばかりの伯爵である。そして魔物の大繁殖期において、竜を殺した『竜殺しの英雄』の名である。パーティーなどにも顔を出さず、噂しか出回っていなかった英雄。
――それがフェビーであると、国王が言ったのだから周りが驚くのも当然であろう。
「嫌ですよ。お嬢様を蔑ろにする国になんていたくないですし」
「そこをなんとか!!」
英雄が他国に行ってしまうことを、国王は阻止したいらしい。
しかしフェビーは全く気にした様子がない。
「無理ですよ、さ、お嬢様行きましょう」
「ええ」
そして制止の声も聞かずに、フェビーはティシェールの手を引いて、グリフォンに乗り、その場から去って行ってしまうのであった。
フェビー・ティドラーは、英雄である。ただし、その所業も”お嬢様が魔物を怖がったから”という理由で行われたものである。
元々孤児であり、お嬢様に拾われ、お嬢様のことしか考えていない。
そのため、王太子が自分の大切なお嬢様を蔑ろにすれば国なんてどうでもいいと思うのが当然の思考であった。
フェビーにとって、ティシェールが幸せならばそれでいい。逆にティシェールを悲しませるものがいれば、狂犬のように彼は暴れることだろう。
そういうわけで、フェビーとティシェールはペットのグリフォンの上に乗って空の旅の最中である。
「ねぇ、お嬢様は何処に行きたいですか?」
「フェビーと一緒なら、どこでもいいわよ」
グリフォンの上で、フェビーが問いかけた言葉に、ティシェールもそう言って笑った。
ティシェールの笑みを見て、フェビーも笑みを溢した。
――そして二人は、祖国を出ることになる。
祖国を出た後も祖国の者に接触されたりと、色々あるわけだが、まぁ、そのあたりは二人にとってはどうでもいいことのようである。
王太子をぶん殴る子を書きたくなったので、書いた短編です。
ちなみに王太子はしばらく壁にめりこまれたままでした。
ティシェール・ソンファン
公爵令嬢。基本的に他人に興味がなく、興味がない人には無表情。
自分で王妃になんて向いていないし、王太子と結婚したくないなと思っていたので婚約破棄自体は喜んでいる。幼い頃にフェビーを拾ってからは、フェビーのことが大好き。ただその段階でもう王太子と婚約していたため、諦めていた。婚約破棄してもらえたので、フェビーと一緒に居ようと思っている。
フェビー・ティドラー
竜殺しの英雄。戦闘能力が凄まじく爵位をもらっているが、正直それに対して執着はない。お嬢様第一。お嬢様に拾われてから、お嬢様が一番大事。お嬢様に何かあるなら国でもなんでも敵に回す。
お嬢様の前では犬みたいだが、お嬢様に何かあると狂犬みたいになる人。