夏の終わりの、そのあと
本編のほうを全編改稿いたしました。
改稿完了の記念に日常のぐだぐだ話を一話追加です。
喫茶店モカは昼過ぎの忙しい時間を終え、夕刻のピーク前である今はポツポツと常連の姿があるだけの穏やかな時間帯に差し掛かっていた。
その、一番奥の席。
ケーキが大量に並ぶテーブルを挟んで、廸歩と瑠璃は向かい合っていた。
まるでホテルのスイーツバイキング会場のようなケーキや焼き菓子の大群を目の前に、二人は疲れた顔でそれぞれの皿の上に載ったケーキをつついていた。
モカのオーナーから「新商品開発のためのモニターになってくれ」と言われた廸歩は、友達もつれてきてねという言葉になるべく多くの意見が欲しいのだろうと思い、オーナーとも多少面識のある瑠璃に声をかけて店にやってきた。
――そして、新作のケーキがせいぜい一、二種類だろうと思っていた迪歩と瑠璃は、到着するなりテーブルを覆い尽くす大量のスイーツの軍団を見て、絶句して顔を見合わせた。
どうやらモニターというよりも、作りすぎて始末に困ったから食べて欲しいということだったらしい。
新作開発に目覚めて張り切ったオーナーが作り出したお菓子たちは種類が多く、しかも彼女の豪快な性格を映すかのように一つ一つが巨大だった。
そして、これらを作り出した張本人は張り切りすぎて疲れから熱を出し、本日はバイトの由依が一人で店を回している。
「残ったら捨てることになるから、全部食べてね!」
自棄のような笑顔でそう言った由依は、私はもうお菓子見たくない……とうわ言のようにつぶやいてカウンターの内側に引っ込んでいった。
「そうそう、そういえば、チホ実家に帰ったんだって?」
半ば食べ進めることを諦めて、白桃のレアチーズケーキが最も映える角度を追求した写真をとっていた瑠璃が、ふと思い出したようにそう言った。
「うん。あれ、私瑠璃に話してたっけ」
「チホからは聞いてないよ。ほら、中学で同じクラスだった村上くん覚えてる? 村上亮太」
「あー、いたね」
顔は全く思い出せないが、名前には聞き覚えがある。
地元に帰った数日の間、チカにショッピングモールなどを連れ回されたのでその時にその村上くんとやらに目撃されていたのだろう。
きっとそこから家族経由で話が回ったのだ。田舎は独自の情報網が発達しているため、異変があればすぐに関知されてしまう。
「――の、お兄さんの友達がスーパーでチホを見かけたっていう情報がうちのおばあちゃん経由で私のところに」
「……私、村上兄の存在自体知らなかったのに、さらにその友達って誰よ」
目撃者は村上くんではなかった上に、村上家の人ですらなかった。
瑠璃はケラケラ笑いながら廸歩の皿のケーキに載っていた洋梨をフォークで刺し、自分の口に運んだ。
「田舎怖いよねー。まあチホは特に目立つからなおさらだけどさ」
「なんで……? 私は静かに生きてるのに。あとなんで今私の洋梨取ったの」
「チホってば本気で言ってるの面白い。見た目で目立つのもあるけど、今まで全然帰らなかったでしょ? 遠い北の試される大地に行ったきり消息を絶ってた人間が突然帰ってきたら話題にもなるよ。あと洋梨は食べたかったから。代わりに桃あげる。好きでしょ?」
「ほんと? やったあ」
「はい、あーん」と差し出された桃を口で受け取り、もごもごと咀嚼する。
そこへモカのエプロンを着けたままの結衣がやってきて、廸歩の隣の椅子にどっかりと腰掛けた。
「人が労働している脇できれいどころが女同士でいちゃついておる……」
「お疲れ様。結衣も食べなよ」
「ほら、結衣ちゃんも、あーん」
にこりと天使のような愛らしい笑顔を浮かべた瑠璃が、生クリームたっぷりのケーキの塊が載ったスプーンを差し出す。
「そんな天使みたいな顔して差し出しても食べないから」
廸歩たちが来る前に散々食べさせられた結衣は、もう生クリームを見ただけで気持ち悪くなるらしい。
廸歩も似たような状態で、先ほどからかろうじて上に載っているフルーツだけをつついているような状態だった。
瑠璃がスプーンを皿に戻すのを見ながら、結衣は渋い顔で濃いめに淹れた紅茶を一口飲み、テーブルに頬杖をついた。
「にしても廸歩って地元だと行方不明者扱いなのね……でも、それって瑠璃ちゃんも似たようなものなんじゃないの?」
「私は別に。チホと違ってちょいちょい帰省してるもん」
廸歩と同じく、瑠璃も北の大地へ行っているし、地元でも有名な美少女だ。注目度自体はそれほど変わらないはずである。
しかし、大学に入学してから本当に一度も北海道から出ていない廸歩と違い、瑠璃は連休や長期休暇ごとに帰省をしている。その分話題性は劣るらしい。
「あー、廸歩は一回も帰ってなかったんだっけ?」
「うん」
「久しぶりの地元をエンジョイしてきたかい?」
「うん、セミの抜け殻を集めたよ」
「小学生かよ」
「久しぶりにいっぱい見つかるから楽しくなっちゃって……」
廸歩の返事に、結衣はコトンッとカップをテーブルに置き、ため息を落とした。
「小学生だった……まあ札幌中心だとあんまり見ないもんね、セミ」
「そうなの。だから、生息してるセミ全種類の抜け殻を集めてついでに分布傾向を調べようと思って――」
「無駄に研究者根性~」
「――裏山に入ってたらうっかり帰りが遅くなって、妹と従兄弟にガチギレされて、それ以降一人での外出を禁止されちゃったから、後はほとんど家でテレビ見てた……」
大学に入る前は、山の中などでは物の怪のようなものとの遭遇率が高く、危険であるためあまり深くまで行かないようにしていた。しかし今は狐の槐が一緒だし、加えて裏山は土地神の白露のお膝元でもあるためトラブルの起きようがない。そのため油断してふらふらしていたら、帰宅予定だった夕食の時間に、だいぶ、大幅に、間に合わなかったのだ。
チカと和樹のキレようはすさまじかった。
「チカちゃんも姉が小学生だと苦労するねえ」
「廸歩は小学生より知恵と行動力があるからなおさらやっかいだよね」
瑠璃と結衣のあきれ果てた声を聞きながら、廸歩は視線を泳がせて生クリームの載っていないラズベリーのムースを引き寄せてスプーンですくう。
爽やかな、甘酸っぱい香りが食欲をそそる。
――が、そのスプーンを口元に運べずに廸歩は肩を落とした。
「クリームのないヤツならいけるかと思ったけど……今とても煎餅が食べたい」
「分かるー。スイーツバイキングのポテトとかカレーって偉大だよね-」
何度目かのため息と共にテーブルの上に残るケーキたちをうつろな目で見つめる。
捨てるのはもったいないのだが、でももう食べられない。
「一応完成してない試作品だし、初めてのお客さんたちに出すのはよくないと思うんだよね。……でも常連の老人たちの胃に詰め込むのも限界っぽいし、処分かなあ」
「結衣ちゃん、言い方」
店内にその常連の老人たちがいるというのに普通の声で失礼なことを言う結衣に、瑠璃が顔を引きつらせる。だが、長年モカでバイトを続けている結衣と常連客たちはいつもそういう軽口の言い合いをしているのだ。
「ちーっす」
「どうもー」
そんなとき、入り口のガラス戸を押し開けて二人の少年が入ってきた。
「お! 上田! 吉井! 男子高生! 救世主!」
「はい? 救世主が降臨しましたけどなんですか?」
入ってきたのは翼の友達で、モカ常連の上田とその仲間の吉井の二人組だった。
いかにも量を食べそうな少年たちの登場に、結衣は顔に喜色を浮かべて弾むような足取りで少年たちを出迎えた。
「飢えた少年たちに甘味を恵んでやろう。ケーキ食べ放題。持って帰っても良いよ」
「マジすかやったー」
「うおお、ラッキー」
色めき立って由依についてきた二人は、テーブルの上に並ぶケーキ群を見るなり「うわ……」と引いた声を出した。
「ヤバイっすねこれ……あっ、今井さんお久しぶりです」
「お久しぶりです」
「初めましてー」
「なんかきれいなお姉さんが二人もいる……」
小さくお辞儀をした廸歩と、にこりと天使の微笑みを浮かべた瑠璃に頬を染めた吉井の肩を、結衣がガシッと掴む。
「きれいなお姉さんは、三人、だろうが」
「ハイ、スミマセン三人いました」
にこぉ、と迫力のある笑みを浮かべた由依に、染まった吉井の頬はサッと元の色に戻った。
「でも上田組二人か……今日に限って少ないなあ。せめてあと一人くらい欲しい」
「ああ、もう一人来ますよ。ここ入る前に電話かかってきたから外にいますけど」
「お、優秀だね上田少年。でも電話で呼び出されて帰っちゃったりしない? そうなったら上田少年ペナルティね」
「まじすか。暴君すぎる」
引きつった笑いを浮かべ、上田は店の入口に目を向けた。
「しかし、また告白の呼び出しかね」
「かもなー。彼女いるって言ってんのに普通に告られるのやばいよな」
「なにそれ。てか誰よ、そんなモテてんの……って上田組なら一人しかいないか」
「お察しの通り古原氏です。――彼女いるって言っても実際に会った奴がいないから、断るための口実だと思われてるっぽいっす」
「え」
古原は翼の名字だ。
彼女がいるという言葉に微妙に気恥ずかしさを覚えつつも、それでも告白されまくっているという事実に胸がモヤモヤする。
思わず声を発してしまった廸歩に、全員の視線が集まる。
「廸歩どうかした?」
「なんでもない」
表情が出にくくて良かった、と思いながら頭を振る。
たくさん告白されたら、その中には廸歩よりもずっと魅力的な人だってたくさんいるだろう。少なくともセミの抜け殻を探し歩いて妹に説教されるような特殊な人はいないはずだ。
そう思うとどんどんしょんぼり落ち込んでいく。
「……まあ、とにかく、もう学校行事もほとんどないし、特に接点がなくなる下級生が焦ってるみたいでしょっちゅう声かけられてるんですよ」
「俺、初めはあのモテっぷりがうらやましかったけど、今は大変そうだなあとしか思わなくなったわ」
「だよなあ……実際に彼女が表に出てくればおさまるかもしれんけど、それはそれで彼女のほうがすげえ妬まれて大変そう」
「あー……その古原くんの彼女ってどんな人なの? 年上とか年下とか。年上なら自分でなんとかするかもだけど年下だと可哀想だよね」
「さあー? ウチの学校の人じゃないってことしか知らないっす」
由依の言葉に、上田は首を傾げる。
そこへ――。
「俺の彼女なら今そこにいるけど」
「あ、翼……――えっ、そこってどこ!?」
「ここ」
いつのまにか店の中に入ってきていた翼は、スマホをポケットにしまいながら廸歩の横に立った。
「廸歩さんがこの時間にモカいるの珍しいね」
「ケーキを食べに来たので……」
「何でこんな大量に……それに何で廸歩さんそんな凹んでんの?」
「翼くんがモテてるので……」
「……は?」
しょんぼりした廸歩の断片的すぎる言葉に、理解が追いつかずに翼は首を傾げた。
翼が聞いたのは由依の、「彼女ってどんな人」というところからだったのでここまでの会話の経過が分からない。
もしや、上田たちになにかろくでもない話を吹き込まれたのだろうか。そうだとしたら上田たちをシメなければならない――。
やや不穏なほうへ思考が進み始めた翼へ、上田と吉井が詰め寄ってくる。
「いや翼、お前今井さんと付き合ってんの!? いつの間に!?」
「そうだよ、モカにきれいな人がいるって言ったときは興味なさそうにしてたくせに! 裏切り者!」
「覚えてない」
本当は覚えているが、その辺りのことをわざわざ説明する必要もない。そんなことよりも迪歩の様子だ。表情はいつも通り変わっていないが、先ほどからドヨドヨと落ち込んだ気配を感じる。
「覚えてないなんてひどいわ翼。あたしとは遊びだったのね!」
「ああそうだよ。お前とはもう終わりだ」
「このろくでなし!!」
「はいはい――あ、青柳さんお久しぶりです」
絡んでくる吉井を適当にあしらって、そしてそこで翼は迪歩の向かいにいる女性が青柳瑠璃だということに気付いた。彼女とは夏前に大塚の関係で会って以来である。
「きれいなお姉さん二人とも顔見知りだと……?」
「三人」
「ハイッ、三人です」
吉井がさらに絡んできたが、由依に肩を掴まれて大人しくなった。
「椿くん久しぶりー。よくチホが凹んでるって分かったね」
「まあ……何となく」
「さすが彼氏。ちなみに、チホは今、椿くんがモテモテという話を聞かされて、一方の自分はセミの抜け殻を集めて妹に説教されてるような人間だから釣り合わない――とかなんとか考えて凹んでると思われます」
「瑠璃!」
あまりにも的確に迪歩の心情を説明してのけた瑠璃に、迪歩はヒャッとなる。
これでは翼の謎の彼女はセミの抜け殻収集癖があると噂になってしまうかもしれないではないか。謎が深まる上に翼の評判も落ちかねない。
「セミの抜け殻」
「……セミ?」
上田と吉井もぽかんとした顔をしている。
一方の翼は――笑いをこらえて肩を震わせていた。
ここが喫茶店の中でなかったら、爆笑していたのかもしれない。
「迪歩さんは期待を裏切らないよね。――可愛いなあ」
笑いを噛み殺した翼から、思わず漏れたらしい最後の一言に迪歩の頬が赤くなる。
しかし。
「……! セミなのに可愛い……?」
「チホ、可愛いのはそこじゃない」
「迪歩、セミから離れて」
素早く女性陣のツッコミが入る。
「……今井さんってクールビューティーだと思ってたけど、喋ると雰囲気違うんすね。なんか天然可愛い系」
「そうだよ、可愛いんだよ。ちょっかい出すなよ吉井」
「出さねえよ。どう考えても勝ち目ないし。くそお、翼のくせにいちゃつきやがってー。俺も彼女欲しいー」
嘆く吉井をさり気なく迪歩から遠ざける翼の様子に、由依はちらりと上田を見て首を傾げた。
「吉井くん名指しなのね。上田くんはいいの?」
「……上田は、絶対ないですから」
「絶対? 古原くんは自分の彼女の魅力を信じてないの?」
「うーん、そうじゃなくて」
翼は苦笑交じりに上田へ視線を向けた。
視線を受けた上田は不自然なくらいに良い笑顔でケーキの乗った皿を手に取り、翼の手に押し付ける。
「翼、ケーキ食べようぜ。俺が好きなのをとってやる」
「いや、いらん」
「お、じゃあ俺は翼に食べさせてやろう」
「やめろ!」
じゃれ始めた男子高生たちに、答えをはぐらかされた由依は不満げな顔で腰に手を当てた。
「もー。君ら、あんまり騒ぐと沸騰したお湯かけるからね?」
「鬼だ、鬼がいる」
「さすが由依さん、発言がエグい」
「よし、お湯沸かしてくる」
そんなやり取りを脇目に、迪歩は瑠璃にだけ届く声でぼそっと囁く。
「上田くんがモカに日参する理由ね、由依だけ気付いてないの。オーナーと常連さんたちはずっと上田くんの片思いを見守ってるんだよ」
「微笑ましい〜。私もまた彼氏欲しいな。今度はストーカーも浮気もしない人」
「……ははは」
なんとも答えにくい言葉に苦笑いした迪歩は、本当にお湯を沸かしにいった由依を思いとどまらせるべく席を立った。
カウンターの上の、店内がよく見渡せる場所にはいつの間にか一匹の猫が座っており、しっぽを揺らしながらまどろんでいた。