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84. 清めの光

「珍しいな、お前から来るのは」


 祖父は体の調子が良いようで、ベッドの上で上体を起こして新聞を読んでいた。

 扉をノックして廸歩が中に入ると、彼は新聞をたたんで脇に置き、廸歩の方を向く。

 今までだったら、話しかけてもこちらを向きもしないというのが普通だったので、たったこれだけのことで廸歩は恐怖におののく。

 祖父がこちらを向くのは、怒られるときだけだったから。


「お願いがあって……あの、ふゆさんの離れにあった風鈴を、お祖父ちゃんが持っていると聞きました。それを貸して欲しいんですが」

「……」


 祖父は一瞬戸惑うような眼をしたが、なにも言わずにベッドから降りるとガラス扉の付いた飾り棚の一番下の段を開いた。

 ちらりと覗き見えた様子では、大事な書類などをしまっている場所なのかもしれない。――その中から祖父が取り出したのは見覚えのある古く小さな段ボール箱だ。中には緩衝材にくるまれた風鈴が入っているはずである。


 それを無言で差し出される。廸歩は慌てて手を出してそれを受け取った。

 微かな重みとともに、箱の中から『かろん』と鈍く小さな音が聞こえる。


「ありがとうございます。明日にはお返しします」

「ああ」


 一つ大きく息を吸って、ゆっくり吐く。

 そして「あの……」と切り出した。


「昨日のお話ですけど……私には、お祖父ちゃんを許すことも許さないこともできません」

「……そうか。それで構わない」


 もとより返事があると思っていなかったのかもしれない。祖父は特に感情の見えない声で答えた。

 だが、迪歩が言いたかったのはこれだけではない。祖父の視線に逃げ出したくなる自分を励ましながら言葉を続ける。


「……私が今まで選んできたのは、いつでもお祖父ちゃんに怒られないための選択肢でした。それはきっとすごくよくないことなんだと思います。でも……私にはそれが普通で、だから他の答えの選び方が分からないんです」


 そこでいったん言葉を区切る。

 祖父が口を開こうとしたのを「だから」と続けて遮る。


「だから、これから考えます。今、私、やっと自分が周りの人から大事にされてるんだっていうのが分かって、それでやっと自分のことを大事にしようって思い始めたんです。……自分が本当はどうしたいのか、ちゃんと考えてから返事をします。なので……私がちゃんと返事をできるまで、えっと……多分何年もかかると思いますけど、お祖父ちゃんは病気をしたり倒れたりしないで待っててください」


「……分かった。努力、しよう」


 祖父は驚いたような顔をした後、少しだけ目元を緩ませ、静かにそう答えた。

 言おうと思っていたことを言いきった廸歩は息を吐いて、知らず知らず力が入っていた肩の力を抜いた。


「あ」


 力を抜いたら、もう一つ伝えようと思っていたことを思い出した。


「あと、ふゆさんはお祖父ちゃんがふゆさんにしてきたこと、怒ってないと思います。だって家族のことを大切にしてた人ですから。逆にそうやってお祖父ちゃんが悩んでることを申し訳なく感じてると思います」


 廸歩の言葉に応えるように、手の中の箱からまた『かろん』と音がこぼれた。そのタイミングに驚いたように祖父の視線が箱に注がれた。


「そうか……そうかもしれないな……」

「じゃあ、失礼しました」


 ぺこっと頭を下げて部屋を出る。

 返事はなかったが、扉を閉めるときにちらりと見えた祖父は片手で顔を覆って立ち尽くしていた。

 頬に光るものが見えたのは、窓からの光の反射だったと思うことにした。



***



 さて、風鈴は手に入れたので後は夜を待つだけだ。

 祈祷というからには白装束やら水浴びやらで身を清めたり、しめ縄や紙垂(しで)を用意したりすべきなのかと白露に聞いたら「いらん」と言われてしまったので他に用意するものはない。あえて言うなら虫よけくらいだ。


「チカ、もし明日私の姿が見えなかったら裏山を見に来てね」

「……なに死亡フラグ立ててるの……? 裏山になんかあるの?」

「特になにもないけど、一応。この間ちゃんと細かく報告しろって言われたから」

「……危ないことしないようにとも言った気がするけど?」

「危なくはないよ。ただちょっと、外で寝てるかもしれないから」

「は?」


 やることは『神降ろし』なため、条件がそろっていても霊力を使いすぎて気絶する可能性があると言われているのだ。

 (えんじゅ)がいるので大丈夫だとは思うが、長時間外で伸びていて野生動物に襲われたりマムシにかまれたりするのは怖い。


「それは、私がついてくってのはだめなの?」

「ん-、多分。私が大丈夫でもチカが大丈夫かどうかは分かんない」

「……まあ、了解。明日もしケガしてたら折るからね」

「え。……ちなみになにを折るの」

「その時の私の気分次第で。骨とか心とか」

「……気を付ける」


 そんな会話がありつつ、 夜を迎える。



「行こうか、えんじゅ」

「うん」


 昨日と同じ、ふゆの離れのあった空地へと向かう。

 新月の夜の森は本当に明かりがなくて真っ暗だ。

 知っている道とはいえさすがに無灯で歩くのは危険なので、LED懐中電灯の光を絞って薄く照らして歩く。あまり明るくすると槐が逆に見にくくなるからだ。

 腰丈まで伸びていた草は昼のうちに踏み倒したり刈ったりしておいたので、それほど苦労なく空地の中央部分へ辿り着いた。


 懐中電灯を地面に置いて、持って来たカバンの中から割れないようにタオルで包んだ風鈴を取り出す。


「じゃあ、始めます」


 少し離れたところで見ている槐に声をかける。もしなにか不測の事態が起こったときに槐がそばにいると共倒れになるかもしれないので離れてもらっているのだ。


 タオルを開くと、青く染めつけられたガラスの風鈴が姿を現す。

 結びつけられた麻紐をつまんで持ち上げると、リン、と短く音が鳴った。


 そのまま目の高さに持ち上げ、揺らす。


 リィン……リィン……


 長く、細く余韻を引きながら澄んだ音が夜の森に響く。

 

 リィン、リン……リリ


 響きが少し歪んで聞こえ始める。

 それと同時に、体がひどい疲労感に襲われていく。目の高さに掲げた腕も重い。


 リン


 音が止まった。

 まるで木々が息をひそめたように周りの空気がシンと張り詰めている。

 白露が現れる気配はまだない。


 ――失敗した? それとも成功?

 ――どっちにしても、もう体に力が入らない……。


 膝の力が抜けて前のめりに体が傾いでいくのを感じる。これは明日チカに折られるコースかもしれない……。そう思いながら、迪歩は目を閉じる。


 トンッ


 地面に倒れる衝撃を覚悟していたのに、なにかにふわりと支えられ、そしてゆっくりと地面に座らせられた。

 薄く目を開くと、絶世の美貌の男が白い光を淡く纏った姿で廸歩の体を支えていた。


「……はくろさま……」

「よくやったな廸歩。後は私の仕事だ――槐、廸歩を支えてやってくれるか」

「わかった」


 とたとたと駆け寄ってくる音の後、背中にあたたかな感触を感じた。廸歩が倒れないように槐が背中を支えてくれているのだ。


「さあ、二百余年ぶりの清めを始めようか」


 そう言うと白露は手に持っていた一振りの剣を無造作に地面に突き刺した。

 突き立てられた剣と地面の隙間からは、まるで血がにじむように少しずつ黒いもやが染み出すように湧き出てくる。


(はし)れ」


 その言葉と同時に、一瞬空が明るく光り、一条の真っ白な光が空気を引き裂くような勢いで一直線に空から剣に向かって落ちてきた。

 あまりの眩しさに廸歩は腕で顔を覆う。全身を緩くなでるようにチリチリとした静電気が走っていく。



 眩しさの残像で視界がなかなか戻らなかったのだが、剣を打った光はほんの一瞬だったようだ。

 ぱちぱちと目を瞬かせていると、白露が剣を引き抜くのが見えた。


「ふむ。うまくいったな」

「白露様すごくまぶしかった。そんなこと言ってなかった」

「ああすまない。お前たちには光が強すぎたか」


 不満げな槐の声に、白露は笑いながら答えた。そして廸歩に目を向ける。


「廸歩は限界のようだな。芙遊の愛し子をこのままここに放置するわけにもいくまい。家まで送ってやろう」


 白露の声を聴きながら、廸歩は意識を手放した。

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