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82. 世界の方が間違ってる

「たのしんで、いた?」


 さすがに無表情の迪歩も自分の顔が若干引きつっているのを感じる。こちらは本気で悩んでいたのだ。

 そんな迪歩を慰めるように(えんじゅ)が足元にすり寄ってきた。


「みちほ、白露(はくろ)様は意地が悪いんだ」

「意地が悪いとはひどい。人間を試すのは神の本質だよ」

 

 神の本質のという割に、からかいの要素が強い気がする。

 廸歩はむうっとしながら槐を抱き上げて撫でる。生き物を撫でると鎮静効果があると聞いたことがあるので少しは落ち着くだろう。


「……つまり私のご先祖様は、祈祷によって土地神様に清めを依頼していたと」

「そういうことだ」

「うーん、でも、もしその祈祷が行われなかったら神様は清めをしないんですか? 淀みが溜まっていけば白露様が土地を守るのにも支障が出るのでは?」

「あまりひどくなればこちらから動く。だが、現時点ではそこまでとは言えない。我々にとっての『支障』と人間にとっての『支障』は程度が違うのだよ」


 白露によれば、現在今井家で起きていることは神の視点ではそれほど問題のあるものではないという。

 神々にとっての『支障』というのは災害が起きたり、怨霊怪異が多数発生したりして民衆に害を及ぼすというレベルで、少なくとも複数の死人が出るくらいの事態なのだそうだ。


「では、過去の人達はそれを人間の『支障』段階で清めてもらえるようにお願いしたっていうことですか」

「そうだ。私は現状を把握していても、そういう理由がなければ動けない。難儀なものだが」


 清め自体は簡単なものなのにな、と言って白露は自嘲するように嗤った。槐の救出のときもそうだったが、神様もなかなか制約が多いものらしい。


「その祈祷は私にもできることでしょうか?」

「お前の先祖がやっていた祈祷方法自体は私も知らない」

「そうですか……」

「だが要は、人の世界から祈禱者がこちら側へ呼びかけ、それに応じた私が人の世界に渡って清めを行う、というのが全てだ。――つまり、私があちら側へ渡るために呼びかけるのがお前の役割だ」


 実際のところ、白露は好きにこちらとあちらを行き来できるそうだ。が、普通に人の世界に行った場合、彼の能力は人間と同程度まで抑えられてしまうのだという。

 そのため、清めをしてもらうためには白露に『神』として来てもらう必要がある。そのために祈祷という手順が必要になるらしい。


「迪歩はこちらと縁深い。それに、物の怪のようなこちら側に近いものを寄せやすい質だからそれほど難しいことはないだろう。……重要なのは日と場所だな。朔の夜まで待つ必要がある。月が太陽を遮り、陰の気が強くなると世界の境界が朧になって呼び声が通じやすくなるからな」

「朔……新月ですか」

「場所は、今日迪歩がこちらに渡ってきた場所だ。あそこは元々今井の当主が祈祷を行っていた場所なんだよ」

「新月の日に、今日と同じ場所で……呼びかけるってなにか祝詞的なお祈りですか?」

「ふむ、まあ声でも音でも何でもいいのだが、なるべく縁のあるものを使うほうがいいな……そうだ、ここに来るときに鈴の音がするだろう」


 いつもここに来るとき、リィンと澄んだ音が聞こえる。

 廸歩にも聞き覚えのある音だ。


「ああ……あれは風鈴の音ですよね」

「そうだ。あれはつまり、こちらからあの風鈴の音で迪歩へ呼びかけ、そしてお前はそれに応じてこちらに渡ってきている。――その逆をやればいい。鈴の音は境界を越える……特にあの風鈴は芙遊(ふゆ)のお気に入りの物をこちらで再現したものだし、迪歩も縁があるものだ」

「……ふゆさんの離れに吊るしてあった風鈴ですよね。多分、まだうちに保管されてるはずです」


 ふゆが大事にしていた、魚の絵のついたガラスの風鈴だ。

 祖父によって離れの建物自体は取り壊されてしまい、そのときに遺品もほとんど処分されてしまっている。そのため風鈴も処分されたものだと思っていたのだが、たまたま倉庫の中で探し物をしているときに棚の奥にしまい込んであるのを見つけてしまったのだ。

 ――そのときは見てはいけないものを見たような気がしてそっと元の場所に戻したのだが、おそらくそのままあの場所に置かれているだろう。


「それは重畳。あれは元々私が、人間だった頃の芙遊に買い与えたものなんだ」


 人間だった頃というと婚姻の前。

 そんな思い出の品であればふゆが大事にしていたのも頷ける。

 そんな話をしていると、離れたところから女の声が割って入った。


「夏祭りで買ってもらったのよ。まだ残ってるのね」

「おや、芙遊」


 話し声が聞こえたわ、と建物の中から芙遊が出てきた。

 前は洋装だったが今回は涼し気な紗の着物をまとっている。かんざしでゆるく上げた髪もあいまって大人の女性という風体だ。……が、その顔は大きく頬を膨らませて完全に子供の顔である。


「ひどいわ白露。迪歩ちゃんが来ているなら教えてくれればいいのに!」

「君は寒露(かんろ)と話をしていただろう」

「また拗ねてる。寒露様はしょっちゅう来るからどうでもいいのよ」


 芙遊によると白露は非常にやきもちやきで拗ねやすいそうだ。

 神様なのに……と思わなくもないが、そういえば神話の神々は日本に限らず感情豊かなので、もしかしたらそういうものなのかもしれない。

 しかし、寒露様というのがどんな人物かは知らないが、どうでもいいというのはひどい言いようである。


「寒露様は、槐に加護をくれた龍神だ。どうでもいいと言われてしまった」

「……ええと、札幌周辺を管理してるっていう……。どうでもいいって言ったね」


 槐が補足説明をしてくれる。なんと、こちらも神様だった。

 芙遊も一応名前に『様』はつけているが、敬意というものは特にないらしい。


「どうでもいいと言われてしまったな」


 突然、真横――というよりも真下で聞きなれない声がして迪歩が視線を下げると、一匹のエゾリスがいた。


「みちほ、それが寒露様だ」

「エゾリス……え、これ……こちら、が?」


 これと言いかけて慌てて言い直す。


「あの辺りの生き物の中で最も愛らしい姿を模してみたのだ」


 「愛くるしいじゃろ?」と言って胸を張るエゾリス、もとい、寒露はたしかに非常に可愛らしかった。その分、威厳のようなものは皆無である。

 廸歩は神様というものは皆、白露と同じように人の姿をしていると思っていたので、まさかのリス姿に開いた口が塞がらない。

 そして、この姿に敬意を払えるかというとちょっと難しいかもしれない。


「我々はそれぞれ、己の好きな姿を取るのだよ。人とのやり取りが多いので人の姿を取るものが多いがな。だがわしはそういう利便性よりも愛らしいほうが好きじゃ」


 愛らしい。愛らしいのだが、狐の槐のすぐそばにいられると食物連鎖を考えてしまって落ち着かない。

 そんな廸歩の危惧には気づかず、寒露はクククッと笑いながら小さなお手々で白露のほうを指し示した。


「白露は自分の嫁御がわしを可愛がるのが気に入らんのだ。全く心の狭い奴だ」

「聞こえているぞリスめ。どうでもいいと言われたくせに」

「聞こえるように言うておるのよ。どうでもいいというのは、それだけわしがこの場に自然に溶け込んでいるということよ」


 寒露は素早く迪歩の肩に駆け上ると、ふさふさのしっぽで迪歩の頬を撫でた。


「あのやきもちやきは放っておこう。さて、娘御――迪歩と言うたかの。先だっては槐を救ってくれてありがとう。我らは力があっても自由に振るえぬ身なれば……ほとほと困っていたのだよ」

「いえ、そんな……私の力っていうわけではないですし」

「謙遜は美徳だが、他人の恩は遠慮せずに受け取っておくものよ。娘御は札幌に住んでいるのだろう? わしの管轄内のことであれば多少の便宜を図れるが、なにか願いはないかの」

「ね、願いと言われても……」


 突然願いと言われてもなにも思いつかない。それに、神様が図れる『多少の』便宜というのも具体的にどういうものなのか分からない。

 第一、あの件であちこち動き回ったのは九環の皆だし、最終的に槐を救ったのは白露のくれた花だった。その礼を自分が代表して受け取るというのも抵抗がある。

 そう考えこんでいると腕の中の槐がべろんと廸歩の頬を舐めた。


「みちほ抜きでも解決はしたかもしれないが、あのとき、みちほがあの場所にいなければ槐は今ここにはいない。だからみちほが槐を救ったんだ。槐は今、ここにいられてうれしい」


 槐はそう言うと顔を摺り寄せてくる。


「……そっか。私もえんじゅがいてくれてうれしい」


 廸歩もそれに応えて槐の背中を優しく撫でた。


「ふうむ、二人でいちゃついているところに割り込んで申し訳ないが、願い事の件は特に急ぎはしない。思いついたときにでも教えておくれ」

「いちゃついてはいません」

「そうだ、いちゃついてなどいないぞ寒露様。槐はみちほを嫁にしたかったが、つばさに取られてしまったからな。槐は別の(つがい)を探さねばならんのだ」


「……ほう?」


 槐の言葉に芙遊が食いつく。

 目が楽しそうに輝いていて、もう嫌な予感しかない。


「あんなに小さかった廸歩ちゃんが……恋人? 恋人なの? ちょっと詳しく聞かせて頂戴?」


 満面の笑みを浮かべた芙遊に、廸歩もニコッと微笑みを返した。そして白露のほうに向き直る。


「……ところで白露様、朔の夜のことについてもうちょっと詳しく詰めておきたいんですが」

「ああそうだな」

「逸らした! 話を逸らした!……じゃあいいわ。槐、ちょっとお話しましょ」

「みちほが話さないことは槐も話さない」

「生意気!」


 芙遊は頬を膨らませ、廸歩の腕の中にいる槐の両耳をつまんで左右に引っ張る。

 彼女は廸歩の祖父より長く生きているはずなのがだ、どれだけ長く生きていても中身は外見につられて幼くなってしまうものなのかもしれない。


「芙遊、私と芙遊の馴れ初めや暮らしについて廸歩に語り聞かせても私は一向に構わないんだが、君はどう思う?」

「やめて。ごめんなさい。もう追求しません」


 白露の静かな声に、芙遊は真顔になり、腕で大きくバツを作って即座に答える。白露は微笑んで「ちゃんと謝れる芙遊はいい子だね」とその頭を撫でた。

 神様との馴れ初めは非常に気になるのだが、ここはお互い触れないのが得策だ。


「聞くのはあきらめるわ……それが廸歩ちゃんにとって良い縁なのは分かるもの。だって廸歩ちゃん、前より雰囲気が柔らかいから」

「え……そうですか?」

「ええ、私ずっと心配だったの。春孝……あなたのお祖父さんがああも頑なに怪異を嫌うのも、廸歩ちゃんにあたるのも私のせいだもの。そのせいで廸歩ちゃんに辛い思いをさせたって……これでも責任は感じてるのよ?」


 芙遊は唇を突き出し、少し拗ねたような顔をする。

 そしてすぐに「でも、今の廸歩ちゃんは大丈夫ね」と微笑んだ。


「あなたは本当に素敵な子よ。どんなに辛くても優しさを忘れなかった。理不尽をぶつけられても憎しみに逃げなかった。それって、だれにでもできることじゃないわ。――それでも前までのあなたはずっと不安そうにしてたけど……自信をくれる人がいたのね。そうしたら、後は全てが良くなっていくだけよ」

「……良くなって、いきますか?」

「あたりまえでしょう? 今までのあなたの頑張りの全てが今のあなたを作ってるんだもの。これで幸せにならなきゃ世界のほうが間違ってるわ」


 腰に手を当てて胸を張り言い切った芙遊を見て、廸歩の肩に乗ったままの寒露が笑いだす。


「ククク、嫁御は言うことが大胆だな。世界が間違っているのか」

「そうよ、知らなかったの寒露様。私はいつだって正しいのよ。廸歩ちゃん、もし幸せになれないならそんな世界捨ててここに来なさいな」


 世界を捨てるとは大きく出たもんだ、という寒露の笑い声につられて思わず廸歩も笑う。


「ふふ……もしこの先でそうなったら、そのときに考えてみます」


 ――この先。

 そうだ、この先の未来のために、願うべきことが一つあった。


「あっ……寒露様、お願いしたいこと、一つありました」

「ふむ、言ってみなさい」


「はい――」

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