81. 白露様
迪歩が居間のソファのクッションに顔をうずめてうつ伏せになっていると、背中にドシンと重みが加わった。
「やっほーチホ。なにしてんのさ」
「……自分の人生に自分の主体性がなかったことに絶望してる」
「なんだそれ」
迪歩の背中に座ったチカは呆れた声を出しながらリモコンでテレビをつけた。
「なに、お祖父ちゃんになんか言われたの?」
「……謝られた。今まで申し訳なかったって」
「今更。死期が近づいて自省したか。……で、なんでそんな凹んでんの」
流石に背中に乗られて会話は苦しすぎる。「とりあえずどいて」とチカをどかして隣同士に座り直した。
「どうしようと思って。……許すにしても許さないにしても、私の判断基準って基本的に『お祖父ちゃんが怒らないほう』なんだなって気付いたら、どうしていいか分かんなくなった」
「それも今更だなぁ……てか、それが自覚できないくらいにまで傷が深かったのか……。それは謝ってどうこうってレベルの話じゃなくない? 憎み続けるから死ぬまで苦しめって言ってやればいいと思うよ」
「許してほしいわけじゃないって言ってた。ただ言っておきたかったって」
「なら許さんって一言でいいんじゃないの」
「うー、でも許さないなんて言うのも後味悪いし、かといって簡単に許しますっていうのも違う気がするし……」
「まあ……ゆっくり考えたらいいよ。あの人だって少なくとも今日明日中にコロンと死ぬようなことはないだろうし」
「言い方ぁ……」
むうん、と視線をテレビに向けると、子供が夏休みの課題で虫取りをしている風景が映し出されていた。
「……気分転換に裏山に虫観察行ってくる。大学の虫取り参加できなかったし」
「大学の虫取り?」
「山で大掛かりなトラップ張って採集する予定だったの。明後日の夜」
「あらまあ……まあ気を付けて行ってきなよ。でもカマキリの卵とか持って帰ってこないでよね」
「カマキリの卵の時期はもう終わってるから持ってこないよ」
「そういう問題じゃないわ」
帽子に手袋に虫よけに、山に入る準備をしながらふと手を止める。
なにかを忘れている気がする。
祖父の部屋に入る前になにかあったような――。
「あ、そうだ。和樹が具合悪そうだったから後でちょっと様子見てあげて欲しいんだけど」
迪歩の言葉に、チカは死ぬほど嫌そうな顔をした。
「ええ、やだー。チホが行けばいいでしょ? そのほうがあいつ喜ぶし。せいぜい夢見せてやんなよ」
「私嫌われてるし、行っても怒らせるだけだもん」
「あー、あいつ好きな子に素直になれないタイプだもんね。翼さんと同い年なのにこの落差よ」
ん? と迪歩は首を傾げる。なんだか微妙に会話が噛み合っていない気がする。
「……和樹が好きなのって、チカでしょ?」
「……は!?」
「え、だって小さいときからいつもチカにいじわるしてたし、気を引きたくて……」
チカがあまりにも驚いたように目を丸くするので、もしかしてチカは気付いていなかったのかな、と言葉を継ぐ。
と、チカは急に笑いだした。
「あはははは、あいつが好きなのは今も昔もチホでしょ。私をいじめてたのは、チホにかまってほしいのにチホが私の世話ばっかり焼くから面白くなかったんだよ。ついでに妹をいじめれば気を引けると思ったんでしょ」
「……え……えぇ……」
「報われない男め。ザマァ……面白すぎる……」
そんな訳ないと思うけどなあ……と迪歩は再び首を傾げる。
「……和樹は弟みたいなものだし、向こうも同じように思ってるよ」
「あはははは、哀れすぎて笑える。――まあ、知らないふりしてやんなよ。別に告白されたわけでもないんだから」
「うーん……まあ、分かった……じゃあ、気まずいのでチカ様子見に行ってあげてね。夕飯前には戻ります」
「えっ、やだって!」
***
チカの返事を聞く前に素早く居間を出て、すぐに玄関へ向かった。
実際に虫取りをするつもりはないので手ぶらで家を出て、裏へと向かう。
「えんじゅ」
「呼んだか」
名前を呼ぶと茂みの中からトタッと槐が飛び出してきた。背中に草が付いているのを取ってやる。
「さっき言った、迷い家の入り口だったところがこの裏山をちょっと入ったところにあるんだ。行ってみよう」
人が通らなくなって森に侵食されつつある砂利道を辿り、山の中へ入る。
この先にあった建物は住人であったふゆが亡くなった後取り壊されてしまったので、現在は単なる空地になっているはずだ。
風が木の葉を揺らす涼しい音の合間に、水田の蛙が鳴く声が響いてくる。
離れていたのは一年ちょっとだというのに、もうこの景色が懐かしく感じる。
「さて、この辺だったはず……なんだけど」
「草だな」
「うん……草だね」
過去に建物があった名残で少しだけ開けたその場所は、木が切られていることで日当たりがよく、草の育ちも非常に良好だ。勢いよく青々と育った草むらに、思わず昆虫の姿を探してしまうが、今は後回しである。
「うーん、一応前にもらった鍵を持ってきたんだけど……」
以前チカが持ってきた離れの鍵を「どうしたらいいのかなあ」と光にかざした。
リィン……
涼しい音が一つ響いて、めまいに襲われる。
思わず目を閉じ――次に開いたときには、見覚えのある建物の前に立っていた。
槐も同様だったらしく、迪歩の足元で目をパチパチとさせていた。
前回来たときに甘い香りを漂わせていたタイサンボクは鳴りを潜め、代わりに木芙蓉の花があちらこちらで咲き誇っている。
迪歩は周囲を見回してみるが、芙遊の姿は見えない。
建物の中だろうか。そう思いながらキョロキョロしていると、突然ちょんっと後ろから肩を突かれた。
「いらっしゃい、迪歩。きちんと会うのは初めてだね」
後ろを振り向くと、『世にも美しい』という枕詞がつきそうなくらいの美青年が立っていた。
「……白露様」
「おや、やっぱり驚かないね。残念だなぁ」
「えっと、すみません……」
芙遊の夫の龍神、白露が至極残念そうな顔をするのでとりあえず謝ってみる。たしか前回もこの人(?)は迪歩を驚かせようとしたのだ。意外とおちゃめな人なのかもしれない。
「白露様、槐もいる」
「槐、相変わらず可愛いな」
槐は白露に撫でられ、また腹を見せてキャッキャと喜んでいる。
撫でてくれれば誰でもいいのか……と、若干もやっとするが相手は神様である。それに槐はしばらくこの屋敷で過ごしていたのだから懐いていても不思議はない。
「白露様、お聞きしたいことがあるんですが……よろしいですか?」
「うん? そんなに改まった言葉を使わなくていい。迪歩は我が妻の身内だしな……聞きたいこととは家のことだろう?」
「そうです……私が家を出た頃から様子が変わったと妹が言っているんですが」
「その通りだな。迪歩に与えた守護があの家も守っていた。今もお前の部屋のあたりは霊気の淀みが少ないんじゃないか?」
そう言われてみれば、迪歩の部屋に黒いもやもやはなかった。ということは部屋が近いチカや両親も影響をあまり受けていないのだろう。
逆に祖父母の部屋は建物の反対側に当たる。和樹が寝泊まりしている場所もそうだ。
「あそこは元々霊脈の流れの関係で霊気の淀みが溜まりやすい場所なんだ。前は私が守護を与えていた不由がいたし、その前は不由の祖父がいた。だから結果的に問題が起こっていなかっただけだな」
「じゃあやっぱり守護をもらってた私が家を出たから……」
家を出なければ。せめてもっとちゃんと帰省していれば、もしかしたら祖父は倒れていなかったかもしれない。
「それは違う。そもそも、私はお前たちの世界にあまり干渉できない。不由とその祖父は人間でありながら迷い家の管理人という特殊な立場だったから、私はそれを理由として強固な守護を与えることができたが、迪歩は違う。お前を生涯守り通せるような強度の守護を与えることはできない。――つまり、遅かれ早かれ同じ結果になっていたということだ」
「ではその前は……ふゆさんのお祖父さんの前はどうしてたんですか? 同じように誰かが管理人を?」
「いや、その頃は自分たちで対処していた。今井は清めを生業にしていた家系だったからな。淀みの溜まるところに居を構え、清めることで土地を守っていた。そういう家系だったんだ」
今井家は霊感のある人間が生まれると言われ、気味悪がられていたと祖父は言っていた。どうやらそれは事実だったらしい。
守っていたにも拘わらず、残念ながら周辺住民の理解はあまり得られなかったようだが。
――だが、過去の今井家が土地を清めて守っていた、ということは、今の状況を放置しておくといずれ周囲にも被害が及ぶということではないだろうか。
家業としてやっていたなら少なからず後世に伝える手段があったはずだ。
「と言っても、その方法は一子相伝でな。尚行――不由の祖父の頃には既に絶えていた。あいつはこつこつ調べていたようだが、集めていた資料は尚行ごと空襲で焼けたよ」
「いっしそうでん」
大切な資料はバックアップを念入りに取っておいてほしい。
第二次世界大戦の終戦の少し前に市内中心部を標的とした空襲があったので、きっとそのときに焼けてしまったのだろう。
調べていたのなら資料は集約されていただろうし、めぼしいものは全滅していると考えていいかもしれない。
「そうすると独自アプローチで清める方法を考えないといけないのか……」
「そうだな」
考え込んで独り言を言う迪歩を白露は愉快なものを見るような目で見ていたが、当の迪歩は気付いていなかった。
今まで黙って話を聞いていた槐が、そんな二人の様子に不思議そうな声を出した。
「なあみちほ。ここにいるのは土地を守る龍神だぞ?」
「……え? うん……うん?」
「霊脈から生じる淀みを清めるなんて人間にはできん。元々土地神がやっていたに決まってるだろ」
「……ていうことは、清めの方法って」
「槐、せっかく悩む迪歩を見て楽しんでいたのに、そうやって答えを言ってはいけないよ。……清めの方法というのはね、迪歩。土地神への祈祷のことだよ」
ポカンとした顔の迪歩を見ながら白露はしれっとそんなことを言うと愉快そうに笑いだした。




