78. 撤収
倉庫の『場』の解体はひとまず問題なく成功したらしい。
特に見た目や雰囲気に変化があるわけではなかったため廸歩にはそれがうまくいっていたのかどうかも分からなかったが、槐がうまくいったといっていたのでそうなのだろう。
ただ念のため、梨奈が何日かしてから再度小倉家を訪問して、もやもやが集まってきていないか確認するそうだ。
そしてもう一つの問題、月夜について。
今、梨奈と藤岡、そして蒼が業務終了の報告と、月夜のことについての説明に行っている。
蒼の希望で当主の小倉氏にだけは月夜の死も含めたほぼすべてを報告することになった。大塚の祖父の研究を支援していただけあって、小倉氏は心霊方面にも懐の深い人物なので、月夜の捜索やその後のもろもろ(蒼は虐待についても詳らかにしたいという)でアドバイスくらいはもらえるかもしれない、というのが蒼の狙いである。
大塚曰く、道内の政財界に明るくてバックに付けて損はない相手だそうなのでぜひとも説得を頑張ってほしい。
廸歩たちは撤収のための片付けを任された――のだが、それほど機材を持ち込んでいるわけではないのですぐ終わってしまい、今は客間で梨奈たちの戻りを待ってうだうだしているところである。
「うううぅ………」
客間には九環の関係者しかいないため姿を見せた槐は今、不満げにうなり声をあげながら、しかし尻尾はぶんぶんと振っている。
不満げにうなっている理由は、廸歩に抱っこしてもらおうと思ったのに横から翼に首根っこを掴まれて捕まったから。
そして尻尾を振っている理由は、翼は動物好きだけあって撫で方が絶妙らしくとても気持ちいいから――らしい。
「えんじゅ……今私はちょっと裏切られた気分です」
「あー、これってネトラレってやつ?……むこうはむこうで仲良くやってるから、チホちゃんは俺と仲良くしようよ」
迪歩は先程の月夜の案件でかなり心が荒んでいるので、しばらく槐を抱えていたかったのだが、当の狐は野生のくせに完全におなかを見せた状態でわしゃわしゃと撫でられている。
ネトラレではないが確かに寝っ転がってはいるな……とやさぐれた気持ちで眺めながら、ニコニコと寄ってきた大塚の顔を座卓にあったお盆で遠ざける。
「大塚さんそれ以上迪歩さんに近寄ったらぶん殴りますよ」
「槐は裏切っていない! だがつばさ、もっと撫でろ」
「うわー、翼クンは野蛮だな。まあいいよ、昨日チホちゃんの浴衣姿見たし」
「常磐さんに絡まれて離してもらえなかったって聞いたけど?」
ニコニコしながら険悪な雰囲気を出している二人と、ご機嫌でキャッキャと撫でられている狐。
「みんな仲良しですね……」
なんとなく仲間はずれにされたような気持ちで、はやく梨奈たちが戻って来ないだろうかと手持ち無沙汰にスマホの画面を開く。
「あれ」
「どうかした?」
「チカから着信あったみたいで……ちょっと電話してくる」
迪歩のつぶやきに首を傾げた翼へそう告げて廊下に出る。
妹のチカが電話をしてくることなど滅多にない。不在着信の後メッセージも来ていて『気付いたらかけ直してください』とだけあった。
少し不穏なものを感じつつ、着信履歴画面を開いた。
「迪歩ちゃんお帰り。小倉さんとの話は無事終わったから撤収するわよ」
「もしかして私待ちでしたか? すみません。蒼さんの話の方は大丈夫でしたか?」
電話を終えて客間に戻ると梨奈たちが戻って来ていた。月夜関係の話はどうなったのだろうか、と尋ねると、ちょうど大塚と話していたらしく彼の影になっていた蒼がぴょこんと顔を出した。道理で槐がいなくなっているわけだ。
「おじいちゃんもできるだけの手助けはしてくれるって言ってくれました。……それで、あ、あの、迪歩さん。連絡先を教えてもらえませんかっ?」
「あ、はい。いいですよ」
「やったぁ……! ありがとうございます」
おそらく幻影を作り出した疲れもあって顔色は優れないが、蒼が少しだけ笑顔を見せてくれて迪歩はホッとする。
「私……昆虫とか爬虫類とかのこと、ちゃんと勉強したいんです。なので、時々相談させてもらってもいいですか……?」
「もちろんです。私でお役に立てることなら喜んで」
「よかった……私、普通じゃないからって無理やり嫌いになろうとしましたけど、でも、月夜が『大切にしていい』って言ってくれたから好きなままでいられたんですよね。――だから、好きなこと勉強して、大人になったときに『月夜のおかげで諦めずに続けられたよ』って報告したいんです」
それは半ば独白のような口調で、悲しみの色が滲んだ瞳は遠くを見ているようだった。
「それはきっと月夜さんも嬉しいと思いますよ」
その言葉に、遠くを見ていた瞳が迪歩を映した。そして蒼は少し恥ずかしそうに笑った。
連絡先を交換して、顔を上げると大塚が目を丸くして見ていた。
「いつの間に仲良くなったの? 昨日の女子トーク?」
「女子会の内容は男子には教えられませんよ」
「そうだよ、光輝くんには内緒」
「ええー、寂しいな。翼クン、後で僕らも仲良く男子トークしようよ」
「ははは、御冗談でしょう。お断りです」
大塚は大げさに嘆くようなポーズをとったあと、翼と肩を組もうとしたがするりと逃げられた。
「学生組、帰るよ~」
「はーい」
***
小倉夫妻と蒼、お手伝いさんたちに挨拶をして、車に乗り込む。翼が来たので行きより人数が増えて6人だ。
迪歩の隣は翼だが、二人の間に槐が横たわっている。「二人共、槐を撫でろ」だそうだ。
「そういえば迪歩さん、さっきの電話……チカさんどうかしたの?」
「ん? お祖父ちゃんが倒れたから帰ってこいって」
「「……え!?」」
その言葉で車内の人間がぎょっとしたような顔で迪歩を見た。一気に注目された迪歩は慌てて手をパタパタと振る。
「あ、危篤とかそういうわけではないです。ただもう年だし、なにかあってもおかしくはないから夏休みなんだし帰ってこいってことみたいです。妹は夏フェス遠征禁止されたって嘆いてたくらいですし、そんなにおおごとではないと思います」
「お祖父ちゃんって、あのお祖父ちゃんだよね? チカさんがクソジジイって呼んでた……」
「チカ……まあ、うん。多分その人」
流石に身内の前以外ではそういうことを言わないように言い聞かせておかなければ。
「じゃあチホちゃんこの後、実家帰るの? てか実家どこ?」
「……新潟です。飛行機のチケット取れたら帰りますよ」
「あらぁ、日本酒が美味しいところね!……痛っ」
助手席から口を挟んだ梨奈は後ろの席の藤岡に無言で素早く叩かれた。
「おみやげに買ってきます。リクエストがあればどうぞ」
「やった、迪歩ちゃん愛してる!」
翼が少し心配げな表情で「大丈夫?」と小さく聞いてきた。彼はチカからなにか聞いているのかもしれない。
迪歩は祖父が苦手――というよりほぼ恐怖の対象である。
正直あまり気乗りはしないのだが、いい機会なのでふゆの離れ跡に足を伸ばしてみたい気持ちもある。
「大丈夫。えんじゅも呼んだら来てくれるでしょ?」
「もちろんだ。家についたら早めに呼べ」
槐は「すぐにだぞ!」と何度も念を押し、翼に「うるさい」とまた撫でられて転げ回った。
今井の「シートに毛が……」という小さなつぶやきは、槐のキャアキャア騒ぐ声でかき消され、誰の耳にも届かなかった。




