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76. 濁流

※一部虐待表現がありますのでご注意ください。

 横たわった蒼の横に、先ほどと同じ手順で呼び出された月夜の姿があった。


 蒼の周りにはぐるりと囲むように石が置かれている。藤岡曰く、中のものを外に出さない結界だそうだ。

 月夜(仮)は月夜(真)のほうへ向かっていってしまうので、それを防ぐために張ってあるのだ。

 一連の手順は蒼にも簡単に説明済みである。

 暗示を使うのが大塚で、更に催眠状態に入るときに蛇が首筋に噛み付く、というところはぼかしたが。


「多分前回と同じように、呼んだ相手が迪歩ちゃんの中に入り込んじゃうと思うんだよね。だけど今回はえんじゅくんがいるから、危険だと思ったらえんじゅくんの判断で追い出してくれるかな」

「わかった」


 蒼が催眠状態に入ったのと同時に姿を現した(えんじゅ)は、藤岡の言葉に迪歩の膝の上で真剣な顔をして頷いた。


「迪歩さんも無理はしないようにね」

「うん」


 差し出された翼の手を握ると、月夜の周りに再び光の帯が視えてくる。

 その帯の先に意識を集中すると、遠くになにかの気配を感じた。

 呼び寄せよう、そう思った瞬間に、どこかから幽かな声が聞こえた。


 ――蒼ちゃん。 


 その途端に、自分の意識がどんどん深い場所へ沈んでいくのを感じる。

 

 誰かが呼んでいる。

 ずっと呼んでいた。


 誰が 誰を?


 深く 深く ゆっくりと沈みながら、迪歩は意識を手放した。



***



 家に帰ったら、ひどく機嫌の悪い母が自分の部屋に入っていくところだった。

 部屋の中ではなにかが壊れる音が立て続けに響いて、月夜は体をすくませた。

 母は怒ると物にあたる。それでも母はそういうとき、月夜のことは見えないもののように無視するので怖くはない。


 リビングのほうで椅子を引く音がした。それだけで月夜の体は凍り付いたように動かなくなってしまう。

 母が荒れて、部屋にこもったということは、父とまた言い合いをしたのだろう。

 そしてその父は今リビングにいる。

 椅子が動いた音がしたから、立ち上がったのかも。


 ドクン、と一つ大きく心臓が跳ねた。


 リビングのドアが開いて父が出てきた。そして玄関に棒立ちになっている月夜に気付くとニィッと笑った。


「月夜、びしょびしょじゃないか」


 優しい口調でそういいながら、父は月夜の濡れた髪を掴んだ。


「あ……ごめんなさ……ぁっ!」


 そしてそのまま月夜の体は玄関ドアに叩きつけられた。


「駄目だよ月夜。家の中が濡れるだろう。乾くまで外にいなさい」

「はい……」


 ふらふらと、言われるままに外に出る。今日は警報が出るような暴風雨で、外にいたら何時間経っても月夜の服は乾かないだろう。

 ガコン、と、背後で玄関ドアの鍵が閉まる音がした。


 父は機嫌が悪いと月夜にあたる。

 それでも今日は殴られても蹴られてもいないから全然いいほうだ。


 このままここにいても仕方がないので、家から離れてあてもなく歩く。

 玄関でずっと待っていれば、誰かに見られることを恐れて入れてもらえるかもしれないが、代わりに「恥をかかせるな」と殴られるだろう。

 それよりはどこか、雨風のしのげる場所を探すほうが建設的だ。

 弱い雨ならば橋の下に入れば良いのだが、あいにくと今日は暴風雨で、川が増水しているので危険だろう。


 交番のある方向も危険だ。もし警官に見つかって、家に連絡を入れられたら……。

 父も母も、嘘をつくのがとても上手い。その少しでも自分に遺伝していればよかったのに、月夜は上手く人を騙すことができない。

 きっと家を追い出されたことがバレて、「ご両親と話をする」と役所の人が来て、そして両親が上手に嘘をついて――警察や役所の人を上手く騙せなかった月夜はひどく叱られるのだ。

 それは前にやったから、もう同じことは繰り返してはいけない。

 父も母も、同じことを繰り返す馬鹿な子供は嫌いだから。

 繰り返さなくても、二人とも月夜のことは嫌いなんだろうけど。


 夏だというのに打ちつける雨粒に体温を奪われて寒くてたまらない。

 人に見られたら面倒だから、山のほうへ行こう。木々が雨風から守ってくれるはず。 

 でも、山道へ続く橋をわたりきる直前に、強い風にあおられてよろけた蒼は欄干にぶつかった。運悪く、ぶつかった拍子にポケットからスマホが滑り落ちていく。


「あっ!」


 手を伸ばすが間に合わず、欄干の隙間から下に落ちてしまった。慌てて覗き込むと、川ではなくてかろうじて土手部分に落ちているのが見えた。

 あそこならなんとか手が届きそうだ。濡れた土手は滑るかもしれないけれど、ガードレールに掴まって手を伸ばせばきっと届く。

 それに……。父の顔を思い出して背筋に冷たいものが走る。


 スマホをなくしたなんて言ったら、父になにをされるかわからない。


 ガードレールを乗り越えて、土手に降りると予想通り滑りやすくなっていた。

 ガードレールをしっかり掴んで体を目いっぱい伸ばす――もう少しで届きそうだけど、あと少し。


 知らず知らずのうちに、月夜の目には涙がたまっていた。

 明日から夏休みで、蒼ちゃんがうちに遊びに来てって言ってくれたのに。

 お泊り会しようねって言ってくれたのに。


 大丈夫、今日をなんとか乗り越えたら、明日は家に入れてもらえるかもしれない。そうしたら出かける準備をして――。


 上流で土砂崩れがあったのだろうか、大きな木の枝が流れてきて、月夜の足元の土を大きくえぐって去っていった。

 崩れた土に足が取られて、体が傾く。スマホが落ちてしまう……気持ちが焦って、ガードレールを掴んでいた手が滑った。


(駄目、駄目、駄目――)


 月夜の体は支えをなくして、増水した川の濁流に吞み込まれた。

 空気を求めた口には泥水が流れ込む。


(――駄目、これ以上は、)



『みちほ!』



 槐の声が響いて、廸歩の意識が急速に覚醒していく。


「みちほ、起きろ!」

「廸歩さん?」


 瞬きをする。心配そうに顔を覗き込む翼と槐が見えた。

 ごうごうと音を立てるあの濁流はどこにもない。

 体を打ち付ける雨粒も、ここにはない。


「……っ!」


 廸歩は思わず目の前の翼にしがみつく。

 生きてる。生きてた。生きてた。


 翼はしがみつかれて一瞬固まったものの、廸歩の体が震えていることに気付いて宥めるように頭を撫でてくれた。

 翼の肩に頭を押し付けているとだんだん呼吸が落ち着いてくる。


 呼んでいたのは月夜だ。呼ばれていたのは蒼。

 月夜は、あの夜からずっと、蒼を呼んでいるのだ。


「みちほ!」

「痛い!」


 突然バリバリバリ! と脇腹のあたりをひっかかれて顔を上げると、槐が「えんじゅが助けたのに!」と目を三角に吊り上げていた。


「ごめんえんじゅ。ありがとう。あなたがいて良かった」

「そうだろう。抱っこして撫でるといい」


 廸歩は思わず笑って、いつもの抱っこ待ちポーズをした槐を抱き上げてぎゅうっと抱きしめた。

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