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75. 幽かなつながり

 隣の部屋に入った瞬間、声もなく蒼の体が(くずお)れた。


「「!」」


 突然のことに慌てる廸歩と翼を脇目に、大塚が涼しい顔でその体を支える。


「はい催眠状態入りましたー」


 脱力した蒼はうつろな目でまっすぐ前を見つめていた。彼女の首元には黒い蛇が噛みついている。廸歩にはその黒い蛇に見覚えがあった。――大塚の使役霊である。


「ええ……」

「……雑すぎんだろ……」

「常盤さんたちが来る前に視えるかどうか確認しておく方が効率的でいいじゃん」


 大塚は蒼を壁に寄りかかるように座らせると、引き気味の迪歩と翼に向けていつもと同じ朗らかな笑顔を見せる。


「まあそれはそうだけどさ……」

「じゃあ月夜ちゃんを呼んでもらいまーす」


 そう言うと大塚は迪歩たちの返答も待たず、掌で蒼の目を覆って静かな声でささやいた。


「喚起せよ、君は揺り起こす者」


「……つき、よ……」


 かすれた声で蒼の喉から名前が紡がれる。

 そして、空気がざわり、と揺れた。


「ほら、来たよ」

「……廸歩さん、この子で間違いない?」


 写真で見た、そのままの姿の伊藤月夜がそこに立っていた。

 改めて近くで見てみると、少女はそこにいるはずなのに何の気配も感じない。(えんじゅ)が『空っぽ』だと言ったのも頷ける。


「うん。月夜さんで間違いないです」

「わかった」


 頷いた翼がおもむろに廸歩の手を握ったので一瞬動揺する。が、こちらに向けられた翼の瞳は金色に輝いていた。

 ということは、彼にはここにいる幻覚の月夜と、本物の月夜との間のつながりが見えているのだろう。それが廸歩にも見えるのか確認しなければならない。

 ――集中して、じっと目を凝らすと、迪歩の視界にうっすらとした光が浮かび上がって視えてくる。

 目の前の月夜には、細く、今にも途切れそうなくらいに幽かな光の帯が巻き付いていた。そしてその帯の一端はどこかに向かって伸びている。


「視え……ました」

「じゃあ確認はOK? 蒼さん起こすよ?」

「はい。大丈夫です」


 廸歩が頷くと、了解、と返事をした大塚がパチンと一回指を鳴らした。すると月夜の姿がかき消える。続けてもう一度指を鳴らすと蒼の首に噛みついていた黒蛇がゆっくりとその牙を抜き、こちらも姿を消した。


「……ぅ……?」

「蒼さん……大丈夫?」

「……ぁ、れ? 光輝くん? 私倒れちゃったの……?」

「眩暈を起こしたみたいだけど……無理しないで、壁にもたれてるといいよ」

「うん、ありがとう」


 蒼に声をかける大塚は、今までのどこか面白がっているような表情から一変して、完璧に相手を気遣う表情になっていた。

 正直なところ、廸歩は大塚のこういうところが何よりも怖いと思う。


「……え、っと……」


 きちんと座り直した蒼が顔を上げ、翼の姿を見て戸惑ったように止まる。それに気づいた翼は蒼に微笑みかけた。


「ああすみません。僕は常磐さんのところの手伝いをしてる、椿といいます。さっき来たばかりでまだご挨拶していませんでした」

「ええと……小倉蒼です……」


 蒼は翼に微笑みかけられて少し頬を染めた。


(翼くんの色仕掛け、いけたのでは……)


 そんなことを思ったが、きっと翼に怒られるので心の中に秘めておくことにした。



***



「間違いありません、この本です」


 タブレットに表示された『近代魔術原論 理論と実践』の表紙と図を見て、蒼ははっきりと頷いた。

 梨奈は蒼の返事を確認すると、蒼が使った魔術の効果について先程迪歩にしたのと同じ説明をした。


「私の行動でご迷惑をおかけしました。倉庫の方、よろしくおねがいします」

「お任せください。そちらはそれほど手間なく完了できると思います」


 ぺこりと頭を下げた蒼に梨奈は微笑む。そして「そっちの方は?」と、翼の方に視線を向けた。


「確認した。いけると思うよ」

「OK。……蒼さん、ここからは魔術や、この家の異変とは別の話になります。――この辺りで幽霊が現れている話は聞いていますか?」

「……? はい。それはうちの中のこととは別なんですか?」


 蒼には本当に心当たりがないようで、不思議そうに首を傾げている。


「端的に言うと、その幽霊は蒼さんが作り出した『伊藤月夜』さんの幻影です」

「え?」

「蒼さんはここしばらく体調が悪いということですが、眠っている間に無意識に力を使っていて疲労が溜まっているせいですね」

「げんえい……? え、力って……?」


 蒼は何を言われているのかよく分からない、という顔で口をぽかんと開けていた。

 それは当然だ。突然自分に幻影を作り出す力があって、無意識に幽霊を作り出しているなどと言われてすんなり受け入れられる人間はそうそういないだろう。


「霊能力、とか魔力、というやつですね。能力を持った人が、睡眠時などの無意識下に力を発揮するということは少なくないんです。それに、降霊術が成功していることから言っても、蒼さんは魔術的な才能があると思われます。……月夜さんを探す気持ちが強すぎて、その力で幻を作り上げてしまった、ということですね」

「月夜の幻……」

「彼女を探し続ける限り、この現象は続くと思います。ですが、それが起こらないように封じることもできます。そうすれば幽霊騒動はもう起こりません」

「……そう、ですか。本当はちょっと月夜が会いに来てくれてるのかもって思ってたんですけど……、そっか、自分でやってたんだ……」


 泣き笑いのような表情で蒼はそう言って、涙を一つ落とした。


「……月夜さんが自分の意志で家出したならば良いのですが、もしも事故、自殺、その他犯罪に巻き込まれているとなったら――蒼さんは、分かっているとは思いますが、彼女が既に亡くなっている可能性も十分あります。このまま、月夜さんが何らかの形で見つかるのを待てば、いずれ真実が分かる日がきます。それまで待てば、封じた能力を開放しても問題は起こらないはずです」

「……はい」


 滲んだ涙を拭ってしっかり頷いた蒼を見て、梨奈は少し切なげな表情をした。ここまでの反応を見て、この続きの提案をするかどうか決めるつもりだったのだろう。

 大塚が言っていたとおり、蒼はきちんと自分で考えられる人間だった。


「それまで待つのが道の一つです。……というよりも、本来ならその道しかないので、ここからは本当に単なる可能性の話だと思って聞いてください」


 そう前置いて表情を引き締めた梨奈は、蒼が作り出した『伊藤月夜』の幻影を手がかりとして、本物の月夜に何が起こったのかを知ることができるかもしれない――ということを伝えた。


「本当ですか……!?」

「ただ……知りたくなかったような事実を知ることになるかもしれません。これは人の死や、犯罪に関係してくる話ですから」


 おそらく梨奈はわざと突き放すような調子で喋っているのだろう。冷たい声で、淡々と続ける。


「それと、仮に彼女は何か犯罪に巻き込まれていたとしても、ここで知ったことには証拠能力がありません。たとえ加害者が分かっていても、現時点では――場合によっては一生、その人を訴えることはできないと考えてください。それは、悔しいとか憎いとかそんなレベルの苦しみではないと思います。事実を知るということは、決して救いではありません」


 まっすぐ目を見て強い言葉を選んで話す梨奈は、脇で聞いている迪歩も気圧されてしまうような雰囲気をまとっていた。

 だが蒼は青白い顔をしながらも、膝の上に置いた拳をぎゅっと握って梨奈の言葉を聞いていた。


「もちろん、ここまで言っておいてなんですが、何も分からないまま無駄に終わる可能性だってあります。……それを踏まえた上で、やってみますか?」


「……常磐さんの言うことは分かります。今の私には想像つかないくらい、多分……絶対、辛いし、苦しいんだろうけど……」


 蒼は一回深呼吸をした。そして、「でも」とまっすぐ梨奈を見つめる。


「このままにして捜査でなにもかもが分かったとしても、私は子供だから、大人はその真実をきっと全部は教えてくれません。――私は、月夜に何が起こったのか知りたい。別にそれで月夜が助かるわけじゃないし、私のエゴでしかないけど、月夜が苦しんだなら……すこしでもその苦しみを理解したい」


「……そうですか」


 ふう、と息を吐いて梨奈は藤岡の方に視線を向けた。藤岡は小さく頷く。


「では、やってみましょう。――ここでこれから行うことは、公言しないようにしてくださいね」

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