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74. 実践魔術(ただし実践的でない)

 複写された資料がデータで届いたのは昼前だった。

 候補となる本は二冊。タイトルは『近代魔術原論 理論と実践』と『実践魔術基礎』だ。それぞれの降霊術について記載されたページのみとは聞いていたが、廸歩が想像していたよりはるかに枚数が少なかった。


「私、一章丸々降霊術について語っているのかと思ってたんですけど四、五ページなんですね」

「大体こういう本って、魔術の歴史から始まって、使われてる文字や図形の解説、組み立て方~ときて、最後に実際やるならこういう術式が使えますよ~って構成になってることが多いからね。今回必要なのはその最後の部分だけだからこのページ数なのよ」

「あ、なるほど」


 タブレットに送られてきたその資料を眺めていた梨奈が、『近代魔術原論 理論と実践』のほうの図を見て手を止めた。


「ふーん。多分参考にしたのってこっちのほうでしょうね」

「わかるんですか?」

「うん。これね……降霊っていうか、単純に霊を呼び寄せやすい『場』を作るだけの術式になってるわ。ま、運が良ければお目当ての相手が来ることもあるのかもしれないって感じね」


 それはつい昨日聞いた話だ。今の倉庫の状況そのままである。


「っていうことはつまり、蒼さんの魔術自体は成功してたってことですか」

「そうねぇ。大成功ってわけじゃないと思うけど成功ね。多分日取りとか時間とか良くなかったんでしょうけど。大成功して厄介な悪霊が集まってこなくてよかったわ」


 今はほとんど無害な、霊ともいえないようなもやもやがうようよしているだけ――とはいえお化け屋敷のような状態ではある――だが、梨奈の言うところの大成功だった場合、廸歩が散々出会って護符を壊しまくったような厄介な相手がやって来ていたかもしれないのだ。

 考えただけでうへぇ、となる事態である。


「そういう成功したら危ないような内容が、えらく無造作に書かれてるんですね」

「多分ね、これ自費出版の本じゃないかしら。こんな危うい内容の本だったらもうちょっと有名でもよさそうだけど、少なくとも私は見たことないもの。大塚祖父は研究者繋がりで手に入れたのかもね。……園田さんもよく見つけてきたもんだわ」


 そんな本を子供に渡すのはどうかと思う。――が、大塚祖父は術者としての才能がなかったそうなので、この本を真似して本当に魔術が使えるとは思っていなかったのかもしれない。


「もう一冊……実践魔術基礎、に書かれてるほうはちゃんとした降霊術なんですか?」

「こっちに描かれてるこの図はね、悪霊から身を守るための魔法円なの。この魔法円を地面に描いてその中に入って、太陽や月の位置を計算して、決められたお香を焚いて、呪文を唱えて――っていう儀式が魔術には必要ですよ、っていう紹介をしてるだけ。こっちは読んだことあるわ」

「『実践』なのに」

「ああ……学術書にありがちな、実践〇〇って書いてあるのに全然実践的じゃないヤツっすか」

「そう、それよ」


 大塚の言葉に梨奈がうんうん頷いたのと、ちょうど同時に客間のふすまが開いた。


「あれぇ、もう届いたんだ」


 入ってきたのは倉庫の結界の状態を確認しに行っていた藤岡だった。彼は梨奈からタブレットを受け取るとざっと目を通して「ああ、これっぽいねぇ」と呟いた。


「でしょ? 後で蒼さんから一応確認してもらうけど、術式の解析は先にしちゃっていいと思うわ」

「そだねぇ。大塚くんも暗示の準備お願いね」

「へーい」


 蒼は午前中体調がすぐれないことが多いというのと、園田から資料が届くのは午後という話だったこともあり、今日の作業は午後から始めることになっている。

 藤岡と梨奈は本の図から倉庫の『場』を解体するための術式を組む作業を始めた。大塚も蒼にかけるための暗示の準備があるらしい。

 廸歩はどちらも特に手伝えることがないため、一人だけ手持ち無沙汰になってしまった。

 ちなみに今井は車で札幌まで翼を迎えに行っている。翼の今日の講習は午前中だけだそうで、終わったその足でこっちに来る予定である。


「えんじゅ、庭のお散歩行ってこようか」


 ついでに庭に黒いもやもやの討ち漏らしがないか見てこよう、と立ち上がり、丸まって寝ていた(えんじゅ)に声をかけると、即座に「行く!」と嬉しそうな返事が返ってきた。


「チホちゃん、変な虫拾ってこないでね」


 昨日のカマドウマのことを根に持っている大塚の言葉に、廸歩は肩をすくめる。


「さすがに他所のお家の中に持ち込むのはセミの抜け殻くらいまでですよ」

「抜け殻もなしだから……。なんなの? チホちゃんの心の中には小学生男子が住んでるの?」

「童心を忘れていないんです。ではちょっと行ってきます」


 くれ縁の窓を開けて、廸歩は槐と共に外に出た。

 お屋敷内は全体的に空調が効いているので気が付かなかったが、今日は昨日よりも暑く、少しだけ湿度が高く感じる。

 きれいに整えられた庭には池があって橋まで架かっている。

 飛び石の上を渡って池のそばまで行くと、ちょうど座って休めるような高さの石が四つ置かれていた。おそらくここに座ってお茶などするのだろう。

 ありがたくその石に腰掛けさせてもらう。槐は池の周りを飛んでいるトンボが気になるようで上を見上げてきょろきょろしていた。


「そういえばえんじゅは迷い家(まよいが)に戻らないの?……帰れって意味じゃなくて、狐たちから避難してたわけでしょ? 見つかったらまずいんじゃないの?」

「見つかればうるさいかもしれんが、槐は龍神様の加護を頂いたので一族の年寄り連中より槐の方が偉い。問題ない」

「え? 龍神様って、白露様?」


 龍神と聞いてとっさに浮かぶのは、芙遊(ふゆ)の夫である白露だ。だが槐はふるふると頭を振った。


「違う。白露様はみちほの産土神(うぶすながみ)だろう。槐に加護をくれたのは槐の産土神だ」

「えーと、ふゆさんが言ってた、えんじゅを保護してほしいって言ってた札幌周辺を管理してる龍神様のほうね?」

「うむ。だから狐の一族に見つかっても問題ない。槐はみちほのそばにいる」

「そうなの……それは嬉しいんだけど……」


 そばにいるというと、我が家に住むということだろうか。

 廸歩の住むマンションはペット禁止だし、狐を連れて札幌の街を歩くのはだいぶハードルが高い。寄生虫のことがあるので札幌市民の狐に対する目は厳しいのだ。


「心配しなくとも普段は山にいる。呼べばすぐに来る」

「あ、ごめん、私の考えてたことが分かったんだ……」

「槐もあまり街中では暮らしたくないからな」

「ですよね……」


 その後、しばらくぼんやりと池にやってくる虫を眺めていると、いつの間にか廸歩の足元で丸まって寝ていた槐がピッと耳を立てて屋敷のほうを向いた。


「みちほ、いまいが戻ってきた」

「え? そんなに時間経ってたんだ」


 驚いて時間を見ると、外に出てから三十分以上経っている。道理でじっとりと汗をかいており、暑いわけである。

 出てきた窓から建物内に戻ると、ひんやりした空気に包まれる。あまりに心地よくて思わず大きく息を吐いた。


「すずしい……」

「あ、廸歩さん。外に行ってたんですか?」


 そこへちょうど蒼がやってきた。

 先ほどまで自室で休んでいたのであろう蒼は、昨日本人の言っていた通り、顔に疲れこそ見えるが具合は悪くなさそうだ。


「蒼さん。ちょっと時間があったので庭を見せてもらってました」


 廸歩がそう言いながら自分の足元を見ると、先ほどまで後ろをついてきていた槐は姿を消していた。彼はこの家の人間の前では姿を見せないつもりらしい。


「常盤さんが私に確認したいことがあるって言ってたそうですけど、もしかして本が見つかったんですか?」

「あ、そうです。候補の本が二冊見つかって、蒼さんに確認してもらいたかったんです。ちょっと待ってくださいね」


 一応蒼に見せてはまずい資料などもあるかもしれないので、廸歩は少しだけふすまを開けて客間の中を覗き込む。

 

「あ、廸歩さん」


 部屋の中にいた翼が開いたふすまの音に顔を上げ、廸歩と目が合うと嬉しそうに微笑んだ。それにつられて廸歩も嬉しくなって思わず頬が緩む。が、今は蒼のことが優先だ。


「翼くん、お疲れ様。えーと、蒼さんが来てるんですが……別の部屋、使わせてもらいます?」


 廸歩が部屋を出る前はきれいに整頓されていた客間の中は、座卓を中心に色々な図形や文字を書きなぐった紙が散らばっていた。

 犯人は藤岡と梨奈だ。それ以外の三人は部屋の隅のほうに固まっていた。

 廸歩の言葉に、翼は藤岡達をちらりと見て苦笑した。


「……別の部屋のほうがいいと思う。紙の位置ずらすと怒るんだよこの人たち」

「うん、隣の部屋使わせてもらおう」


 翼の言葉に大塚も珍しく強く頷く。すでに怒られた後なのかもしれない。


「皆さん先に行っていてください。最悪でもどっちかを連れていきますから」


 ため息交じりの渋い顔でそう言った今井に後の対応を任せ、廸歩たちは蒼を連れ隣の客間へ移動した。

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