71. 浜辺の月夜
居間へ戻ると小倉夫妻はすでに自室へ戻っており、笠原と今井、藤岡がお茶を飲んでいるところだった。
眠ってしまった梨奈が起きるまで一服していたらしい。
駆け込んできた廸歩の姿に笠原が驚いて顔をあげた。
「どうしましたか廸歩さん」
「あの! 今外に……女の子が。昼間見た子です」
廸歩が外を指さしてそう告げるとすぐに藤岡が立ち上がった。
「今井さんここお願いしますね」
「わかりました。気を付けて」
「廸歩ちゃん、えんじゅくんは?」
「追いかけてもらってます。離れてても場所はなんとなくわかるので」
「OK、行こう」
外に出ると先程よりも風が強くなっていて少し肌寒かった。
すでに庭の中に人影はなく、槐の気配に意識を集中すると砂浜を東側に向かって移動しているようだった。
「浜辺のほうへ出て右のほうに移動してます。そんなに遠くはないですね」
「わかった。……廸歩ちゃん浴衣じゃ冷えるでしょ。これ着てて」
藤岡は自分のジャケットを廸歩に渡すと裏の堤防へ続く通路へ向かっていった。
「え、あ、すみません、ありがとうございます」
肌寒さからこっそり腕をさすっていたのを見られていたようだ。
ありがたくジャケットを羽織り、小走りに藤岡のあとを追いかけた。
――夜の浜辺に人気はなく、街灯もないため照らしてくれるのは月明りだけだ。だが、満月が近いらしく歩く分には十分な明るさがあった。
「あそこにいる子だね」
藤岡の示した先に少女の歩いている後ろ姿があった。
暗い浜辺でミントグリーンの服はよく目立つ。確かに遠目なら白い服に見えるし、ワンピースを着ているようにも見える。
「そうです。……えんじゅ」
目標は視認できたので槐を呼び寄せる。廸歩が呼びかけると彼はすぐに足元に現れた。
「あれは張り子だな」
「やあえんじゅくんお疲れ様。張り子っていうのは?」
現れて早々に槐が言った言葉に、藤岡が少女から目を離さずに聞き返す。
槐は言葉を探しているのか、少し耳をぴるぴると動かしてから口を開いた。
「張り子は張り子だ。中身がない。ただあの娘の形をしているだけで霊ではない」
「……ああ、それでかぁ……僕にはあの子の姿は見えるけど、何の気配も感じないんだよね。あれだけはっきり見えるなら人間だろうが霊だろうが、何かしら気配があるものなんだけど」
廸歩はそのあたりの感覚を磨いていないので『気配がない』という感覚がよくわからない。なんだかちょっといつもと違って変な感じがするなぁと思うくらいである。
「気配がない……つまり今見えてるあの子は投影されたホログラムみたいなもの?」
首をひねる廸歩に、槐が「うむ」と頷く。
「投影。投影というのは良い例えだ。あれは記憶とか、そういう本来なら形のないものが投影されて見えている」
「記憶……形のないもの……」
それなら気配がないというのも頷ける。どういう原理でそんなことが起こっているのかは疑問ではあるが。
だがなんとなく引っかかるところがある。
「あれ、でもえんじゅはさっきあの子が出てきたときに『気配が動いた』って言ってたよね?」
槐は先程そう言って廸歩のところに現れたのだ。
気配がないのに、なぜわかったのだろうか。
「言った。動いたのはあの張り子のほうではなく、さっきみちほが話をしていた娘のほうだ」
「……え……話をしてたって、蒼さん?」
「名前は知らん。その蒼とかいう娘の魔力が大きく揺れたから知らせた。そうしたらたまたまみちほのそばに張り子の娘がいたんだ」
「蒼さんの、魔力……が、揺れた?」
成功しなかったといっても魔術を行使できたということは、蒼は魔術の才能があるのだろう。だが、魔力が揺れたといっても、今彼女はおそらく眠っているところだろうし、起きていたとしてもこの今の状況下で魔術を使ったりしないはずだ。
「蒼さんが無意識に魔力を使ってあの女の子の姿を投影してる――ってことかな」
藤岡が考え込みながら呟いた。
実は廸歩も写真を見てからずっと気になっていたことがあった。
「後で話そうと思ってたんですけど……私、さっき蒼さんと話をしたときに、蒼さんの友達の伊藤月夜さんの写真を見せてもらったんです。今歩いてるあの子と、まったくおんなじ服装でおんなじ髪型でした」
月夜本人が気に入っていた服なのかもしれないが、彼女が映りこんだ他の写真の中に同じ服を着ているものはなかった。髪型もいつも同じだったわけではない。
だが、蒼が真っ先に見せてくれたのはミントグリーンの服のその写真だった。
だからもしかして、あの姿は蒼が月夜を思い浮かべるときに真っ先に浮かぶ姿ではないか、と思ったのだ。
「……なるほど……そうすると、梨奈が言ったように降霊術とあの幽霊は別の問題として切り離して考えたほうがよさそうだねぇ」
「蒼さん、最近すごく疲れやすいって言ってたんですけど、無意識に月夜さんの姿を投影してるせいでMPを消費してるってことでしょうか」
能力を使うとMPを消費する、と言ったのは翼だったか。廸歩も過去に生霊と向き合った後、ひどく疲れを感じた覚えがある。
月夜の幽霊はここのところ何度も現れているらしいので、『最近疲れやすい』というのも説明がつく。
月夜の幽霊はふらふらと歩き続け、海に流れ込む川の河口付近まで着くとそこでしばらく足を止めて、そしてふっと消えてしまった。
「特に何をするでもなく消えたねぇ」
「そうですね」
消えた場所まで行ってその場所を確認してみたが、何の痕跡も見つからなかった。
「とりあえず戻ろうかぁ。梨奈も起きてるかもしれないし、報告しとかないと」
「わかりました。……そういえば藤岡さんって、常盤さんのこと呼び捨てなんですね」
「ん? そうだねぇ。付き合い長いしね」
時々なんだか親密な雰囲気にも見えるし、そういう関係だったりするのだろうか。
そんなふうに思って見ていると、ぱちんと目が合った。藤岡はニッと笑う。
「あんまり詮索すると、僕も廸歩ちゃんのこと聞くよ?――夜の庭で何してたのかな、とか」
「……べ……別に、私は電話してただけです……けど、これ以上藤岡さんのことは聞かないでおいてあげます」
「はは、ありがと」
話しながら屋敷のほうへ向かって歩き始めた二人の足元で、「ふじおか!」と槐がぴょんぴょん飛び跳ねた。
「槐はみちほが何を話してたか聞いてたから教えてやろうか?」
「!? えんじゅやめて」
「みちほが抱っこしてくれたらやめてやろう」
思わずジト目になって睨んだ廸歩の視線など気にせず、槐は抱っこしやすいように後ろ足で立ち上がった。
槐の中身は廸歩よりもずっと年上らしいのだが、姿は狐。抱っこをねだる姿は殺人的にかわいい。
「仕方ないなぁ」
思わず噴き出して抱っこしてやると、槐は廸歩の腕の中に収まり、むふーっと満足げな表情を浮かべた。




