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69. 二人の少女

 蒼の部屋は屋敷の奥の方、当主の書斎の斜め向かいにあった。

 もともと彼女の父親の部屋だったところを滞在中の部屋として間借りしているそうだ。

 間借りとはいうものの、蒼の両親はいつも忙しくしているため昔から長期休暇にはいつもこの屋敷に滞在することが多く、今では完全に蒼の部屋として扱われているらしい。


 その部屋で、今廸歩はテーブルをはさんで蒼と向かい合って沈黙に耐えていた。


「……」

「……」


 蒼は「どうぞ、座ってください」と言ってから黙り込んでいる。

 呼んだ本人が黙っているのでこちらから口を開くのもはばかられる……というか、そんな時に口を開けるような対人スキルを廸歩は持っていない。

 一体どうしたら……内心冷や汗だらだらになりつつ蒼の様子をうかがっていると、彼女が小さく深呼吸をした。


「……あのっ」

「はい」

「あの……みちほさん……光輝くんから聞いたんですけど……」


 テーブルの上に置かれた蒼の両手はぎゅうっと握りしめられている。

 大塚から聞いた。嫌な予感しかしないワードである。一体何を言われるんだろうかと構える廸歩に、蒼は意を決したように口を開いた。


「虫が好きって本当ですか!?」

「は……えっと、はい。好きです……けど……」


 一瞬何か聞き間違ったのかと思ったが、確かに蒼は『虫』と言った。

 それはそんなに聞くのをためらうようなことだろうか。

 もしかしてその他に何か……?

 そう勘ぐってみたものの、当の蒼はほっとしたように肩の力を抜き、顔に喜色を浮かべている。


「虫が、どうかしたんでしょうか」

「いえ、あの、さっき倉庫でカマドウマって言ってたのが気になって……光輝くんに聞いたらが廸歩さんは虫が好きなんだって言ってたので……えっと、私も……なんです」

「私も?……ええと、虫好きっていうことですか?」

「……はい」


 おや、そうだったのか。

 蒼は今どきの『おしゃれな中学生』という雰囲気の少女だ。そういう子で虫好きというのは確かに珍しいかもしれない。

 蒼はそのまま絞り出すような声で話を続けた。


「カマドウマ……私も可愛いと思うんです……まん丸い体に触角がピコピコ動いて。でも、昔捕まえたときにお母さんに『かわいい子がいたよ』って言って見せたら絶叫されて」


 それは絶叫されても仕方ないかもしれない。

 かわいい子と言われて出てきたのがカマドウマというのはだいぶ厳しいものがある。カマドウマというのは虫嫌いの人にとってはかなりハードルが高い方の造形だ。


「女の子なのにおかしい、育て方を間違った、って大泣きされて……虫取りを禁止されてしまって」

「そ……それはさすがにひどいですね」

「それで、女子は昆虫に興味を持っちゃいけないんだって思ったんです。……でも、やっぱり好きで……隠れてネットで調べたり、この家に一人で来たときに捕まえたり飼ったりしてたんです。だから、廸歩さんがカマドウマ可愛いって言ってたから話してみたいって思って」


 なるほど、そういう事情なら話しにくいのも理解できる。

 廸歩はほっとして息を吐いた。


「そういうことですか……私はてっきり大塚くんとのことを聞かれるのかと」

「あ、それもちょっと気になりましたけど」

「あれ、藪蛇……いえ、聞かれて困ることなんて何にもなくて、ただの大学の同級生ですけど」

「でも光輝くんの方は廸歩さんが好きですよね」

「あれは……私をからかって遊んでるだけのような……」

「からかう? 光輝くんが?……あまりそういうことするイメージはないですけど」

「ちょっとふざけてるだけだと思いますよ」


 大塚は小倉当主にゴマを擦っているので、あんまり言うと蒼に本性がばれて、彼の『小暮家に取り入る計画』の邪魔になったなどと言われてまたいやがらせをされそうなのでここは曖昧に濁しておく。


「光輝くん、私はただあこがれてるだけなんです。だって向こうは私のこと恋愛対象としてみてないのは分かるので。……でも光輝くんの彼女が目の前に現れたらちょっとショックだったかもなので、安心しました」


 そう言ってはにかむように笑う蒼はとても可愛かった。

 可愛かったがゆえに、早めに目を覚ましてほしいな……と願わずにいられない。


「えっと……もしかして虫が好きなこと、誰にも話してないんですか?」


 大塚の話を続けると地雷を踏み抜きそうなので話を戻す。


「ええと、おじいちゃんとおばあちゃんは知ってるかもしれませんけど、二人とも虫苦手だし、光輝くんも多分嫌いっぽいので話してません」

「ああ、大塚君は嫌いみたいですね。自分でも言ってたし、今日のリアクションも本気っぽかったし……」

「やっぱり……。学校では、女子なのに変だとか、気持ち悪がられるのが怖くて言えなくて……」

「確かに中学校くらいのころは私も言いにくかったかもしれないですね……大学、というかうちの学科だと、周りも男女問わず普通に虫とか魚とかが好きな人たくさんいるので気になりませんけど」

「女子もいるんですか……?」


 目を丸くした蒼に頷く。

 中学生くらいまでは学校と親が世界のすべてだったりするので、そういう世界が信じられないのかもしれない。


「昆虫関係の市民参加イベントだったら、結構女の子参加してますよ。蒼さんも一回参加してみたらいいですよ。中学生くらいなら親同伴じゃなくて一人で参加してる子もいますし、道具がなくても貸してもらえます」

「本当ですか……そういうの、調べてみます」

「はい。――ダメって言われても好きなものなら大事にした方がいいですよ。そういうものってそうそう出会えませんから」


 廸歩のその言葉に蒼が驚いたような顔をして、そして淡く笑顔を浮かべた。


「……本当は一人だけ、話したことあるんです。小学校の時に教室に入ったマルハナバチ、男子が殺そうとしたことがあったんですけど、私つい『その子は刺さないから逃がしてあげて』って言っちゃって、『ハチ女』ってあだ名付けられました。それで皆にからかわれて笑われて……でも一人だけ、笑わなかった子がいたんです。……それが月夜でした」


 蒼は友人の名前を口に乗せて涙を一つこぼした。


「優しい子だったんです。いつもにこにこしてて、誰にでも親切で。私が昆虫を好きなんだって知っても馬鹿にしたり気持ち悪がったりしないで……今の廸歩さんみたいに『好きなことは大切にしていいんだよ』って言ってくれて。……でも、月夜は親から虐待を受けてたんです」


 月夜の両親はいわゆる出来ちゃった婚で、愛し合っていたわけではなく遊びの関係だったらしい。だがどちらも良家の出だったため世間体のために結婚させられたそうだ。

 月夜は『お前ができなければ自由でいられたのに』と母親からなじられ、父親からは無視され、なおかつ機嫌が悪いときには暴力を受けていた。


「夏休みに入るちょっと前に月夜が『私、お父さんに殺されるかもしれない』って言ったんです。本当にポロッと口からこぼれちゃったみたいな感じで……すぐ『冗談だよ』って笑ってたけど、でも……それを言ったときすごく、遠い目、っていうか、悟ったような目? をしてて。なんていうか、冗談には思えませんでした」

「……それで、月夜さんがいなくなったときに殺されたって思ったんですね」

「はい。夏休みに入った日の夜、雨風がひどい日だったんですけど、急に胸騒ぎがしたんです。それでなんか無性に心配になって月夜にメッセージ送ったり電話かけたりしても反応がなくて、その次の日に月夜の父親の職場に行って聞いたら『家出した』って言われて……私、そんなわけないってカッとなっちゃって……それは、今は反省してます。うちの親に迷惑かけちゃったって」


 両親から叱られ、自宅で大人しくしていろと言われたのだが、相手が家出だと言い張るなら自分で探そうと考え家を抜け出した。

 だが外に出たところで見つかり、この小樽の祖父母の家につれてこられたという。

 

「それで昔、光輝くんのお祖父ちゃんに貰った魔術の本に、降霊術が載ってたことを思い出して試してみたら――家中でおかしなことが起こり始めちゃって、おばあちゃん倒れちゃうし、こっちでもみんなに迷惑かけちゃったし、月夜にも会えないし……」


 そう言いながら、蒼は堰を切ったようにボロボロと涙を流し始める。

 廸歩はしゃくりあげる少女の隣へ行って、恐る恐る頭を撫でた。

 泣いている中学生の相手をするのは翼の妹の詩織以来二回目だが、相変わらずどうしていいか分からない。


「……このお家のことは大丈夫です。藤岡さんも常盤さんもすごい人たちだから。月夜さんのことはこっちでもできる限り調べてもらえるようお願いしてみます」

「はい……おねがいします……」

「がんばります」


 頷いた廸歩に、蒼が涙をぬぐいながら、ふふ、と少し笑った。


「廸歩さん、あんまり表情変わんないからちょっと怖い人なのかなって思ったけど、話してみるとそんなことないんですね」

「よく言われます……すみません怖くて……」

「ふふふ……光輝くんが夢中なの、ちょっと分かります」

「そ……そこに話を戻さないでください……本当に誤解ですから」


 そのあと、蒼が見せてくれた伊藤月夜の写真に映っていた少女は、廸歩が書斎の窓から見た少女と同じ姿をしていた。

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