64. 磨かれたテーブル
「廸歩ちゃん、こっちついてきてくれる?」
「あ、はい」
「えー、私も廸歩ちゃんがいいー」
藤岡は二階物置の足音の確認だ。
梨奈はこのままここでテレビの映像の乱れチェックと、二階に人が入ったときの足音の響き方などを確認する――のだが。
はて、どちらについていればいいのか……と困った廸歩が見回すと、大塚と目が合った。途端に彼は無言でぶんぶん頭を振った。廸歩の代わりに藤岡と一緒に行くのは嫌だという意思表示だろう。
二手に分かれるとはいえ、大塚は依頼人サイドなので現場を一緒にうろつく必要はないのだが。
「もし上に変な侵入者がいたとき、この中で一番戦力になるの廸歩ちゃんでしょ」
「ああ……なるほど、チホちゃんゴリラだもんな……」
「……え、廸歩ちゃんってそういうキャラなの?」
「……ゴリラではないです……けど、わかりました。もし侵入者がいるなら逃げられる前に行きましょう。外に出るルートや窓の位置の確認も」
(ついでにどこかのタイミングで大塚くんの靴の中に小石でも入れておこう)
結局、二階は藤岡と廸歩と案内役の笠原、台所居残りは梨奈と大塚となった。
笠原は唯一の顔見知りである大塚と離れることに不安そうな顔をしていたが、腹を据えたのか、しっかりした足取りで階段まで案内してくれた。
「階段はここの角の一箇所しかないので、二階と行き来するなら台所前の廊下を通る必要があります」
「こんなに大きなお家なのに階段は一つなんですか?」
「ええ。元々平屋建てだったんですけど、一部増築して二階部分に倉庫が作られたと聞いています」
その階段は吹き抜けのようになっていた。元の母屋の横に階段室自体が増築されたようで、床や壁の素材が他と違う。
大きな明かり取りの窓があるため明るいのだが、どうにも空気が淀んで感じる。
「もし本当に不審者がいたら危ないので私が先に行きますね。入ったらいけないとか、触ったらいけないところとかがあったら教えてください」
「あ、えっと、いえ、上は使っていないものや備品のストックを置いているだけなので鍵もかかっていませんし、入っていけないようなところはありません」
「わかりました」
笠原に頷いて、廸歩は足音を立てないように階段を上がりきる。
上がった先は少し広いスペースがあってその奥は大きな引き戸になっていた。二階部分は丸々倉庫らしく、その他に扉や廊下等はなかった。
耳を澄ませながら一歩踏み出し、足元の感覚に眉を寄せる。
少しだがホコリが積もっている。一階は完璧にぴかぴかに磨かれているので意外な気がするが、普段それほど出入りしないといっていたのでそんなものだろうか。
そして、ホコリの上に足跡などは残っていなかった。
(私達の前にここから入った人はいない……いるとしたら、二階の窓から、か)
後からついて来た藤岡も同様に床を気にしているので同じことを考えているのだろう。
「開けますね」
引き戸に手をかけ、中の気配を窺うが特に人が動く気配はない。
力を入れるとそれほど音を立てずに滑らかに動いた。
「……中に人はいなさそうですね。外側より埃が積もってますし……」
「そうだね。人はいないねぇ……」
中をざっと見回してもやはり人の気配はない。部屋の外と同様に、埃が積もっていて足跡は見当たらない。
(でも、いっぱいいるなあ……)
人のいる気配はないのだが、その代わり小さな霊のようなものがたくさんいる。不定形の黒いもやもやした塊がいくつも物陰に隠れて廸歩たちのほうを窺っているのだ。
「笠原さん、誰もいないし特に異常はないです。窓を開けて換気させてもらってもいいですか?」
「ど、どうぞ!」
藤岡が部屋の外に呼びかけると階下から返事が聞こえ、すぐに階段を上ってくる音がして笠原が顔を出した。
彼女は異常がなかったと聞いて少しほっとしたような顔をしている。
「なんか、やたら多い気がするんですけど……階段からこっちの空気が悪い原因これですよね」
改めて室内を見回した廸歩は、ほっとしている笠原に聞こえないように声を潜めて藤岡をつついた。
「多いねぇ……お孫さんが何かやった場所って、もしかしてここなのかな」
「そうだとしたら……あの窓のところ、特に集まってるのであのあたりですかね」
部屋の奥の窓側に一つ、古いテーブルが置かれている。その周辺は黒いもやもやが集まって少し暗く見えるほどだった。
廸歩が近付いていくと、そのもやもやは廸歩を嫌がるように離れていく。
「廸歩ちゃん、なんか避けられてるね。それがえんじゅくんの効果?」
「そうみたいです。たまに近寄っては来るんですけど、一定の距離以上には来なくなりました」
以前は歩けば霊や物の怪にぶつかって引っ付かれていたのだが、狐の槐が廸歩の守護獣となって以降、どうやらその気配が漏れ出しているらしく、小物は逃げていくようになった。大物も警戒してあまり近付いてこなくなったのだ。
「それは良かったねぇ。でもまだ、えんじゅくん自身はふゆさんのところにいるんだっけ?」
「特に聞いてないんですが……多分まだ向こうだと思います。でも呼んだら来てくれるらしいですよ」
「へえ、それはすごいね。結構優秀な子みたいだから助けてもらうことになるかもねぇ……さて」
藤岡がテーブル脇の窓を開けて外の風を入れると、最後に残っていたもやもやも逃げていった。それを見届けて、彼は笠原に顔を向けた。
「ここはしばらく人が入ってないんですね。元々掃除もあまり?」
「いえ、日常的に使用してはいませんが清掃は毎日していました。ただ、今は手が足りなくて……ここの掃除は辞めた原口さんが担当していたんです」
「なるほど」
清掃が行き届かない言い訳なんてお客様の前で恥ずかしいんですが……と笠原は恐縮している様子だったが、住み込み一人、通い一人ではこの広い屋敷を隅々毎日清掃するには明らかに人手が足りない。
それに、通いの一人は臥せっている当主の奥方の世話に回っているそうなので、どう考えても不可能である。
「今だってこんなに広いお屋敷、目が届く範囲だけだったとしてもこんなにきれいに磨かれてるのはすごいと思います」
「ありがとうございます……それにしても皆さん、さっきみたいな気味の悪いことが突然起こっても全然動じないんですね。やっぱり慣れですか? 私ばかり取り乱してしまって……でも皆さんにつられて少し落ち着いてきましたけど」
苦笑いを浮かべる笠原に廸歩は首を振った。こんな心霊現象、廸歩だって驚いた。
「私はびっくりしてもあまり顔に出ないんです。さっきの足音は私も驚きました。……その前のテレビは、常盤さんが変な動きをしていたのでそっちに気を取られていましたけど」
「僕は慣れですねぇ。梨奈の変な行動はいつものことだから、見てると恐怖が薄れてちょうどいいかもしれないですけど」
藤岡の冗談とも本気とも判じかねる言葉に、笠原がやっと少し笑顔を見せた。
廸歩はそれを横目に、テーブルとは反対側の窓も開けて風の通り道を作る。そして、そこから窓の外の景色を見て、あれ、と思う。
(階段と引き戸の位置関係、それに窓からの距離)
「あの、もしかしてそこのテーブルの位置って、下のテレビと同じくらいの位置じゃないでしょうか」
廸歩の言葉に他の二人がテーブルのほうを見て首をかしげた。
「どうでしょう……確かにそのあたりかもしれませんが」
「じゃあ下にいる梨奈に聞いてみようか。床を叩いて、どのあたりで聞こえるか」
『これから床を叩くので、一階のどの位置あたりで聞こえるか確認してほしい』と梨奈のスマホにメッセージを送り、棚に置いてあった木槌でテーブル下の床を叩いてみると、やはりテレビの上で聞こえたという返事が来た。
『ばっちりテレビの真上から聞こえたわ。ね、大塚くん』
『そうですね、変に響いてるとかじゃなければ間違いないと思います』
「やっぱり……」
今そのテーブルに藤岡のスマホが梨奈とのスピーカー通話状態で置かれている。
廸歩が隣に立った笠原の表情を横目で確認すると、やっと笑顔でゆるんだ口元は再び固く結ばれていた。
そして青ざめた顔で口を開いた。
「……このテーブルのところで、蒼さんが降霊の儀式をやったのだと聞きました。……何か、そういうものが見てわかるんですか?」
確認したかったとはいえ、怯えている笠原の目の前でやらないほうがよかったのかもしれない、とちらりと思う。
「このテーブル、他より念入りに磨かれているので何かあるのかと思ったんです。こっちの椅子とセットですよね? でもこっちはそこまで磨きこまれていないので目立ってしまって」
見回したときたまたま、そういえば位置的にテレビと同じかもしれないなと思ったんです、と迪歩はとぼけて見せる。
「そうですか……確かにこのテーブルだけすごくきれいになってますね。……おそらく、原口さんが磨いたんだと思います。彼女、怖がりで。それにオカルト話が大嫌いだったので。……自分の管理している場所で降霊術なんて怖かったんでしょうね。少しの跡も残したくないという様子でしたから」
『じゃあ、儀式をやった場所の真下で異常が起きたってことになりますね……』
電話の向こうで梨奈は何やら考え込んでいるらしく黙り込む。
「ひとまずここは確認できたので、他に異常が起きた場所をざっと案内してもらえますか?……どこかのタイミングで蒼さんに話を聞けると助かるんですが」
「蒼さんは……光輝くんだったら懐いているし、話してくれるかもしれません。この家の人間にはすっかり心を閉ざしてしまっているので……」
そう言って笠原は少し寂し気な表情を浮かべた。今回の一連の出来事の原因が彼女かもしれないとはいえ、大切に思われているようだ。
が、大塚に懐いているという言葉には若干の不安を感じつつ、迪歩たちは窓を閉めて倉庫を後にした。




