63. お屋敷の異変
「始まりは蒼がこの家に来て一週間くらい経った頃だったんです。誰もいないはずの部屋から物音が聞こえたり……でも当初は、単なる家鳴りだと思って誰も気にしていなかったんですが」
小倉家で暮らしているのは、当主夫婦と住み込みのお手伝いさんが一名の計三名だ。そのほかに、日中だけの通いのお手伝いさんと庭師がそれぞれ一名ずついる。
そこに孫娘の蒼がやってきたのは半月ほど前――彼女の通う中学校が夏休みに入ってすぐのことだった。
中学三年生の蒼は普段は札幌の両親のもとで暮らしているのだが、夏休みに入った直後に友人の父親の職場で問題を起こしてしまった。
先方は「子供のやったことだから」、と大きな問題にはせずに済ませてくれたそうなのだが、蒼は諦めていない様子で家を抜け出そうとする。
蒼の両親は共働きで、常に彼女を見張っているわけにもいかない。そのため、彼女が落ち着くまでの間、という約束で小樽の祖父母宅に預けられたのだという。
「蒼の起こした問題というのが……蒼の友人が行方不明になっていることが原因なんです。伊藤月夜さんというのだそうですが、あちらのご両親は反抗期の家出だと仰っていて、家出人の捜索願いを出しているんです。……でも蒼は、月夜さんはご両親に殺されたのだと言い張っていて」
「……殺されたとはまた穏やかではないですね」
「そうなんです。蒼が自分一人で言っているだけならばまだしも、先方の職場まで乗り込んでいって騒いだんです。……あちらは経営コンサルタントで、事務所を持っていまして、ちょうどその時顧客もいたらしいんです」
「……それは、穏便に済ませてもらえて良かったですね……」
沈痛な面持ちの小倉に、梨奈が若干顔を引きつらせる。
経営コンサルタントといえば信用商売。そしてその顧客は会社経営者や上層部である。その商談中に中学生が乗り込んできて、お前は人殺しだと騒いだのだ。
蒼からしてみれば正義の心に駆られてのことなのかもしれないが、大人の目線で見てしまうとこれでは完全に名誉棄損である。
蒼の主張の正否云々の前に、その行動自体に蒼の両親は震えあがった。
肝心の月夜の行方はようとして知れず、蒼を放っておけばまた同じことを繰り返しかねない。だからと言ってそうそう何日も仕事を休んで張り付いているわけにもいかない。
それで、少し離れた場所にある祖父母の家に預けたわけだ。
「それで、落ち着くまで我が家で面倒を見ることになったんです。そうこうしているうちに家出している月夜さんが保護されてくれれば、と思っていたんですけど、やはり見つからず……」
そこで小倉はた狙うように一度言葉を切った。
「そして、業を煮やした蒼が……どうも、降霊術の真似ごとをして、月夜さんを呼び出そうとしたらしいんです」
「降霊術ですか……?」
梨奈がやや意外そうに片眉を上げた。
降霊術は、相手がすでに亡くなっていることを前提として行うものだ。
「確かに、本人に聞くことができれば間違いないかもしれないですが。……でも、蒼さんはずいぶんと月夜さんが亡くなっているということに確信を持っているんですね」
「ええ、蒼によれば、月夜さんはご両親から虐待を受けていたそうなんです。常々月夜さん本人が『自分がいなくなったとしたら親に殺されたと思ってくれ』と言っていたと。――実際、伊東家の親子仲は良好とは言い難かったようです。ですが、虐待が事実かどうかは我々には分かりません」
つまり証拠は本人が言い残したその一言のみ。
証拠と言うにはあまりにも頼りない。
「そして、異音が始まったのはその降霊術の後から――ということですか。始めは家鳴りだと思われてたんですよね」
「ええ、始めは本当に家鳴りのようだったんです。人のいない部屋から床がきしむような音が聞こえるとか、あとは閉めたはずのドアやふすまが開いているとか、気のせいかな……と思う程度で。でもだんだんそれが派手になってきて、今では二階で人が走り回っている足音や、ぶつぶつ呟くような声が聞こえるような状態です」
その他に、障子越しになにかが歩いている影を見た、活けたばかりの花が数時間後に干からびていた、テレビの映像が突然途切れてうめき声が聞こえてくる、などなど。
少し前まで住み込みのお手伝いさんがもう一人いたそうだが、ノイローゼ状態になって辞めたらしい。
そしてつい先日、当主の妻も心労で倒れてしまった。
家の中でそれだけ色々起こっていたら耐えられないのが普通だろう。むしろ冷静に話している小倉と、辞めずに残ってる笠原がすごい。
「とりあえず状況を見て欲しいというお話は伺っていますし、できれば実際にそういった現象を確認させていただきたいのですが……よく発生する場所や時間などは把握されていますか?」
「場所はもう家中あちこちですよ。……ああ、テレビは台所のものだと聞いています。時間も一日中ですが、夜のほうが多いように思います。細かい事情は笠原さんのほうが詳しいので、そちらから聞いていただくほうがいいと思います」
「分かりました。――それと、お孫さんがやった『降霊術の真似事』というのは具体的にどんなことをやったのか聞かれていますか? 参考にした本や、ネットのサイトなどがあればお聞きしておきたいんですが」
梨奈の言葉に小倉が眉を下げる。そして申し訳なさそうに口を開いた。
「蒼は本を真似してやったと言っていました。……ただ肝心のその本は、辞めたお手伝いさんに取り上げられて燃やされてしまったらしいんです。元々そういうオカルト的なものを嫌っていた方だったそうなので、過剰に反応してしまったんでしょうけど……」
「嫌がる気持ちも分かりますが、中学生のお嬢さんの持ち物を取り上げて燃やすというのは激しいですね」
「ええ……、その時点でノイローゼというか、だいぶ精神的に追い詰められていたようなんです。そんなことになる前に私が気付いてあげなければいけなかったんですけど、双方に申し訳ないことをしてしまいました」
申し訳なさそうに微笑んだ小倉は、初めの印象よりも弱々しく、年相応の老人に見えた。
***
笠原に案内され、まずやってきたのはテレビからうめき声が聞こえるという台所だ。
そして、この台所の2階部分は人の出入りがほぼない物置なのだが、頻繁に走り回る足音が聞こえるらしい。
物音、テレビやラジオ、パソコンの異常などなど、廸歩が読んだ九環の過去の報告書でもそういった事例は何度もあった。が、調べた結果、それは霊現象ではなく人為的ないたずらや嫌がらせ、もしくはただの故障が原因でした……ということも多かった。
「まずは手っ取り早く電化製品回りから行きましょう」
というわけで、今回もまず機械や建物に細工された痕跡や、検知器を使っておかしな電波が出ていないかの確認から始めるのだ。
「パッと見では外見上変わったところも、電波の反応もないねぇ。とりあえずこの辺には盗聴器やら無線のカメラっぽいものはないみたいだ」
藤岡の持っている、電波を傍受すると反応するという計器を覗き込んでみるが、部屋の中に、特に激しく反応しているものはなかった。
「……旦那さまからは拝み屋さんが来ると聞いていたので、いきなりなにかお祈りとかを始めるのかと思っていましたけど、そういうわけではないんですね」
計器の表示に目を向けたまま梨奈に報告する藤岡を横目で見つつ、笠原が大塚にひそひそと話しかけているのが聞こえた。
「ちょっと意外ですよね。でも人のいたずらとか嫌がらせっていうケースも多いとかで、最初に調べるそうですよ」
大塚の答えに、へぇー、と笠原が感心したような声をあげるのを聞きながら、廸歩はテレビに向かって何やら念を送るようなポーズをしている梨奈の横へ行く。
「……で、常盤さんはなにをされてるんですか?」
「受信機の種類にもよるけど、妨害電波なんかを受信して乱れる場合は、リアルタイムに電波が飛んでないと分かんないのよ。だから手っ取り早く映像、乱れろーっ! て念を送ってる」
「確かに異変が起きたら調べやすいけどさ~。そうやってると梨奈が犯人みたいだよねぇ。梨奈から出てる変な電波で映像が乱れるんじゃないの?」
藤岡が呆れたような声を出す。
「常盤さんって、なんかすごい気とか出てそうですもんね……」
ザ……
「……お!」
そんな話をしていると、本当にテレビから流れていたワイドショーの映像にノイズが走り始めた。
それを見た梨奈が嬉しそうな顔をする。……本当に梨奈が犯人なのでは、と疑いそうになるタイミングと表情である。
ノイズはだんだん激しくなり、やがてブツンと画面が真っ暗になってしまった。
そして微かに人の話し声のようなものが聞こえ始める。
「……、……。……」
低い、男性の声のようだ。音の高低や調子からなにか喋っていることは分かるのだが、なにを言っているのかは聞き取れない。
全員が静まり返ってテレビに注目する中、話し声は十秒ほどで止まり、そしてすぐに元のワイドショーの映像に戻った。
「……電波の反応なし。録音は……音が小さかったせいかもしれないけど録れてないね」
ドヤ顔でガッツポーズをしている梨奈を無視した藤岡が静かに告げる。
笠原は真っ青になって口を押さえていた。
「……今、のです。前に聞こえたものと同じ……前はもっとはっきりしないうめき声みたいでしたけど……」
「これは何回も起きてるんですか?」
「私が見たのはこれで二回目です。原口さん……辞めてしまったお手伝いさんですが、あの人はもっと何回も見たと言っていました」
「なるほど……」
「繰り返すうちに言葉が明瞭になっていくのなら、そのうち聞き取れるようになるかもしれませんね。……できればその前にストップさせたいですけど」
「ひっ」
梨奈の言葉の途中で、天井からドタドタと音が響き始めた。かなり派手な音で、笠原は驚きのあまり肩をびくりと震わせていた。
「足音に聞こえますね」
「そうだね。子供が飛び回ってるみたいだ」
上を見上げた廸歩の呟きに藤岡が頷き、そしてガタガタ震える笠原のほうを振り向いた。
「笠原さん、申し訳ないですが、この上の物置に案内していただけますか?」
「……は、はい、分かり……ました」
血の気の引いた顔で、彼女はそれでもなんとか頷いた。
これは、笠原もそろそろ限界だろう。
小倉家のお手伝いさんが全滅する前になんとかしたいところだが。




