62. 海辺のお屋敷
現地に行く面子は、梨奈と今井、藤岡。それに、孫娘と比較的年が近いということで迪歩。あとは仲介人として大塚の計五人。
小樽までは車で行けばそこまで時間がかからないので、藤岡を呼び戻して午後そのまま向かうことになった。
翼は午後から学校の夏期講習があるため、不承不承ながら今回は不参加だ。
今回依頼を受けるのは梨奈で、藤岡が協力者という扱い。
迪歩はその見学兼お手伝い役である。
実際の所、大塚と梨奈が迪歩を連れていきたがったが、九環のバイトが他所の仕事に単体でついていくのはちょっとね……ということで、九環の社員の中で現在比較的手の空いている藤岡が引率のお兄さん役となったのだ。
真琴と翼によれば梨奈と藤岡がセットなのは「戦力過多」だそうだが。
でも正直なところ、暴走する梨奈の対処法が分からないし(あまり酷いと今井がストップをかけてくれるが)、何を企んでいるか分からない大塚も一緒なので、梨奈のあしらいに慣れていて大塚の天敵である藤岡が一緒なのはありがたい。
「そういえば私、小樽行くの初めてです」
今井が運転する車で、窓の外を眺めながらつぶやいた廸歩の言葉に応じたのは前の席の大塚だった。
「あれ、そうなの? 迪歩ちゃんって水族館とか好きそうなのに。まあ今回の場所は有名な運河とかのある中心部じゃなくって、海水浴場以外なんにもない端っこのほうだけど」
「水族館には興味あるけどまだ行ってないんです。電車とバス乗り継ぎになるし、混んでるしで優先度が低めなんですよ。昆虫系の展示があれば頑張って行くんですけど」
「ああ、チホちゃん虫オタだったっけ。大学の敷地内でも網持ってうろついてる人達いるけど、俺虫はマジ無理だわー」
「そうですか。気が合わなくてうれしいです」
窓の外の景色から目をそらさずに気のない返事を返す。
彼は迪歩が怒ったり不機嫌になったり感情を顕にするところが見たいらしく、わざと不愉快な言い方を挟んでくるのだ。やたら翼に絡むのも同様の理由らしい。
曰く、きれいな顔が歪むのが見たい、と。控えめに言って関わり合いになりたくないたぐいの人物だ。
「海って昆虫採集するイメージないよねえ。やっぱり迪歩ちゃん的にはあんまりテンション上がらないの?」
隣の席にいる藤岡が話に加わってくる。今回、迪歩はなるべく藤岡から離れないようにしようと決めているので隣の席を死守した。
「うーん、山とか林とかのほうが種類は多いですけど、海にもまあまあいますよ」
「いや、昆虫視点じゃなくてさ、普通海って言ったら海水浴! とかBBQ! とかでしょ? せっかくなんだから水着を着なよ。そしたら際どい写真撮って翼少年に送って怒らせて楽しむのに」
「え、死ねばいいのに……」
いけない、思わず本音がこぼれた。隣で藤岡が肩を震わせている。
「……それと、浅瀬や砂浜の中には虫がいるんですよ。スナホリムシとか。噛んでくるのであんまり肌は出したくないですね」
「え!? 噛む虫がいるの!? ビーチに!?」
噛んでくる、という言葉に反応して助手席にいる梨奈が悲鳴のような声を出す。
「いますよ。肉食性の小さい虫で、毒はないけど痛いんです」
「えぇー……嫌なことを聞いたわ」
「あ、でも混んでる海水浴場ならそんなに遭遇しないと思いますよ。水や砂の動きが激しい所は虫だって嫌がるし、獲物が多ければ相対的に被害率が下がりますし」
「迪歩ちゃん、そういう問題じゃないのよ?……まあここ数年海水浴なんて行ってないし行く予定もないけどさぁ」
ブツブツとつぶやく梨奈に、迪歩は首をかしげる。
「何が問題か分かってないあたり、チホちゃんってだいぶ普通じゃないよね」
と大塚に言われたのは非常に不本意だったが、態度に出して喜ばれたくなかったので黙殺した。
***
「地図で見たときから分かってたけど、めっちゃでかいわね……」
「でかいですよ。ご機嫌取りたい気持ち分かるでしょう?」
札幌中心部から車に揺られること約三十分。
到着したのは、青々とした生け垣に囲まれた大きな和風のお屋敷だった。
屋敷の裏の堤防を越えればすぐそこに砂浜が広がっている。
『小暮』という立派な木の表札がかかった門から玄関までの間に車が優に五台は停められるスペースがある。
単純な敷地面積の広さであれば、山の中にある元農家の迪歩の実家も負けないくらいなのだが、こちらは建物の豪華さも大きさも全く違う。さらに、庭の植物もきれいに手入れされている。
「お金ってある所にはあるんだよねぇ」
「お金は寂しがりだから仲間がたくさんいる所に行くって言いますもんね……」
藤岡と迪歩がしみじみつぶやいていると、建物の中から一人の年配女性が出てきた。
「いらっしゃい光輝くん、そちらがお客様ですね」
「笠原さんお久しぶりです――この方は小暮家のお手伝いさんの笠原さんです」
大塚が年配女性に挨拶した後、こちらに紹介してくれる。
この家の奥さんかと思ったらお手伝いさんだった。お手伝いさんのいるお家を訪れるなど、迪歩は人生初である。
しかし、こうしてニコニコハキハキ喋る大塚はどこからどう見ても好青年だ。さすが人を騙すのは得意分野だといい切るだけのことはある、と妙な感心をしてしまう。
「常磐と申します」
梨奈が代表してこちらも名乗る。ちなみに運転をしてくれていた今井は、迪歩たちをここに送った後別行動をしている。周辺の噂や土地の歴史などを調べるのだそうだ。九環では真琴や真柴が主にやっている作業である。
「どうぞ、中へ。奥様はお加減が悪くて今はお休みになっていますので旦那様だけですが、書斎のほうでお待ちになっておりますので」
「蒼さんもあまり思わしくないと聞きましたけど……」
「ええ……そうなんです。最近は伏せがちですね……」
蒼というのは孫娘の名前だ。あまり触れたくない話題なのか、笠原は少し視線を泳がせていた。
ふと、さっき梨奈が言っていた『呪術だの魔術だのに傾倒してるなんて一般的には醜聞のたぐいだものね』という言葉を思い出してしまう。
迪歩は今までクライアントと直接やり取りをしたことがないため、祓い屋が客先でどういう目で見られているのか全く分からない。
この『早く話を切り上げてしまいたい』という雰囲気からすると、少なくとも彼女からはあまり歓迎されてはいないのだろう。
「初手で詐欺師呼ばわりされてないから、待遇はかなりいいほうだよ」
迪歩の考えていたことを読んだようなタイミングで、藤岡が言った。大塚と言葉をかわしながら先を歩く笠原には聞こえないくらいの小声だ。
その横で梨奈も苦笑する。
「依頼人の親戚が出て来て『出てけ!』って怒鳴られたりすることもあるしね」
「出てけって言われても、依頼されてるんですよね?」
「困るよねぇ、依頼人には呼ばれてるんだから。でも信じられない気持ちは僕らも分かるから、そういうのって文句も言いづらいんだよね~」
そう言って肩をすくめてみせる藤岡は、いつものようなパーカーではなく、ラフではあるもののジャケットを羽織っている。
前髪も軽く分けてメガネを掛けているので別人のようだ。
まるで普通にちゃんとした人のように見える。
普段のあの怪しい姿は、調査など、一人で動き回っているときや、自分が直接クライアントとやり取りしなくていいとき用らしい。
「どうぞ、こちらのスリッパをお使いください」
(スリッパすらおしゃれ……!)
竹素材の涼し気なスリッパは、恐らく迪歩が今まで見たスリッパの中でも最高級品だろう。そして、マンションの迪歩の部屋よりも広い玄関ホールを通って廊下を進む。
門構えが立派なら当然建屋の中も立派だ。
梨奈がぽそっと「めっちゃ金の匂いがするわぁ」とつぶやいて藤岡に小突かれていたが、迪歩も思わず頷いてしまいそうになった。
柱や床板は飴色に磨かれ、要所要所に高級そうな絵やら陶器やらが飾られているので、横を歩くのにちょっと緊張する。
「こちらのお部屋になります」
玄関に近い客間に通されるのかと思いきや、案内された先は庭を見渡すくれ縁をしばらく歩いた屋敷の奥に位置する洋室だった。
「本来ならこちらからお迎えに上がるところ、こんな奥まった所まで来ていただいて申し訳ありません」
当主である小暮氏の年齢は七十代と聞いていたのだが、しゃんと背筋の伸びた立ち姿からはもっとずっと若く見えた。
そして、彼からすればこちらは皆若い者ばかりだというのに、偉ぶる様子もなく丁寧な口調と態度を崩さない。
「光輝くんも済まないね、急に無理なお願いをしてしまって」
「いいえ、いつもこちらがお世話になってばかりですし、僕で何か役に立てるならいいんですが……こちらは常盤さんと、藤岡さん、助手の今井さんです。僕もお世話になったことがあるので信頼できる人たちです」
相手を気遣いながら控えめな笑顔を浮かべた大塚は、やはり好青年に見える。
「ありがとう、光輝くんがそういうなら安心だな」
(その光輝くん、数時間前にあなたのこと『老い先短い』とか『恩を売って損はない』とか言ってましたよ……)
しかもお世話になったという『お世話』の意味がちょっと違う。大塚は事件の犯人側である。――すっかり信頼しきった表情を浮かべた老紳士がかわいそうに見えてきて、廸歩は思わず窓のほうへ目をそらした。
(……ん?)
窓の外に、庭を歩く少女の姿が見えた。
年のころは中学生くらいなので彼女が『蒼さん』だろうか。向かう先は方向的に浜辺のほうだろう。
(なんかずいぶん思いつめたような顔に見えるけど、大丈夫かな……)
少女は廸歩の視線に気付くことなく、おぼつかない足取りで建物の影へと消えていった。




