61. 依頼人の事情
「やー、ここ数日事務仕事ばっかりで引きこもってたからさ、ちょっとテンションが上がっちゃってぇ」
三人掛けソファに座った梨奈がえへへ、と笑う。
ちなみにいつも与田がベッド代わりにしているソファである。最近はいつもぐちゃぐちゃの毛布が乗っているので忘れかけていたが、そういえば一応このソファは応接スペースの一部だったのだ。
散らかっていた与田の荷物は現在まとめて倉庫に押し込まれている。
梨奈の隣に廸歩が、その向かいの一人掛けソファに大塚が腰掛けている。
翼と、梨奈の秘書の今井はミーティングテーブルにいる。その他に真琴が自分の席にいるのだが、いつもだったら事務所内をふらふらしているもるもるの姿は見えない。どうも大塚が嫌らしく、隠れているようだ。
「――で、大塚くんね。お話伺わせていただけますか」
しっかりとした口調でニコッと笑う梨奈は、先程までの謎のハイテンションが身を潜めて一気に仕事モードに切り替わっていた。
なんだかんだ言って、やはりこの人もだいぶ癖が強い。
「僕もつい先日相談されたばっかりで、そこまで詳しい事情が分かってるわけじゃないんですけどー」
と、大塚が切り出す。
お祓いの依頼人は小樽に住む老夫婦で、大塚は幼い頃からお世話になっていた相手だという。
「場所は小樽の銭函にあるお屋敷です。ここひと月ぐらい、誰もいないはずの部屋から足音とか人の話し声とかが聞こえるらしいんです。それと、その家の近くの浜辺で夜になると女の子の幽霊が出るとかいう噂も立ってるとかで、その家の奥さんと中学生の孫娘が精神的にまいっちゃってる……っていうことで僕のところに相談が来たんです」
っていっても、僕は別にお祓いとかできないんですよねー、と笑う。
「多分そちらはもうご存じだと思いますけど、うちの祖父が地方の呪術とかの研究してた民俗学者だったんです。だからお祓いもできるんじゃないかって向こうは考えたみたいなんですけどね。そこの家のご主人が祖父の研究の資金援助してくれてたし、僕自身も色々面倒見てもらってたんで断りにくくて」
「お世話になってたから断りにくいなんて殊勝な感情があったのか」
頬杖をついたまま翼がぼそっと呟いた。大塚はいつもの朗らかな笑顔のままそれに応じる。
「今後何をするにしても資金や人脈は必要だからさ、老い先短い金持ちに恩を売っておいて損はないでしょー」
つまり自分の利益のためだとはっきり言い切る。
大塚は特にここでは猫をかぶるつもりがないらしい。
「あら、清々しい程の人でなしね。私、そういうの嫌いじゃないわ。要は祓い屋を紹介してご機嫌取りたいと」
「そうです」
なんだかなぁと思いつつも、廸歩もそういう理由は分かりやすくて嫌いではない。でも……と、首を傾げる。
「……あの、そういう幽霊みたいな現象が起きたときに、呪術の専門の人に相談するって、普通なんですか? だって研究の援助してたんなら研究の内容だって知ってたんですよね? 一般的……っていうのはどうかは分かんないですけど、私だったらお寺さんとか、お祓いができそうな人に相談しようって考えますけど」
廸歩の疑問に梨奈が頷く。
「そうね。迪歩ちゃんの言う通り、幽霊を見たりポルターガイストが起こったりしたときに普通は真っ先に『呪術』なんて発想にはならないでしょうね。専門でやってるこっちだってまずは地歴や事件をあたるとか、別の原因を疑うもの。――つまり、先方は何か心当たりがあるんでしょう?」
梨奈は笑顔を張り付けたまま、隠し事は許さないぞ、とでもいうような鋭い目線で射貫くように大塚を見つめる。
猛禽類を思わせるようなその視線に若干ひるんだのか、大塚は肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「たぶんそうです……まあ、向こうがはっきりと教えてくれないんで僕の推測ですけど、どうもあちらの孫娘が何か呪術的なことをやらかしたっぽいんですよ。――本人が昔、黒魔術に興味があるみたいなことを言ってたんで多分そっち系。僕は専門外ですけど、藤岡サンは詳しそうだったから何とかなるんじゃないかなって思って」
ふうん、と腕を組んだ梨奈は「まあ身内が呪術だの魔術だのに傾倒してるなんて一般的には醜聞の類だものね」と言って自嘲気味に少し笑った。
呪術だの魔術だのに傾倒している、というのは自分や藤岡のことを指しているのかもしれない。
「でもそうやって隠されちゃうとこっちだって向こうの痛くない腹まで探らざるを得なくなっちゃうんだけどねぇ……ま、結局依頼人はそのご夫婦で、大塚君は紹介人でしょ?この件、こっち側が断るってことはないから、依頼する意思があるのであればなるべく情報は開示するように伝えてくれる?」
「分かりました。向こうに話してみます」
そこからいくつかの確認事項を打ち合わせたあと、大塚は先方に電話をかけた。
漏れ聞こえてくる会話の断片から、依頼主がずいぶんとまいっているのが伝わってくる。特に孫娘が日に日に衰弱していっているということで、なるべく早くに来てほしいと繰り返していたようだ。
――そして、やはり大塚の推測した通り、異変が始まったのは孫娘が何らかの魔術を行ってからだという。
依頼人は本当にそれが原因かどうかはわからないと言いつつも、孫娘の体調不良も含めて全て術の影響であると疑っているらしい
「日に日に衰弱って――魔術の反動で継続ダメージを受けることもあるんですか?」
以前藤岡がやった暗示の破壊や、呪い返しなどのイメージで、なんとなく術の反動などのダメージは一撃でガツンと受けるのだと思っていた。
迪歩が首を傾げると、梨奈は「んー」と唸った。
「何をしようとしたかによるけどね。魔術に代償はつきものだから。普通は自分にダメージが入んないように肩代わりするもの――要は生贄ね。を、用意するんだけど、それをちゃんと用意してないとか、正しい手順を踏まないことでダメージを受けることはあるだろうし、それが浸食されるようなタイプなら継続ダメージになるわね」
「そもそも自分の家で異変が起きてるっていうあたり、失敗感強いよね」
翼の言葉に梨奈は頷く。
確かに反動や対価というよりも、単純に失敗と考える方がしっくりくる。
「わざわざ自分の家で物音立てるために魔術なんか使わないでしょうしね。……まあ家族に恐怖感を与えたいっていうなら別だけど。本人に聞いて、何やったかのか教えてもらえれば手っ取り早いんだけどねー」
「まあ難しいだろうね」
「そうなの?」
自分も体調を崩しているのだし、解決できるなら教えてくれそうなものだが。
そう思うのは廸歩だけらしく、梨奈と翼だけではなく今井も苦笑していた。
「理由はいろいろあるのよ、自分の間違いや失敗を認めたくない、悪いことをしたという意識があるから怒られたくない……特に思春期の中高生くらいの女の子だったりすると顕著なのよ。ヒステリー起こしちゃったりね」
「ああ、まさにお孫さんは中学生女子ですもんね」
「そ。中二病って何やらかすか分かんないからホントに怖いのよー」
は~、と大げさにため息を吐いた梨奈に苦笑しつつ、今井が迪歩に目を向けた。
「我々のような大人だと反発されやすいので、本人と話をするなら翼くんや廸歩さんのような年の近い人たちが当たった方がいいかもしれませんね……ただ、それもその子の性格によりますけど」
今井の言葉に、梨奈が「そうだ」と翼に指を突き付ける。
「翼あんた色仕掛けで落としなさいよ」
「やだよ」
なるほど、色仕掛け。
正直廸歩的には嫌だし、決してやって欲しくはない。
「……翼くんならできそう」
「やらないよ!」
思わず口から漏れていた言葉に、翼が若干傷ついたような顔をする。
廸歩が慌てて「やって欲しいって意味ではなくて……」と言葉を継いだところへ、電話を終えた大塚がニコニコしながら口をはさんだ。
「え、イケメン君、彼女そっちのけで中学生に色仕掛けすんの?」
「黙れ。……っていうか、そっちの得意分野だろ、人を騙すの」
「まあ得意だね。だけどボク、今はチホちゃん一筋だから」
さらっとろくでもないことを言って、廸歩に笑顔を向ける。廸歩はそれに対してハエを払うように手を振った。
「あ、そういうの本当にいらないんで。依頼の方はどうなったんですか?」
「うん。先方は正式に依頼したいので、とりあえず一度状況を見てほしいって」
廸歩の態度を特に気にする様子もなく大塚が普通に話を続ける。
それを興味深げに見ていた梨奈が、へえ……と呟いた。
「廸歩ちゃんって大塚君にだけびっくりするくらい当たりがキツいのね」
「いやあ、それはそれで美味しいっていうか……チホちゃんの塩対応って癖になるんですよね」
「え、怖……」
「ああー、分かる。美人の見下し顔ってちょっとそそるわよね」
「……」
まさかの意気投合を始めた大塚と梨奈から、廸歩は身をよじって少し距離を取る。
「常盤さん、ほどほどにしてください。廸歩さんが完全に引いています」
今井が静かな声で一言。
それで我に返ったのか、「はっ! つい……」と梨奈が口を押えた。
「廸歩さん、こっち来なよ」
手招きする翼に、廸歩は黙ってミーティングテーブルへと移動した。




