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九谷(霊)環境調査株式会社の見習い調査員  作者:
見習い調査員の章
56/87

56. 執着できるもの

 勢いでつい手をつないでしまったが、猛烈に恥ずかしい。

 泣いてしまったことも、勢いで好きだと言ってしまったことも恥ずかしいし、それでも手を離したくないと思ってしまっていることも恥ずかしい。


「あ、あの、この期に及んであれなんだけど……本当に怒ってたわけじゃないの?」


 つないだ手が熱を持ち始めて、だんだん手汗が気になってくる。

 そわそわした気持ちを落ち着かせるためになにか話そうと話題を探して、結局最初の疑問に戻ってしまった。


「怒ってないです……ちょっと焦ってただけで……」

「焦って?」

「この間駅で会った時、一緒にいたチカさんが男の恰好してたでしょ?……この人、廸歩さんの彼氏なのかなって思ったら、想像以上にキツくてさ」

「ああ、そういえばあのお店の店員さんにも恋人同士だと思われてた」


 チカは男の恰好をしていても基本的に廸歩との距離感は変わらない。

 同性の距離感そのままなので第三者から見たら親密な関係の男女に見えるらしい。廸歩自身も妹であるという意識が強いため、特に距離を取るようなこともしないのでなおさらだ。


「すぐに本人から言われて妹だって分かったけど、……いつか告白しようとか思ってたら、そのうち本当に誰かとくっついちゃうかもしれないなって思ったんだ。しかも、いきなりチカさんが『姉は押しに弱いから畳みかければ落とせますよ』って言ってくるし」

「……あの女」


 思わずこめかみを押さえる。初対面だったくせになにを言ってくれているのだろうか。


「でもそれって押しの強いやつに先越されるかもってことだし」

「私だって誰でもいいわけじゃ……」

「どうだろう。俺は廸歩さんがずっと好きだったけど、廸歩さんはそうじゃないだろうし……」

「わ……私だって、翼くんが好きだったよ」

「……」


 黙り込んでしまった翼は片手で顔を覆っているので表情が分からない。だが、耳が赤くなっているのでどうやら照れているらしい。


「言うように誘導しておいて照れないで……こっちもすごい恥ずかしくなるから」

「ごめん、かわいすぎた……」


 翼は呻くようにそう言ったあと、呼吸を整えるようにため息を一つ吐いて迪歩に目を向けた。


「とにかく、廸歩さんは無防備すぎるからあっという間に他のやつに攫っていかれそうで焦ってたんだよ」

「私、そんなに無防備かな……」

「……夜中に男に囲まれてるのに破れた部屋着で平気な顔してるし」

「誤解を招くような言い方……服が破れてるのに気付いてなかっただけだし。でも、別にはだけてたわけじゃないし……」

「視点が高いと見え方が違うんですよ」

「!」


 ちょっとバツが悪そうに言った翼の言葉に、思わず胸元を押さえる。

 あのとき破れていたのは胸元と肩のあたり。翼や藤岡の視点だと少し高いところから見下ろすことになるわけで……。


「ベンチに座って上目づかいで見上げてくる廸歩さんになにもしなかった俺はすごく褒められていいと思ってる」


 あのときベンチの脇に立っていた翼からは、だいぶ肌が見えていたかもしれない。廸歩思わず顔を覆う。


「うう……」

「だから無防備だって言ってるでしょ? 迪歩さんは自分で分かってないけど、かなり美人なんだから。油断しないでください」

「……気を付けます」

「……でも、俺の前では油断していいよ」


 最後にフニャッと笑って付け足した翼のあまりの可愛さに、これが世にいう『尊い』という感情か――などと脳裏に浮かんできてしまった。

 多分今の自分はものすごく真っ赤になってるんだろうな、と思いながら「……善処します」と呟いた。



***



 芙遊(ふゆ)の言っていたとおり、週が開けて少し経っても最後の『おつげ』現場で異常は起こらなかった。

 かすかに残っていた呪術の気配も時間とともに薄れていっているので、数日中には消えるだろうというのがもるもるの予想だ。

 今はまだ中高生の間で流行っているbyakko-sanの話題も、死亡者が出ることなく終わったのもあり、そんなに長くは続かないだろう。


「迪歩ちゃんが酔っ払いを叩きのめすところ、見たかったなぁ……報告書に活躍を書き加えておこうか?」

「やめてください」


 依頼者への報告書を作成している九谷は、文章を考えながらなぜそんなに喋れるのかと不思議になるほど無駄口が多い。

 もともとお喋りな人ではあるものの、外勤が多く事務所に長時間いることが少ないので、今まではそこまで気にしていなかったのだが……報告書の作成となるとどうしても事務所内での作業となり、滞在時間が長くなる。


(道理で、いつもなら暑いからって外仕事を嫌がる与田さんが進んで外に出るわけだ……)


 始めはちゃんと相手をしていた迪歩も、今は返事が単語のみになってしまっている。

 放っておいても一人で喋っているため、基本無視していいと真琴には言われているのだが、なんだか可哀想でつい返事をしてしまう。

 他の人はよくこれほど完全に無視ができるなぁと思っていたら、真琴と翼はイヤホンをしていた。

 だが、いくらイヤホンをしていても話し声が完全に遮断できるわけではないので、『聞いていませんから話しかけないでください』というアピールかもしれない。


「そういえば~、迪歩ちゃんって格闘技やってるの? 酔っ払いのおじさんを引き取っていった刑事がさ、おじさんを倒したのは『相当な手練だ』って言ってたんだけどさぁ」


 唯一イヤホンをしていない――だが九谷のことは無視していた――藤岡が会話に割って入ってきた。


「いえ、妹は空手やってますけど、私は格闘技向いてないって言われて護身術を教わっただけですよ。……あのおじさんは動きが大ぶりで単純だったからきれいに決まっちゃったんです。手練の人なら、もっとちゃんと手加減できたと思います」

「そういえば詩織ちゃんが、迪歩さんが恐ろしく強かったって言ってたけど……格闘技が向いてないって嘘でしょ」


 いつの間にかイヤホンを外していた翼が話に入ってくる。真琴も興味津々といった面持ちでこちらを見ていた。

 だが、嘘だと言われても向いていないと言われたのは事実である。


「私とチカは、二人揃って格闘技マニアの叔父さんから、遊びの一環で体術を教わったんです。チカはそっから空手を教わり始めたけど、私は向いてないから格闘技はやめとけって叔父に言われて……」

「向いてないってのは具体的にどういうところが?」


 九谷の報告書作成の手は完全に止まってしまった。会話できるのが嬉しいらしく、とても生き生きとしている。

 迪歩は「具体的に……」と宙を睨んで記憶を掘り起こす。


「一歩踏み込めば決定打を入れられるけど、その代わりに自分も決定打を受けるっていう状況があったとして、『止まるのがチカ、迷わず踏み込むのがチホ』……だから危うすぎて見てて怖いって。格闘技は自分の安全を第一に考えられる人しかやっちゃだめって言われました」

「迪歩さんの叔父さんは賢明だと思う……」

「ああー……、チカちゃんがここで迪歩ちゃんを説教してたやつだね……『いつも自分の身の安全をないがしろにする』って」

「ないがしろにしてるつもりはないんですけどね……」


 詩織の件については他にやりようがなかったと今でも思う。

 結果的にお守りや白露のくれた花が守ってくれたが、お守りにそんなに効果があるとは知らなかったのだ。花に至ってはほとんど忘れていた。


「よし、分かった。迪歩ちゃんは一人での行動禁止。調査時は常に二人以上で動くこと。それ以外のときもなるべく誰かと一緒にいること」

「え。調査時は分かりますけど、それ以外って……」


 強く言い切る九谷の言葉に、そこまで信用がないのか……と迪歩は肩を落とした。

 そんな迪歩に、すぐ後ろへ来ていた真琴が後ろから覆いかぶさるように抱きついてくる。


「迪歩ちゃんって、一人にしとくとふらっと死地に飛び込んでいきそうな雰囲気があるんだよね」

「どんな雰囲気ですかそれ」

「うーん……生きようとする気持ちが弱い? 自分の命への執着が薄い?」

「そうでしょうか……自分では分からないです」

「分かんないなら、判断を迷うような時に、自分の他になにか執着できるものを思い浮かべればいいのよ。そのために生きなきゃって思うような」

「執着できるもの?」

「たとえば……恋人、とか」


 いたずらっぽく笑った声で耳元に囁かれる。

 思い起こしたのは、つないだ、ひんやりした手の感触。


「ふふ、迪歩ちゃんが今なにを思い浮かべたかは当てないでおいてあげる」

「~~~」


 廸歩は思わず顔を覆って、べしょんとテーブルに突っ伏す。

 真琴はチカと同様、勘が冴え渡るオラクル体質。


(翼くんとのことはお見通しなんですね……)


「もー、迪歩ちゃんってば可愛いんだから―」


 真琴に頭をワシャワシャと撫でられる。小さい手と爪の感触もあるので多分もるもるも一緒だ。

 しばらく突っ伏したまま撫でられるままでいると、頭上でピシャンッと音がした。

 顔を上げると、どうやら真琴が九谷の手を叩いたらしい。


「お触りは禁止でーす」

「えー、まこちゃんの真似して撫でようとしただけだって」

「九谷さんは黙って報告書書いてなよ」


 口をとがらせて不満げな声を上げた九谷に、翼が冷たい声と視線を向ける。そこに「おじさんが許可なく女の子の頭触ったら完全にセクハラだよねぇ~」と藤岡も追い打ちをかけた。


「迪歩ちゃん、社員が冷たいんだ……」

「えっと、とりあえず報告書を完成させた方がいいんじゃないでしょうか」

「廸歩ちゃんまで……この会社に俺の居場所はないのか……ちょっと喫茶店で一服してくる」

「はいはい、デスクワークに飽きたからって理由付けて逃げようとしない」


 いそいそと身支度を始めた九谷を、にっこり笑った真琴がPC前に戻らせる。


「おみやげにケーキでも買ってくるから」

「だめー。そう言って帰ってこないのが目に見えてます」


 そのまま九谷は喫茶店に行かせてもらえなかった文句と、関係のない世間話を織り交ぜながら喋り続けた。

 最終的に迪歩すらも返事をする気をなくし、今度からはイヤホンをつけよう……と誓ったのだった。

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