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九谷(霊)環境調査株式会社の見習い調査員  作者:
見習い調査員の章
55/87

55.私なんか、

「こんばんは」

「あれ、迪歩さんどうしたの?」


 九環の事務所に入ると翼に驚いた顔をされる。

 家に帰ってからすぐにクリーニングに服を出したところ、夕方に仕上がると言われたため、受け取ったその足で再び事務所に来たのだ。


「詩織さんに借りた服、早めに返そうと思って……荷物になっちゃうけど翼くんお願いしていい?」

「いいけど……クリーニングまでしなくても大丈夫だったのに」

「大丈夫だとは思うけど、もし血とか付いてたら申し訳ないのでちゃんとプロに見てもらいました」

「そっか……ありがとうございます」


 借り物を無事返してホッとする。翼がいなかったら事務所に残っている誰かに翼が着たときに渡してもらうよう頼もうと思っていたのだが、帰る前に間に合ったようだ。本人(の家族)に渡せてよかった。


「迪歩ちゃん、大変だったって聞いたよ。ごめんね、手伝えなくて……怪我は大丈夫?」


 用事は済んだし帰ろうとしたところで、給湯室のほうからカップを片手に出てきた真柴から声をかけられた。

 彼は別件に当たっていたため昨日は市外にいたのだ。申し訳なさそうに言った真柴に慌てて手を振る。


「あ、真柴さんこんばんは。怪我って言っても浅い引っかき傷ですから。一応病院には行きましたけど、全然大したことないです」

「そっか、それなら良いんだけど……」


 と、そのまま真柴はじっと迪歩を見つめる。


「……真柴さん?どうかしましたか?」

「あ、ごめんね……なんかちょっと迪歩ちゃん、狐の気配がするね」

「狐の気配?」

「僕、動物霊にちょっと敏感でさ。今の迪歩ちゃんから微妙に狐っぽいものを感じるんだ。前に会ったときはそんなことなかったんだけど」

「もしかして『えんじゅ』とかいうあの狐? 迪歩さん、預かってもらった以外になんかあったの?」

 

 首をかしげる真柴の横から、微妙に嫌そうな顔で翼が聞いてくる。


「んんん……?……あっ」

「なんかあったんだね……」

「ちょっと睡魔と戦ってたときなので記憶が怪しくて……えんじゅは私の守護獣になった、そうです」

「……守護獣ってなに?」

「妖力を持った獣と結ぶ契約で、離れていても呼び出せるそうです。使役ではないので応えるかどうかは強制じゃないらしくって、呼んでも来てくれない場合もあるみたいですけど」

「契約!?」

「狐と契約をしたの?」

「えーと、眠くてうっかり……そ! それについてはふゆさんからも注意されたので、良くないことなのは分かってます!」


 迪歩を見る二人の目が完全にどうしようもない奴を見る目になっている。

 特に翼が不機嫌そうな顔をしているので、迪歩は話しながらつい視線を泳がせてしまう。


「一応、ふゆさんたちの話によれば特に損はない契約で、霊を寄せちゃう体質も守護獣がいればちょっと緩和される、みたいです」

「うん、確かに獣の気配がするから弱いやつらは怖がって寄ってこないかもね……。まあ、もう注意されてるなら改めてこっちから言うことはないし、それに嫌な気配ではないから問題はなさそうだね」


 そう言って真柴は苦笑した。翼は小さくため息を吐く。

 

「問題ないならいいけどさ……まああれだけ爆睡するほど疲れてみたいだし、無理もないか」

「う……爆睡のことは忘れて」

「僕も爆睡してた迪歩ちゃん見たかったな」

「そういえばチカさんがムービーで撮ってたよ」

「なんで!?」

「ああ、迪歩ちゃんの妹さんも来てたんだっけ。ちょっと会ってみたかったな。午前中に帰ったならもう無事に家に着いたかな」

「さっき着いたって連絡きてました……ムービーは消すように言っておく……」


 ムービー消して、に対するチカの返事はNOだった。『次に連絡無しで姿消したら九環の人達とか瑠璃ちゃんとかに送るからね』という返事に、迪歩は申し訳ありませんと返すしかなかった。



***



 ちょうど迪歩が来たとき翼は帰る準備をしていたところだったらしく、結局いつものように一緒に事務所を出た。

 真柴は「残務処理~」と言って、だいぶ濃いコーヒーを淹れていたようなのでまだ帰れなさそうだ。

 他に事務所には与田もいたのだが、彼は例によってぐっすり眠っており、迪歩がいる間ピクリとも動かなかった。彼も何だかんだ言って疲れていたのだろう。


「……」


 横を歩きながらちらりと翼の顔を見る。気のせいかもしれないが、なんとなくよそよそしさを感じる。


「……翼くんは昨日からなんか怒ってる?」

「え? いや、別になにも怒ってないよ?」

「私、昨日からすごい色々失敗して色んな人に迷惑かけたり心配させたりしてたから、ついに見放されちゃったのかなって……」


 廸歩はそう言いながら、ハッと『既に見放されているから怒ってすらいない』という可能性に気付いて言葉を止める。


「既に怒る価値もない……?」

「え!? なんで!?……ああー、いや、俺の態度が悪いせいか……」


 翼はなにか思い当たるところがあるようで少し考え込むふうだったが、すぐにため息を一つ吐くと、足を止めた。そしてまっすぐに廸歩を見る。

 同じく足を止めた迪歩は、翼のその様子に「なにかまた苦言を呈されるようなことがあっただろうか……」と一瞬考え――思い当たることが多くてしょんぼりと肩を落とした。


「迪歩さん、俺、迪歩さんが好きなんだ」

「は……ぇ?」

「友達とか人としてとかじゃなくて恋愛的な意味で」

「え……からかって、ます?」

「からかってません」


 翼は迪歩をじっと見つめ、そう言ってちょっと苦笑した。


「迪歩さんが異常に自分に自信がないの分かってるし……すげえかっこ悪いけど、こっちもこっちで受験が終わるまでちょっと余裕ないし、今言うつもりはなかったんだけどさ。――あんまりもたもたしてると誰かに掻っ攫われそうだって思い直した」

「だ……誰かなんて、誰もいないよ?」

「いる。青柳さんの元カレが狙ってるって青柳さん言ってたじゃん。それに大塚だってそうだし。そうでなくても普通に何回かナンパされそうになってるし。挙句の果てに狐にまで言い寄られてる」

「えんじゅはなんていうか別枠で、幼稚園生にプロポーズされるようなものだし……貴島さんは瑠璃の勘違いだよ。……大塚くん、は……」


 瑠璃ちゃんよりチホちゃんのほうが好み、とか、キレた顔も好き、とか言われたが……あれは単純に話の流れの軽口……だと思う。


「ふーん、大塚は思い当たるところがあるんだ……?」


 翼はにっこりと笑っているが、笑顔がちょっと怖い。


「ないです。……それに、ナンパなんてされたことないよ」

「それはね、迪歩さんが気付いてないのと、周りがさり気なく邪魔してるからだよ……そうやって無防備だから、俺は気が気じゃないんだって」

「でも……」


 自分を好きになる『誰か』なんて、いるはずがないのに。

 きっとなにかの間違いで。きっと勘違い。

 怖いとか、話しかけにくいとか、冷たそうとか。


 『そうやって、おかしなことばかり言って気を引こうとしてるんだろう!』


 頭の中で怒鳴り声がする。

 私の見る世界は普通じゃなくて、普通じゃないのは恥ずかしいことで、だから私は誰からも好きになってもらえるはずなんてないのに。


「私……、私なんて、翼くんに好きになってもらえるような人間じゃないの。……変、だし、面白みもないし、気が利かないし、友達少ないし、表情ないし、チカとか瑠璃みたいにきれいじゃないし――」

「もしもそうだったとしても好きだよ」


 いくつも理由を挙げていく廸歩の言葉を翼が遮る。


「それに、俺からしたら迪歩さんが一番きれいだし可愛い」

「……」


 そんなはずがないのに。

 そうだったらどんなに良いかと、期待している自分がいる。


「迪歩さんがモカでバイトしてたときから好きだったんだ。猫のためにカウンターの場所を空けとくところとか、布巾にじゃれつかせてにこにこしたりするとことか……ものを食べるとき幸せそうな顔するところも、仕草がきれいなところも全部好き。俺、迪歩さんがモカのバイト辞めたとき、声かけておかなかったことすげぇ後悔したんだ」


 翼の目は、まるで刺すようにまっすぐに廸歩を見つめている。

 彼は、私を見て、私を選んだ?

 そんなはずはない。私にそんな魅力はなくて、だから……


「だから、他の奴じゃなくて俺を選んで。――迪歩さんが自分に魅力がないと思ってたとしても、そんなのどうでも良くなるくらい俺を好きになってよ」


「……」


 翼の熱のこもった視線のせいで、頭の芯のほうが熱くて、少し手が震える。


 廸歩が、自分のことを駄目だと思ってしまうのは、廸歩のアイデンティティのようなものにべったり張り付いていて、きっと簡単には変えられない。

 でも翼は、変えろとは言わずに、それでもいいと言ってくれる。

 優しい人だ。


 好きになってと言われても、もう、好きになってるし。


 でも。私なんかが。


 ぼろっと涙がこぼれた。


「……すき。翼くんが好きです。……でも、私はやっぱり自信がない。私なんかが翼くんの隣にいていいとはどうしても思えない……」

「俺が、迪歩さんに、隣にいてほしいんだよ。それに俺、別にそんなにすごい奴でも立派な人間でもないし」

「……でも、無理、です」


「……そっか」


 困ったような笑顔を浮かべる翼に、ズキン、と胸が痛む。

 そんな自分の身勝手さに泣きそうになる。

 自分に自信がないなんて理由で拒んでおいて、傷ついていい訳がないのに。


「……俺、迪歩さんに振られたショックで受験失敗する気がする」


 ため息とともにつぶやかれた……というには少しわざとらしいその言葉に迪歩は固まる。


「……そ、れは……!」

「行きたい研究室が決まってるから、落ちたら浪人しないとなんだよね」

「ひ……卑怯!」


 軽く睨み付けると瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。頬を伝うその涙を、翼の指がすくい取った。


「俺はそれくらい、迪歩さんを諦めたくなくて必死なんだよ」


 そんなはずはないと頭の中ではまだ声がする。それでも。

 私のせいで受験を失敗したら大変だしね、なんて、言い訳をくれた。

 誰にも好きになってもらえないような駄目な自分が、誰かを好きになっても許されるのかもしれないと、思えるような言い訳を。


 こんなに優しい、愛しい人を、ちゃんと信じたい。


「……私……自信ないって、ちゃんと言ったよ。……きっと後になってこんな奴だとは思わなかったって後悔するよ」

「俺は廸歩さんがどんな奴だったとしても、全部好きになる自信があるよ」


 そう言ってとろけるような笑顔で差し出された手のひらを、躊躇いながら握り返すと、まだ気温は高いというのにひんやりと冷たかった。


 もしかして翼くんも緊張してたのかな……と、そんなふうに思いながらぎゅっと強く握り返した。

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