54.お説教
「やっほーおはようチホ」
「……ようございます」
目を開けたら正面にチカが座っていて、もるもるをガシガシと撫で回していた。
「……?」
頭がぼんやりして、今自分がどこにいるのか分からない。今自分が横たわっていたのは、見覚えのあるちょっと年季の入ったソファだ。
九環のソファである。もるもるもいるので間違いない。だが、違和感がある。
「え、なんでチカがここにいるの」
「それはこっちのセリフだ突然姿消して連絡もせずに」
「いたい」
にっこり笑ったチカが迪歩の脳天に手刀を落とす。あまり手加減をしてくれなかったらしく、本当に痛い。
「理由があって姿を消したのは分かってるし、ある程度の事情は聞いたけど、でも連絡するタイミングあったよね? 何も言わなかったら心配するに決まってるでしょ?」
「はい……おっしゃるとおりです」
「しかも怪我して! ただでさえチホはいつも自分の身の安全をないがしろにするんだから。自分のことに無頓着すぎ! 心配する方の身にもなってよ。ちゃんと細かく連絡して危ないことはしない! 分かった?」
「はい。ごめんなさい」
チカは「よし」と頷き、ミネラルウォーターのペットボトルを差し出してきたのでありがたく受け取る。
喉を潤し、落ち着いてから改めて顔を上げると、藤岡と与田がニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「お、気付いた」
「普段ちゃんとしてる子がこんなに怒られてるの、まず見ないよねぇ」
「しかも妹にド正論でな」
「うぅ……」
大人二人から追い打ちをくらい、迪歩はソファの背もたれに顔を埋めた。
なぜ今、自分は衆人環視のもと妹に説教をくらっているのだろう。
芙遊の『迷い家』に飛ばされ、色々話を聞いたところまでは覚えている。
佑から眠そうな顔をしていると指摘された、その後の記憶がちょっ と曖昧だ。
(もしや、寝落ちした状態で戻された?)
「あ、迪歩ちゃん起きた。下でパン買ってきたよー」
「迪歩さんおはよう」
そこに、香ばしいパンの匂いを漂わせながら真琴と翼が事務所に入ってきた。
迪歩が迷い家に飛ばされる前と同じ面子が揃っている。プラス妹。
「おはようございます……あの、えんじゅは……?」
「あの狐なら消えたまんま戻ってきてないよ。迪歩さんもあいつの行方知らないのか……」
「迪歩ちゃんは消えたときと別の場所にいたし、狐くんも戻る場所がずれて倉庫の隙間に閉じ込められてたりするかもねぇ」
「何ヶ月か後に狐の干物が発掘されたりしてな」
「あの……別の場所、というと……?」
飛ばされる前と同じ場所に戻ったのではなかったのか。いや、その場所に誰かいたらそれはそれで大惨事なので位置がずれていること自体はいいのだが。
「迪歩さん、倉庫の前の廊下で倒れてたんだよ」
「爆睡状態でね~」
やっぱり寝落ち状態で送還されていたらしい。そしてまた翼が運んでくれたらしい。迪歩は一度上げた顔を再びソファの背もたれに埋めてうめいた。
***
「メッセージ全然既読にならないしさー。でも私今日帰んなきゃだし、帰るにしても家の鍵渡さないといけないからどうしよう~って電話したら翼さんが出て、またそっちでもいなくなったっていうし……とりあえず場所教えてもらって来たのよ」
「いろいろごめんなさい……」
パンを齧りながら、チカからここに来た経緯を聞かされる。
迪歩が芙遊のところに飛ばされたときにスマホをテーブルの上に置いていったため、翼がチカからの着信に代わりに対応してくれたのだ。置いていかなかったらチカは未だに連絡が取れずにヤキモキしていたかもしれない。大変申し訳無い。
「そういえばさっき話してたあの狐、迪歩ちゃんと一緒に消えたんだけど~、迪歩ちゃん本当にどこ行ったか知らない?」
「あ、えんじゅですね。すみませんちょっと記憶が混乱してて……たしか、しばらくふゆさんのほうで預かるって言ってました」
札幌で狐が起こしたこと、札幌辺りを管轄している龍神が槐を哀れんで芙遊に助力を願ったこと、それで迪歩が巻き込まれたこと……など、迷い家で聞いた一連の話を伝える。
「ねえ……私、ふゆさんのことほとんど知らないんだけどさ、龍神と茶飲み友達ってどういうことなの」
『茶飲み友達』というところで引っかかったチカは、離れに住んでいたふゆが亡くなった時二歳だったのでほぼ交流がなかった。加えて、今井家ではふゆの話はタブーであるためほとんど情報ゼロなのである。
「なんかふゆさんって大物に好かれやすいとかで仲良くなったみたい」
「大物って……神様なんでしょ? ちょっと想像つかないんだけど……え、ふゆさんってそういう感じの人だったの? なんか皆の断片的な話から儚げな人をイメージしてたんだけど」
「私もそう思ってたけど……何ていうか、私の記憶にあったふゆさんよりもだいぶアグレッシブな感じの人だった。絶対お祖父ちゃんと気が合わない感じの」
「ああ、そういうタイプね。キャラクターはなんとなく想像ついたわ……」
今井家の祖父は昔気質の亭主関白――と言えば聞こえがいいかもしれないが、要は男尊女卑タイプだ。迷い家にいた芙遊はどう考えてもそういうタイプとは相性が悪い。
「……まあ、そういうことでえんじゅが手を引いたので、最後のお告げの場所は何も起こらないそうです。楔を打てるレベルの子が現状でえんじゅ以外にはいないらしいので、また同じことが起こるってこともないだろうと」
「本当に? じゃあもう、もるもると地図を監視してなくてもいいのね……?」
「きゅ……!」
「てことは、報告まとめればおしまいか。早寝の老人に任せようぜ」
真琴ともるもるが顔を見合わせて嬉しそうに手のひらを合わせる横で与田が大きく伸びをしながら言った。あくび混じりのその言葉に、迪歩は首をかしげた。
「早寝の老人?」
「所長が昨日の夜連絡つかなくてね~。あの人早寝だからさ~。今日は今日で孫の誕生日だからって遊びにいってるし」
まあ一応九環は土日休みだからいいけどさ~。と言いつつ、藤岡も押し付ける気満々のようだ。
九環は裁量労働制なので、勤務時間というものははっきり決まっていない。今回は他のメンバーは出ずっぱりだったのと、そもそも所長のところに来た話なのだから、ということで後処理は任せることにしたらしい。
「そういう真相をぼかす作文は所長の十八番なんだよねぇ」
公の依頼なので、表に出す報告と事実の記録が必要になるらしい。「事実の方も異界やら神様とかまで出てきちゃうとねぇ……」ということで多少トーンダウンするそうだ。
「あ、そろそろ駅行かないとだ」
「チカちゃん、せっかく遊びに来てたのに迪歩ちゃんをこっちの用事で独占しちゃってゴメンね」
申し訳無さそうに言った真琴に、チカは「いえいえ」と笑った。
「チホに会うのは生存確認であって、主目的ではないので」
「生存確認……」
「目的は主にライブ参戦です。来月も来る予定だし」
「ああ、来月は夏フェスかぁ……去年も来てたもんね、チカ」
ちなみに去年のその時期は、迪歩が大学の研究室の昆虫採集ツアーにくっついていっていたため留守にしており、チカとは全く会っていない。完全にホテル代わりである。
「あ、チホ鍵返すね。私このまま直接駅行っちゃうから」
「うん。ありがと」
「ああチカちゃん、駅までなら車で送るよ~」
「え、良いんですか?」
「うん。僕も一旦帰るから~。ついでに学生組も帰るなら送るけど、どうする?」
藤岡が車の鍵を片手に学生組――迪歩と翼に目を向ける。
だが、翼はすぐに頭を振った。
「俺はここで勉強してく。真柴さん午後から来るって言ってたし」
「すみません、私は帰りたいのでお願いできますか」
「O K~」
迪歩が今身につけているのは詩織の服に詩織のサンダル。借り物なので汚してしまう前に着替えたい。ついでに歩く距離も減らしたいので送ってもらえるのはありがたい。
「ではお暇します。みなさん、姉をよろしくお願いします。……この人危なっかしいので、本当に、色々」
「「確かに」」
「うっ……すみません……」
ペコリとお辞儀をしたチカが噛みしめるように言った後半の言葉に皆頷く。与田には「姉と妹が逆だな」とニヤニヤ笑われた。




